ヘビに出会う
死んだということは分かる。でも、どうして死んだかは思い出せない。
そして、そのことを自覚出来る異常さも、分かっているつもりだ。
私の名前は、椎名 咲希。地方の底辺進学校に通う18歳の女子高生。つまり、受験生だ。
底辺進学校らしく、高い学費を払って偏差値の高くない私立の大学を受験するつもりでいた。それも、都会に出るのは怖いから、これも地方の大学で。
推薦入試を1週間後に控えたある日、私は死んだのだと思う。その辺の記憶があやふやなのが気になるが、そんなこと今は些細なことでしかない。
今、私が直面している問題に比べれば。
私は今、仰向けに倒れている。周りは綺麗な水色の花で囲まれ、その葉が頬を擽っている。空は夕日で紅く染まり、浮いている雲が鮮やかなピンク色。
そんな空を背景に、見覚えのない男がひとり、横たわる私の顔を覗き込んでいた。
「ああ、意識はあるみたいだね。俺が見えてるんでしょ?」
柔らかい笑みを浮かべながら、片手をひらひらと振ったその男。夕日の逆光で顔が見えづらいが、長めの透き通るような銀髪から見える両耳に、夥しい数のピアスがキラキラと光って見える。ちらりと覗いた舌にも、ピアスがついているのが見えた。それに加え、Vネックの服から伸びた、男性にしては細い首には鱗のようなタトゥーがある。仕舞いには、目付きが悪い。
見るからに、普段関わることがないような人種。危ない人だ。本能的に機嫌を感じても、うまく体に力が入らない。指を軽く握り込める程度にしか力が入らず、腕は上がらない。
端から見ればきっと青い顔をしているであろう私を見て、男はくすりと小さく笑った。
「そんなに怖がらないでよ。別に、とって食おうってんじゃない」
本当だろうか?
外見はヤンキーのようだが、醸し出す空気は柔らかいものだ。見た目とのギャップが酷く、信じていいものか悩んでしまう。正直なところ、生前は男性と関わることが少ない色気のない生活を送っており、家族は母と姉、学校は中学から6年間女子クラスと常に女性に囲まれて育った。況してやヤンキーや不良なんて人種には関わることなく、日々勉強と人付き合いに明け暮れる平和な日々を送っていたのだ。
そんな私の目の前に現れたのだから、上手く対応出来ない言い訳くらいはさせて欲しい。
「ねぇ、聞いてる?聞こえてるよね?このままここにいると風邪引くよ、さぁ、行こう」
いろいろ突っ込みどころはあった。死んでいるのに風邪は引くのかとか、これからどこに行くのかとか。
それが口から出なかったのは、ピアスの男が私の額に手を乗せた途端、まるで金縛りが解けたかのように体が軽くなったからだ。
手を握ったり開いたりして感触を確かめ、足に力が入ることを確認してやっと起き上がった。今さら気づいたが、制服のまま寝転んでいたようだ。ニットベストが草だらけ、ボブカットでそこまで長くない私の髪にも草が絡んでいた。取り敢えずベストの草を落とそうと背中に手を回すと、ピアスの男が手が届いていないのを見かねて軽い手つきで払ってくれた。次いで後ろ髪にも手を伸ばされ、丁寧に草を取ってくれる。
「あ、ありがとう、ございます」
「んー、どういたしまして」
辺りを見渡した。ここはどこかの丘の上のようで、辺り一面に背の低い水色の花が咲いていた。丘の下に湖と小さな家が見える。
死んだ私は天国にでも来たのだろうか?眼下に広がる森は緑だけでなく、所々に透き通るような青色を含んでいた。見たこともないような、まるで絵本の世界にでも来たような美しい景色だ。
そこから視線を前に戻す。
男の銀色の髪が夕日を浴びて紅く染まっている。ピアスやタトゥーが目立って気付かなかったが、綺麗な人だ。シミもクスミもない白い肌、切れ長の、金色の瞳は爬虫類を思わせるような縦に割れた瞳孔がある。
まるで蛇のようだ。
「歩けるよね?うちはすぐそこだから、疲れてるだろうけどもう少し頑張って」
男は丘の下に見える小さな家を指差した。どうやら私はあそこに招かれるらしい。
黙ったまま、私は男の後をついて歩いた。死んでしまったせいか、自分が知らない人に従うことも他人事のように受け入れられた。それは恐らく、これ以上死ぬこともないし、身の危険を案じる必要もなくなったからだろうと、自分のことを客観的に予想した。
家に着くまでの道のりは予想外に楽しいものだった。特に言葉を交わすわけでもないが、見たこともない花や虫が目の前を通り過ぎる度に、男は一方的に説明してくれた。
あの木は所々に穴が空いていて、幹の内部に花が咲く。その蜜を吸う小さな虫や鳥だけがその中に入り、花粉を運んで実を成す。幹の中で熟した果実は小さな鳥や動物の餌になり、種を運んでもらう。幹の中が空洞になっているため、コップや笛、桶などの材料にされるらしい。
ロイヤルブルーの蝶のような虫は、頭の他に腹にまで眼があり、前部で8個。ふわふわとしか飛べないため、外敵をいち早く見つけるための進化だそうだ。その視野は360度、死角はないので近付くのは難しいが、敵意のないものを見分けることも出来るそうで、攻撃の意思さえなければ大きな動物にも近付いて守ってもらう。実際、歩いている私の頭にとまって休んでいる。一見しただけでは頭に蝶モチーフのアクセサリーがついているようにしか見えない。
あれこれ説明を聞きながら家に着くまでの約1㎞半をゆっくりと歩いた。男は終始穏やかな表情で、反応を返さずについてくる私を満足げに見ていた。
「どうぞ。ああ、靴は履いたままで大丈夫」
「お邪魔します」
家は白壁のお洒落な家で、木製のドアを開けてもらい中に入ると、そこはダイニングキッチンになっていた。カウンターキッチンと、円形のテーブルに2つの椅子。立派な食器棚と奥に階段がある以外には殆どものがない、スッキリとした部屋だった。
「座って。お茶を淹れるから」
指し示されたカウンターの椅子に腰掛けると、男は食器棚からティーポットとカップを取り出し、鍋に火をかけ始めた。そこにコンロはなく、鍋を乗せた金網の下に真っ黒な石があり、男がそれに手を翳すと石が赤くなり熱を発し始めた。そこに科学的なものは感じられず、まるで魔法のようだとぼんやり眺めていた。
「甘いのは好き?最近買った甘い茶葉があるんだ」
甘いものは好きだ。素直に頷くと、男はにっこりと笑ってティーポットに赤い茶葉を入れた。
「名前、サキって呼んでもいい?」
鍋から目を離さず、男が訊いた。何故私の名前を知っているかとは疑問に思ったが、ここが天国と考えれば大したことではないような気もして、ただ頷くだけに留めた。
「……貴方の名前、なんですか?」
声がつっかえるような声でやっと言葉を発した私に、男はお湯をティーポットに注ぎながら私をちらりと見た。
「ヘビと、呼んでくれればいいよ」
お洒落な模様の可愛らしいカップに注がれた、紅茶と変わらない色のお茶を私に差し出した。温かくなったカップを受け取り、すんと甘い香りを楽しむ。口に含むと砂糖とは違った、蜂蜜が混ぜてあるような優しい甘味が口に広がった。自覚出来ていなかったが疲れていたらしい私の体が温まるのを感じる。
「美味しい」
「それは良かった」
カウンターに肘をつき、同じお茶を飲みながら男が外見に合わない優しげな笑みを浮かべる。
そこでやっと、私は自分の行く先が気になった。
「私はこれから、どうなるんですか?」
私の問いに、男は薄い笑みを浮かべて答えた。
「ここで、俺の仕事の手伝いをしてもらうよ。」
ここというと、この家でといえことだろうか。確かに、もっとテーブルと椅子を増やせばカフェにもなりそうなインテリアだが、それにしてはものが少ない。
「何のお仕事をしているんですか?」
男はくすりと笑って、また答えた。
「俺はここで、ヒトではないものたちの話を聞く、『聞き屋』という仕事をしてるんだよ」
これが、私とヘビさんの出会いだった。