宝石と桜
とあるお金持ちのお屋敷に、それはそれは立派なダイヤモンドのネックレスがありました。それは何十年も昔に、かつてのお屋敷の主人が奥さんに贈ってあげた物でした。
そのあまりの美しさに誰もが「素晴らしい」、「これ程美しい物は見た事がない」と感嘆の声を上げました。
その後もダイヤは子供達に受け継がれ、何代にも渡って大事にされてきました。
するといつの頃からか、ダイヤには精霊が宿るようになりました。人間達にはその姿を見る事が出来ませんでしたが、さらさらとした銀の髪の、とても美しい青年の姿をしていました。
彼はこれまでずっと褒め称えられてきただけあって、自分がとても美しい存在である事を知っていました。それどころか、きっと世界で最も美しいのは自分だという自覚さえありました。
ダイヤは屋敷の中で大事に大事にされてきた為、外の世界を知りません。本当は屋敷の庭くらいまでなら本体を離れて出歩く事も可能でしたが、特に必要が無かったので本体を離れる事はほとんどありませんでした。
そんなある日の事。
現在のダイヤの持ち主の若旦那が、ダイヤを見つめながらため息をついていました。彼は今、恋人へのプロポーズの言葉を考えているのです。
このお屋敷には、当主が自分のお嫁さんに家宝であるダイヤのネックレスを贈るという風習がありました。
けれども若旦那とその恋人は、まだ婚約にすら至っていないのです。
頭を抱えて悩んでいた若旦那は、気分をすっきりさせようと締め切っていたカーテンと窓を開けました。
暖かく柔らかな春の風が、ダイヤの硬い表面を撫でるように通り抜けていきます。と、その時、薄桃色の小さな物が一枚、ダイヤの上にふわりと舞い降りました。
ダイヤはこのような物を初めて見ました。
これは一体何だろうかと不思議に思い、ダイヤは本体を離れて窓から外へと出ました。
庭には色々な木が植えてありましたが、その中でも特に目を引く一本の大きな木。
人の髪のように垂れた枝には沢山の薄桃色の物をたたえていますが、風が吹く度にそれらはハラハラと落ちていきます。そしてその下には、花びらと同じ色の流れるような長い髪の少女が立っていました。
精霊の勘でしょうか、彼女が人間でない事は何となくわかりました。
彼は少女の近くまで行くと、彼女に声を掛け、そして問いました。
「俺はダイヤモンドという宝石の精だ。お前は一体何者だ?」
「わたくしは桜という植物の精です。どうやらわたくしの花びらが一枚、あなたの元へお邪魔してしまったようですね……」
そう言いながら、少女は自身の花びらを受け止めるように手の平を上に向けました。しかし少女は実体の無い精霊でしたから、花びらは彼女の手をすり抜けてひらひらと地面に落ちていきました。
お屋敷の中にも小さな植木鉢がいくつかありますから、ダイヤとて植物という存在は知っています。しかしそれらは常に青々とした葉が茂っており、花が咲きません。その為このようなハラハラと落ちゆく花びらの様を、彼は初めて目にしたのでした。
「お前の一部がどんどん落ちていっているが、大丈夫なのか?」
「それが桜というものですから。わたくしは春のたった数日しか咲き誇る事が出来ません。けれどもそれこそがわたくしの存在意義であり、その瞬間の為だけにわたくしはこのお屋敷の庭に植えられたのです」
「一年の内のわずか数日の為だけに、人間達はお前の世話をしていると言うのか?」
ダイヤは不変の美を持つ存在ですから、それを人々が手に入れたいと思う事は不思議ではないでしょう。しかし刹那の美しさしか持たぬ桜のような存在にわざわざ手間暇を掛けるなど、彼には到底理解出来ない事なのでした。
そしてそれは少女も同感なようで、彼女は頷きながら呟きました。「わたくしも永久に光り輝く事の出来る宝石のあなたが羨ましい」、と。
「お前の一部が全て落ちてしまったら、精霊であるお前はどうなる?」
「また一年眠りにつきます。そして次の春、開花と共に目覚めるのです」
「そうか……。ならばお前が再び眠りにつくまでの間、俺と話をしないか?明日またここに来ても良いだろうか?」
ダイヤは初めて出会った自分と同じ精霊である彼女に興味を持ったのでした。それに何故でしょうか、この薄桃色の花々をもっと見ていたい、そんな欲求に駆られたのでした。
少女はふんわりとした微笑を浮かべると、「勿論です」と頷きました。
それから次の日もその次の日も、彼は桜の木の下で彼女と語り合いました。
ダイヤは屋敷の中の事を、桜は屋敷の外の事を。
自分の知らない世界を知る事は、お互い大変興味深い物でありました。
しかし彼は硬い鉱物なだけあって、とてもつっけんどんな性格をしていました。おまけに自分が最も美しいと思っている分、非常に高慢ちきであり、会話の端々にもその性格が見え隠れしていました。
そんな彼の態度を少女はこれっぽっちも気にする事なく、常に優しくほほ笑みながら彼の話を聞いていました。
春の風のように柔らかく暖かい彼女のとなりは、何とも言えない居心地の良さを感じました。
けれどもそうしている間にも、彼女の花びらはとめどなく散りゆきます。
そして今日が恐らく彼女と過ごす最後の日となるでしょう。
次の春まで彼女に会えなくなる。そう思うと、実体が無いはずなのに彼の胸は締め付けられるように苦しくなりました。
この苦しみの正体は一体何なのか。初めての感覚にダイヤは戸惑うばかりでしたが、自分が彼女との別れを拒んでいる事だけは確かでした。
実体のない彼等はこれまで誰かに触れた事などありませんでしたが、精霊同士でならば触れ合う事が出来ます。
ダイヤはまるで少女を手放すまいとするかのように、彼女の手を両手で包み込むように握りました。ひんやりとしたダイヤの手とは違い、彼女の手からは陽に照らされた木の幹のようにじんわりとした温かさを感じられました。
「俺はお前と離れたくない。もっとお前と話をしていたい……!」
「ありがとう。でもそれは叶わぬ事なのです……。けれどもし、次の春までわたくしを待っていて下さるならば、またこの場所でお会いしましょう。その時はわたくしが眠っていた間の事、沢山お話しして下さいね……」
彼女が言い終えた丁度その時、春特有の強い風が吹き、彼女の枝にかろうじて残っていた花を全て攫っていってしまいました。そしてそれと同時に、彼女の姿も掻き消えました。
彼の手の中にあった彼女のぬくもりは、もうありません。
それからしばらくして。
日差しがだんだんと強くなり、彼女の枝には葉が茂っていきました。
さらに暑い時期になってくると、たびたび非常に激しい雨と風がやって来ては彼女の葉を容赦無くむしり取り、細めで弱い枝をバキバキと折っていきました。
雨と風が過ぎ去った後の彼女の姿はとても痛々しくて無残なものでした。
しかし鉱物であるダイヤは自力で動く事が出来ません。それに加えて、精霊である彼は彼女の本体に触れる事すら叶わないのです。
彼は彼女が傷ついていくのをただただ見ている事しか出来ませんでした。
それからさらに月日が経ち、じりじりと周囲を焦げ付かせるような日差しも徐々に和らいでいき、空気がひんやりとしてきました。それに呼応するように彼女の葉もハラハラと落ちていきました。
ダイヤは彼女が不調なのではないかと心配しましたが、庭の他の木々も同様に葉を散らしていたので、どうやら植物にとっては普通の事のようです。彼はほっと胸を撫で下ろしました。
それにしても、風に吹かれる度に葉がハラハラと落ちるその様は、まるであの時の彼女の花びらのようです。
目を閉じれば満開だった頃の彼女の姿を鮮明に思い描けます。
気づけば彼も人間達と同じように、たった数日しか咲かぬ花を一年かけて待っているのでした。
また、彼女の姿を思い浮かべるうちに、いつしか彼はこう思うようになりました。
花の寿命は短いからこそ尊いのだと。
儚く散るからこそ、何よりも力強く咲き誇る事が出来るのだと。
それが生きるという美しさなのだと。
そしてそれは永遠に近い時を存在し続ける生命無きダイヤには、決して得られぬものなのでした。
彼は初めて自分よりも美しいと思える存在に出会ったのでした。
さらに月日は流れ、彼女の葉は全て落ち、枝が剥き出しの状態になりました。
するとある日、どんよりとした空から白くてふわふわとしたものが降ってきました。それは下から見るとまるで彼女の花びらのようでしたが、地面に着くと水へと変化していきました。しかし白い物は降り続けていくうちに水に変わる事がなくなり、やがて地面を覆っていきました。その様はまるで純白のカーペットを敷き詰めているかのようでした。
それは寒々とした姿の彼女の上にも例外なく降り積もり、そして彼女の枝にのしかかりました。
時折みしりみしりと枝が軋みましたが、物言わぬ彼女はじっとそれに耐えています。
彼女の枝を見上げながら、彼は「頑張れ、もう少しだぞ」と励まし続けました。
そしてついに。
草木は元気を取り戻し、鳥達が喜びの歌を歌う季節がやって来ました。
お屋敷の中では、正式に当主となった青年が、お嫁さんの首にダイヤのネックレスを掛けてあげています。
そしてお屋敷の庭に生えた大きな枝垂桜の下では。
やっと迎えた逢瀬の時に、銀髪の青年は思わず桜色の髪の少女を抱きしめました。
愛しい女性を前に、二人の青年は同じ言葉を紡ぎます。
「この時をずっと待っていた。愛してる」




