来訪者
「ヘビさん、起きてください!もうお昼ですよ、お昼ご飯出来てますよ!」
「うああ、眩しい……」
頭まですっぽりと被っていた毛布を剥ぎ取ると、いつも通り、丸くなったヘビさんが目を擦りながらうぞうぞと寝返りをうった。
毎朝、いや、毎昼お寝坊なヘビさんを起こしに行くのはもう日課となった。ヘビさんは私が起こしに行かないと夜まで寝たままなのだ。それはここに来て3日で理解した。
「吸血鬼が朝日に弱いの、分かる気がするよ……」
「何言ってるんですか、吸血鬼は日光自体が駄目なんですよ」
寝転がったまま寝間着のシャツのボタンを外していくヘビさんの腕を引っ張り、無理矢理起こす。こうでもしないとボタンに手を掛けたまま二度寝に入ってしまう。着替えを押し付けると、やっとヘビさんの私室を出る。
出来ることなら着替えまで手伝うと手っ取り早く目を覚まさせられるのだが、そういう訳にもいかない。いくら人外とはいえ、創りは完全に人間の男性と変わらないらしい。初な私に美しいヘビさんの生肌は直視出来ない。全力で目を逸らして逃げるように部屋を出たあと、両手で顔を覆って赤面するのがオチだ。結果が分かりきっているので、わざわざ挑戦しようとも思わない。
それに、ヘビさんは少しSっ気があるようで、恥ずかしがったり困ったりする私を見て楽しむ気がある。わざわざ楽しませてやることもない。
2階にあるヘビさんの私室を出て1階のダイニングに戻る。昼食に作ったオムレツとサラダ、木の実のスープを丸テーブルに並べる。ここがただの死後の世界だと思っていた頃とは違い、今では空腹を感じるようになったため、1日3食をしっかり摂るようにしている。
ヘビさんと出会って、ここに来て3ヶ月が経った。ここでの生活も慣れ、ヘビさんとひとつ屋根の下での生活も新たな日常になりつつある。私の日常になかった男性との生活だが、慣れてしまえばなんてことなかった。何より、ヘビさんは穏やかで優しく、適度にノリも良い。身長は高いが羨ましいくらいに細いヘビさんだが、頼りがいはある。
ヘビさんは、その名の通り蛇、なのだそうだ。
ただ言葉で聞いただけだが本人いわく、人の姿の方が便利なので普段はあの姿なのだという。真偽を確かめるには本人の協力が必要だが、無理に真実が知りたいわけでもなく、ヘビさんの云うことなら本当だろうと根拠もなく信じてしまっているので特に確めることもしていない。ただ、人の姿も蛇っぽいとは思う。
ヘビさんは人外、そしてこの世界も、そんな人外達が住む世界なのだ。
妖精や妖怪、神や神に仇成す魔物などが住まう世界。私のいた人間の世界の隣に存在し、稀にその境を往き来するものが現れる。それが偶々私だった。
そんな私を拾ったヘビさんは、ヒトではないものたちの話を聞く『聞き屋』という店を営んでいる。聞き屋では、悩みや愚痴を聞き、本人が望めばそれに答えもする、謂わばカウンセリングのようなことをする店だ。ここで住み込みで家事をしながら客をもてなすお手伝いをしているのだが、この3ヶ月の間に来た客は5人だけ。その中の3人はただヘビさんとお喋りを目的にやって来たので、実質客は二人だけ。金銭の概念が存在しないこの世界では、『聞き』お代は食べ物や宝石や、情報。つまり物々交換なのだ。
そんな生活のお陰ですっかり自給自足に慣れ、森に食べ物を調達に行くのも日課になってしまった。週に1度は何でも屋を名乗る猫頭の行商人が来るので、森で採れないものはそれを頼りにしている。代わりに猫の行商人に渡すのは専ら地下に溜め込んだ1センチもない宝石の粒。猫の行商人は喜んでそれを受け取り去っていく。
始めこそ家を訪れる人外に驚きはしたが、森でも家でも、ヘビさんは危険があるものから私を遠ざけてくれるので安心して生活している。
ティーカップにお茶を注いだところでやっとヘビさんが階段を下りてきた。
「あ、いい匂い。これはハムかな?」
「猫さんから美味しいハムを貰ったんです。卵で包んだのによく気づきましたね」
「ほら、俺、蛇だから」
「ああ、蛇って鼻が効くんでしたっけ」
母子家庭で育った私はそこそこ料理が出来た。母は娘二人を育てるために仕事三昧であったし、それを見かねた姉も高校から朝は新聞配達、放課後は飲食店でアルバイトをしていた。必然的に家事は私の持ち分になり、中学に上がる前から食事の容易は私の仕事になっていた。
死んでからそれがこんなに役に立つとは思わなかったが、お手伝いさんとしてヘビさんの手を煩わせることが少ないのは良いことだと思ってもいる。度々、置いてきた家族を想うことはあるが、二人とも強い女だったので私の死もしっかり受け止めて生きてくれるだろうと信じている。
「そうだ。今日はお客が来るからね、お茶菓子の用意を頼むよ」
「え?連絡してから来るなんて珍しいですね」
突然訪れる客が多い中で、前もって連絡を入れてから来る客は本当に珍しい。
ヘビさんはオムレツを両端から食べていくという不思議な食べ方をしながら私に告げた。
「俺が話を聞いている間はここにいなくてもいいから、自由にしていいよ」
「ここに居ちゃダメなんですか?」
客が来ると、客とヘビさんは丸テーブルに。私はいつも少し離れたキッチンカウンターの椅子に座って話を聞いている。客の話を聞くのは面白いし、ヘビさんにもにそれでいいと言われているからだ。
しかし今回は、遠回しに聞いて欲しくないと言う。私はそれを、空気を読まずに疑問を投げ掛けた。ヘビさんは特に焦る様子もなく、本の少し首を傾げた。
「いや、聞いてもいいんだ。ただ、今までとは違って重い話になるだろうから」
ヘビさんはサラダに入っているトマトに似た野菜を器用に避けている。嫌いなのを知っているから刻んで食べやすくしたというのに、それでも頑なに拒む。
「もう、ちゃんと食べてくださいよ。せっかく細かくしたのに」
「うん、避けづらいよ」
「避けないでください!もう、子供じゃないんですから」
いつか絶対食べさせてやろうと心に誓う。意外にも子供っぽい一面があるヘビさんは、好き嫌いが多い。甘いものは好きだが、香りの強いものは基本食べない。トマトの中身のようなドロッとした食感のものも好かないようだ。お手伝いを始めたばかりの頃は気を使って、ヘビさんの嫌いなものは極力使わないようにしていたが、あまりに細い体つきを心配して今では何とか食べさせようとあれこれ工夫している。
昼食を済ませ食器を洗っていると、ドアがノックされた。客がやって来たようだ。
食器を片し、手を拭きながら急いで玄関に向かおうとすると、手が空いていたヘビさんが先に玄関に向かっていた。ヘビさんの後ろに控えて客を迎える。
入ってきたのは、まるでペンキでも被ったような真っ黒い肌を持ち、真っ黒の燕尾服を着て深くハットを被った背の高い男だった。180センチ程の身長があるヘビさんよりも頭ひとつ半は大きい。しかし、ヘビさんよりも華奢な体つきをしている。
ヒトに似た形ではあるが、ヒトではないものだ。
「いらっしゃい、ここに来るのは随分久しぶりだね」
「……ああ、そうだな。前に来たのはいつのことだったか……」
深く被ったハットと長い前髪のせいで、下から覗いても顔が見えない。不意に男がこちらを見たので、ついびくりと体を揺らしてしまった。
「……人間、か?こちらにいるなど、珍しい……」
「最近雇ったうちのお手伝いさんさ」
「咲希です、はじめまして」
頭を下げると、男もハットを取ってお辞儀を返した。
「……私に名はない。黒、とでも呼んでくれ……」
いつも通りに客とヘビさんは丸テーブルへ。私はお茶とお菓子の用意をするためにキッチンへ向かった。
「じゃあ、早速で悪いけど話してもらおうか」
静かなこの家に、お湯を沸かす音とヘビさんの声が響く。
私はお茶の用意をしながら、黒のゆっくりとした口調の話に耳を傾けた。