「その5、許嫁の少女」
さて、はたしているのだろうか。
いない確立のほうが高い。
三つに別れている校舎のうち屋上に上がれるのは一番でかい中央の本校舎だけだ。最終下校時刻間際なので校舎内に生徒の姿はない。さすがに、窓から襲撃者がくることもないだろう。
屋上に上がってきた俺は辺りを見回す。
沈みかけている太陽が真っ赤に輝き、周囲を紅色に染め上げている。
驚くことに目当ての人物はそこにいた。
布を巻いた長物を背負う少女。虚空千咲は夕暮れの街並みをフェンス越しに眺めている。俺に気付いてはいないようだ。
「確認しておくけど、約束はしてなかったよな」
そう声をかけると虚空がゆっくりと振り向いた。
「あ、来て……くれたのか……」
その瞳は潤んで見える。
「……はぁ」
ため息をつきながら俺はフェンスに寄りかった。
「なんで泣いてんだ、夕暮れが目に染みたのかよ」
「え、あ、違うんだこれは、泣いているのではないのだ。め、目薬だ!目薬を刺したばかりなんだ!」
慌てて目元を擦る虚空。ならその目薬を今すぐ見せてみろよ、なんて事はさすがに言えない。
「来ておいてなんだけどな、来る確立は高くなかったぞ」
「ははっ、そのようだな」
俺のぶっきらぼうな振るまいに虚空は苦笑いで返してくる。
「今の様子をみてもあまり乗り気ではないのはわかる。けど君は来てくれた。私はそれが凄く嬉しい、ありがとう」
「……そうかよ」
素直な反応にどうも調子が狂う。
最近寄ってくる奴らはわりとふてぶてしいのばかりだったからだろう。
「それで説明してくれるんだろ、自称許婚の虚空さん」
「ああ!解説させてもらうさ、自称ではなく私と君がまぎれもない許婚であるその理由をな!」
その豪語出来る自信はどこからくるんだ。だがとにかく聞くだけ聞いてみよう。 それが桜田との約束でもあるし、命の恩人へ俺が返せる精一杯の配慮であるのだから。
「話はまず江戸時代末期に遡る」
「はーい、ストッープ!」
自信満々に語りだす虚空にすかさずタンマをかける。
「なぜ止める!?」
「遡る意味が分からない。お前はなにを説明しようしているんだ?」
「だから私と君の間柄をだな、分かりやすく解説しようとしているのだ」
「……分かりやすく説明しようとすると……江戸時代の末期に話が飛ぶのか?」
「ああ、そうとも」
まだ一口目だというのにもうお腹いっぱいだ。しかし、しかしだ。
「……止めて悪かったな、続きを頼む」
とりあえず最後まで聞こう。とりあえずだ。
「うむ。江戸時代末期、国の行く末を決める内戦が行われているさ中の話だ」
明治政府と江戸幕府が繰り広げた内戦。
幕府に仕えていた虚空の一族もその戦争に参加したのだという。
虚空家。別名、刀使いの一族。
その血族に連なる者は人ならざる身体能力を持ち、握られた刀は妖気を纏う。
役職は御庭番。将軍直属の隠密集団であり、忍者のモチーフであるとも虚空千咲は語ってくれた。歴史上は監査管にあたると推測されているが、虚空家の文献によると、その能力をいかし高度な諜報活動や暗殺を主な生業としていたらしい。
「そして虚空家の他にもう一つ、人ならざる力を持った血筋があった、それが時乃家だ」
「時乃家か聞いたことないな。虚空家ってのも歴史の教科書で見たことないぞ」
そんな前衛的な名前が授業中に出てきたら覚えていると思うが。
「言っただろ、我ら一族はいうなれば忍びの者、表だっての活動はしてないのだ。名を売らず影から尽くし、幕府の威厳を高めることがお役目だったと聞いている。言うなれば良いように使われていたということだ。こう言うと他の者は怒るがね」
夜が近づいてきたせいか段々と冷たい風が吹くようになってきた。
虚空が強風に靡きそうになる髪を押さえる。その仕草はどこか悲しげに見える。
いや気のせいかな。
「そして我らと違い時乃の一族は幕府に仕えていなかった。彼らは最後まで使命を全うした誇り高き者達だったからな」
「使命ってなんだ?」
「人間と古来より争いあってきた伝説とも幻とも呼ばれる獣を、人に仇名す宿敵を滅すること。妖獣狩りだ」
朝に俺を襲った霧を纏った化物のことを虚空がそう呼んでいた気がする。
「まあ、実際に襲われた君に説明は不要かな?」
意地悪そうに虚空が俺の帽子のツバをピンと弾く。
帽子……そうか、これ被っていたら分かるか。
「気付いていたんだな。朝、襲われていいたのが俺だって」
「まあね。帽子もそうだが、それがなくても気付いていた自信はあるぞ。だてに君の許婚を宣言する者ではない」
「そうかよ」
顔を隠すのはまったくの無駄だった訳だ。こいつは最初から俺目的だったのだからな。
「そういえば、君を襲ったあれはどこか様子がおかしかったな」
「……そうなのか?」
「うむ」
あのときの化物を思い出しているのか虚空が怪訝な表情になる。
「私が今までみた妖獣とは明らかに雰囲気が違うように感じた。刀使いの力で倒せはしたが、そうまるで全く別の存在のような」
「あーあー、その話、今はいい!」
よけいな複線を張られてはたまらない。
「それで?まだ許婚である理由が出てこないんだが?」
もう日が沈む直前。五分もせずに暗くなるだろう。
「そうだな、話を戻そう」
虚空家が持つ人外の能力は、古来より妖獣を滅する為にのみ使うことの許される聖なる力なのだそうだ。
しかしその驚異的な戦力に目をつけた幕府が江戸時代中期に虚空家を力ずくで取り込んだ。文献によると脅迫まがいの事を突き付けられたらしい。超人的な能力を持っていようと彼らも所詮は人、当時圧倒的な政治力を持った幕府に逆らうことは出来なかったのだろう。
「もちろん幕府は同じく異能力を持った時乃家も取り込もうとした」
「さっきの口ぶりからすると時乃家は幕府に取り込まれなかったと」
「そうだ。自分たちの力はあくまで邪を滅する為にのみ行使されるものだと拒んだのだ。結果、謀反者という烙印を押され弾圧された。当時本家と分家合わせて100人程いた時乃家はその弾圧で20人程に数を減らされたらしい」
「なるほどな、誇り高きだがそれゆえ不遇な一族だったって訳だ……」
歴史の裏事情に聞き入りそうになるが、ちょっとまて。
「だから、許婚の話はどこにいったんだよ!」
「君もなかなかせっかちだな。まだ時代背景の説明が終わったところだというのに。これからだ。これから私と君がどれほど運命的な間柄かを証明するのだ!」
「……そうかよ」
辺りはもうすっかりと暗くなっているし最終下校時刻なんてとっくに過ぎている。
だがそんな事は気にもせず虚空千咲は俺達の持つ運命について熱弁を続けるのだった。
その言葉に耳を傾けつつ俺は思う。
虚空千咲が言うように俺と彼女が本当に運命的な間柄であればあるだけ。
言い逃れられない程に証明されればされるだけ。
やはり関わらなければよかったと。