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聞き屋の蛇  作者: にやな
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黒と迷子③

「黒さん、あ、あたし、思い出したんだ。あたしがなんで死んだのか」


アヤカは思い出せないと言っていた。自分が何故死んだのか。それを急に思い出した、それは何故か。


魔物化する寸前だからだ。


アヤカは憎悪や悲哀がなかったのではない。それを見えないように溜め込んでいただけだったのだ。

見慣れた筈の笑顔の似合う顔は、苦しみに歪み、悲しみに泣いている。明るかったアヤカ。それがこうも変貌したことに、私はまた、胸を痛めた。


「あ、あた、あたし。あたし、ちょっと、脅かしてやろうとしただけなんだ。学校で、廊下の電気消して、友達が来るの、隠れて、待ってた」


アヤカが自分の腕を擦る。カタカタと震えながら、うつむいて顔を私のように髪で隠して。


「その子、怖がりで。あたし、よく脅かしてた。あのときも、ふざけてちょっと脅かして、後で泣きそうな友達を、笑って慰めてあげようって思って」


震える声。無理して話す必要などないのに、話さずにはいられない。自らが犯した罪の告白。

これも、一種の破壊衝動によるもの。


「わっ!て、脅かしたら、その子、すごい叫んで、後ろに逃げた。そこ、階段で、落ちていった。私が電気、消してたから、足元見えなかったんだと思う。そこからはあんまり覚えてないけど、次にその子に会った時は、目が見えなくて、腰から下も、動かなくなってた」


アヤカは思い出せなかったのではなく、思い出したくなかったのだ。辛い記憶を忘れることで、自分を保とうとしていたのだ。そのまま送ってやればアヤカはこんな自分への嫌悪にまみれることはなかった。私がいつまでも引き留めたせいで、今こうして、思い出した記憶に苦しんでいる。


「簡単に謝ることなんか出来なくて、あたし、その子に訊いた。あたしは、どうしたらいいって。そしたら、死んでって。死ねって言われた」


魔物化の兆候、破壊衝動。


魂の質も変わり始めている、魔物化が進行しているのは明らかだ。あと一時もしないうちに、アヤカは魔物になる。……私のせいで。


苦しんでいるのはアヤカの筈が、私の胸にも大きな穴でも空いたかのように鋭く痛む。まるで偽善者。アヤカの痛みを分かってやろうとしているようで、そんな自分に心底、腹が立つ。

そして、こんな事態に陥っているのに、目の前のアヤカが「やーい、引っ掛かったー!うっそぴょーん」などと、いつかやったように冗談だと言ってくれるのではないかと、そんな期待を捨てきれずにいる自分に、腹が立つ。


早くしないと、アヤカは輪廻の輪に還れなくなるというのに。


「それからすぐ、学校の屋上から飛び降りた。消えたかった。あたしに向けられた、あの子の見えない目が怖くて、どうしようもなく怖くて」


私を見つめる瞳から、どんどん光が失われていく。手を伸ばすが、どうしようもなく震える手は一向にアヤカに辿り着かない。早く早くと焦る思いと、嫌だ、消したくないとどうしようもなく苦しくなる感覚が混在して頭が割れそうだ。


「あたしは、ろくに謝りもしないで、逃げた!楽な方に、もうなんにも考えなくていいように!あの子も、他の友達も、家族も、大事だったもの全部捨てて死んだ!」


アヤカが叫ぶ。その叫びに、私はアヤカの腕を掴んで抱き締めた。私の胸よりも低い位置にある頭を、壊さないようにゆっくりと腕を回した。


「……今さら思い出して、後悔したって、もう遅い。遅いのに……」


アヤカに残った僅かな意識。それがここまで進行しても抵抗を見せている。泣きながら私にすがり付くアヤカの頭をそっと撫でた。


「黒さん、あたし。……もっと生きたかった……」


これが、アヤカが異界の森に囚われた理由。腕に力が入りそうになるのを抑えながら、啜り泣くアヤカの頬を両手で包んで上を向かせる。黒い瞳から大粒の涙が次々に零れ落ちる。その涙を指で掬っても掬っても、滑らかな頬を滑り落ちていく。


生きたかった。そう言って泣くアヤカに、私は複雑な心持ちになった。


もし、アヤカがこんな死に方をしなければ、私はアヤカに出会うことなど出来なかったのだから、なんて。

なんて、不謹慎で自分勝手な。


「……私はアヤカに会えて良かった。私は初めて、誰かといることが、こんなにも楽しいと感じた……」


もしかしたら、一生気付かなかったかもしれない。誰かと共に過ごす時間が、こんなにもあたたかなものなのだということも。誰かのことで一喜一憂することが、こんなにも楽しいと感じられることも。


ああ、この感情を、人はなんと呼ぶのだろう。


「……勝手なことを言って、すまない。それでも私は、苦痛に囚われながら、私の前に現れたお前を、とても気に入っていた……」


こんな私に笑顔で、楽しげに接してくれた。無邪気で、明朗で、悪戯好きなアヤカ。

死ぬには若すぎた。きっと、明るい未来があっただろうに。

そう同情しながら、それでも私の元に落とされて来たことを喜ばずにはいられない、愚かな私。


「……お前と過ごす時間は、この上なく楽しいものだった。手放すのは惜しい、惜しいが、お前の幸福な来世を願い、私はお前を送ろう……」


お別れだ、アヤカ。


その時、アヤカがくすりと笑った。涙を流しながらも、私を見て柔らかな笑みを浮かべた。


「自殺したのは、後悔してるけど、あたしも、黒さんに会えて良かったと思ってるよ。黒さん、あたしのくだらない話、いっつもちゃんと聞いてくれた」


確かに、しっかり聞いていた。アヤカの声も、表情も忘れないように。近い未来に訪れる別れに向けて、私は無自覚に準備をしていたのかもしれない。今いるアヤカを、しっかりと記憶しておこうとしていたのかもしれない。


「あたし、まだ魔物になってない?」


「……魂は変異しつつある、が、まだヒトだ……」


「そっか。いっそ、魔物になって黒さんに張り付いて困らせちゃおうかなんて思ったけど、そしたらあたしの意識はなくなるんだよね」


魔物になれば、もうそれは誰でもない。ただ、破壊を望むだけの『かつてアヤカだったもの』というだけの別の存在になってしまう。

そうと理解していても、アヤカの言葉に酷く心が揺れた。


「やっぱ魔物はやだな。黒さん、あたしを送ってくれる?」


ゆっくりと頷いた。アヤカの体を離し、低い位置の頭に手を翳す。

今度は手は震えなかった。


「ねぇ黒さん。また会える?」


アヤカがそんなことを聞くので、私は呆れて首を横に振った。


「……私は、お前の幸福を願う。そうなれば、私の元に来ることもあるまい……」


私はアヤカの幸せを願う。来世、どんな姿になろうとも、生を全うし、多少の未練を残しながらも大往生することを、心から願う。それ故に、私とはもう、二度と会わずにいられる未来を、願う。

憎悪から魂を解放する役目を担う私の元へなど、もう、二度と。


「……私は、お前の幸せを願い、私とは会うことのない未来を、望む……」


「ひっど。そんなにあたしに会いたくないの?もぅ、笑っちゃう」


快活に笑う。やはり、この顔が一番、アヤカにはしっくりくる。


「あたし、生まれ変わったら神様になりたいなぁ」


これはまた、大きく出たものだ。ヒトが神を語ることは多いが、まさかこんな娘が神になりたいなどと。

思わずくすりと声を立てると、アヤカの耳にはしっかり聞こえたようで、思い切り小突かれた。


「こらこら、人の夢を笑うでないよ。あたしが神様になった暁には、黒さんを召し使いにしてやんだから!」


そう言って笑ったが、その顔がまた引きつり始めた。もう時間がない。

手に力を込めると、アヤカの体がうっすらと発光した。少しずつ、指先から空気に溶けてゆく。


「召し使いはあたしの言うこと聞かなきゃいけないんだからね!いっつもあたしの隣にいて、あたしの話をちゃんと聞いてなきゃいけないんだからね!覚悟しててよ!」


消えた腕で私を叩こうとするアヤカの頭を撫でる。

これが最後。もう、このアヤカには二度と会うことはない。だからこそ、これから何度でもアヤカの笑顔を思い出せるよう、最後に笑顔を見せて欲しい。


頬に手を添え、上を向かせる。


「……アヤカ、笑ってくれ……」


私の願いに、アヤカは笑った。

大粒の涙を流しながら、それでもいつもと変わらぬ笑みを見せてくれた。

体が全て消えるまで、アヤカは笑い続けた。


手の中の温もりが消えると、私の膝は地面に落ちた。

体は脱力感に襲われたが、しかしどこかあたたかく、それでいてまた胸が締め付けられるような痛みを感じていた。


「……私を、召し使い、か……」


突拍子もない話をされたものだ。どこからそんな発想が出てきたのか。


しかし、それが本当なら。


「……そうだな、楽しみにしていよう……」


お前に扱き使われるのも、悪くないと思えてしまうのだ。




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