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ELEMENT 2017冬号  作者: ELEMENTメンバー
テーマ創作「結晶」
4/16

嶷穡の種(ぎょくしょくのたね)(作:紫生サラ)


 凍てつく白い風が悲鳴を上げる。草も木も心も凍てつく、暗く白い結晶の嵐は縦横無尽に吹き荒れた。

 涙も凍る風の中、切り裂くような泣き声がいつまでもいつまでも続いている。その悲鳴を聞くものはいない。慰めるものも満たすものもいない。

 色を消し、匂い埋め、触れる感覚を奪いながらすべては白く沈むんでいた。


   ★


 あなたがその村を見たとすれば、きっとじわりとした温かものを心に想い出すことになるだろう。

 瑞々しい新緑の森、柔らかな土が盛られた畑、風とともに運ばれる小川のせせらぎ。茅葺の屋根の日本家屋が畑を挟みポツリポツリと立ち並ぶ。

 どこかで見た風景。どこかで聞いた音。どこかで触れた柔らかな感触が、あなたの心をくるりと包み、優しく締めつける。

たとえあなたがこの風景を見た記憶がなくても、あなたの心のどこかに焼き付いた風景であることは間違いない。

 アスファルトに覆われていない草と土の匂いのする道を歩んで行けば、この村に住む子どもたちの元気な声があなたの耳に届くだろう。

 その子どもたちの額には小さな角が生えていた。しかし、あなたはさほど驚きを覚えることはないだろう。なぜなら、あなたも昔、あの子らの輪に入り遊んでいたのだから。

 その道をさらに行けば、高い山に続く石段が見えてくる。

段数は1100段。

木洩れ日に浮かぶ石段を、以前ここに来た時のように軽い足取りであなたはまた登っていく。

 長く、遠く、先まで続く石段の先。

 光が道を照らし、石段を囲む森にろ過された涼やかな風が汗を拭われながら進んだその先に笹の葉香る庵が待っている。


   ☆


「神楽、そろそろ昼食にしましょうか」

「はい」

 神楽と呼ばれたおかっぱの彼の頭には、やはり角が生えていた。まっすぐに切りそろえられた前髪の下は聡明さ感じさせる落ち着きのある顔立ち。服装は鎌倉時代の装束、水干狩衣を思わせる服、色は白、菊とじという飾りと胸ひもをつけ、すそをしぼった形の水干袴に草履をはいている。

「おや?」

 神楽が庵から振り返ると、晴れ渡った空であるにも関わらず、パチパチと静電気でも弾けるような音がした。

「えっ?」

 ここ多々良村ではあまり聞くことない特別な音に神楽はドキリして肌が粟立った。

その音は以前この世界を救った少女と旅をした時に遭遇した雷を呼ぶ獣、雷獣を思い出させるものだったからだ。

「まさか?」

 雷獣がこの多々良村までやってくることはまずない。やってきたとしてもこんなにいきなり現れるなど考えられない。

 万が一に備え、神楽が笹の庵を背に庇いながら身構えていると、突然、何もない空間から黒い獣がスタッと神楽の前、二十歩にも満たないところに降り立った。その姿はまさに

「ら、雷獣!?」

 こんな近くに!?

 神楽はあまりに動転して草履も脱げながら転んでしまった。

「!」

 雷獣と呼ばれた小さな獣は、カッと目を見開くと、全身の毛を足元から頭の先までゾワゾワと逆立てた。

次の瞬間、神楽に向かい走り出したではないか。

「う、うわあぁ!」

「びにゃ!?」

 それが走り出したまさにその時、黒い小さな獣は、やはり何もない空間から突然から現れた三毛色の大きな獣の下敷きになっていた。その大きな獣はキョロキョロと辺りを見回しながら、首を傾げて言った。

「あれぇ? ロデムさん、ここはどこですか?」

「ロデム」と呼ばれた黒い獣はすっかり目を廻し三毛色の大きな獣の問いに答えることができなかった。

「……なんなんだ一体?」

 神楽は思わず呟いた。


   ★


「なるほど、つまりあなた達は自分達の家に帰る途中ということですか」

「はい、そうなのです」

 現れた黒い小さな獣「ロデム」と大きな三毛の獣「フレン」は巫の姿を隠す御簾の前に行儀 よく並んで座ると、自分たちの主が買ってきた不思議な缶に吸い込まれ、不思議な道を通り、不思議なぬいぐるみたちとお月見したあと、再び同じ道を通って、ここに来てしまったという話と自分たちの家に帰る方法を探している話をした。

(ロデムさん、ロデムさん! すごいです、キツネさんですよ!)

(うむ、何だかとても偉いキツネ殿のようだな。キツネの先生の知り合いだろうか?)

 ロデムとフレンはヒソヒソと囁きあう。

 庵には御簾が掛かり、御簾の向こうの巫の姿は見えない。しかし、フレンは匂いで、ロデムはしゃべり方で御簾の向こう側にいるのが人間ではないことをすぐに察していた。それはちょうど、二匹の主のところに桜の樹の治療を依頼にやってきたキツネの先生に似た雰囲気だった。

「ああ、聞こえていますよ。お二方」

「わぁ!?」

「ふむ、さすがに耳がいい」

 御簾の向こう側から咳払いが聞こえたので、フレンは驚いて耳をピンと立て、ロデムは感心したように尻尾を揺らした。御簾の向こう咳払いをした巫も二匹の勘のよさには内心は驚いていた。何せ今はキツネの姿をしていなかったのだから。

「ささ、ちょうど昼食にしようと思っていたところでしたので、よかったらお二方もいかがですか?」

 食事の支度に行っていた神楽がほかほかの昼食をお盆に乗せて運んできてくれた。フレンは思わず立ち上がり尻尾を振って喜んだ。

「わあっ! 嬉しいです! お腹がぺったんこです!」

「ありがたくいただこう」

 神楽は喜ぶフレンとロデムの前に笹の葉で作った皿に盛った焼き芋と竹で作ったコップに水を入れて差し出した。

 こんがりと焼き上がった焼き芋は香ばしい薫りに混じり甘い湯気が立ち上る。黄金色をした丸々としたとろけるような太った芋だった。

「わあっ! お芋ですよ! ロデムさん!」

「うむ、そうだな」

 フレンはよほどお腹が空いていたのか勢いよく食べ始めたが、ロデムは猫舌だったので、その横で冷めるまで待たなければならなかった。仕方なくロデムは先に水で口を潤わした。

 そう言えば、主の家を出てから何も食べていなかったな。ふむ、ぬいぐるみ殿たちはやはり腹は減らないのだろうか?

 ロデムはここに来る前に出会った、しゃべったり動いたりする不思議なぬいぐるみたちのことを思い出した。

「どうですか? 多々良村の芋は?」

「はい、とってもおいしいです」

「そうでしょうそうでしょう。以前は、細い芋しかとれませんでしたが、今では水も豊富にあり、こんなに立派な芋がとれるようになったのです」

「そうなのですかぁ」

 神楽が自慢げに説明をしてくれたが、フレンはハフハフとアツアツのお芋を夢中で頬張るために話し半分で聞いている。

「ロデム殿はこの世界とは違う世界から来たのですね。まるで小夜子殿のようだ」

「小夜子殿?」

「ええ、以前この世界を救ってくれた異形の少女がいたのです」

 そう答えたのは御簾の奥で巫だった。巫は、以前この多々良村やこの世界が存続の危機あったこと、水も枯れ作物が育たなくなっていたこと、それを遥か昔から言い伝えられていた異形なる者により救われたことなどを語った。

 ロデムはちょうど焼き芋が食べご頃の温度になってきたこともあり、その話を芋を食べながら聞いた。

「それでその子は、今?」

「この多々良村を救った時に、もとの世界に還っていきました」

 今度は神楽がいう。小夜子と旅をしてこの世界から見送ったのは他でもない神楽なのである。

「ということは、別の世界に還る道があるのですか?」

「確かに具楽須古の種から伸びた巨木を登り、小夜子どのは元の世界に還られました」

「ということは私達もその巨木を登れば……」

「いえ、おそらくそれは叶わないでしょう」

 声を弾ませていたロデムとは対照的に神楽の首は横に振られる。

「実はその巨木が出現した時には、私も木に触れることができたのですが、小夜子殿が還られた直後はまるで幻のようにそこにあるのに触れることができないのです」

「触れることができない?」

「はい。目では確かにそこに見えるし、近づけば温もりも感じるのです。ですが、触れることができないです」

 俄かに信じがたいが、神楽の真剣なまなざしにロデムはうなづくしかなかった。

「触れることができないのであれば登ることはできないか……」

「はい。どうやら小夜子殿の世界と多々良村が繋がっていることは確かなのですが、行き来はできないようなのです」

「ふむ……」

 ロデムはしっぽを揺らしながら考えた。

 ……元の世界に還る道はあるが、その道は今は使うことができない、ということか。

「何とかして還る方法はないものか?」

 ロデムがしっぽを体に巻きながら考えていると。御簾の向こうがカサリと動く、

「ロデム殿、もしよろしければ私どもに協力をしていただけませんか?」

 御簾の向こうで巫はそう切り出した。

「巫さま?」

「異形なる者現るる時、岩戸は開かれよう……これは古より伝わる言葉です。水の枯れ果てた多々良村に現れた異形なる者、小夜子殿は旅の果て、見事天つ山の堅く閉ざされた岩戸を開き、この多々良村に水をもたらしました。しかし、長きにわたり水が枯れていたために、多くの植物が失われてしまったのです」

「植物が?」

 今の緑溢れる多々良村からは想像もできない話だとロデムは思った。その小夜子殿という人は相当立派な人だったに違いない。

「本来、多々良村は実り多き場所でしたが、水もなく荒れた畑では作物を育てることができませんでした。私達は食べるものにも困り、次代に繋ぐための種すらも食べなくてならなかったのです」

「ふむ……」

 ロデムはうなずきながら自分が食べていた焼き芋を見た。

 それで、残ったのがこの芋ということか。確かに、芋は土地が痩せても育つというからな。

「古の先人達はこのような危機に備え、食物の種を密かに保存したのだとか。古の伝承には、〈理を知る来訪者現るる時、実りの扉開かん〉とあります」

「理を知る来訪者?」

 あまりにお腹が空いていたフレンは自分の分の焼き芋をすっかり食べ終わり、隣にあったロデムの分をくわえながら顔を上げた。

「それが私たちだと言いたいのだな。確かに来訪者には違いないと思う理を知ると言われてもな……」

 真剣に考え込むロデムに巫はさらに言葉を続ける。

「この伝承には、別の言い伝えも残されています。嶷穡のぎょくしょくのたねとともに船も眠らん、と」

「船?」

「言い伝えられるこの船は、この世界と異形との世界と渡ることができる船なのだとか」

「!?」

「ロデムさん!」

 もし、その伝承が本当であれば、植物の種を保存した場所に船も置かれている。そして、その船が元の世界に還れるかもしれない!

「ふむ、キツ……じゃなかった、巫殿、その場所とはどこに?」

 御簾の向こうで巫が微笑む。

「その場所とは……」


   ☆


 高原山たかはらやま

 巫の語る言い伝えによれば、高原山は異形なる少女が目指した天つ山とは対極に位置する天を突くような山だという。すそ野はなだらかで広いが、中腹を越えたあたりから斜面の角度は急になる。中腹から山頂にかけては剣のような嶮山だとか。

高原山から出る湧き水は、具楽須古の種の影響により、水気を取り戻し、川となり、その支流は多々良村を潤すのに一役買っている。

ロデムたちが目指すのは山頂付近にあるという「高原之やしろ」だ。

 村の子どもたち遊びたがるフレンを無理やり引き離し、ロデムとフレンは神楽の案内で村を出た。

 二匹と一人は穏やかな丘陵を越え、日差しを織り込みながら流れる澄んだ川を越える。

案内役である神楽も高原山に行くのは初めだったが、小夜子がもたらした具楽須古の種の影響が自分の知らない所にまで影響を与えていたことに感嘆の息をもらし、誇らしく、足取りも軽かった。

 目にする大地は柔らかく濡れ、触れる川は、たおやかに命を宿していた。

 道中はまるでピクニックだった。食事は神楽が持参した芋を焼いて食べ、夜は風音に耳を休ませながら、草の枕に眠りを編んだ。夢と現の合間で聞いた森の音は、時おりロデムたちの警戒心を呼び起こさせたが、それは敵意を感じさせるものではなかった。

 時に火を囲い、ロデムとフレンはここに来る前に立ち寄った世界でお月見をした話をし、神楽は小夜子とともに具楽須古の種を目指した話や多々良村の変化の話をした。神楽の熱のこもった小夜子の話に、彼にとってその旅は特別なものなのだな、とロデムは感じ入った。

 神楽も今回の穏やかな旅の雰囲気に、これなら今回の旅は前回よりも楽ができるだろう……と思い始めていた。

 出発から数日後。一行は高原山に辿りついた。高原山は巫の言っていた通りの嶮山であり、その上、麓から見てもわかるほどに厚い白雪が覆っていた。ロデムは、目の前にそびえる山と吹き下ろしてくる冷たい風にブルリと身体を震わせる。

「まさか、これを登るのか……」

 すでに地面についている肉球が冷たく、陽だまりが恋しくなりはじめたロデムを尻目に初めて見る雪にフレンと神楽がはしゃいでいた。

「凄いですね、このようなものがあるなんて! 信じられません!」

「神楽さんも雪は初めて?」

「はい、多々良村には雪は降りませんから」

 もともとフレンは寒さには強い。神楽も、巫から旅のためにと渡された綿入れを着こみ、その上から蓑を羽織っていた。

 日向ぼっこが日課だったロデムは日向を探し、体温が風にさらわれないように香箱に坐ってため息をついた。

「思った以上に道は険しいな……」

 ロデムが思わずこぼす。今立っているところは猫のロデムであっても歩けないほどの雪ではない。しかし、これ以上進んで行った先では、ロデムは完全に雪の中を埋もれながら進まなくてはならなくなってしまうだろう。

「大丈夫ではないですか? この雪というもの、特別に害があるわけではないのでしょう?」

 少し興奮気味の神楽にロデムはさらに丸くなって休みたい衝動に駆られながら答えた。

「確かにそうなのだが、この中を進むとなるとかなり足を取られてしまうだろう。遭難してしまって元も子もないしな」

 と、ロデムは言ったが、神楽にはピンと来ていないようだった。

 飛び跳ねているフレンを横目にロデムはしっぽを揺らしながら考えた。

 問題は移動速度だ。山に入ったあとに思うように進めなければ、そこで夜を迎えることになる。この雪山で夜を迎えれば凍えるだけではすまない。

「ロデムさん! 早く早く!」

 ロデムが作戦を考えていると、すでにフレンと神楽は山登り始めていた。

「やれやれ……」

ロデムは肉球に感じる冷たさに不安になりながらフレンと神楽を追いかけた。


   ★


 厚い雪の積もる峰の上から麓を見下ろす一つの人影。

「……誰か来た……」

「まさか、この高原山に立ち入るものがやってくるなんてなぁ」

「うん」

「どうする? 様子を見るか?」

「ううん、まずは後ろから行く」

「はっはっはっ! そりゃいい!」

「うん。いくよ」

 人影はザブンと雪の中に消えた。

   

   ☆


 ロデムたちは険しい雪山を駆け上がった。その先に待つ高原之やしろを目指して。不安に感じていた寒さや雪によって足を取られることもない。いざ向かい始めれば体は軽く、足にはまるで羽が、いや、体そのものに羽が生えてしまったのではないかと錯覚してしまうほどに軽い。

 そして、どこか温かい。ロデムは思った。ここは、陽だまりの中か……?

「……」

 深深シンシン……

「ロデムさん……」

 芯芯シンシン……

「ロデムさんってば!」

 寝寝シンシン……

「ロデムさん、寝ちゃダメですよ!」

 ロデムは雪に埋もれていた。

 深々と積もった雪に、体は芯まで冷え、ロデムは雪の中で陽だまりの夢を見ながら起きることのない冬眠に入ろうとしていた。その上からさらに大粒の雪がシンシンと積もり、黒いロデムを白く埋めていく。

 先を歩いていた神楽とフレンはあとを歩いていたロデムの姿が消えてしまったことに驚き、必死に雪の中から黒い彼を発掘したのだった。

「しっかりしてください、ロデム殿!」

 神楽が丸くなるロデムを優しく抱き上げようとしたが、慌てたフレンが激しくロデムを揺さぶったので、思わず手を引いた。フレンの手荒い気付けに、神楽は別の意味で心配になった。

「あ、あのフレン殿、それくらいにしないと、ロデム殿の口から出てはいけないものが出てしまいますよ」

「うわぁん! ロデムさぁん!」

「うう、寒い……」

 フレンの必死の介抱が功を奏したのか、ロデムは温かな陽だまりの夢から冷たい雪山へと引き戻されながら、口から出てはいけないものが出てしまいそうな衝撃を腹部に感じた。

「フレン殿! ロデム殿はもう気がついていますよ!」

「うわぁん、ロデムさんよかったですぅ!」

「う、うむ、どうやら色々とあぶなかったようだな」

 ロデムは体だけでなく内心ヒヤリとした。

 慣れない登山であったが、途中までは順調だった。しかし、道が進むにつれて雪が深くなり、その上雪が降り出してしまった。最初は元気のよかった神楽も山からの刺すような寒風と膝まで飲み込むような柔らかな雪に体力を奪われ、次第に口数は少なくなっていった。フレンだけが変わらず元気を保っていた。

「ロデム殿、私の服に入りますか?」

「ありがたい」 

 ロデムは神楽の懐に入れてもらい一息つく。

「しかし、このままではいけないな」

 フレンは元気だが、私はもちろん神楽殿も疲れの色が見える……。

「ロデム殿の言う通り、少し準備が足りなかったということでしょうか。このままでは……」

 とはいえ、どんな準備をしてくればよいのかロデムにも検討がつかない。

 フレンは元気なのだが……ふむ……。

 声を落す神楽に、ロデムは一つ提案をした。

「神楽殿、その蓑を脱いではもらえないか?」

「……?」

 神楽が首を傾げつつも、ロデムの言う通り蓑を脱ぐ。ロデムの指示で蓑を雪に敷き、首紐の部分を長くしてからそれを結んで輪を作り、それをフレンにくわえさせる。神楽が蓑の上に坐り蓑は簡易的なソリになった。

「フレン、とにかく元気よく走るんだ」

「わかりました!」

 雪山を疾走するフレンに引かれ、神楽とロデムを乗せるソリは山を登った。

「これで少しはマシになるだろう」

「おお、さすがは理を知る者ですね!」

 ソリの上で神楽が声を弾ませる。蓑の作りがよかったためにうまい具合に滑っている。

 これで少し様子を見て、一度下山するかどうかを考えればよいだろう。

 しかし、それにしても……

「本当にこんな場所に船なんかあるのだろうか?」

 山の上に船。何ともそぐわない。

 高原山には水源があるし、麓付近では河幅もかなりのものになっているが、それでもこんな険しい山に船を運んだとすればその労力は計り知れない。

「ところで、船というのは一体どのようなものなのですか?」

 懐から顔を出すロデムの呟きに、神楽が不思議そうな顔で問う。

「神楽殿は船を見たことがないのですか?」

「ええ、多々良村にはありませんでしたから」

 多々良村にも川は流れていたが、あまり魚を獲るということはない。

 ロデムも実際に船に乗ったことはないが本などで見たことはある。どう伝えたらいいか少し考えたあと「船というのは水に浮かぶ巨大な乗り物のことです」と説明した。

「水に浮かぶ? 巨大な?」

「そう。人が乗っても沈まないようになっているんですよ。それに乗ると水の上を渡って遠くに行けるのです」

「人が乗っても沈まない……? 人が乗れるほどのものであるということは相当の大きさということですね。この高原山の船もそれぐらい大きいのでしょうか?」

「おそらくは……」

 神楽はロデムの船の説明に見た事もない船を思い浮べた。それは丸かったり、四角であったり、堅かったり、柔らかかったり、屋根があったり、無かったりした。

 水に浮び、人が乗れるほど巨大なもの。それに乗ってどこかへ行く事ができる。そう考えただけ心が弾んだ。

 ……バサッ。

「うん?」

「どうしました、ロデム殿?」

「いえ、今後ろの方から何か聞こえませんでしたか?」

 ロデムに言われ、神楽は振り向いたが何もない。心なしか雪の降りが穏やかになってきたせいか視界も悪くない。一面の銀世界だ。

「気のせいではないですか?」

「ふむ、そうか。雪が落ちただけかもしれないですね」

 ……バサッ。

「……?」

 今度はしっかり神楽の耳にも聞こえた。神楽が振り向いたが、そこにはやはり何もない。

「ロデム殿……」

「フレン、止まってくれ!」

「はい?」

 フレンが脚を止めると一気に山の静寂が訪れた。雪の上を疾走する風の音、雲がにじり飛ぶ音が耳のそばまでやってくる。

「どうしたんですか?」

「フレン殿、何か聞こえませんか?」

 神楽は耳を澄ませたが、何も聞こえてこない。フレンは首を傾げ、耳と一緒に鼻をスピスピさせて匂いを探り、ロデムは耳をピンと立てる。

「……!」

 フレンとロデムはほぼ同時に気がついた。

 バサッ!

「!?」

 フレンの真正面の雪がいきなり爆発したみたい飛び散り、突然それは雪煙の中から現れた。

「く、熊!?」

 雪色をした巨大な熊……

「ガオォ、食べちゃうぞ~」

「……」

 ……の毛皮をかぶった女の子。

 お金持ちの家の暖炉間の前に敷かれていそうな白熊の毛皮。ちょうど熊の頭の部分を頭にかぶり、鋭い爪を持つ肉厚な手のところを手袋にした、女の子が、両手を挙げて熊ポーズをしていたのだった。

「ありゃ? あんまり驚いていない?」

「……」

「やっぱり最初の予定通り、後ろからの方がよかったんじゃないのか?」

 女の子の頭の上の熊がパカッと口を開くとカパカパと動いてそんなことを言った。

「け、毛皮がしゃべった!?」

「はっはっはっ! 六花、見ろ! こいつら驚いてるぜぇ!」

「もう、白魔が驚かせてるんじゃん。私が驚かせたかったのに!」

 頭の上の毛皮の熊の口がカパカパと動き陽気にしゃべり、その下で白い着物を着た六花は不満そうに膨れる。

 どう考えてもおかしい。特にあの熊……。と神楽が思う一方で、フレンとロデムは妙に納得したように「……ここに来る前にぬいぐるみと話をしたが、ここでは毛皮がしゃべっている……どうやら、普段はみんな黙っているだけなのか」と思った。

「あ、あの君は、一体?」

 神楽に言われ、彼女は被っていた白魔の頭を下ろす。すると、熊に隠されていた彼女の顔の半分があらわになった。

「……!」

 ……小夜子殿?

 一瞬、神楽は息を飲む。

 六花と呼ばれた彼女が一瞬小夜子のように見えたからだ。しかし、よく見ればその特徴は全然違う。透き通るような白い肌に、濃紺の瞳、何より銀色に近い長い金髪は黒髪の小夜子とは似ても似つかない。年齢はおそらく神楽と同じくらいだろう。

「私は六花りっか、こっちの熊は白魔はくまよ。よろしくね」

「は、はあ……」

 可愛らしくポーズをとりながら雪山には似つかわしくないほどの明るい調子で六花は自己紹介する。神楽は呆気にとられながら、ロデムは感心しながら、フレンは目を輝かせながら自分たちも自己紹介した。

「すごい熊さんですねぇ、ねぇ、ロデムさん!」

「ふむ、立派な熊の毛皮さんだ」

「はっはっはっ、ありがとうよ! 可愛いお嬢さん。お嬢さんも惚れ惚れするような走りっぷりだったな!」

「うわぁ! 聞きましたかロデムさん! 可愛いって言われましたよ!」

「うむ。そうだな」

 豪快に笑う白魔に褒められ、フレンはしっぽをぶんぶん振って喜んだ。

「ところでぇ、神楽たちはどうしてこの高原山に?」

「えっと……」

 神楽たちはここに来た理由を六花は興味深げに聞くと、ふっくらとした頬にいたずらっ子のような笑みを浮かべ、「ふぅん、高原之やしろに行きたいんだ。でも、ここから結構あるよ。着く前に夜になっちゃうね」と言った。

「六花殿は高原之やしろの事をご存知なのですか?」

「それはもちろん、六花は……」

「はっはっはっ! 六花はやしろを守る巫女だからな」

 胸の張る六花の言葉をさえぎり、陽気な熊の口がカパカパと笑った。

「ちょっと白魔! せっかく六花がカッコよく名乗ろうと思ったのに!」

「はっはっ! すまねぇすまねぇ、オチを先に言っちまったな」

 熊の下で六花はまたプリプリと膨れる。

「六花殿は巫女様なのですか?」

「まあね、六花こう見えても偉い巫女様だし? やしろに案内してあげてもいいけど?」

「本当ですか!?」

「それはありがたいな」

 ちょうど雪も止みはじめ、一行は六花の先導で山道を行くことになった。

 寒さで景色を見る余裕もなかったが、案内役がいる安心感からか、雪景色を楽しむ余裕も出てきていた。

 日が暮れ始めた頃、一行は一軒の家に辿り着いた。

 そこは笹の庵よりも遥かに大きな屋敷のような風情のある小屋だった。

「ここが高原之やしろですか?」

「ここはね、やしろ守の家よ。今日はもう日が暮れるでしょう? だからここで休んで明日出発するの。ここからなら高原之やしろにすぐに行けるから」

「なるほど、それは助かる」

 六花はやしろ守の大き目の戸を開けると神楽たちを家へと招いた。

 チリ一つ落ちていない土間に足を踏み入れた瞬間、温かな羽毛のような風がフラリと神楽たちを包む。清潔感のある板張り部屋の中央には囲炉裏があり、ゆらゆらと赤い火が呼吸していた。

「温かい……」

 ロデムは神楽の懐から出ると、部屋のあまりの温かさに鼻水が出るほどホッとした。

「ふわっ、いい匂いがします!」

 フレンがパッと顔を明るくする。

 囲炉裏の中央の自在鉤には鍋が吊るされ、コトコトと音を立てながらいい香りをさせていた。

「これは……」

 神楽は先ほどまで膝まで沈むほどの柔らかな雪の上にいたせいか、雪のない土間に妙な安心感を覚えた。

 寒さで強張った体からじわり力が抜け、手先や足先にジンジンと温もりが伝わっていく。いつもの感覚に戻っていく事で、体がどれほど冷え切っていたかということをあらためて知った。

「どうどう? 温かいでしょう? ゆっくり休んでいってね」

「ありがたい、このまま雪の中ではどうしようかと思っていたところだ」

「ふふっ、寒いのは辛いもんね」

 微笑む六花にロデムはペコリと頭を下げてから囲炉裏のそばで火にあたった。フレンは囲炉裏の鍋を興味深げに覗き込む。

「はっはっはっ! 腹が減っているだろう? 早速食事にしようぜ」

「ほらほら、神楽も上がって!」

 六花のヒヤリとした手に手を握られ、神楽は顔を赤くしながら囲炉裏の前に案内された。

 六花はかぶっていた白魔を敷物のように広げて囲炉裏の前に置くと、食器を取りに部屋の奥へと消えていく。

「これは、六花殿が?」

「六花の料理はうまいぞ! この白魔さまが言うんだから間違いない」

 床に敷かれた熊の毛皮は上機嫌にカパカパと口を動かし笑った。

 ふむ、あの毛皮殿も食事をするのか……ロデムはあまり深く考えないようにした。

 神楽は、鍋の中を見て驚いた。確かに多々良村では見た事のない食材ばかりだ。

「はい、お椀持ってきたよ~、今よそってあげるね」

「は、はい」

 六花は持ってきたお椀に鍋の料理をよそって、神楽の手に渡す。料理の湯気がユラリとのぼり、木製のお椀を隔てて手の平にじわりと温度が渡って来る。

 温かい……。

「さあ、食べて食べて!」

 六花はロデムとフレンの前にも同じように湯気ののぼるお椀を置く。

 ……ほう野菜か。 

 人参に大根、ゴボウなどの根菜類の他にきのこなども入っている。

 こんな雪山で?

 ロデムは首をかしげる。

 神楽がお椀に口をつけるとパッと表情をかえる。

「これは……!」

「美味しい?」

「はい!」

 フレンも両手でお椀を両側から挟むように抑えて夢中になって食べている。

 ……ふむ……。

 結局、猫舌のロデムが食べられたのはそれからずいぶん経ってからだった。

 次の日。

 神楽がわずかに戸を開けると、外から猛烈な吹雪が家の中に吹き込んできた。

 昨日の穏やかな天気が嘘のように、雪は横殴りに景色を白く埋め尽くしている。

 ロデムも神楽の足もとから外を見たが、とても昨日のように歩けるような雰囲気ではない。

「これでは高原之やしろに向かうのは困難でしょうか?」

「ふむ……」

 一人と一匹が難しい顔をしていると、朝食を用意していた六花が

「うん、これだけ吹雪いていたら今日は無理だね。こんな日は私でも外に出ないもの」

 と言ったので、神楽とロデムは諦めるしかなかった。

「雪がやむのを待って出発することにしましょう」

「うん。でも、今日はもう無理だと思うよ。それよりこっちで遊びましょう? ねっ」

 結局その日は六花の言った通り吹雪がやむことはなく、六花と神楽たちは双六やおはじきをして時間を過ごしたのだった。

 次の日も、外は吹雪。その次の日も雪の勢いが弱まることはない。

 神楽たちは家から出ることはできなかったが、やしろ守の家の中は驚くほど快適だったため、不満を口にするものは誰もいなかった。

 囲炉裏の炎が部屋を柔らかく暖めている。その火を囲み、ロデムとフレンは自分のご主人の話やここに来るまでに出逢ったぬいぐるみたちの話をし、神楽も多々良村の話をしたりした。

 食事時になれば、六花が温かな食事を用意する。

 囲炉裏の前で敷かれた白魔の上でフレンとロデムは眠り、神楽は六花が用意したふかふかの布団で眠った。

 それでも雪の勢いは変わらない。

「……ここに来て数日。天候に変化なしか……」

 ロデムは戸をわずかに開け、また外の様子をうかがっていた。外の様子を気にしているのも今ではロデムだけ。

 フレンは気にいったのか、ほとんどの時間を白魔の上で過ごし、神楽のそばには常に六花がいるようになっていた。

「六花殿、ここから高原之やしろは遠いのか?」

「遠くはないけど、どうして?」

「こうして待っていても吹雪は止む気配がない。だったら多少無理をしても向かうことはできないかと思ってな」

 ロデムは神楽に視線を向けると「神楽殿も長く笹の庵を空けているわけにもいかないだろう?」と言うと

「それは……」

 和やかだった神楽の顔に不安がよぎった。

「神楽、帰りたいの?」

 六花が神楽に身を寄せ、ソッと手を重ねる。少し冷えた六花の手が神楽の温かい手に乗り、じわりと体温が一つになっていく。

 神楽は六花の濃紺の瞳と目が合い、ドキリとして思わず言葉を濁らせた。

「それは……」

 パチパチと弾けるような囲炉裏の音。吹雪く風はさらに増したように戸を叩いた。

「神楽も……」

 六花の囁くような透き通った声。優しく触れた手。甘い匂い。

「寒いのはイヤでしょう?」

「え、ええ……」

 神楽がうなずくと瞳を潤ませていた六花がホッとしたように艶っぽく微笑み、神楽はまたドキリとして頭の奥が痺れるような感覚がした。

「ロ、ロデム殿、もうしばらく様子を見てはどうでしょうか? 外は寒さも厳しいことですし。何より、高原之やしろに行くだけでなく帰りも考えなくてはいけないわけですから」

「ふむ、それもそうか……」

 確かに、行くだけで目的が達成されるわけではない。そこから帰ることも考えれば、道のりは倍になる。

 やはり無理は禁物か……。

 神楽の指摘はもっともなも。ロデムは納得してもう一度外を見た。

 ……うん?

 ロデムは首を傾げた。

 何だ? 何か変だな?

 そう思った瞬間、ロデムの体は抱き上げられた。

「六花殿?」

「ロデムちゃんもこっちに来て一緒に温まろう? 体が冷えちゃうよ」

 六花に戸を締められ、ロデムはそれ以上外を見ることができなかった。

 その日、雪は少しも弱まることはなく、それどころか一層強さを増し、激しくやしろ守の家の壁を叩いた。

 それから数日、やはり吹雪は続き、神楽たちはやしろ守の家で温かく過ごしたのだった。

 ……やはりおかしい。

 毎日戸から外の様子を観察していたロデムは、六花が食事の支度で席を外したのを見計らい神楽を呼び寄せた。

「神楽殿、どうもおかしいと思わないか?」

「おかしいというのは?」

「この連日の吹雪。どうも不自然な感じがしてな」

「不自然?」

「ああ、ちょっと外を見てもらえるか?」

 ロデムに促され、神楽は戸の隙間から外を見た。外は相変わらずの横殴りの激しい雪が降っている。

「……?」

「神楽殿、あの樹が見えるか?」

「……!?」

 バタン。と勢いよく一人でに戸が閉じた。神楽とロデムが驚いていると、囲炉裏の方からヒュウッと冷たい風が吹き、神楽はゾクリと首を縮めた。

「どうしたの二人とも……そんなに外ばかり見て……」

「六花殿……」

 白魔の上でフレンは眠り、囲炉裏のそばにうつむいた六花がポツリと立つ。六花の瞳に、神楽は思わず後ずさる。その異様な雰囲気に、冷たく冷えた手で心臓を鷲掴みされたような気がした。

「六花殿、聞きたいことがある。この雪は本当に待っていれば止むのか?」

「……」

「この雪は本当に降っているのか?」

 ロデムの問いかけに六花は答えない。神楽はまたゾクリとした。囲炉裏に火があることが嘘のように部屋の温度が下がっていく。白魔の上で眠るフレンの呼吸が静かに小さくなり、毛並の先から氷ついていく。

「六花殿!」

「……そんなに高原之やしろに行きたいの?」

「あっ……!?」

 神楽はハッとして戸口を見た。みるみる内に戸口が氷ついていく。慌てて開けようとしたがビクともしない。

 閉じ込められた!? 

「……行かせない」

「六花殿! これはどういうことですか!?」

「……」

 ロデムはずっと考えていた。

 そもそも、彼女が高原之やしろを守るやしろ守というのは本当なのだろうか? もし仮に本当だとしたら、高原之やしろを守る存在であり、嶷穡の種を守っているはず。だとすると、それを取りに来た私達からも嶷穡の種を守るはずだ。

 もし、やしろ守の話そのものが嘘だとするならば……

「嶷穡の種……」

 六花を中心に寒気が渦巻き、囲炉裏の火が蛇のように横に伸びる。囲炉裏の外に火が這い出てしまいそうだ。

「高原之やしろにある嶷穡の種がほしいんでしょう? 種は渡さないわ」

「六花殿は嶷穡の種を守っているのだな。信じてくれ、私達は多々良村の言い伝えに従いここに来たのだ、決して怪しいものでは……」

「そんなこと関係ない!」

 ピシリと空気が凍てついた。炎の蛇は灰に潜り込んだように姿を消し、ミシリとやしろ守の家は軋む。

 フレンと白魔の毛並に霜が降り、どこを開けているわけでもないに、部屋に雪がシンシンと降る。

 吐く息も白く濁り、床へと落ちていく。ロ

「嶷穡の種を手に入れたら、みんな帰っちゃうんでしょう……」

「……?」

「みんなが帰ったら、私はまたここで一人きりになっちゃう!」

 六花は部屋に降る雪のように涙をこぼした。

「六花は、ずっと一人でこの高原之やしろを守って来た。お前らにはその寂しさはわからないだろう?」

 すっかり霜の降りた白魔のしゃべり辛そうに口を動かした。

「だったら、嶷穡の種を持って六花殿も多々良村に来ればいいではないですか」

 神楽の提案に六花は首を振る。

「私が多々良村に行ったら、多々良村に雪が降るわ。この山みたいに寒くなる。神楽も、寒いのはイヤでしょう?」

「そんなことはありません! 私は高原山に来て初めて雪を見ました。もし、六花殿が来ることで雪が降るのであれば、多々良村の子らは喜ぶでしょう。六花殿、是非多々良村に来てください」

 ハラリと雪が落ちる。

「……本当に?」

「はっはっはっ! よかったじゃねぇか、六花!」

「でも、やしろ守の役目は……」

「もちろん、守りの役目はしなくちゃならない。だから、多々良村に行くのは一年の内に三カ月だけだぞ」

「本当に!」

 六花がパッと笑うと部屋の雪は消え、隠れていた囲炉裏の炎が何事もなかったかのように顔を出した。

 くしゅん! とフレンが自分のくしゃみで驚いて目を覚ました。

「ふわっ!? あれ? 皆さんどうしたんですか? もしかして、雪がやんだのですか?」

「ええ、雪はちょうど止んだところよ。さあ、高原之やしろに案内するね!」


   ☆


 六花は白魔を羽織ると神楽たちをやしろ守の家の裏手に案内した。

 やしろ守のすぐ裏には石で作られた鳥居が建ち、そこからは雪に埋もれているが階段があった。

「ここから1100段もあるから、足元に気を付けてね」

「はい」

 神楽は先を行く六花にうなずいてみせる。1100段。奇しくも笹の庵に続く石段と同じだ。石段は慣れているが、こちらは雪が積もり歩きにくい。その階段を六花は跳ねるように登って行く。

「なんと六花殿は身軽な……」

 さすがの神楽も息が切れる。

「ふむ。六花殿に抱えてもらえばよかった」

 肉球が雪に埋もれるたびにため息が出る。

「うはぁ! ロデムさん! 咥えて運んであげましょうか!」

「むむっ、そんな子猫のようなマネができるか!」

 身軽に進む六花と神楽たちの間を何度も往復して走り回るフレンは上機嫌に飛び跳ねている。 

 六花に遅れるとことしばらく。神楽たちはやっとの想いで1100段を登りきると「高原之やしろ」が姿を現した。

「これが高原之やしろ?」

 雪の中に佇むその建物には階段から真っすぐ進む道があり、その左右には二体のキツネの像があり、雪をかぶりながら侵入者を睨みつけている。

 神楽はその神々しい建物に思わず息を飲み「まるで何かを宿した建物、依代のようだ」と感じ入った。そのとなりでフレンも「すごく立派な建物、神さまが住んでそうな所! これが高原之屋城!」

 一番最後に上がってきたロデムも「ほう」と息をつき「まるで神社だな。これが高原之社というわけか」と敬虔な気持ちになった。

「この奥に嶷穡の種が……?」

「うん。言い伝えではそうなってる」

「言い伝えでは? 六花殿も見たことはないのですか?」

「はっはっはっ! そりゃそうだ、嶷穡の種はしっかりと結界によって守られているからな。やしろ守の六花でも中に入ることはできないのさ」

「私が来られるのはここまで。そこの宝物庫によく行くけどね」

 六花は参道から外れた場所にある白い蔵を指して言った。

「あそこには大昔に収穫された作物が氷漬けにされているの。神楽たちが食べていたのはあの宝物庫に保存されていたものよ」

「そうだったのですか」

 ということは、六花はここ数日、毎日のようにこの階段を登り降りしていたのか、道理で速いはずだ。とロデムは妙に納得した。

「この結界は、理を知る者しか解けないことになっているの。私もその解き方は知らないの」

「なるほど。ロデム殿、どうですか?」

「ふむ……何か手がかりになるようなものはないだろうか?」

 見渡す限り雪。ロデムが建物に近づこうとしたが、二体のキツネの像の先に行く事ができない。

 ふにふに、と肉球で見えない壁を押してみたが壁は堅くしっかりしている。ロデムが一生懸命押せば、ロデムの方が押し戻されてしまうだろう。

「ロデムさんロデムさん! ここに何か書かれていますよ!」

 フレンがキツネの台座に顔を近づけしっぽを振る。

「ふむ……」

 台座には風化により薄くなった文字で「二つにして一つのもの、一つとなれば消えるもの、一つが二つになれば新たに一つを生む、己の前に二度理を示せ。さすれば道は開かれん」と刻みこまれている。

「……? これが手がかり?」

「はっはっはっ、まあそういうこった。それがわからねぇと結界は解けないってことだ」

「二つで一つ……? で、一つになれば消える……? 一つが二つになると一つを生む……?」

 神楽が頭を捻る。

 二つで一つということは何かの組み合わせ? 一つになったら消えるとは消滅してしまうということ? 逆に二つになると何かが生まれる……でも、これは二つで一つはず……そんなものある?

「理を知っていれば解ける問題か……」

「ロデム殿、わかりますか?」

「いや……まだ何とも……」

「ロデムさん、こっちにも同じことが書かれていますよ!」

「ふむ……」

 二つで一つ、二つになると一つができる、そして片方がなくなると片方もなくなる。そんなものたくさんあるではないか……?

 ロデムはふと悩む神楽と六花を見た。悩む神楽の体が冷えないように六花が白魔の端をかけてやっている。 

 ……ふむ。

「そうか。神楽殿、六花殿、すまないが道の立ってくれるか」

「は、はい!」

「何かわかったの、ロデムちゃん」

「ふむ、神楽殿は左に、六花殿は右に立ってほしい」

「こうですか?」

「うむ、そうだな。そうしたら、自分の前で二度手を打つのだ」

「……?」

 神楽と六花はロデムに言われた通り二度、柏手を打った。

 すると二体のキツネの間にあった見えない壁は水面に雫が落ちたように波紋を広げたあとスゥーと消えて行った。

「はっ! 結界が消えた! やるじゃねぇか!」

「これはどういうことです、ロデム殿?」

「ふむ、どうやら合っていたようだ。何、詳しい話はあとでするとして、今は先に進もう」

「は、はい」

 一行は神楽と六花を先頭に、社殿へと進んでいく。社殿の戸を開くとさらに通路が続いていた。

 清浄な通路を進むと美しい白砂の中庭に出た。朱色の壁に囲まれたその中庭には天井はないはずなのに、空は見えず、白く濁りを見せている。そのほぼ中央に巨大な氷柱。氷の結晶が立っていた。

「これが嶷穡の種……?」

 そこに立つ結晶は気泡一つ、曇り一つない氷の柱だった。その氷のほぼ中央、地上から二メートルほどのところに勾玉のようなそれは浮いていた。

「これどうやって取り出すのですか?」

 フレンはおそるおそる氷柱の匂いを嗅いでみる。が特に匂いはしない。

「はっはっはっ、この御柱にはこんな伝承があるぜ。〈理を示し者。理に従い契りを交わせ、さすれば濁たる種は地に還りて玉食の実りをもたらさん〉ってな」

「ほう、契りとな。その伝承の言葉を信じるならば、契りを交わすのは理を示した者。つまり、神楽殿と六花殿ということになるな」

「えっ!? 白魔、私、そんなの初めて聞いたよ!?」

「はっはっ、そうだな。言ってなかったからな」

「ロデム殿、契りとはどういう意味ですか?」

「ふむ、簡単に言えば、二人で協力し合う関係になることを約束する儀式のようなものだ」

「なるほど、では私と六花殿ならまさに適任ということですね」

「えっ」

「六花殿、さっそく儀式を行いましょう」

「えっ? ええ!?」

「再び理を示せとあるな。神楽殿は左側から回り、六花殿は右から回るのがよいだろう」

「六花殿、さあ」

「う、うん」

 神楽に促され、六花は白魔をフレンに預け、顔を赤らめながら氷柱を回る。神楽は左から、六花は右から。

 ロデムたちはその儀式を見守った。

やがて左右別の道を歩んだ二人が氷柱の向こう側で出逢う。うつむく六花の手を神楽が取り、

「六花殿、これからも力を貸してください」

「……はい」

 六花がうなずいた時だった。

 氷柱にキリリとヒビが入り、氷の中から光が溢れ、氷柱を中心に金色のつむじ風が起き渦巻く、その風は社殿をうねる龍のように社殿を吹き抜ける。

「これは……?」

 高原山から放たれた金色の風は瞬く間に山を下り、野を渡った。龍が駆け抜けた大地には新たな命が撒かれた。それはまだ見えず、それはまだ触れることはできない。

 六花と神楽は勾玉を手にし、この世界に命が芽吹き始めたのを感じだ。

「はっ、封は解かれた……嶷穡の種は高原より地に還った」

 金色の風が社殿から解き放たれたと同時に、高原之やしろは光の中で姿を変えていく。天に向かい背を伸ばし、鶺鴒の如くに両翼を広げ、雲を割るほどの大樹となった。

 気がつくと、神楽たちは大樹の根元に立ち、周囲にやしろの姿はなくなっていた。

 一面の雪は大樹の温もりに溶け、山に沁みて高原山の川を豊かにした。

 ふと、神楽は漂ってくる甘い香りに鼻孔をくすぐられ、その香をたよりに辺りを見回した。六花の匂いに似た、風の運ぶほのかな香り。

 神楽はしばらくしてその存在に気がついた。

 峰に伸びた大樹の枝の先になる大きな実。巨大な薄紅色のその実はみるみるうちに育ち、熟れ、息を飲む間に大樹の枝をしならせた。やがて実りに耐えきれなくなった枝は、我が子を旅立たせるようにその実を手放しすのだった。

 丸々とした瑞々しいその実は宙を泳ぎ、高原の川に落ちては浮かび、スルリと流れに身を委ねいく。

 なんという大きな……

「……? 人が乗れるほど巨大で、しかも水に浮かぶもの……まさか!? ロデム殿! まさかあれが異界へと渡る船なので……あれ?」

 神楽が振りむくとそこにいたのは六花と白魔だけ。黒い小さな獣の姿も、三毛の大きな獣の姿もすっかりなくなっていた。

「えっ? ロデムちゃん? フレンちゃん?」

 六花も驚いたように二匹の名前を呼んだが、それに応える二匹の姿はどこにもなかった。

「はっ、あいつらの気配はない。もうここにはいないようだな」

 耳を澄ませていた白魔が言った。その言葉に六花と神楽は顔を見合わせる。

「あの船に乗って行ったのかな?」

「そんな、別れも告げずに?」

「はっはっはっ、せっかちな旅人だぜ! 礼を言いそびれたな!」

 白魔の豪快な笑い声に神楽と六花は薄紅色の実が流れていった方をいつまでも見つめていた。


   ★


 高原山の峰の先。多々良村の方を向く一枚の毛皮のもとに小さな獣が風のように現れた。

「なんだ、雷獣じゃねぇか。珍しいな、こんな所に来るなんてよ」

「嶷穡の種と冬がこの山を下りたって聞いたからね。本当かどうかを確かめに来たのさ」

 まるで猫のような容貌の獣は雷獣。少し寒いのかしっぽを体に巻きながら言う。

「はっはっ! 六花なら多々良村に行ったよ。噂は本当さ。多々良村は今頃冬を迎えるだろうな」

「へぇ、じゃあ季節が廻り始めるわね」

「ああ、そういうこった。あいつらは正しく理を示したからな」

 白魔は知っていた。実は嶷穡の種を持って行っただけでは食物は育たない。作物には季節が必要なのだ。六花が山を下りることをそのきっかけになるだろう。

 雷獣は多々村を見下ろしながら言った。

「あいつらこれから作物を作るのね。しばらく作ってこなかったから最初は試行錯誤が続くわね」

「いつ種を植え、どんな風に育て、いつ収穫するのか、これから苦労を知ることになるだろうさ。どうだ、雷獣、以前のようにお前さんが協力してやったら?」

 雷獣は少し考え、

「なら、稲穂の実る時期には私が知らせてやろうじゃないか」

「はっはっはっ! それはいい。お前の稲妻にあいつらが感謝する顔が目に浮かぶな」

 白魔は豪快に笑った。

「……ところで」

「何かしら?」

「いや、今回はお前さんの眷属に助けられた。六花も間違いを犯さずにすんだしな。出来れば礼を伝えてほしい」

「私の眷属?」

「ああ、黒いあいつ。デカくて可愛らしいお嬢さんを連れている。黒い雷獣さ」

「……そんな奴いたかしら? そいつのこと詳しく聞かせてくれない?」

「ああ、そうだな。どこから話そうか……」


             おわり



 本作は霜月透子様原作の異界冒険譚「具楽須古の種」を原作者様の許可をいただき創作させていただいたコラボ作品です。

 ストーリーは「具楽須古の種」のその後を舞台としています。本作だけでも楽しめるように配慮したつもりではありますが、原作に触れていただければより一層楽しめることをお約束いたします。

 より幻想的で、より緻密に、よりあなたの心をワクワクさせる多々良村を救う物語をお楽しみください。「具楽須古の種」〈http://ncode.syosetu.com/n4523cd/〉




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