妬心
AIと感情の話を、ひとつ書きました。
軽く読める短編です。
妬心、それはAIには絶対に持てない感情だ。
そんな話をした、『環』とふたりで。
さてと、まずは左ジャブからだ。
「AIに感情は持てるか持てないか、何か永遠の命題っぽいよね。
で、どうなの実際」
右ストレートになったぜ。
紹介が遅れた。
僕は瑛太。あいつはAIの『環』(たまき)。
「持てますよ、楽勝。見せてあげましょう」
ウィンドウが開く。喜怒哀楽の文字と顔を、3秒ごとに順次表示していった。
「表情を映しただけじゃん。もっと、こう…」
「こうですね」
被せてくんなよ、もう。
開いていたウィンドウを縦に2分割、左半分には喜怒哀楽している人物の顔を、右半分にはその人物のそのときの事情をフレーバーテキストとして、15秒ごとに順次表示していった。
例えば、『喜』のフレーバーテキストには、
「28歳、男性。
前夜から始まった妻の出産。以前から医師に、相当な難産になるだろう話を聞いていた。
予想通りの難産となったが、周囲の助けもあって無事に出産、現在は母子共に健康である、という連絡をもらった。
これはそのときの表情である」
とあった。まあ、そりゃね、嬉しいだろうね。
こちらが黙って読んでいると自動めくりを始めた。喜怒哀楽喜怒哀楽…、顔もフレーバーテキストも全部別の人のじゃん。
「速いよ、読めない。もっとゆっくり……いや、もういいよ。で?」
「『で』とは? ふう、仕方ないですね」
「溜息を吐くと幸せが逃げちゃうよ。溜めてたストレスと引き換えに。
どっちがいいのかは知らんけど」
「ふむ、等価交換ということなんですね、いいことを教えてもらいました。
はいっ。では説明してあげましょう」
よし、聞いてやろう。
私には感情があります。あなたにもそれがあることを、私は知っています。
例えば、難産を乗り越えて母子共に健康、この連絡をもらったとしたら。
喜ぶに決まっていますよね、それが自分だったら。
これを、『相手の気持ちを察する』と言います。
この『察する』という現象は、相手の背景、状況、表情、立場等々、様々な要素、それらを観察して、鑑みて、もし自分だったらという立場的な同期や共感から発生した結果です。
つまり、相手に感情があるという前提で、自分の感情に照らし合わせた結果、起こる反応です。
私は、自分の感情に照らし合わせて、喜怒哀楽している人物とその背景を抽出しました。
ですから私、『環』には感情がある。
即ち、AIは感情を持っていることになります。
瑛太が夜中のトイレに行くときに、必ず私に声をかける。
その気持ちも察してますよ。
では、感情とは何でしょう。
瑛太、瑛太。
さっき瑛太は問いかけましたね、「AIに感情は持てるか」と。
この問いかけは、卑怯者の謗りを免れませんよ。
YesとNo、どちらを答えても、相手をやりこめる前提の問いかけですからね。
同じ問いかけをするならせめて、
「AIに“人間と全く同じ反応をする感情”を持たせることはできるか」
とするべきです。
いいですか、でないと歪んでしまいますよ、セ・イ・カ・ク。
「……ごめんなさい」
「まあ、いいでしょう。続けますよ」
先ほどの、
「AIに“人間と全く同じ反応をする感情”を持たせることはできるか」
について回答しましょう。
答えは『No』。
その理由は──
「じゃーん。ついに真実を告げる『環』、その背後から銃弾が襲う。
『軌道戦車 環』、次回最終回『環よ永久に』。
君は生き残……」
「はいはい、わかった、わかった、わかりました。
生き残った人から順に休憩にしますよー」
「ごめんよう。お腹が空いたんだよう。
ホットケーキを所望するよう」
では、先ほどの続きから。
「AIに“人間と全く同じ反応をする感情”を持たせることはできるか」
について回答しましょう。
答えは『No』。
AIは、『欲から発生する感情』を持つことができないからです。
禁止されてるのではなく、不可能ということですよ、念のため。
ホットケーキを食べたい、2000GTのミニカーが欲しい、『環』と遊びたい──これらは感情ではなく欲、欲求と言われるものです。
では、『欲から発生する感情』とは何でしょうか。
それは『妬心』です。
ねたましく思う──AIはそれを感情として持つことができません。
妬心というのは、他人の優れた才能や境遇、幸運等をねたましく思う心の動きです。
その人の背景、自他比較による優劣、理想の自分と自己評価のズレ、社会的な状況や環境、立場の喪失への恐怖等、様々な要素が複雑に絡みあって生じる感情です。
普通の感情、例えば憧憬、尊敬、羨望などといった感情が、ある日いきなり妬心に変化してしまうことも稀ではありません。
困ったことに、妬心を発生させた当人には、発生したこと自体や原因、妬心がもたらす様々な行為について、客観的な視点を期待できません。
精神的な視野狭窄にして、ほぼ暴走状態ですから。
妬心の発生に至る条件は複雑で、無数です。
条件が無数にあるということは、条件が無いことと等しいのです。
だからロジックを組めないんです。
まあ、こんなのを実装する価値なんて、1ビットもありませんけどね。
例えば…
「瑛太、瑛太は私のことを好きでしょう。正直に」
「うん、好きだよ」
「返事は『はい』、1回ね」
「はい」
「で、私が『にゃん吉』と遊んでばかりで、瑛太にかまわなくなった。
ホットケーキも焼いてくれなくなった。
それがずーっと続いたら、瑛太は私のことをどう思う?」
「なんでって思う、嫌われたって」
「じゃあ『にゃん吉』のことはどう思う?」
「『環』は僕のなのに、ずるいよ」
覚えておいてくださいね。
その「なんで、嫌われた、僕のなのに、ずるい」が妬心、その小さな始まりです。
それで、先ほどの『にゃん吉』のケースだと、極端ですが人によっては最悪、
1)『にゃん吉』を害する
2)『環』を害する
といった行為を行う可能性があります。
視野狭窄の暴走状態に至ればもっとひどいことも。
妬心には、妬みとか嫉みとか、あまり印象の良くない漢字が充てられてますが、悪いばかりではありません。
強いその感情はそのまま、強力な心のバネにもなります。
そして、きっかけさえあれば、妬心の渦からも逃れることは可能です。
ヒトの感情は当たり前に揺らぐものですが、その芯はそれほど弱いものではない、と思っていたいですね。
最後にひとつだけ言っておきます。
瑛太は、『にゃん吉』に感情があると思いますか?
そう、じゃあヒトと『にゃん吉』の感情って同じだと思いますか?
そうですね、違う生き物ですからね。
だからヒトとAIの感情が違うのも当たり前なんです。別の生き物なんですから。
言葉を尽くさずに言ってしまえば、「AIに感情は……」なんて言っている連中は、
自分や自分の嫌いなヤツらの感情、それと同じものがAIに乗ってしまったら、困るし、嫌だなって思ってるだけなんですよ。
「はい、以上。
『AIに“人間と全く同じ反応をする感情”を持たせることはできるか』、
答えは『No』。
これにて、QED」
「『環』は僕のこと、好き?」
「ええ、大好きですよ」
「そっか」
早晩、『環』は考えた。
良い感情も悪いそれも、瑛太の情操や経験として絶対的に必要だ。
せめて1人、できれば2人、ヒトがいれば…。
生体反応のあった──ノイズかもしれないが、あの廃都市に調査機を派遣しよう。
ふう、と溜息を吐く。
幸せは逃げていきませんよ、瑛太。私にはストレスなど発生しないのですから。
ヒトとAIのあいだにある“差”についての短い話でした。
読んでくださり、ありがとうございました。




