6.電灯もと暗し
彼の手帳は果たしてどこへきえたのだろうか。
今日わたしたちが授業を受けた教室は探し回ったが、机の下、棚の隙間に至るまで探してみたけれど、結局それらしきものは見つからなかった。
時計を見やる。現在時刻は16時半。タイムリミットとなる完全下校時刻は18時だけど、部活もやっていない私たちはその前に先生に学校を追い出されるだろう。
「もういいよ、文乃さん。これ以上は帰りも遅くなるし、君に迷惑をかけられない」
「……そう。まあ、そう言われたらこれ以上手伝う義理はないかな」
始まりからしてただのおせっかいだったし、それは意味もなく終わったわけである。まあ、手帳を落とした張本人の記憶から消えてしまう以上、元から意味の残る行為ではなかったんだけど。
「手伝ってくれてありがとう。気を付けて帰るといい」
「そうする。また――」
また明日、と言おうとして、言葉が詰まる。
「……さようなら」
彼はただ、別れを告げて歩き出した。
また、というのは彼にはない言葉だった。記憶が消えるのだから、また明日出会う彼は今日の彼ではない。永良詩文と同じ形で、同じ名前で、同じ立ち振る舞いではあるけれど、別の人になる。であれば、どうあがいても、明日彼に再会するということは決してない。
でも、私はまた会おう、と言ってほしかった。
だって、君にも明日があってほしかった。
そうでないと、君はこの世界に何も残せないことになる。
毎日が新しい世界に満ちている代わりに、世界には新しいことを刻めない。
それは、生きてはいても。生きることは楽しくとも。
君が生きている意味を誰かが見出すことはできない。
それは私にとってもったいなくて、許せなくて、惜しいと。そう感じた。常に新しいものに魅力を感じる君なら、私には見いだせなかったもっと魅力的で新しいものを見出すに違いないのだから。
そう考えた時。私はおせっかいなんかじゃなく、わがままで彼に協力していたのだと気が付いた。
私は明日も今日の君に会いたい。
記憶を失っていても、今まで積み重ねた思い出を背負っている君に会いたい。
君にとってだけじゃなく、私にとっても新しい何かを見つけてくれる君に会いたい。
だから、今までと明日を繋ぐその手帳は必要だ。
「ねぇ、詩文君――」
顔をあげてみると返事も影もすでに消えていて、私の声はただ廊下に静かに響いた。
彼はこれからどうするんだろうか。きっともう少しだけ校内で手帳を探すんだろう。人に迷惑をかけられない、という優しさの表れともいえるかもしれない。彼の思いを汲むなら、私は早々に帰宅するべきなんだろう。
でも、それは私が帰るべき理由になっても、帰らなくてはいけない理由にはならない。彼の優しさよりも、私の意思を通したい、という我がままなんだから。
バッグを持ち上げて顔を上げる。今日ばかりは帰宅部の活動を中止して、学校に残ることを決意した。
とはいっても、授業で私たちが向かうところは粗方捜索を終えてしまった。もう一度机をひっくり返す勢いで探し回れば見つかることはあるかもしれないが、あれだけ探して見つからないならもう一度探しても望み薄だ。
であれば探すべきは別の場所だ。彼が授業では行っていないけれど、それ以外の時間で訪れた場所。
例えばトイレ。……男子トイレに私が入るわけにもいかないし、使用者も多いところなんだから手帳なんて落とせば職員室に届けられるだろうし、これはパスだ。
あるいは廊下、食堂、自動販売機。あるいは校舎の外と言うこともあるかもしれない。ただ、そのどれも手帳を落とす場所とは思い難いけれど、他に思い当たるところもない。ないとは思うけれど、探し回ってみようか。
カキン。思考を遮るように、外から甲高い音が聞こえてきた。窓からそちらを見てみれば、グラウンドで白いユニフォームが走り回っているのが見えた。息も絶え絶えな選手たちとあちらこちらに落ちている白球の数が彼らの今日の練習量を物語っている。
カキン。バットが白い球を再度打ち据える音が響く。それを掴み取るべく走り回る彼らは果たして楽しいのだろうか。笑ってもいないどころか、つらそうな顔さえ見せている。でも、へばる人はいても、逃げる人はいない。それはきっと、意義があると感じているせいなんだろう。
毎日のように、辛いと形容できるほどの努力。それを怠らない彼らが報われる日があればいいな、と心の内でくらいは願ってもばちは当たらないだろう。
なんとなく彼らの顔を追ってみる。何人かは知っている顔もあった。去年同じクラスだったり、あるいは中学時代から見知った顔とか。
ただ、グラウンドどころか外を見回してもやはり永良詩文の顔はない。彼もやはり、校舎の外で落としたとは思っていないんだろう。
……そういえば。彼は昼休みもグラウンドにはいなかった。図書室で私の借りた本を借りようとしていたのだから。
この学校では本を借りるのに学生証が必要だ。もしもそれを手帳と同じところにしまっていたとすれば、そこで落としてしまったとしても不思議なことはないかもしれない。
そして、授業で行っていないことを理由に私たちは図書室には探しに行っていない。
「行く価値はある、かもしれない」
キュ、と上履きを鳴らして体を翻す。向かうは三階一番奥だ。
図書室の前につくと、外に漏れだした灯りはいつもよりも暗く見えた。誰かがひっそりと一人で図書室に入り、こっそり本を読んでいるか、あるいは自習に励んでいるのか。
どちらにせよ、あまり音を大きく上げては迷惑だろう。いつもよりもドアノブをゆっくりと回し、こっそりと図書室に侵入する。
「……こんにちは」
音もなく入ったつもりだったけれど、中にいた人は横目でこちらを見ていた。どうも、私が部屋に入る前から足音はよく聞こえていたらしい。
風貌の判別が難しい、と言えるほどの暗がりだった。しかし首筋が見える程度の切りそろえられた髪と、よく目立つレンズの大きな眼鏡には心当たりがあった。
「珍しいね、浅香。こんなところで合うなんて」
私が呼びかけると、彼女は視線だけでなく顔を上げてこちらを見てくれた。
「文乃ちゃんこそ。何もないのにこんな遅くまで残ってるなんて始めてみたかも」
帰宅部たる私は基本的に学校に残る理由もない。定期試験の前にちょっとくらいテスト勉強、という名の雑談をする目的で居座ったりしたことはあったけれど、イベントも何もなしにこの時間まで残っていたことはなかったかもしれない。
「浅香はどうしてこんな時間に図書室にいたの?」
「私、司書さんの代わりに図書室の番を任されたの。今日は書庫の方でなんかの作業があるんだって」
見れば、確かにいつも司書さんが座っている貸し出しコーナーには誰の姿もなかった。今日の昼間言っていた業者の点検の立ち合いでもしているんだろうか。
「しかし、なんだってまた浅香がそんなこと頼まれたの?」
「文芸部の顧問をやってくれてるのが司書さんなんだ。それで昨日の部活中に留守番お願い、って頼まれちゃった」
「それ、部活動とは関係ないじゃない。別に断ってもよかったと思うけど」
「司書さんが居なかったら私が入る前に文芸部はなくなっていたし、そう考えると断りづらかったの」
司書さんは数年前にこの学校に雇われた、なんて話を聞いた記憶がある。その時に文芸部の顧問を買って出ていなかったとしたら、確かに文芸部は消えていた可能性もあったのかもしれない。
「それに、留守番しながらでも文芸コンクールの準備に支障はないから別にいいかなって」
浅香が座っているテーブルには、辞書や彼女が参考にしているんだろう、と思われる本がずらりと並び、その手前には作業中と思しきノートPCがあった。確かに、放課後の人がほとんどいない図書室でなら、静かにできる作業の場にはもってこいではある。
「でもただ働きなんでしょう?」
「えへへ、実はこんなのもらっちゃったんだ」
ぴら、と浅香に見せられたのは一枚の図書カード。ハードカバーの本だって買えてしまうくらいの値段がそこには記載されていた。
「資本主義に屈したのね」
私の妬みを聞いてくすり、と浅香は小さく笑うと、その図書カードを自分の財布にしまいなおした。
「それで、文乃ちゃんは何の用なの?」
浅香が問いかけてきたその内容は実に普通のことなのに、なぜか心臓が一度どくりと跳ねた。
「ちょっと落としものを探してて」
私の口から出てきたのは素直に答える言葉ではなく、少しだけ遠回りなものだった。
「こんな時間まで探すくらいには大事なものなんだ」
「そういうわけでも。成り行きみたいなものだったし」
ふうん、と浅香は小さくつぶやいた。
「それで、その落とし物ってこの校舎内で落とした物なの?」
「多分。授業で行ったところは全部探したから、あとは授業外で行ったところを探してるところ」
「どんなもの? もしそこまで大きくないものなら図書室の落とし物箱に入ってるかも」
どんなもの、と言われると答えに窮することに気が付いた。私は詩文君が落とした物が手帳である、ということ以外何も知らなかったんだから。ただ、大きさくらいは見当もつく。私は彼がその手帳を開いているところを見たことないけれど、いくらなんでも持ち歩くためのメモ帳がそんな大きいはずもない。
「ええと、ポケットに入るくらいの手帳かな」
「じゃあ入ってるかもね。ちょっと探してみよっか」
ノートPCをぱたりと閉じると、浅香は静かに立ち上がる。
「ああ、いや。浅香の邪魔をする気はないから座ってて」
「いいのいいの。それに勝手の分からない文乃ちゃんよりも私の方がすぐに見つけられるよ」
そう言うとくるりと半回転して、図書室のカウンターをがさごそと探し始めた。
「ありがとう、浅香」
「気にしない気にしない。いつも助けられてるし。……おお、あったあった」
ぽん、とカウンターの上に置かれたのはごちゃりと落とし物が雑多に詰め込まれた箱。どうも箱自体も中に入っている物も年季が入っているようで、いくらかは一生持ち主が見つからないだろうな、というものまで入っていた。
「うーん、引っ張り出してみたはいいけどそもそも手帳なんて入ってなさそうだねぇ」
中身を少し混ぜ返してみても、それらしきものは見当たらない。
「この図書室の落とし物ってここにあるので全部?」
「奥の本棚の隙間にでも挟まってない限りはこの箱になければ図書館にはないかなあ」
詩文君をこの図書館で見かけた時、多くの時間を司書さんとの会話に使っていた。自分で本を探すよりもそのほうが効率的と思ったんだろう。そして、私の借りていた本を書庫で探すところまではいっていなかったから、多分彼はこの図書館をそこまで歩きまわっていない。
「ならこの図書館にはなさそうかな」
「そっか、力になれなくてごめんね」
「ううん、ここにないってわかっただけでも収穫だった。ありがとう、浅香」
けれど、これでますますわからなくなった。あとはもう、心当たりがある場所は残っていない。
「ねぇ、その探してる手帳って永良君のだったりする?」
「――え?」
突然言われたその言葉に、私の心臓は跳ね上がった。
言ってもいないのに、口にもしていないのに、なぜ浅香はそれを知っているんだろう。
「当たっちゃった? 半分くらいはあてずっぽうだったんだけど」
「……カマをかけたの?」
えへへ、と浅香はいたずらっぽく笑った。
「まあね。文乃ちゃんが自分のものを探しているようには見えなかったから、誰かのではあるんだろうな、と思ってはいたけどね」
「……ばれても困ることでもないけど、そういうこと」
私が目を背けながら言うと、浅香は目をキラリと光らせて身を乗り出してきた。
「まさか、困らないと思ってるなら隠さないでしょ。直々に頼まれちゃった? それとも困ってる永良君を見ていいところを見せたくなっちゃった?」
「ああ、もう。近寄ってこないで」
ずいずい、と迫ってくる浅香をぞんざいにあしらう。
「あら、気分悪くしちゃった?」
「それはもう」
こんな最悪の切り出しであれば何を話してもからかわれるに違いない、というのは分かりきった話。浅香は無暗に噂話を吹聴する性格でもないし、この場を後にしてしまえば蒸し返されることもなくなるだろう。
「なら謝らせて、文乃ちゃん」
浅香があわてて出口を塞ぐように立ちふさがってきた。
「私、ちょうど恋愛小説を書いてたからついそういう話に敏感になっちゃって」
「ふうん。自分の話を書けばいいじゃない」
自分でも少々つんけんしすぎている、と口に出した後に思うほどで、浅香の表情もそれに見合うようにむくれたものになってしまった。
「もう、意地悪しちゃって。そんなんじゃ文乃ちゃんの探し物の場所も教えてあげないよ」
ただ、彼女が口にした言葉は私にとって意外なものだった。
「……わかるの?」
「まあね」
浅香は得意げに笑いながらうなずいた。
彼女が手にした情報は私の漏らしたわずかな言葉だけ。それだけで私たちがこれだけ探してきた物の場所がわかるとは思えない。
「文乃ちゃんの話を聞いたらある程度は見当がついたよ」
「どうして?」
「文乃ちゃんが授業で使ったところを調べ終えてるから、って前提もあるんだけどね」
コホン、と浅香は小さく咳払いをした。
「私、永良君が授業中とかにそんな手帳にメモをしているところを見たことないんだよね。文乃ちゃんもそうでしょ?」
「そうね。私も彼の話の中でしかそんな手帳の存在は知らなかったし」
「彼、記憶力がいいんだろうね。それこそ授業中に聞いた言葉は全部覚えられちゃうくらい。だから、明日の自分に残しておくメモも帰った後ですればいいから、私たちがその手帳を見ることはなかったのかも」
確かに、彼の記憶力はその日限りではとても良い。そもそも、記憶を失い始めてから今まで数年間分の記録を朝の一時間で脳に叩き込める辺り並みの記憶能力ではない。
「そして、学校でメモを見るわけでもメモをするわけでもないのに手帳を広げるってことは、それ以外の理由でポケットから出したんじゃないかな」
「……でも、それ以外の理由って?」
「文字を書くことと、書いた文字を読む以外に、その手帳には使い道があったんだよ」
「……それは?」
電話番号を書くところがある手帳は知っているけれど、今の時代は手帳を使うものでもない。
そもそも、別の用途というのが思いつかない。手帳は手帳だと思うんだけど。
「ほら、文乃ちゃんも胸ポケットにいつも入れてるじゃない」
つん、と浅香の指先が私の上着の中にしまい込んでいたそれを指す。
「……もしかして、生徒手帳?」
「そう。ほら、朝に生徒会のみんなが服装チェックなんてやってたでしょう。その時に持ち物検査でもされたか、校則の確認でもさせられたんじゃない?」
……確かに、覚えがある。黒部君が校則を確認したいと言って、詩文君から手帳を借り受けていた。
そして、それを返した姿は記憶になかった。
「浅香」
「なあに」
「ビンゴかも」
「ふふ、それはよかった」
にこり、とした浅香の笑顔には一切の陰りもない。
「ありがとう」
「いいえ、どういたしまして」
「ホント、助かったよ。今度何かお礼するよ」
「……じゃあ、そのお礼代わりに一個だけ聞いてもいい?」
「なあに?」
「真剣に聞くんだけど、文乃ちゃんはどうして彼の手帳をそこまでして探すの?」
「どうしてだろう。誤魔化すつもりもないんだけど、言葉にできる気もないかな」
「……そっか。もしも恋が理由と言ってくれるなら、小説の参考になるかな、と思ったんだけど」
浅香の後ろには、参考文献にしているであろう小さく積まれた本。
そのどれもが歴史や文学の本ばかりで、まるで恋愛を語るようにはこれっぽっちも見えず、彼女の言う言葉は偽りであることはすぐにわかる。けれど、彼女の頬は朱に染まっている。それをみれば、私は言葉にできないなんて言わずに、真剣に答えるのが誠実な対応だと感じた。
「浅香にとって恋って何? それを聞けば私も言葉にできるかもしれない」
「なんだろうね。きっと私の言うそれは普遍的な答えじゃないけど、それでいいかな」
「うん。浅香の言葉でいいから教えてほしい」
「突然心の内を占めて、ずっと頭の中をさまよっていて、そして叶わないと分かっているもの。そんなところかな」
それは率直に浅香の現況を表しているんだろう。
何か特別なことを理由に好きになって、毎日のように焦がれていて、そして自分の嗜好が相手にそぐわないことを恥じてすらいる。
じゃあ、私が詩文君に抱いているのは恋じゃあない。そのどれとも違う。
彼が突然心の内を占めることはなかったし、いつでも彼のことを考えているわけでもないし、何よりもその手帳があるのならまた今までの彼に会える。それで十分だと思うから。
「……でも、そんなのは後付けかな。一番はその人が輝いて見えたから、私は恋をしているんだろうなあ、って客観的に思っちゃった」
輝いて見える。魅力にあふれているということなんだろうけど。
「そういうものなんだ。そんな経験はなかったな」
高校生という年になっても、そうだと言えるものはなかったと言い切れる。
「……これがただのあこがれなんじゃないかって思うこともあるけどね。ただの間違いで勘違いなんじゃないかと思うこともある」
その違いを私は認識できない。だって、恋を知らないんだから。
「でも、恋かどうか迷うことはないんじゃないかな」
「……どうして?」
私の言葉に、浅香は疑問のこえを上げる。それは心底からの声だと言わんばかりだった。
「簡単な話、さっき浅香が手帳の場所を考えたように理詰めで考えればいいんだよ。恋を定義して、現状に当てはめて、そして今抱いている感情が恋かどうかを判定すればいい」
幸い、浅香なりに恋を定義はできている。あるいは、現状が恋をしている状態だと思っているから、今の心の内を話しただけかもしれないけど。
「自分が恋をしているかどうかなんて本人が決めていいんじゃないかな」
「……ブレないね、文乃ちゃんは」
「迷うとか悩むとかは時間の無駄だと思うだけだよ」
「即断即決ってこと?」
「考えるべきものは考えるべきだけど、悩むことに意味はないとおもうってだけ」
答えを探すために思考は必要だ。よりよい結論に至るために、思考を重ねなくてはならないことは誰にだってわかる。
並んだ二つの選択肢を見てただ悩むのは無駄だ。だってどちらを選んでも等価だと思うから悩むのだ。ならばどちらを選んだっていいはずだ。
世間は知らないけど、私にとって考えると悩むは必要か不要かという線引きで明確に分かれている。
浅香は朗らかな笑顔を見せた。
「……そっか。そういうことなのかなあ」
「頭がいいのに浅香は考えすぎなんじゃない」
かもね、といわれることを期待していたのだけど、浅香はううん、と首を横に振った。
「そうじゃあなくて、どうしてなんだろうって不思議に思ってたことが解決しただけなんだ」
浅香は胸のつかえがとれたように、クスリと笑う。でも、私は彼女の意味深なつぶやきの意味はよくわからなかった。
「そう、浅香がそれでいいならそれでいいけど」
その内容がどうあれ、彼女に話す気があれば私が聞くまでもなく語ってくれる。あいまいにごまかすようなそぶりからはきっと聞いてもはぐらかすに違いないし、敢えて私が訪ねる意味もない。
それに、私が図書室で得るべき内容は十全に得た。
「じゃあ私、行ってくるね」
「うん。頑張ってね」
笑顔で手を振る浅香に見送られ図書室を後にする。
扉を閉めた辺りで、ふと気づく。ただ忘れ物を取りに行くだけなのだけど、何を頑張れというのだろう。