殺らねば。/noblesse oblige!
軍曹は周りを見渡し、ため息を隠した。
態度で士気が左右される。
士官よりも、下士官こそが兵に感じられている。
将官は魅せる。
士官は見せる。
下士官は立つ。
互いは互いに対等ではない。
仲間でも戦友でもない。
同じ人間ですらない。
個々人が死んでも、いっこうに構わない。
いやむしろ、積極的に死ぬべきだ。
繕っても意味がない。
隠しとおす強さをこそ、兵は求めている。
個々人の代わりは幾らでもあるが、堕ちた偶像は決して戻らない。
故にこそ、砲煙弾雨の中を伏せざるべし。
幻想を維持する為に死ね。
それを、古典的な虚栄、などという輩には戦場は一生縁がない。
来られても困るが。
一生安全な後方で、判ったふりで身を飾り、分を知る人々を嘲ればいい。
ついでにまもってやるのだから。
数十の死者。
濃厚な血肉の香りは、濃厚な臭いへ。
数百の負傷者。
彼らがあげる濃密な悲鳴と苦鳴は、呻きに替わりつつある。
放っておいても死ぬだろう。
春風にのる音と匂い。
それは期待された役割を終え、無用の長物に過ぎない。
使い終わった、あとは
――――――――――始末するだけだ。
異世界転移後、国際連合の命令で殺害された人々。
異世界人類、人類類似種族だけで百万のオーダーには達しているだろう。
直接的に手を下された者、だけをとっても、だ。
もちろん、その事実は誰にでも調べられる。
日本列島居住者ならば、誰にでも。
ただし可能と実行の間には、無限の距離があるけれど。
視界の外で起きたこと。
起きなかったこと。
そこに差があるのかどうか?
「誰もいない森で木が倒れたら音はするのか?」
それを考えるのは、著名な哲学の命題。
読む者がいない小説は、果たして存在しているのかどうか。
聴く者がいない悲鳴は、果たして存在しているのかどうか。
考える者がいない事実は、
――――――――――――――――――――果たして存在しているのかどうか。
それを考えるのは、暇つぶしにはなるだろう。
Dr.ライアンなら喜ぶかもしれない。
軍曹には必要がなかった。
必要なのは為すべきこと。
殺せば残る、その残骸。
推理小説でも実際の事件でも、関係者が一番頭を悩ませるところだ。
産業廃棄物ですら、社会問題化する。
アイドルのCDすら不法投棄されるくらいなのだから、人間サイズの廃棄物。
その処理コストはいかばかりか。
実のところ個人的な範囲であれば、大した問題ではない。
だが、戦争規模であれば、大変な問題となる。
本来、その後処理は軍曹の役割ではない。
いや、国連軍兵士、いや、地球人の役割ですらない。
もともと異種生物、でありながら近縁種との接触が危険。
だからこそ、地球人類は異世界転移後、自分たちを隔離している。
取り分け、体液、つまり血液に代表されるそれはリスクが高い。
エルフ、ドワーフ、獣人、人獣に異世界人。
ゆえに地球人の死体は地球人が、異世界人の死体は異世界人が取り扱う。
むしろ地球人が取り扱ってはならない。
一歩間違えればWHO案件だ。
それはつまり熟練の医師団により、適切な措置をとられるということ。
そこに治療的な意味合いはない。
比較サンプルの一つとして採取され、焼却か浸蝕消毒。
国際連合に所属する兵士が取るべき正しい態度は?
放置。
数時間から半日以内に死亡するであろう100名あまり。
数日以内に死亡するであろう残り全部。
痛み。
絶望すれば死ねるのに、なかなかそうはいかない。
そのように殺したからだが。
軍曹が。
異世界人に任せるということはできるだろう。
数日後も生きていれば。
異世界人。
この都市の住民。
彼等は忙しい。
ここで死んでいっている連中に、近しい貧民街や下層民。
彼等は居住地域に篭り分散し、一生懸命怯えている。
軍曹がそうしたからだが。
そのまま怯えてほしい。
また集まり始めたら、今度こそトマト祭りだ。
無関係なほかの住民もろともに。
ではその、無関係な住民たちは。
富裕層を中心とした中間層とその家族。
ざっと五千人余り。
彼等は彼らで忙しい。
彼等の為の都市秩序、それを回復する為に活動中。
街区の閉鎖と掃討作戦。
しらみつぶしにするために、人数の大半を使っている。
そしてなにより広場の防備。
彼等の氏族、その非戦闘員だけでなく外来の厄介者。
UNESCO部隊を守らなければならない。
誰が傷つけられるのか、という話ではある。
誰かが傷つけようとすれば、皆がもろとも皆殺し。
その辺りは察してくれている。
仮に広場が襲われたら、非戦闘員よりもUNESCO要員を守ろうとするだろう。
むしろ、UNESCO部隊への道を塞ぐ盾として、あえて集められているようだ。
使い道のない子供などを中心に柵で囲い、UNESCO周りに配置。
掃討作戦を支援するための炊き出しなど、他の非戦闘員の配置も合わせて、ぐるっと取り囲んでいる。
「ちょっと、ここまで殺しにきて」
とは頼みにくい。
しばらく後に来るらしい、軍曹たち、いや帝国貴族令嬢のお出迎え。
彼等も少数に絞って、短時間の作戦を想定している。
万一の備えこそしているだろうが、頼むわけにはいかない。
だから軍曹が、WHOの人道主義を目にする覚悟を決めないとならない。
もちろん成算はある。
UNESCOは最初から異世界住民との接触を前提とした組織。
なにもない通常任務の範囲でも、だ。
除染処理と隔離措置が、通常任務のプロセスに組み込まれている。
だからこそ、異世界接触制限のハードルが低い。
もともとUNESCO部隊関係者の居住地は国連軍とは隔離されている。
そしてもちろん、WHOによる常駐監視が国連軍の三倍。
定期不定期の健康診断は自白剤投与が日常でもあるし、全要員が兵舎の集団生活ではなく三人部屋の個室配置。三人は不定期交代とされ、相互監視が期待、いや命令されている。
いっそ帝国軍捕虜より厳重な取り扱いと言っていい。
今回の近接戦闘も、特別な除染対応を必要とはしないだろう。
いつも行われている、除染と隔離で十分だ。
だからといって、余計なリスクを増やすこと、それ自体が軍規違反なのは変わらない。
だからこそ、軍曹に成算アリ。
軍事参謀委員会は 彼を見守っている。
だから、今回の馬鹿騒ぎを見ていた連中、いや、女佐官。
そいつが最後まで見たがっているはずだ。
軍曹は上空を通過していく偵察ユニットを見た。
中指を突き立てる。
ミラー大尉なら、苦笑するだろう。
オペレーターには顰蹙を買うだろう。
だが、軍曹の知ったことではない。
これ以上先延ばしにするわけにはいかない。
――――――――――やらねば――――――――――
だから軍曹は踏み出した。
石畳を沈めた、血肉の汚泥。
軍靴が踏みしめる、在るべきモノへ。
帝国貴族令嬢は傍らの重傷者に剣を突き立てると、少女に屈み込んだ。
軍曹は三十数回目の刺突を終えて、令嬢と少女へ歩み寄る。
「何をしている」
「そなたに敬意を」
そっと、少女の瞼をとじた。
帝国貴族令嬢の傍らには、メイドが二人。
軍曹が撃った少女ほど幼くはない。
が、軍曹から見れば子供だ。
異世界基準では大人ではある。
軍曹は互いの感覚が違うと、知っている、だけ。
同じ言葉を使っているように感じるが、概念が一致しない。
異世界転移前の地球でも問題になっていたが、それは今でも変わらない。
いや、変わらずに存在はするが、ややマシになっていたというべきか。
異世界、というくくりのおかげで、違う、という前提を受け入れることができている。
全体数の一割程度でしかない先進国の常識を自明のこととして、残りの九割の自尊心を踏みにじってきた頃よりは。
異文化を否定するのは文明に対する冒涜である。
と非難する。
イスラム法で9歳から婚姻を認めているのは児童虐待である。
と非難する。
それが同じ人間の頭の中で共存しているのであれば、精神分裂症は普遍的疾患であるらしい。
正常の一側面というべきか。
精神疾患が一般化する時代より千年は遅れている、異世界。
そのメイド二名。
虐殺現場、現在進行形に、おっかなびっくり進んでくる。
スカートをクリップ状のモノで止めて、負傷者を跳び越えやすいようにしている。
だが令嬢を庇う位置をキープ。
慣れないからこそ、たいしたものだ。
そう、軍曹は思う。
令嬢付きの執事や、館の警備役。
こちらは手慣れたもの。
単なる虐殺ならば、何度か経験しているだろう。
政変、飢饉、恐慌。
政治体制、経済体制、農業技術が完成途上。
歪みを解消し、社会的不満を吐き出させる暴動。
何年かおきの恒例行事。
転移前の現代地球。
銃乱射による虐殺は、合衆国の年中行事。
通り魔殺人は未遂を含め、日本ではよくある。
東南アジアならきっかけ一つで華僑が襲われる。
無差別テロなど場所を問わない日常の一部。
異世界をまたいでさえ、何処でも大して変わらない。
行事には定型化したこととして、鎮圧にともない数百人規模の虐殺が起きることも含まれる。
トマト祭りに至らない、この程度の惨状は、まさに、この程度、扱いだ。
警備役は散乱した重傷者たちを確認。
目視して、踏み蹴って、時に手槍で突く。
抵抗する力を残した者はいないか?
重傷者を装った者はいないか?
そしてもちろん、令嬢とメイドの足場を確保するため。
呻きのたうつ重傷者を、蹴り飛ばし槍で引っ掛け、道を空ける。
突くならついでに、とどめを刺してほしいところ。
だが、それは軍曹にも求められないとわかる。
護衛である彼らは、任務を果たすために武器を確保すべきだからだ。
人体を深く刺せば、抜くのに手間と時間がかかる。
刃先に脂が着けば、刺し味が落ちる。
いつでも武器を取りまわせるように。
可能な最大の殺傷力を維持する為に。
判っていても、護衛は軍曹には協力しない。
軍曹にしてからが、令嬢確保が最優先。
任務外行動と任務放棄はイコールではない。
執事は抜き身の剣を下げ、不足の事態に備える構え。
執事というのは、もっとも身近な護衛役。
執事の役割は均一ではない。
ある程度の基本技能に加えて、ある種の傾向。
令嬢に残された、たった一人の執事。
彼は護衛寄りらしい。
そしてDr.ライアンは、ゼロ距離で令嬢を興味深く観察。
二人を挟む形で伍長と二等兵が全周警戒。
これなら、弓の狙い討ちや投石にも対抗出来る。
外周を警備役の槍手が隔離。
直近にはメイド二人が盾になる。
銃が遠近問わない制圧圏を作る。
最後の楯は、執事の剣。
その陣形中央、最優先保全対象と最重要保護対象。
両方守られているからこそ、館から出ることを許したのだが。
なお、優先順位は令嬢が上。
UNESCOにとっては資料をこそ至上とする。
Dr.ライアン?
UNESCO要員が資料確保の為にリスクを背負うのは当然。
偵察部隊が索敵データを、部隊生還より優先させることと同じだ。
だか、許しはしたが、軍曹には令嬢の意図が判らない。
なぜ、館の一室から出たいのか。
通りの危険はゼロに近いとはいえ、快適な環境とは言いがたい。
死と苦痛が満ち満ちて、石畳を覆う血肉が血泥となって垂れている。
人という種族が、一番忌み嫌い不快に感じるであろうソレ。
同族の恐怖。
では。
なぜ?
単に閉じこめられた環境に嫌気がさした。
単に周りの状況が判らない屋内に不安が嵩じた。
単に迎えと早く合流したいから通りで待つことにした。
――――――――――その程度かと、考えたのだが。
わざわざ、通りの中央まで出てくるとは。




