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聞き屋の蛇  作者: にやな
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黒と迷子①

【黒視点】


何年前のことだろうか。

私は深い霧の立ち込める森の中をひとり歩いていた。鳥の鳴き声も聞こえないその森は、この世界では『異界の森』と呼ばれ、生に未練のある死者の溜まり場となっていた。私はその森の管理者として、死を認めず森にすがり付く死者の魂を輪廻の輪に戻す役割を担っている。


その日も、森をただ彷徨い歩いては出会った死者を送り還していた。随分と歩いてそろそろ休もうかと思ったとき、私の前に現れたのは人間の魂だった。珍しくもない。人間は特にこの森に囚われやすい質をしている。この魂も、生前に何かしら未練があって森から抜け出せなくなったのだろうと思い、近付いていった。

するとそこにいたのは、大人になるにはまだ少し時間の掛かりそうな、若い娘だった。早くに死に、まだ見ぬ未来を楽しみにしていたであろうこのこの娘。早々に送って、せめて来世の幸福を祈ってやろうとした。


だが、この娘。近付いてくる私に気づくと、あろうことか、私に向かって手を伸ばしたのだ。ここにいる魂は送られることを嫌がり、私の姿を見ると逃げるものが常。こんなことは初めてだった。


そして娘は、私にこう言った。


「なんか食べ物、持ってない?」


腹が減るわけないだろう、既に体は死に絶えているのだから。何を言っているのかと思い黙っていると、娘は自分の足元を指差した。そこには、痩せこけた姿でうずくまる、灰色の猫がいた。


「お腹、減ってるんだと思う。全然動かないで、ずっとこのままなんだ」


猫を抱き上げると、辛そうな、悲しそうな顔をした娘。何をそんなに同情するのか、その猫もまた、とっくに死んでいるというのに。


私は猫に手を翳した。すると、猫の形をしていた魂は僅かに光り、空気に溶けるようにして消えた。


「……こうしてやるしかない。体がない以上、食べることは出来ないのだから……」


私の声に、娘はぎゅっと拳を握った。さぁ、次は娘の番だ。娘の頭に手を翳そうとすると、その腕を掴まれた。霊体とは言え、私に触れることが出来る魂は稀にいる。私自身も、霊体に近しい存在だからだ。

まだ何かあるのかと娘を見ると、娘は満面の笑みを浮かべていた。


「ありがとう」


魂に感謝されたのも初めてだった。純粋な笑顔を向けられたのも、あんなに嬉しそうにされたのも、私は初めてのことだった。それがあまりに衝撃的だったからだろうか、私はこのまま娘を送ってしまうのが勿体無いと感じてしまったのだ。

だが、いつまでもここに留まらせる訳にもいかない。長くこの森にいると、その魂は魔物となって二度と輪廻の輪に還れなくなる。そうさせないために私がいるのだが、その時私はまだ時間はあるだろうと、娘の魂をそのままにして去ったのだ。次に会った時にでも送ってやればいいと、そんなことを思って娘の魂を逃がしてしまったのだ。


それがいけなかった。


暫く経って、私はまた、あの娘の魂に会った。娘は私の姿を見つけると、今度は走り寄ってきた。


「久しぶり、もう会えないかと思った」


「……会えない訳はない。お前を送るのが私の仕事だ……」


「送る?成仏させるってこと?」


娘ははてと首を傾げた。その仕草が私の目には随分可愛らしく映った。ここでは滅多に見ることのできない、憎悪や悲哀を含まない、まるで生者のような瑞々しい魂。本来私の管轄では関わることのない、淀みのない美しい魂だった。


「そっか、やっぱり私は死んだんだ。そうじゃないかとは思ったんだけどねー」


「……自覚してなかったのか?……」


「うーん、予想はしてた。だってあなたは死神さんでしょ?」


確かにこの姿を人間が見れば死神とも思うだろうが、私はそれではない。特に種族があるわけでもないが、強いて言えば化け物、か。


「死神さんは、私を成仏させに来たの?」


「……死神ではない……」


「じゃあなに?名前は?」


「……名はない……」


「ええー、それは困るな」


そう言うと、娘は唸って悩み始めた。そんなに何が困ると言うのか。たかが名がないくらいで。


「あたしはあなたとお喋りしたいんだよ。だから、名前がないのはすっごい不便」


「……私と話してなんになる……」


「なんにもならなくてもいいの!やっとまともに口聞ける人見つけたんだもん。ここにいる人ってさ、皆暗くて全然話してくれない。だからすっごい暇だった。あなたくらいなの、あたしと喋ってくれるの」


本来、ここに来る魂は病んでいるものが多いのだ。こんなにもハキハキと話せるものなど、探したところでないるわけがない。

娘はガリガリと頭を掻き、私を見上げた。


「もー、黒いから黒さんでいい?嫌だったら自分で考えてね。あたしに名前考えさせるのが悪いんだから。あたし、自他共に認める残念なネーミングセンスしてるし」


けらけらと楽しげに笑った娘は、近くにあった岩に腰掛けた。

黒。黒いから黒。なんて安直な、と私でも思う。しかし、初めて人に貰った名。私を示す、名。


ああ、この娘の名はなんと言うのだろう。知りたい。


「……お前の名は……?」


「あたし?あたしは彩加。ぴっちぴちのJCだよこんちきしょー。それなのになんで死んだよこんちきしょー」


アヤカ。いい響きだ。じぇいしーとはなんのことかは分からないが、人間界のことは私はよく知らないので仕方ない。


「黒さんはさ、ここでなにしてんの?」


「……私は、ここに囚われた魂を、輪廻の輪に還している……」


「りんね?って何?」


「……魂の循環する場、隣り合う世界を跨ぐ流れだ……」


「んんんー。あたしバカだから、難しいことわかんない」


アヤカは恥ずかしそうにまた頭を掻いた。

それからアヤカと様々な話をした。主に、アヤカの生前について。

仲のいい家族のこと。

兄が意地悪いこと。

学校の勉強が難しいこと。

走ることが好きなこと。

修学旅行が楽しくなかったこと。

友達と海に行って海月に刺されたこと。

身長が止まったこと。

飼っていたメダカが卵を産んだこと。


アヤカは「くだらないことばっかだねー」と言いながらも、どの話も楽しそうに語った。私はそれを、時々相槌を打ちながら聞いた。私の顔は醜く、アヤカのように笑みを浮かべられるようには出来ていない。だからこそ、私も楽しんで聞いているというのが伝わるよう、相槌を打ったり、出来るだけ言葉を返すことでそれが伝わるように努めた。


一頻り話し、アヤカは満足したようだ。私もそろそろ仕事をしなければならない。


「あ、もう行っちゃうの?」


「……仕事がある、いつまでもここにはいられない……」


「あたしもついてっていい?」


その問いに、私は首を横に振った。逃げ惑う魂を追い詰め、泣き喚いたり、暴言を吐く魂を、なんの躊躇いもなく送る私の姿など、アヤカに見せたくはない。非情だと思われるかもしれない、人でなしと罵られるかもしれない。アヤカはそんなこと言わないだろうと思いながらも、そう思われることに恐怖した私は、アヤカの同行を頑なに拒んだ。代わりに、またすぐにここを訪れることを約束し、それから私は何度も何度も、アヤカの元を訪れた。




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