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7.そして少年は後悔した。

 詩文くんが無くしたものは生徒手帳だったと考えられる。そして学校に来るときの校門で行われていた服装チェックで彼が黒部君に貸していたのも目撃した。


 つまり、黒部君がその手帳を返し忘れていたと考えれば話は早い。あとは彼がどこにいるか分かれば、その手帳にたどり着ける。


彼は今風紀委員の委員長代理などをやっているが、本来は生徒会の書記である。何かのイベントでもない限りあまり遅くまでは残っていないかもしれないけれど、もしも彼が今学校に残っているなら生徒会室に違いない。


 もしも残っていなければ呼び出すかあるいは直接訪ねるか。たしか黒部君は徒歩で通学できるほど学校に近かったはずだ。


 なんてことを考えてはいたけれど、それは無用に終わるかもしれない、と思った。今もまだ、生徒会室の灯りは煌々としていたのだから。


 扉の前に立って少しだけ耳を澄ませてみる。話し声はしない。微かにキーボードを叩く音が響くだけで、残っているのは少人数なのだろう。もしかしたら一人だけなのかもしれない。


 もしも黒部君以外の人だったらどうしようか、と思ったけれど、どちらにせよ黒部君がここにいるかは確認しなければならないことだ。まったくもって、悩むことに意味はない。


 息を小さく吸い込んでから、三度ノックする。


「ん? あいてるぜー」


 返事は軽い口調だけれど、黒部君のそれとは違った。けれども、いまさら立ち去るわけにもいかない。


「お邪魔します」


 扉をガラガラと引きずると、東窓のせいか夕陽はささず部屋の奥は暗がりで、中央に広がった大きな机などはほのかに輪郭が見えるだけだった。


 ただ、一番奥の生徒会長席だけが蛍光灯に照らされていて、ただ一人この部屋に残っていた学生服姿の生徒がノートパソコンに片手を添えながらこちらを振り返る姿はよく見えていた。


「あれ、伊岳君?」


 くるり、と回る椅子に座っていた生徒は伊岳君だった。生徒会長である彼が生徒会室の一番奥に座っているのは何も不思議じゃないのだけれど、こんな時間にその顔を見るのはひどく意外だ。


「爪紅さんじゃないか。こんな時間までどうしたんだ?」


 私の姿を認めた彼は不思議そうに首をかしげながら私の抱いた疑問と同じものをぶつけてきた。


 私の方の答えとしてはシンプルなものである。


「ちょっとした探し物」


「ふうん、こんな時間までご苦労なことだ」


 興味があるのかないのか、そっけない返事だった。ただ、私が来て彼の手元のキーボードを叩く音は聞こえなくなっていた。


「もしかして邪魔しちゃった?」


「いいや、急ぎと言うことでもないから気にするな」


 ふぅ、と一息つくと伊岳君は湯呑を手にしてずず、と一口すする。


 黒部君はすでに帰ったのか、それともまだ学校にいるだろうか。


 どちらにせよ、私の用は黒部君が居なければ意味がない。


「まあ、伊岳君の邪魔しても悪いし――」


「――それで、その探し物は何なんだ? わざわざ生徒会室を訪れるくらいなんだし、この辺りで落としたんじゃないのか」


 踵を返そうとした私を引き留めるように、彼はとんとんと机をたたきながら言葉を口にした。


 休憩がてら私の話を聞いてもいい、とでも思ったのかもしれない。であれば、せっかく聞いてくれてるのに答えないのも失礼というものだろう。


「伊岳君、誰かの生徒手帳が生徒会室に落ちてたりしなかった?」


 この生徒会室も当然ながら探索していない。生徒会に縁のない詩文くんがここで落とし物をするとは思えなかったからだ。けれど、もしかしたら黒部君が持ち去った後にこの部屋で落としたなんてこともあるかもしれない。


 ううん、と伊岳君は首をかしげる。


「……どうかな。探してみるけど、生徒手帳は名前が書いてあるだろう。ここで見つけたならもう届けてると思うけどなあ」


 そうは言いながらも壁沿いにおいてある忘れ物が雑多に乗せられたカゴに手を伸ばしてごそごそと探り始めるあたり、私の言葉を無碍にしようとはしていないらしい。


「ねぇ伊岳君」


「うん?」


 がさごそとカゴを漁る背中に問うと、気もそぞろな返事が一つ。


「なんで生徒会室に残ってたの?」


 私としても誰もいないだろうな、という気持ちで訪れたつもりだった。もう夕暮れも近いという時間まで残って彼は一体何をしているのか。


「文化祭の準備だよ」


「ずいぶん先の話じゃない」


 文化祭といえば十月の話だ。今からは二か月以上も先のことで、私からすれば今年の準備よりも去年の思い出の方が色濃いくらい。


 しかし、伊岳君は私の言葉に首を振る。


「予算案の提出なんかはそれこそ一か月以上先じゃないといけないし、条例が厳しいから屋台のための営業許可なんかも早めに申請しておかないと後々面倒なんだ」


 ちら、とノートPCを見ればちかちかと瞬く画面には彼が打ち続けていたであろう今年の予算案らしきものや、申請のための書類やらが浮かんでいる。


「ふうん。でも、今日じゃないといけないわけでもないでしょう」


「今日じゃいけない理由もないしな。早いうちにやっとけばよかったのに、なんて後悔も好きじゃない」


 ぼそりとつぶやかれた言葉に、私も心の内で大きく同意する。


後悔できるからこそ、後悔しない選択肢を選ぶべきだ。


「だからやるべきだと思ったことはやることにしてるんだ」


「朝の風紀向上キャンペーンもその一環?」


「相田の提案を形にしただけだったけどな。校則違反者をあぶりだすのが目的じゃなくて、まあ、少しくらいは服装に気を遣ってくれればいい、くらいの目的だけどさ」


 私たちからすれば鬱陶しいことでしかない校則であるけれど、節度を守る必要性も私だって理解している。


「そうね。黒部君辺りがやる分にはちょうどいいかもね」


「……直接は言ってやるなよ。いくらハッピー野郎でもへこむことはある」


 いえーい、と何か変な衣装を着て踊っている黒部君の姿は目に浮かぶ。


 あのはっぴを全校生徒に見せつけるような黒部君であれば怒ることはないのかもしれないけれど、憚る気持ちくらいは私にもある。


「それにしてもあのチョイスは中々独特ね」


「あんまり厚手じゃなくて目を引きそうな服って言うとアレしかないのかもしれんな」


 何か。疑問が頭をよぎる。


「そういえば、あのはっぴは黒部君の私物?」


「いいや。演劇部から借りてきたんだとか。目立つ方がキャンペーンの効果がある、っていうアイツの持論らしい」


 その答えを聞いて、何かがカチリとはまった。


「しかし、なかったぞ。爪紅さんのいう生徒手帳」


 そもそも、黒部君がその手帳を持っていたとしたらどうしてこの時間まで見つからなかったのか。その解答は簡単なところに落ちていた。


「……ねぇ」


「うん?」


「あのはっぴ、いつ返却したか知ってる?」


「朝のHRが始まる前だろう。じゃないとアイツはHRにはっぴで乗り込んでくる」


 その様子は容易に想像できる。多分その言葉は間違っていないだろう。


「ポケットはついてた?」


 伊岳君は何かに気が付いたように一度小さく声を上げた。


「もしかして、その生徒手帳の持ち主って爪紅さんのじゃあないのか」


「……その、誰のでもいいじゃない」


「……そうだな」


 納得したような相槌は、いつも明るい彼には珍しく一瞬だけ陰りが見えたようにも見えた。


「あのはっぴのどこかに入っててもおかしくないかもしれない。一度着たことがあるんだが、演劇部の手作りだから外はともかく中身はちょっとツギハギでさ。脇の繋ぎ目なんかに入り込んじゃってるかもしれない」


 その陰りは一瞬ばかり。返ってきた答えは私の推論を裏付けるものであった。


「その衣装がある部屋、私でも入れる?」


「ああ、演劇部の部室にあるはずだ。ちょうど合いかぎ借りっぱなしだからこれ使いなよ」


 ひょい、と投げ渡されたのは「演劇部」というタグが付いた鍵だった。


「職権乱用じゃない?」


「いいんだよ、どうせ演劇部の連中もほぼ私物化してるからそんなキーホルダーもついてるし」


 見れば、赤いバラを模したキーホルダーがタグの裏に隠れていた。先生方が管理している鍵にはこんなものついていなかったと思うし、本当に私物化されているのかもしれない。とはいえ、私としてもそんなところに文句はない。そのずさんさのおかげで私もこの鍵を借りられるんだし。


「じゃあ、借りてくね。これ、今日中に返した方がいい?」


「いや、明日でいいよ。それより一つだけ聞かせてくれ」


「なに?」


 次の疑問が来るまで、たっぷりと数拍。


 夏のコオロギの鳴き声がよく聞こえる中、彼は口を開いた。


「その生徒手帳。誰かに頼まれて探してるのか?」


 なんてことない質問だ。だけど、正確に答えるなら少しばかり説明が必要だ。


 さっきまでは確かに頼まれて探していたのだけれど今は違うのだから。


「説明すると長くなるけど?」


「じゃあ、簡潔に一言で頼む」


 一言で伝えるなら。


「私の意思かな」


 現状はそうなのだから、これが答えだ。


 私の返事を聞くと、くるり、と伊岳君はこちらに背中を見せつけるように椅子を回した。


「そうか。見つかると良いな」


「そうね。ダメもとだけど、探してみる」


 そう言い残して私は生徒会室を後にした。


 来る時と変わらない日光だけが射す廊下。ただ、微かに聞こえていたタイプ音は私の足が階段に踏み出してもなお聞こえなかった。

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