黒と迷子②
「黒さんはなんで顔を隠してんの?」
アヤカは藪から棒にそんなことを聞いてきた。二人で倒れた木に並んで腰掛け、森に生き物がいないという話をしていた時のことだった。
私は柄にもなく焦った。痩せこけ、皮と骨しかないような体からも想像が出来るように、私の顔も人間とは程遠い顔をしている。私の顔を見て、魂たちが驚き逃げ回るので、見えないように常に髪と帽子で隠している。
アヤカは私の顔に興味を持ってしまっている。だが、見られてはならない。嫌われるかもしれない。
「……私の顔は酷く醜い。だから、見られぬようにしている……」
「ふぅん」
興味が失せたような返事をしたアヤカに心底ホッとしていると、突然肩を掴まれた。あっという間にアヤカは私を押さえ付け、丸太の上に立って私の帽子に手を掛けた。あまりに急な出来事に驚いて動けない私を他所に、アヤカは奪い取った帽子を自分に被せると、私の首に腕を回して顔を近付けた。逃げようとするも、首に腕が絡められているために上手く動けない。無理に振りほどけばアヤカを落としてしまう。それを知ってか知らずか、アヤカはニヤリと笑うと、最後の砦である前髪を横に流してしまった。
露になった私の顔。
血の気が引くような、立ち眩みのような感覚が私を支配した。
見られた、顔を見られた。
今まで隠してきたものが、一番見られたくないものにばれてしまった。
「あはは、ほんとだ、怖い顔」
お化けみたいだと笑うアヤカに、私はもうついていけなかった。そんなに笑えるような顔ではない。これはおぞましい顔だ。なのに何故そんなに楽しげに笑うのか。怖がりもせず、悪戯が成功したとでも言うように楽しげに。
未だに固まったままの私を、アヤカは腹を抱えて笑った。
「確かに顔は怖いけど、それだけで今さら黒さんを嫌ったりとかしないからね。それよか、ここに来る人たちの方が、黒さんよりよっぽど怖いよ」
そう言って、アヤカは私の帽子を膝に乗せて遊びだした。
中身などない筈のこの体。なのに何故か、胸のあたりが苦しくなるような奇妙な感覚に襲われた。中身がないのだから生き物のように病気をするわけもなく、況してや苦痛を感じたことすらない。なのに、なんだというのか、この感じは。締め付けられるような、そこから熱を発するようなこの感じは。
なんなのだろうか。
気づくと、アヤカは帽子いっぱいに何かを入れて、そのまま私に被せようとしてきた。しかし私はそれどころではなく、甘んじてそれを受け入れることになったのだが、帽子から落ちてきたのは殆ど重量がないものだった。
帽子に入っていたのは、どこからか集めてきた、草の綿毛だった。
それを頭から被せられ、私の真っ黒な服にも、髪にも、点々とふわふわした綿毛だらけになってしまった。
そんな私を見て、アヤカは更に笑った。
「ほら、これなら全然怖くない!」
ああ、苦しい。
苦しい。
それから私はこの正体のわからない感覚を、アヤカと過ごす時にだけ感じるようになり、それに辟易しながらもアヤカの元に足を運ぶ回数は以前よりも増えていった。
アヤカと出会って随分と時が経った頃だった。異界の森で魔物が発生したのだ。
原因は他でもない、私だった。
アヤカの元に行く回数が増えるのに比例して、その分魂を送るのが遅れていった。そのツケがついに、魂の魔物化を引き起こしてしまった。魔物は既に自らが入る体を求めて森を出てしまったため、私の管轄から外れてしまった。異界の森から魔物が出たのは、私がここに来てからは初めてのことだった。
私はそれを知ると、すぐにアヤカの元へ向かった。アヤカもここに来て随分経つ。いつ魔物化してもおかしくない。それでも私がアヤカを送ろうとしなかったのは、今までこの森で魔物化したものを見たことがなかったから。そして、アヤカなら魔物化しないのではないかという、なんの根拠もない考えから。
事態が深刻になって初めて自分がしてきたことの重大さを知ることになった。しかし、その時私の頭にあったのは、私の怠慢が魔物を生んだ事実よりも、アヤカが魔物になるかもしれないという恐怖感だった。
急いで来てみたが、アヤカはいつもと同じ場所で、同じように地面に寝転がって草で遊んでいた。
「あれ?どったの黒さん。そんなに慌てちゃって」
安心しそうになるほど、呑気な声。私はアヤカに駆け寄った。
「……森から、魔物が出た。アヤカもこれ以上森にいると、魔物になるかも、しれない……」
私の言葉を、アヤカは黙って聞いていた。そして私から目をそらすと、近くに生えていた草を編み始めた。
魔物になると感情の制御が出来なくなり、激しい破壊衝動に襲われる。そして、徐々に自分の意識が薄れていき、そこに自分はなくなる。ここから魔物になったものは、体を持っていないため、何かの体を乗っ取って初めて魔物として動き始める。
このことは、以前アヤカに説明している。
「じゃあ黒さんは、あたしを成仏させるの?」
アヤカはこちらを見ない。黙々と草を編み続けている。
私がアヤカを送る。いつか必ずやらなければならないことだった。ずっと先延ばしにして、今、その時がやって来た。
私が手を翳せば、それだけでアヤカは消える。この世界からアヤカを形作っていた最後のものが、完全に消えてなくなる。
ただ、手を翳すだけ。それだけで。
私はしゃがみこみ、寝転んだままのアヤカにそっと手を伸ばした。そして、尖った指先が当たらないよう、気をつけてその頬に触れた。
柔らかい。少し力を入れただけで切り裂いてしまいそうになる。
アヤカが目だけで私を見た。
「黒さん、あたし、魔物になりたい」
私は耳を疑った。
アヤカは今、なんと言った?
「あたし、魔物になりたい!」
聞き違いならどんなによかったことか。
アヤカはのそのそと立ち上がり、両手で自分の体を抱き締めた。
薄暗く曇った瞳。
それは初めて見る、アヤカの憎悪だった。