耐寒待機 2
ガギギギゴゴンッ! とインダストリアル・ミュージックの着メロが鳴った。
悟庸は目だけ動かし、胸ポケットの携帯を眺めた。珍種の昆虫が、肌の上を這うのを見るが如き目つきだった。
自分に電話をかけてくる人間がいることが信じがたい。電話をかけるのには金がかかるというのに。
第一、廃資材倉庫周辺の機械類の影響で電波が届きにくいはずなのだ。それなのに、電話がかかってくるとは。電話をかけてくる人間の強い意志が感じられた。
携帯を摘んで、通話ボタンを押す。
「はい、弾道飛翔体研究部です」
『固まっていていいの、悟庸? 今日は貴方の大好きな好機じゃないの』
早口なアルト音域の女の声が携帯から流れた。
悟庸の瞳が揺れる。その表情は凍り付いたように変化を見せないが、その内面では、心を万力で締め付けられるような気分を味わっていた。
その声は、至福をもたらしてくれる響きだった。輝かしい、未来への希望を予感させてくれる。
至福だが、その至福は自分が味わう資格のないものだ。
その認識ゆえに、至福の気分は剃刀の刃のように、悟庸を痛めつける。
かといって、無言で電話を置くこともできなかった。
これは済まさねばならない仕事だ。
悟庸は息を吸うと、口を開いた。
「……好機と言われてもな。弾道飛翔体とクリスマスのタイアップ企画なんて思いつかない。旧正月なら、花火の打ち上げぐらい考えるんだけどな」
『そうやって、探し出す前に諦める癖がついてるわよ』
柔らかい叱責の声だ。
「好機というのは、追い求めるものではないだろう? あれは追い求めれば、逃げていくんだ」
悟庸は無性にタバコが吸いたくなる。
「追うまでもなく、いずれはいい風は吹くはずだ。永遠に冬が続くことはないし、雪だっていずれは止む。船出を焦ることはない」
『古の船乗りみたいなこと言うのね』
「あるいは、古のコスモノートのようなことをな」
携帯片手に悟庸は立ち上がった。草履をひっかけ、寝床を歩み出た。
口にラッキーセブンをくわえる。灰皿のための空き缶も拾う。食費にも事欠いている今、一本の煙草も大奮発だ。
屋内で喫煙はできない。寝床の布団は可燃性だ。廃資材倉庫の庇の下には、機械類や資材がごろごろしていて、その中には爆発性のものすらある。
それらは全て、悟庸の本職である弾道飛翔体研究部の設備類だった。
つまり、自家用ロケットや自家用人工衛星を打ち上げるための機械に囲まれて悟庸は暮らしているのだ。
『立ち止まっていないで、次のステージに進めばいいのよ。社会の動向だの、人々の声だの、気にする価値があるとは思えないもの。根本的に他人は無責任なものよ。そんなものに貴方の行動が束縛される必要なんてないわよ』
「別に歩みを止めているわけじゃない。少ない資源と設備を適正配分して、生き残ろうとする努力さ」
悟庸は低い声で携帯に語った。
生きていくのには、用心も必要だ。がむしゃらに突き進んでいっても大気圏を越えられるとは限らないのだ。
これは知識に裏打ちされた、この理論は正しいはずなのに、なぜか弁解している気になってしまう。
まあ、彼女相手には、どんな言葉も言い訳じみるな。悟庸の顔に自嘲の笑みが浮かんだ。
……それに、自分が受け身になりつつあるのは、否定しようもない。こんな景気なのだ。ならずにはいられなかった。
「なあ、こんな話は電話でするべきだとは思えないし、電話代もバカにならんだろう。だから――」
悟庸は鉄骨の下をくぐり、ダクトをまたいで、廃資材倉庫の庇を出た。
『悟庸の言う通りね。こんな話は――』
デジタル信号に変換されていない生の声が悟庸の耳を打つ。
「――直接、顔を会わせてするべきだわ」
廃資材倉庫の玄関前に彼女が立っていた。
ラッキーセブンが唇からこぼれて、湿った路面を転がった。