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ELEMENT 2017冬号  作者: ELEMENTメンバー
セッション・ソロ
10/16

雫、雪を濡らして(作:仲遥悠)

 並んだ三つのコーヒーを見て思ったことはそう、「やってしまった」だった。

 コイツのことを考えるならば、マルオの下に置いてやるぐらいの優しさを見せても良いはずだった。

 だが俺は、俺の手は――


* * *


 ピピピ…とうるさい音が近くで聞こえる。

 何だよ…折角の休みなんだしもっと寝かしてほしい。ほら、休みって寝るためにあるだろ? 寝る。あぁ寝るさ寝てやる。絶対に寝てやる。このまま寝腐って一日を終えるんだ。よし決めた。何が何でも俺は起きないぞ。うん、起きない…って!!

「うるせぇぇぇッ!!」

 耳障りな音を出す眼覚まし時計に怒りを打つける。

 ガタンといった音と共に、鈍い痛みが走った。どうやら、当て所が悪かったらしい。

 誰だよったく…人の頭の近くに眼覚まし時計置いたふざけた野郎は…って。

「俺やわ」

 …そう言やセットしたっけなぁ、昨日。

 ん…何でセットしたんだっけな。

 今日は…あぁ、週末だし休日だよな。休みの日に早く起きなきゃならなかったってことは、何か予定があったはず。

「携帯の画面でも見てみるか…携帯携帯」

 カーテンの隙間から射し込む光が照らす部屋は薄明るい。そんな中携帯があるのは、決まって薄暗闇の中だ。

 コンセントの差し込み口から充電ケーブルを眼で辿る。

 やはりケーブルの先は敷布団と掛布団の間に滑り込んでいた。横になったままケーブルを引っ張って携帯をつりあげると、緑の通知ランプが点滅していた。

 緑色のランプが点滅しているってことは、EメールかLINEか、そのどちらかが届いていることの証だ。

「…お」

 『新着メッセージがあります』との表示が。

 どうやらLINEのようだ。誰かがメッセージを送信したらしいが、LINEを開かないことには誰が、何のメッセージを送ってきたのかは分からない。

 「表示」の部分をタップして、画面を開く。

「マルオか」

 表示されたのは、小学校以来の親友であるマルオからのLINEだった。

 『悪い…寝坊したっ』か。昨日も遅くまで割とどうでも良いようなことを長々と話していたしな…にしても、寝坊…か。


「…あ」


 やべっ。思い出した!!











 急いで身支度を済ませ、トレンチコートを片手に家を飛び出してから向かったのは、学校。

 冬だって言うのに暖かい日が続いているから暖房の必要性は暫く無さそうだな…って、思っていたらこの寒さ。暑いのか寒いのか、気候が優柔不断ってのはどう言うことなんだ?

 唯一安定しているのは室内での温度だ。換気無しの暖房、暖房、暖房…授業中になると、自然と頭をぼーっとさせるという中々の地獄を見事までに演出してくれる。

 寝れるなら良い。百歩譲って。だが気持ち悪くなってくるからタチが悪い。

――ガヤガヤ……

――ざわざわ……

 休みの日だってのに居る奴は居るんだな。学校に。

 ご苦労なこった…と。さて、目的地は学食だったか。

 時間は…お。待ち合わせの時間にも間に合いそうだ。よしよし。

「さて…問題は学食のどこに、『奴』が居るか…か」

 アイツのことだ。どうせ休みの日にマルオに会うのが楽しみ過ぎて、今頃舞い上がっているだろうな。30分も前ぐらいには到着していそうだし。

――キャッキャ♪

――ムフフフ…。

 ただ今絶賛冬休み中。

 周りはどうやら年末年始にどうするかの話で持ちきりみたいだな。はぁ…めでたいめでたいおめでたい…っと。

「と〜ちゃく」

 学食だ。

 受験を控えた奴が必死にシャーペンをノートの上に走らせていたり、他愛のない話に花を咲かせて場を騒がしくしている奴が居たり、 一心不乱に飯を掻き込んでいる奴が居たりと、バラエティに富んだ顔触れが思い思いの一時を過ごしている。

「……♪」

 そんな中。圧倒的な存在感を放つ女子が、一人。はたから見ても分かるような嬉々とした表情を浮かべ、遠くを見ていた。

 お〜お〜、居たぜ。「(アイツ)」だ。

 ったく…俺との待ち合わせには時間より5分ぐらいは遅れて来るくせに、ありゃ例によって10分…いや、30分前にはここに居たな? どんな扱いの差だ。

「お、ミワちゃん、早いね〜」

 パッとその顔がこちらを向く。

 「…はぁ」…と、今にも溜め息が聞こえてきそうだ。

「なんだ、ショウジか」

 俯いた俺の幼馴染(・ ・ ・)は、落胆を隠そうともせずに俺の名を呼んだ。

「なんだはねえだろ」

 ミワが座っていたテーブルの反対側に座る。

 はぁ…ったく、お前の愛しのマルオじゃなくて悪かったなっ。俺だってアイツより早く来たくて来た訳じゃねぇよ…お前がそんな態度を取るのが分かっていたからな。

 それにしても問題はマルオだ。

 アイツ…あぁ、『寝坊した』みたいなメッセージを送ってきていたな。

 『こっちは着いた。後どれぐらいかかる?』とメッセージを送る。

「お、マルオ、5分遅れて来るってさ。飲み物買っといてだってよ」

 すぐに既読が付いて返信がきた。

 急いでいるだろうに。すぐに返信してくるとは…相変わらず真面目な奴だ。

「えっ」

 驚きの声と、弛む口角。

 これは…何か考えているな。あぁ、間違い無い。

――これとこれ、下さい!!

――ふふふははは…!

 一週間前の夕方、怪しげな店に入って行ったコイツは、「ある物」を買った。

 たまたま見かけただけだが、あの店…何とも妙で、アヤシイ雰囲気を放つ店だった。あんな路地裏の奥にある、不気味なお店。本物ではないだろうが、磨かれたドクロが外に置かれていたあの店が、どうしても魔女の店にしか思えてならない。

 その日の夜ぐらいに隣のコイツの家部屋の窓から紫色の煙が出ていたし…何やってんだよって話…に、なるんだが…っておいコイツ、ガッツポーズしてやがるよ。背中向けていてもバレバレだっつぅの。

「飲み物買って来るわ。ショウジ、何飲む?」

 マルオに、『何か飲みたい物はあるか?』とメッセージを送る。

 マルオが好きな飲み物は? と訊かれると、どうしても選ばなければならない選択肢がある。コーヒーだ。

 だがミワの態度から…いや、正確にはアイツのポケットから何かが覗いているのを認めている中、ここでコーヒーは危険だ。

 魔女と言えば? 言うまでもない、魔法と薬だ。コイツがもし、アヤシイ薬の開発にでも成功していたら…いや、きっとコイツのことだ。成功している。

 携帯の画面を操作し、「アルバム」をタップする。

 すると携帯のメモリーに保存されている写真の数々が表示された。

 その中の一枚を全画面表示にする。

 写真の中に収められているのは、「ある薬」の製法。

 おとぎ話とか、創作物にあるような無味、無色、無臭の三拍子が揃った「惚れ薬」のレシピらしい。

 水でも判別しづらいような薬を、コーヒーで試そうがものなら、何が起こるのか分かったものじゃない。

 第一薬は、水か白湯で飲むのが定石。…幼馴染に頭を下げられても、親友を売ることは出来ないよな。

 頼むマルオ…コーヒーだけは選ぶなよ…!

――ピコーン。

 通知音が鳴る。

「…げ」

 『コーヒーで』、と返ってきた。

 野郎…よりにもよって…と言いたいが、無理か…はぁ。

 きっと、コイツもコーヒーを頼むだろう。別に飲めない訳ではないが…別段好きな訳でもない飲み物。それがアイツにとってのコーヒーだ。

 …って、何考えてんだかな。どうでも良いじゃないか。

「こ、コーヒー。マルオもコーヒーが良いって」

 …ま。一人だけ別の飲み物ってのもアレだしな。ここは、合わせておくか。

「おっけ〜」

 はぁ…喜びやがって。

 「マルオ君の飲み物を私が買えるなんて嬉しい♪」…ってか? けっ。

「おっと居た」

 ミワが二度目のコーヒーを淹れているタイミングで、マルオは来た。

 肩を大きく上下させているのは、肩で息もしているんだろう。急いで来てくれたようで、ご苦労様だ。

「よっ。珍しいな」

「あはは…自分でもそう思う。まさかの二度寝だよったく」

 二度寝…珍しいな。

 お袋が親父と話したな。確か今朝は寒かった…とか。

「二度寝か。分かるぜー…俺も良くする」

「割と毎日じゃないか? 遅刻ギリギリ魔め」

 マルオは俺の正面に座った。

「うるせっ。こんにゃろ。布団が悪いんだ布団が」

 あの暖かさには敵わんって。

「はは…ま、今日に限っては責められないか。今日に限ってはだけどな」

「うるせーうるせー。あーうるせー」

「おいおい酷いな。そう邪険にしないでくれ」

「優等生がありがた〜〜い言葉を言ってくれるからだよ。ば〜か」

 二人で話に花を咲かせる。

「でさ。今日って何をするために集まったっけ」

「おい…昨日話していただろう? 映画だよ、映画。『ユアネーム』 見に行くってさ」

 『ユアネーム』。旧山牧人(ふるやままきひと)監督の最新作で、確か今メチャクチャ流行りの映画だったな。

「期待外れじゃないと良いんだがな」

「それは見てみないと分からないさ」

 周りに気を遣い、抑えた声で話しているとアイツの声が聞こえた。

「マルオ君! おはよう〜」

 声高っておい、見詰めるな見詰めるな! それに足下注意しないと…!

「あっ」

 …ッ!!

「お〜、危機一髪」

 ミワが体勢を崩した所為で波打とうとしたコーヒーを災難から退避させ、そのまま自分とマルオの下へと置いた。

 ――ミワが混乱するように、コップの位置を並び替えてから。

「……」

 …あ〜あ、やっちまった。

 これでコーヒーはロシアンルーレット状態。誰が薬入りのコーヒーを飲んでもおかしくない状況になってしまった。

 ミワの顔が青ざめている。

 間違い無い。薬は入っていた。

 このコップか…マルオのか、アイツのか…三つに一つ。

 何も知らないマルオが、コップを手に取った。

「あ……」

 俺も続いてコーヒーを口にした。

 薬の味はしなかった。当然か。

「っ」

 意を決したかのようにミワもコーヒーを飲んだ。

 そしてコップを置く。

「……」

 時間が流れ、ミワが顔が赤くなった。

 ――当たりだと、すぐに分かった。

「……」

 アイツの蕩けたような瞳が、俺を見詰めてくる。

 ドクンと、胸が跳ねた。

「マルオ君…♡」

 だがその視線は、俺の隣へ。

「…へ」

 異常な気配を察したマルオが困惑の視線を向けてきたところで、俺は席を立っていた。

「ショウジ、どこに行くつもりだい?」

「悪い。お袋に大掃除手伝うように言われてるの忘れてた」

「え、だって大掃除は明日って」

「あぁ。お袋にそれ言われたの、昨日だったんだよ。だから大掃除は今日。勝手に部屋掃除される前に…な」

 言葉は、矢継ぎ早に出てきた。

「じゃあな。映画二人で楽しんで来てくれよ」

 俺は、逃げるようにその場を後にした。


* * *


「…はぁ」

 自宅へと戻ると、身体が自然と休息を欲し出した。

 自室のベッドへと滑り込み、何も考えないようにして暫く過ごす。

「はぁ……」

 部屋掃除なんて、急いでしなければならない程に部屋を汚している訳でもい。

 精々片付け方を考えなければならないのは、ベッドの下の例のブツぐらいか。

 それ以外に片付けないといけないものなんてな……

「ん…?」

 視線の先にあったのは、小さな写真立て。

 写っているのは小さな子ども――俺と、ミワだ。

 何故だろうか。あの写真だけは、どうしても写真立ての中に収めて、いつでも見られる所に置いておきたいと思う自分が居る。

 …。

「…はぁ」

 三度目の溜息。

 休日だと言うのに、何もすることがない。

 唯一と言って良い暇つぶし相手のマルオは今頃映画だろう。薬の効果がどの程度のものかは知らないが、ミワ(アイツ)のことだ。勢いに任せて早ければ今日中にでもマルオに……

「けっ! 勝手にしろってんだ…ったくよ」

 ――ピコーン。

 携帯の画面が光った。

 マルオからだ。『体調悪かったのか? 大丈夫?』と画面に表示されていた。

 『気にするな』と返信して通知を切る。

 どうしてか、深く眠りたい気分だった。











 瞼を開くと、外は夜だった。

 月明かりが差し込んでいるのだろうか。部屋は薄っすらと明るい。

「……」

 手が、自然と携帯に伸びていた。

 『分かった』と短い返信が、白く眩しい。

 そこに何故かマルオからの優しさを感じたような気がして、落ち着く自分が居た。

「映画どうだった? …と」

 送信してアプリゲームを開く。

 この時期は、どのゲームも決まってイベントが多くある。ガチ勢じゃないが、程良く楽しんでいる俺としては、一日中ログインもせず、放置しておく訳にもいかなかった。

――ピコーン。

 上画面の一部に『新着メッセージがあります』との表示。

 取り敢えずログインボーナスと、一日一回無料のガチャを回してからLINEを開く。

「は?」

 『行かなかったよ』と。返信の内容があまりにも驚愕的だったため、思わず声を上げてしまった。

「どうして行かなかったんだよ!」

 訳が分かんねぇ。じゃあ今日は何のために集まったんだよ!

「ぐは」

 『ミワちゃんに熱があるかもしれなかったし。まだ暫くは上映していると思うから今度こそは、ちゃんと予定合わせて三人で観に行こう』と言う清々しいまでの優等生発言。お人好し過ぎるぜマルオ…。

『そんなの良くアイツが認めたな。割と楽しみにしていたような気がするんだが』

『色々…あってね。丸く収まったよ』

 色々か。苦労したんだろうな…と思いたいところだが、マルオの言うことならアイツ素直に訊くだろう。「例の薬」は置いといての話にはなるものの。

 だが、気になってくるのは薬だ。

 …間違い無く薬はミワに効いていた。

 ただでさえマルオのことが好きなアイツが何か、羽目を外していないと良いんだが。

『そのまま解散になった訳じゃないよな? 埋め合わせか何かで、どこかに連れて行ったんだろう?』

 性格はどうあれ、アイツのルックスは悪くない。別に連れ回されるのもマルオにとっては損ではないだろう。疲れはするが。

 既読がすぐに付き、すぐに返信が届く。

 LINEって凄いアプリだよな。打つ手間はあるが、殆ど眼の前で話しているのと変わらない感覚になる。

『最初は解散するつもりだったさ』

 ――そして、画面のこちら側、向こう側で誰が何を考えていようと、上手く隠してくれる。つくづく、便利なアプリだ。

『だけどそうも言ってられなくなった』

 一つ、浮かんだ感情があった。

 一言で言うのなら複雑。曖昧に言うのならば、良く分からない感情だ。

『何かあったのか?』

 それはマルオへの問いであると共に、自分に向けての問いでもあった。

 分かってはいたこと、勝手に分かった気になって、分からないようにしていたこと。それを突き詰めるための。

 既読は付いた。

 だが、返信が来ない。

 基本的にマルオは寝落ちなどはしないタイプだ。ちゃんと寝ることを言ってから寝る、律儀な奴だ。

 当然、既読を付けた以上は、可能な限り速い間隔で返信をくれる。

『悩んでいることがある』

 時間にして数分間があった。

 言葉通り悩んでいるのだろう。俺に打ち明けるのでさえ、悩ましい程に。

『悩み? 珍しいな。良いぜ、俺で良かったらきかせてもらうぞ』

 動揺が俺の中を駆け巡っている。

 現に、「訊」の変換を忘れてしまった。

『ミワちゃんに告白された』

 深呼吸をする。

 「気取られてはならない」と、何かが俺の中で叫んでいた。

『ほー。それは良かったじゃないか』

 …怪しまれなかっただろうか。

 誤字は無い。返信速度もいつもの俺と変わらないはず。

 だが…どうしようもなく心配になってしまう。

『その返事を…悩んでいるんだ』

 …。

『付き合いたくないのか?』

『いや、そう言う訳じゃないのだけど』

 嫌だったら既に断っている…か。

『なら取りあえず付き合っちまえば良いんじゃないのか?』

『そんな軽い気持ちで決めて良いものじゃないだろ?』

 ……。

『付き合ってみなければ分からないこともあるだろう。男は度胸だって』

 また、間が空いた。

 煮えきらない態度に焦らされている気分だった。

『ショウジはそれで良いのかい?』

 ゴトッ。

 携帯を落とした。

『は? 何を言ってんだ』

 あわてて拾って画面に傷が付いていないことを確認し、急いで文字を打つ。

 図らずして、返信に時間を要してしまった。

『アイツがどんな相手と付き合おうがアイツの勝手だろう。何を俺に訊く必要がある』

『君はミワちゃんのこと、好きじゃないのかい』

 ………。

『好きでも何でもないって。アイツは家族みたいなもんだぞ? どうして俺が。第一証拠はあるのか』

 送ってしまってから気付く、大きなミス。

 これでは肯定も同然だった。まるで犯人が追い詰められた時に言うようなお決まりの台詞。まさかそれを俺が言うとは思わなかった。

『小学校からの付き合い。分からないはずがない』

 …いずれにしても、キリがない。

『ツラ貸せ。お前ん家の前の公園で待つ』

 『分かった』とメッセージが届くのに、時間はかからなかった。











 冬の夜。

 身も凍えるような寒さが公園を包んでいた。

「…来たね」

 街灯に照らされた公園のベンチにマルオは腰掛けていた。

 当然ではあるが、今度は俺が待たせる番だった。

「外は寒いし、風邪引いたら敵わない。さっさとハッキリさせよう」

「そのつもりだ」

 答えの決まりきった話に時間をかける訳にはいかない。

 もしこのことがアイツにバレたら恨まれるからな。

「ショウジ、ミワちゃんのこと…好きだよね?」

 …。誤魔化す必要は、もう無いか。

 もう画面を通している訳じゃないから…な。

「だとしたら、どうする」

「だとしたらって…それで良いのか? 想いが伝えられなくなるんだぞ」

「何故、伝える必要があるんだ。伝えたところで意味は無いし、お前がミワに告白するのならばまだしも…だ。それだったら俺が告白に踏み切ることも出来る。だが、お前は告白するんじゃない。されたんだ」

 ミワの気持ちは他の誰でもない、マルオに向けられている。

 そこに俺が出しゃばったところでアイツが俺に振り向いてくれるはずはない。告白なんて無意味な行為だ。

「だが俺がミワちゃんの告白を断れば!」

 おいおい…本気で言っているのか? 冗談にも程がある。

「火事場泥棒とか。俺に負け犬感を噛み締めさせたいのかよ? 酷え奴だ」

「そんなつもりじゃ…俺は…!!」

 …。優等生め。優し過ぎかお前は。

「俺のために〜、か?」

「…それにミワちゃんのためにもなる」

「は?」

 俯いたマルオは、自嘲気味に笑う。

 俺の中で、何かが沸々と煮え滾ろうとしている。

「あの子は俺には勿体無い。ショウジと居た方が、きっと幸せになるんじゃないか?」

 ――そして、何かが切れた。

「ふざけんなよッ!!」

 今朝コップを動かしてしまったように、身体が勝手に動いていた。

「っ」

 マルオの身体が傾く。

 殴ってしまったのだ。そう気付いたのは、コイツが倒れてからだ。

「ミワのためだぁ? アイツの気持ちを踏みにじろうとしているテメェが寝言吐かすんじゃねぇ! アイツのことを考えるんだったら、なおさらお前が付き合うべきなんじゃねぇか! マルオォッ!!」

 怒りが抑えられず、マルオの胸倉を掴んでしまう。

 「悩んでいる」とコイツは言った。その内片方の選択肢が「俺」のため「ミワ」のためならば、もう片方は当然「コイツ」のため!

 何だよ…コイツッ!!

「テメェも好きなんだろッ!! アイツのことッ! 好きなんだろうッ!? えぇッ!? 好きなんだよなぁッッ!!!!」

「う…っ」

 図星らしい。

 そんな気はしていたんだ。だから俺は、嫉妬していた。

 ――だからこそ、今日ミワがコイツに告白したと聞いて諦ることも出来た。

「両想いなんてお似合いじゃねえか! アイツに惚れているんだったら、何を迷う必要があるんだよッ!!」

「…悪い」

 顔を上げず、視線すら交わない。

 何だよコイツ…まだ分かっていねぇのか。

 人の気も知れずに勝手な善人気取りめ…まだ分からねぇのかッ!!

「謝りなんざ聞いてねぇ! アイツのためを、自分のためを思って動くかどうかを聞いているんだッ!!」

「……くれ」

「あぁッ!?」

「退いてくれって言ってんだよッ!!」

 頭突き。

 瞼の裏で星が弾けた。

「人の気も知らないで好き勝手殴りやがってッ!」

 起き上がったマルオが振るった拳に、視界が揺れる。

 まるで最初の俺の一発をなぞるかのようだった。

 流石に倒れるまでには至らなかったものの、驚かされた。

「…これ以上傷作られたら、ミワちゃんにどう説明するべきなのか困るじゃないか」

 数発殴ったせいか、マルオの唇が切れ、血が流れている。

 やり過ぎとは思っていない。こうでもしないとコイツは、「分からない」と思ったからだ。

「…そうだな」

 やり過ぎた甲斐は、あったようだ。

「さっさと無駄に延ばした返事でも考えとけよ。『こちらこそよろしく』なんて使い古された言葉は、芸が無いからな」

「…善処するよ」

 悩みが晴れたような、迷いを断ち切ったような清々しい顔。

 あぁ…コイツなら――

「あと、もう一つ」

「ぐっ!?」

 ――今のコイツだったら、ミワを任せられる。

「これで、俺からの嫉妬分はチャラってことにしてやる」

 複雑な感情を込め、マルオの胸を力一杯叩く。

「だから、お前は思い残すことなく、思う存分アイツの想いに応えてやれ。な?」

「その言い方…何か俺がこの後、死ぬみたいじゃないか。…了解」

 頼もしいな。宿題を写させてくれる時ぐらいには。

「…どうしてそうも強いんだ? ショウジは」

 マルオの、唐突な問い。

「荒れてる時期あったしな」

「違う。どうしてそうも、ミワちゃんの幸せを強く望めるんだ?」

 単純な問いだったが、何とも答え難い問いだ。

 どう答えるべきなのか少し悩んだ。

 答えるべき答は出ていたが、それをどう口にすれば良いのか間が開いた。

 その末に至ったのが、思ったことをそのまま口にすること。

「惚れた女のためだからな」

 少し、恥ずかしかった。

 きっとマルオの眼には、相当らしくない俺が映っていることだろう。

「あははっ、マルオらしいや」

 だがどうも、俺の思い違いらしい。マルオは納得したように頷いていた。

「うし。風邪引くなよ?」

 それが少し恥ずかしくて、話の切り上げに入った。

「万全の態勢で臨むつもりだ。…顔以外は」

 冗談を言えるんだったら、安心しても良いか。

「じゃあな。結果は…まぁ分かりきっているが伝えてくれ」

「あぁ。楽しみに待っていてくれよ」

 自信満々振りが、少し眩しく見えた。

 マルオに別れの挨拶をしてから、冷えきった手をポケットへ。

「…?」

 何かが、クシャリと音を立てた。

 握ったままポケットから出してみると。

「…あぁ」

 それは一枚の紙だった。

 失くした時のために写真に収めた、かつてのやんちゃの名残。

 …結局のところ。似た者同士だったのかもしれないな。

 もし俺が…。

「いや……」

 首を振って思考を止めた。

 帰路に就こうと公園を後にした時、空から降ってきたモノが頰に付いた。

「…雪か」

 白くて儚い結晶の数々が、付いては消えを繰り返していく。

「…これで、良かったんだよな?」

 「惚れ薬」が起こさせた、小さな小さなドタバタ。

 いつかは今と似たような状況になっていたんだろう。遅かれ、早かれ、多少の違いはあるが、後押しされずともミワはマルオを選んでいた。「惚れ薬」はきっかけ。いつか起こる出来事を前倒ししてくれていただけなのだろう。

 そんなことが分かってしまう幼馴染と言う立場が、妙に恨めしかった。

「あぁ……良かったんだ」

 気付くと、空を見上げていた。

 曇った空から静かに、次々と雪が降ってくる。

 この季節珍しくもない、冬の名物(当たり前)。いつもとどこか違うように感じたのは、マルオだけじゃなく、俺の心もどこか晴れ晴れとしているからだろうか。暫くそのまま時を忘れた。

 風邪を引くかもしれない。突然飛び出して行った息子の帰りが遅くなると、お袋も親父も心配するだろう。だが、そうと知っていても時を忘れることが出来た。

 どうしてだろうか。

 今日の雪がやけに塩っぽくて、どこか温かかったからだろうか――


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