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8-1.好奇心

 ギギ、と錆で軋む扉を開きながら、スイッチに手を伸ばす。


 ジジジ、と言う音を立てながら光った蛍光灯が照らし出したのは、物が雑多に置かれた部屋で、部室というよりは倉庫というのがふさわしい部屋だった。実際、演劇部はこの部屋よりも部室棟の大部屋で練習しているらしいし、倉庫代わりに使われているのは間違いないんだろう。演劇で使うのかさまざまな小道具と思しきものも数多く目につく。


 その一角に、ややこぢんまりとした領域を占めている、開きっぱなしの衣装棚が存在した。


 いつも開けっ放しなのか、それとも黒部君が衣装を返した時に閉じ忘れたのか。どちらにせよ、目的の真っ青なはっぴは簡単に目についた。


 手を差し込んで目の前で広げてみると、確かに校門前で黒部君が身に着けていたはっぴと同じものだった。それと同時に、ほんの少しだけ右側が重い、とも感じた。


 考える前にその正体を探るべくポケットに手をゆっくりと、しかし何が入っていても見逃さないように、差し込む。


 指先が触れた感触で直感し、指の腹で撫でた感覚が確信をもたらした。


 鉄のように固いわけでもなく、されど液体や軟体のように形をゆがめられるようなものではなく。


 つー、と滑るように撫でることができる感触は間違いなく毎日のように自らのポケットに収めるものと同じ。


 それが破けることがないように、衣装を傷めることがないようにそっとそれを引き抜くと、やはり予想通りのものが存在した。


2-Bの永良詩文の名前が記された生徒手帳。今日放課後をかけて探し続けたそれは確かに今、この手の中にあった。


 ほう、と一息つく。見つけ出したという達成感よりも、見つけられてよかったという安堵する気持ちの方が強く感じた。あとは見つけて届けるだけで、私の目的は果たされ、そして詩文くんの記録はまたも明日に引き継がれる。


 安心してしまったせいか、手のひらに掴んだ手帳がポトリ、と落ちて床でその中身が広がった。人のものなのにずさんに扱うわけには、と拾い上げようとして。


「――――」


私の動きは停止し、視線は白い背景につらつらと書き綴られた彼の筆跡に囚われていた。


 見たものに不思議なことはない。思っていた通りのことが書いてあるだけだ。彼の記録が残っているだけだ。


 ただ、この中身は文字通り彼の記憶だ。


 誰か赤の他人に見せつけるものでもなく、書き記した程度のものではなく、明日につなぐための記録。


 つまり、ここには昨日までの『永良詩文』が保存されている。それも分かっていたことだ。この手帳の中身を詩文くんが読めば、明日も今日までの記録を詩文くんは引き継げるのだ。


 私が気づいてしまったのは。これを別の人間が読めば、彼の記録を、記憶を、私が覗けるということではないのかということ。


 人は誰だって、誰かからの評価を大なり小なり気にするものではあると思う。愛想よく笑っていた笑顔の裏側には悪意が潜んでいるのかもしれないけれど。それでも自分がどう思われているのかを知る方法があれば、見たいと思うのはきっと本能に違いない。


 そして、私は今詩文くんの思考を知るすべを手にしている。だって、詩文くんの今までの記憶がここにすべて記されているはずだから。


 ――いけないことだ。悪いことだ。やるべきではないことだ。知るべきではない。


 否定の言葉は、理由なく浮かぶ。


 ――誰だって知りたいことを恐れることはない。感情に従うことは悪いことなんかじゃない。むしろ、今後を考えるなら知るべきかもしれない。もっと彼を知れるのだから。


 肯定の言葉は、私の欲望を引き出すように甘言を伴って私を惹きつける。


 どちらに従うべきか、なんて理性は働かない。甘い誘惑に私の脳は縛られる。考えるまでもなく私は手帳を拾い上げ、掌中に広げていた。


 めくる。


 『ネッシーはUFOを釣りあげようとした際の姿ではないだろうか』という書き出しから始まるメモ書き。いささか個性的な内容だけど、なんとなく彼が好きそうだな、と感じる話題なんじゃないかと思った。なんせ、いつも朝の十五分に聞く話のテイストにずいぶん近い。


 そのページには雑談のネタと思しきものがいくつも書かれ、そして私が聞いたことがあるようなものや旬が過ぎたと思えるものはすべてに線を引かれていた。多分、それらは賞味期限切れと言うことだろう。


 めくる。


 次の日に必要になるであろう持ち物や予定が、昨日の分まで書き連ねられている。明日の分が書かれていない辺り、今日の分は帰ってから書くつもりだったのだろう。


 めくる。


 彼の家族や親せきについての所感がずらり。


 めくる。


 そこに書かれた名前の数々は私が知っている名前ばかりだ。


「…………」


 ここにある、と思った。私が探しているものは。


 黒部君、伊岳君。その他にもクラスメートの男子の名前はすべて書き連ねられていて、その趣味嗜好も彼の知る限りのところは書いてある。


 佳代も、浅香も、凛菜のこともいくらかは書き記されている。その中身はやはりと言うべきか、男子たちのものと比べると内容は少なかったけれど。


 その中に書いてあることも気になる。誰かが私の友達やクラスメートをどう評価しているのか、少なくとも彼なりの視点では赤裸々に描かれているだろうから。


 けれど、私が見たいのはそれではない。


 めくる。


 けれどそこにはない。


 めくる。


 しかし見つからない。


 めくる、めくる、めくる。


「――――」


 そして、最後のページにたどり着く。



 けれど、私が見たかったものは見つからなかった。



「――そういう、こともあるよね」


 感情があふれ出しそうで、けれど冷え切ってしまっているような感覚。


 口から漏れ出した言葉は現状を理解した言葉でもなければ、自分を慰めるに足る言葉でもなかった。



 どこまでめくっても、私の名前は見つからなかった。



 ここに名前がないということは、彼にとって私は明日に引き継ぐべきことではないということだ。


 視界がにじむ。手に力が入らなくなって手帳を落としてしまったけれど、今はそれでもよかった。だって、閉じてしまった手帳を濡らすこともないし、白紙も同然の手帳の中身を見てさらに頭の中身をがんじがらめにする必要もないのだから。


 うぬぼれていたわけではなかったはずだ。高望みしたつもりでもなかったつもりだった。


 私のことを少しくらいは高く評価していてほしいなとは少しくらいは思ったかもしれないけれど。


 私はただ、名前があればそれでよかったのに。結果は何とも思われていなくて、評価することすらされていなかった。


 嘆く言葉は心の中でぐるぐると渦巻いて、ただでさえ薄暗い視界がさらに闇へ包まれていった。


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