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目標評定 2

 流陽は倉庫の天井に空いた穴からさす天然のスポットライトに照らされながら、立ち止まっている。ショックを浮かべた蒼白な顔で、機械の狭間に立ち尽くしていた。

 ショックを受けるのも仕方がないだろう。中は驚くほど冷え冷えとしている。彼女が期待するような暖房類は一切ないし、金属製の機械類が熱を吸うのだ。悟庸も寝床の壁に穴があけば、新聞紙で塞ぐ程度のことはするが、それ以上の修理は諦めていた。


 結局の所、ここは廃墟なのだ。


「……寂しくなったわね」


 流陽は細い声と、白い息を吐き出した。


「俺の寝床に何を期待しているんだ」

「宇宙船がなくなってるじゃない。あれ、好きだったのに」


 宇宙船?

 ああ、彼女が前に来たときには、まだサターンVスカイラブの十分の一レプリカが鎮座していたのだろう。それも、しばらく前に、欲しがっていた物好きに二束三文で売り渡してしまった。


「調子はどうなの?」


 流陽は廃資材倉庫内に転がるがらくたの一つのフォークリフトの化石に寄りかかった。


「固体燃料は苦労がつきない。誘導制御は話にならないレベルの上、燃焼コントロールなんてできないも同然だ。頭のもげたウシでロデオでもやっている気分になる」


 悟庸はそこまで言って、ロケット工学の技術的たわごとを封じこめた。人を退屈させるのはよくないと、学んでいた。流陽ならたいそう真面目に聞いてくれるだろうが、かといって彼女にべらべら喋るのは甘えだ。


「大変そうね」

「見た目ほどじゃない」


 悟庸は低い声で言った。

 悟庸は食費、光熱費、遊興費、すべてをカットしてロケットに投資しているが、肝心のリターンがなかった。


「……それに、大変なのが俺だけってことはないだろ?」

「まあね」


 誰もが苦しんでいる。悟庸の近しい知り合いみんなが苦しんでいた。

 悟庸はニュースを見ないが、家の修繕に使う古新聞から時勢を読んでいた。


 そして、流陽の経済状況も、悟庸のそれと似たり寄ったりのはずだ。いや、悟庸のそれよりずっと悲惨な可能性すらある。

 流陽が属するのは、地質学部。その名を聞くだけで、胸が苦しくなるような絶滅危惧種だ。収入なんてほとんど期待できないだろう。


 だとしても、彼女は苦しんでいる素振りを見せない。苦しんですらいないのだろう。どれほど理不尽な境遇も、彼女にとってはクリアを待つ挑戦のようなものだろう。

 そんな彼女の、生きながら死んでいるような、大半の同年代と比べて、どれほど光り輝いていることか。

 当世流行の、一流ネット・キュレイターやアルファ・ブロガー、SNSタイクーンも、彼女の前でかすむようだ。まるで、よく磨かれた人造ダイヤモンドが、決してオリジナルの原石に隠された魅力に敵わないかのように。


 寒さに震えながら、幸せそうな顔を浮かべている、そんな彼女がどうしようもなく愛おしくなる。

 その細い体を抱きしめたくなる。


 ダメだ。

 流陽がやったように、自分も彼女の胸に飛び込んでいけたらどれほど素敵なものだろう。


 だが、自分にその資格はないのだ。

 目の前に報償の肉をぶら下げられた犬のような本能を、理性で、内側に棘のついた首輪をつけ、それを力の限りひきしぼって、自分を抑えなければならない。


 さあ、言うべきことを言わねば。彼女のために。


「……」


 言わなければならない。だが、言葉を作るのは難しかった。言葉を作るのは考えることだ。

 考えるごとに、負のインスピレーションが湧いてくる。苦しみの螺旋構造のようなものだ。

 だが無言でいても何も進まない。言わねば。

 悟庸が苦渋の表情を浮かべたまま、唇を動かす。だが、言葉が出てこない。言語機能のレスポンスが反応しない。何かがつかえているかのようだ。


 その間に、また機は逃げていってしまう。


 流陽は、悟庸の家の惨状からショックを受けていたにせよ、次のプランを考え、それを実行すべく行動を始める。

 流陽が子供のように眼を輝かせた。


「ねえ、悟庸。なかなか大変なご時世だけど、クリスマスが来たわくわくで帳消しじゃない?」

「……興味ない」


 悟庸は地面のひび割れたアスファルトを見つめて、ぼそっと答えた。


「またそういうこと言う。クリスマスよ。恋人同士が、その恋愛指数を飛躍させる契機なのよ。クリスマスは数ある行事やお祭りの中でも、特にビッグなイベントに感じるじゃない。雪が私を感傷的にしてくれるからかしら?」

「寒いの嫌いだろ」

「あるいは、イルミネーションが煌めきのおかげかしらね?」

「冷静に考えろ。ただの電球の集まりだ」

「あと、クリスマスの元ネタもドラマチックじゃない。教会に愛し合うことを禁じられた二人のキリスト教徒のために、トナカイが連なって橋を作ったおかげで、愛し合う二人は一年に一度だけ出会うことができるようになったとさ。これほど、感動的なエピソードを持った行事が他にある?」


 問われて悟庸は首を捻った。

 クリスマスに、そんな設定あったのだろうか? 悟庸は、クリスマスのバックストーリーまでは把握していなかった。


 クリスマスの素晴らしさを、浮かれた口調で喋りながら、流陽のテンションが上がっていくのが分かる。演技には見えない。恐らくは、喋りながら自己暗示をかけている。

 彼女ほどの人間がここまでクリスマスにハマるとは、驚きだ。

 こんな大変な時世に、行事にエネルギーを投じるだなんて。悟庸の方は、余裕がなくなれば行事なんてものは真っ先に切り捨ててしまうというのに。男よりも、女の方が、幻想を追うことに熱心になりやすい傾向があるということなのだろうか?


 いや、流陽は望むときに現実的になれるし、その逆にもなれる。

 彼女は、彼女なりの分析の結果、クリスマスにハマることに決定したのだ。


「あと、忘れちゃいけないのがサンタさんよね。サンタさんが無償でプレゼントしてくれるからかもしれないわね。サンタさん以外の知らない人間にプレゼント貰っても気味悪いだけだけど、サンタさんからなら、話は別よ。それに、プレゼントのチョイスもセンスあるし。クリスマスの主役と言えばサンタさんよね。あと半日待てば来てくれる。待ちきれないわ」

「本気で言ってるのか?」

「私は、いつも本気よ」

「サンタさんなんて実在しないだろ」


 悟庸は戸惑った声で言った。流陽は純真な顔つきで首を振った。


「するに決まってるじゃない。私も子供の頃は、サンタさんなんていないと信じてたけど、今は完全に信じているわ。サンタさんは、ちゃんと科学的に証明された存在よ」




 サンタさんは来るものらしい。ノルウェーからはるばる、八頭立てのトナカイにひかれた橇で空を飛んでやってくる。

 煙突から住居に侵入して、暖炉に吊られた靴下に素敵なプレゼントを残していく。行きがけの駄賃に、キッチンに置いてあるビスケットを食べていくこともある。

 近年、煙突なんて備えている家は希である。というのも、消防法で一般住居に煙突を設けることは禁じられているからだ。

 それでも、サンタさんは何らかの手段で家に侵入して、プレゼントを残していくものらしい。




「事前予約もなしで、皆にプレゼントくれるのよ。慈恵の権化としか言いようがないじゃない」


 流陽が言う。


 慈恵か。

 クリスマスをちょっと深く見てみれば、その正体も見えてしまうというのに。所詮は、権力者であった教会が用意した、統治の道具でしかない。

 パンとサーカスで民衆の気を逸らして、爆発するのを防ぐための安全弁だ。

 そう考えると、慈恵とは正反対のものを感じてしまう。


「サンタさんねえ……」


 悟庸は舌の上で転がすように言う。

 気に入らねえな。そう思った。

 サンタさんと聞くと胸が悪くなのを感じる。

 なぜなのだろう。赤い服を来ている太った白人老年男性に特別な嫌悪感を感じる理由もない。

 だが、なぜか嫌いなのだ。


 結局のところ、自分にはクリスマスが合わないのだろう。そういう結論に至る。

 どうして、流陽はクリスマスに、自分が感じているようなマイナスのフィーリングは感じないのだろうか。それが疑問に思えてくる。


「流陽、俺たちはキリスト教徒じゃない。それがクリスマスを祝うって、そもそもおかしいだろ?」

「無神論者のためのクリスマスというのがあるそうよ。宗教色をなくすために、フェスティバスと呼ばれてるとか」

「わけわからん」


 悟庸は顔をしかめる。


「うちの国のクリスマスは、ミサもなければ、聖体礼儀もない。ただの低俗なバカ騒ぎだ。宗教を無視して、娯楽としてのみ普及させたせいで、本来の神聖さを冒涜している」

「考え過ぎよ」


 流陽は軽い口調でこたえた。

 流陽はクリスマスの光の部分を見ていて、自分は影の部分のみを見ている。悟庸は実感した。

 とはいえ、自分はこれほど、どっぷりと影に浸って生きているのだ。

 自分にとって、光は眩しすぎた。


「とにかく、こんな紛い物の行事、ムリして楽しむってのはーー」

「悟庸、クリスマスは手段よ。目的をクリアするための道具でしかないわ」


 流陽は悟庸を遮って言い切る。

 悟庸は心に衝撃を感じた。流陽はこともなげに言い切るが、自分に言える類の台詞ではなかった。


 本当に強い人だ。

 これほどの、歴史長いビッグイベントを、彼女は道具として使いこなす気なのだ。そして、彼女なら使いこなして、最大限の収穫を手にするだろう。

 それに比べて自分は……人々が楽しんでいるのを妬んで、耳を塞いで押入に閉じこもっている子供のようなものだ。


 格が違いすぎる。


「大丈夫よ、心配しないで。別に悟庸にクリスマスが好きになってくれなくても、問題ないから。悟庸が一緒にいるだけで私、ハッピーなの」


 前向きに、たたみかけるような姿勢で流陽は続ける。


「こういう劇的な舞台を待っていたのよ。重みがあるイベントだわ。長く待ってたけど、今夜ね……私たち二人っきりのクリスマス」


 そんな彼女の姿を見て、悟庸はふっきれた。格の違いを痛感したことで、心が軽くなった。


 このまま彼女のペースに乗せられてしまう。それに、乗っていくのはたやすかった。あまりに容易かった。あらがいがたい誘惑ですらあった。


 だが、不当に所有することは、やめにしたい。

 自分が彼女に及ばないことは、最初から知っていた。流陽と自分の関係を、あるべき状態に戻さねば。

 自分には、冷たい煉獄こそがふさわしいのだ。


「流陽」


 言葉にする。

 してみると、あっけないほど短かった。


「別れよう」


 その言葉が口から発せられた。

 彼女を直視できないのではない。風が目にしみるだけだ。

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