死ぬと1日だけ幽霊バイトができる世界
午前二時。
スマホの画面が、真っ暗な部屋でぼんやり光っていた。
通知。
メール。
差出人は見慣れないアドレスだった。
件名。
【採用通知】幽霊アルバイト
「……は?」
俺はベッドの上で起き上がる。
もう一度画面を見る。
確かにそう書いてある。
幽霊アルバイト
「なんだこれ」
迷惑メールかと思ったが、本文はやけに丁寧だった。
おめでとうございます。
この度は
幽霊アルバイト採用試験に合格されました。
あなたは本日 死亡予定者 の中から
適性が確認されたため、
死後一日限定アルバイト
に採用されました。
「……」
俺はしばらく画面を見ていた。
そして小さく笑う。
「新手の詐欺か?」
続きを読む。
勤務開始時刻
本日 午前3時
勤務内容
幽霊として現世業務を補助
報酬
100万円
「……100万?」
俺は眉をひそめる。
次の文章。
なお、アルバイト開始時刻と同時に
あなたは一度死亡します。
「は?」
声が出た。
ちょうどその時だった。
部屋の時計が
2:59
を示す。
「……」
俺はスマホを見る。
メール。
時計。
またメール。
その瞬間。
部屋の空気が
少しだけ
冷たくなった。
時計。
3:00
次の瞬間。
心臓が止まった。
本当に。
冗談みたいに。
音もなく。
意識がふっと遠くなる。
「……あ」
そして。
俺は天井を見ていた。
ベッドの上。
俺が寝ている。
目を閉じたまま。
動かない。
「……」
俺はゆっくり起き上がる。
しかし体は軽かった。
軽すぎる。
足が床についていない。
「……え?」
俺は浮いていた。
幽霊みたいに。
いや。
幽霊だった。
その瞬間。
スマホが震えた。
空中に浮かんでいるスマホ。
通知。
メール。
幽霊アルバイト運営局
勤務開始です。
俺はつぶやく。
「マジかよ……」
メールの続き。
あなたの業務は
現世の軽作業補助
です。
本日の担当:
コンビニ深夜シフト
「コンビニ?」
俺は笑う。
「幽霊が?」
メールは続く。
注意事項
幽霊アルバイトは
生者に認識されません。
そのため
・落ちた商品を戻す
・棚整理
・在庫補助
などの軽作業を担当します。
「……」
俺は浮かんだまま呟く。
「死んでまでバイトかよ」
メールはまだ続く。
なお、勤務終了は
午前3時(翌日)
その時点で
あなたは完全死亡します。
「……」
俺は天井を見た。
「一日だけか」
メールの最後。
報酬は
遺族へ振込
されます。
俺はベッドの上の自分を見る。
冷たくなった体。
動かない。
そして小さく笑う。
「……じゃあ」
空中で伸びをする。
「最後のバイトか」
その瞬間。
部屋のドアが開いた。
母親だった。
「……」
ベッドを見る。
「……え?」
母親の顔がゆっくり青くなる。
震える声。
「ちょっと……」
近づく。
体を揺する。
「起きて……」
反応しない。
「……ねえ」
声が崩れる。
「起きてよ」
俺は浮かんだまま見ていた。
何もできない。
触れない。
声も届かない。
母親は震えながら電話を取る。
「救急車……」
声が途切れる。
泣き声。
俺は呟く。
「……ごめん」
でも。
母親には聞こえない。
スマホが震えた。
メール。
幽霊アルバイト運営局
勤務開始が遅れています。
至急、現場へ向かってください。
俺は笑う。
「いや今それどころじゃ……」
次の文章。
遅刻は減給対象です。
「ブラック企業かよ」
俺はため息をつく。
窓を見る。
外は真っ暗だ。
でも。
もう体は浮いている。
移動もできる。
俺は最後に部屋を見る。
母親。
泣いている。
ベッド。
動かない俺。
「……」
小さく呟く。
「最後の給料」
そして。
窓をすり抜けた。
夜の空へ。
幽霊の体で。
コンビニへ向かった。
夜の街は、思っていたより静かだった。
いや。
静かなのは俺の耳のせいかもしれない。
幽霊になってから、音が少し遠い。
車のエンジン音も、人の足音も、どこか水の中みたいにぼやけて聞こえる。
俺は空中をふわふわ移動していた。
歩いているわけじゃない。
ただ進もうとすると、体が滑るように前へ動く。
最初は少し怖かったが、慣れてくると楽だ。
信号も関係ない。
壁も関係ない。
そして何より。
寒くない。
冬の夜なのに、体温の感覚がない。
「……幽霊便利だな」
思わずそう呟いた。
スマホが震える。
幽霊なのにスマホは持てる。
不思議だが、それがこのバイトの仕様らしい。
メール。
幽霊アルバイト運営局
勤務先までのルートを送信しました。
地図が表示される。
コンビニ。
家から歩いて十五分の場所。
「ここかよ」
俺は笑う。
よく利用していた店だ。
夜食のカップ麺を買ったり、ビールを買ったり。
まさか幽霊になって働くとは思わなかった。
数分後。
コンビニの前に到着する。
自動ドア。
もちろん開かない。
俺はそのまま通り抜ける。
店内はいつも通りだった。
蛍光灯の白い光。
レジの音。
棚に並んだ商品。
夜勤の店員が一人いる。
大学生くらいの男だ。
レジの奥でスマホをいじっている。
「……」
俺は店内を見回す。
そして気づく。
俺の他にも。
幽霊がいる。
棚の前。
レジの奥。
飲み物コーナー。
全部で五人。
いや。
正確には
五体。
「……おい」
突然声をかけられた。
振り向く。
スーツ姿の男。
しかし体は半透明。
ネクタイが少し斜めだ。
男は言った。
「新人か」
俺は頷く。
「たぶん」
男は小さく笑った。
「今日死んだな」
「……」
否定できない。
男は手を差し出す。
「佐伯」
俺も握る。
触れる。
「触れるんだ」
「幽霊同士はな」
佐伯は店内を指差す。
「ここ夜は幽霊バイトだらけだ」
「そんなに?」
「人間一人じゃ回らないからな」
俺は棚を見る。
カップ麺がきれいに並んでいる。
ペットボトルも整っている。
誰も触ってないはずなのに。
「……全部?」
佐伯が笑う。
「だいたい幽霊」
その時。
棚の奥から声。
「新人?」
出てきたのは
女子高生の幽霊だった。
制服姿。
ショートカット。
しかし顔色が妙に青い。
「三日前に死んだ」
彼女は普通に言った。
「トラック」
俺は何も言えない。
彼女は笑う。
「慣れるよ」
佐伯が言う。
「新人、仕事内容見せてやる」
俺は頷く。
佐伯は棚を指差す。
カップ麺。
一つが斜めになっている。
「ほら」
佐伯が手をかざす。
カップ麺が
スッと動く。
元の位置に戻る。
「……」
俺は驚く。
「ポルターガイスト?」
女子高生が笑う。
「それバイトの基本スキル」
佐伯が言う。
「人間は気づかない程度に動かす」
店員の大学生はレジであくびをしている。
何も気づいていない。
「落ちた商品も戻す」
佐伯は床を見る。
お菓子が一つ落ちている。
佐伯が手をかざす。
スッと浮いて
棚に戻る。
「……」
俺は思わず言う。
「便利だな」
女子高生が笑う。
「でしょ」
その時。
店員が棚を見る。
「……?」
カップ麺が少し動いたのを見たらしい。
しかしすぐ首を振る。
「気のせいか」
佐伯が言う。
「人間はそう思う」
俺は店内を見回す。
幽霊たちは普通に働いていた。
飲み物の補充。
棚整理。
掃除。
全部。
人間に見えない労働。
俺は呟く。
「……社会って」
女子高生が続ける。
「幽霊で回ってる」
その時。
店のドアが開く。
客。
酔ったサラリーマン。
フラフラ歩いている。
ビールを取る。
そして。
棚にぶつかる。
商品が落ちる。
ドサドサ。
「……あー」
男はそのままレジへ。
床にはお菓子が散乱。
佐伯が言う。
「新人」
俺を見る。
「仕事だ」
俺は床を見る。
商品。
散らばっている。
人間は拾わない。
でも。
幽霊なら。
俺は手をかざす。
少し集中する。
すると。
お菓子が
ふわり
浮く。
棚へ戻る。
女子高生が拍手する。
「センスある」
佐伯が言う。
「向いてるな」
俺は笑う。
「死んだ才能か」
その時。
スマホが震えた。
メール。
幽霊アルバイト運営局。
勤務状況を確認しました。
評価:良好
「監視してんのか」
メールの続き。
なお、幽霊アルバイトには
追加業務があります。
佐伯が顔をしかめた。
「来たか」
俺は聞く。
「何が?」
佐伯は小さく言う。
「本当の仕事」
メールの続き。
本日深夜
死亡予定者
の誘導業務をお願いします。
俺は眉をひそめる。
「誘導?」
女子高生が小さく言う。
「……新人」
「覚悟しといたほうがいい」
「何を?」
彼女は言った。
「死ぬ瞬間」
「見ることになるから」
店の蛍光灯が少しだけ
チカチカ
と揺れた。
店内の蛍光灯が、もう一度だけ小さく揺れた。
チカ。
チカ。
まるで、合図みたいだった。
俺はスマホの画面をもう一度見る。
本日深夜
死亡予定者の誘導業務をお願いします
対象者情報を送信します。
地図が表示された。
コンビニからすぐ。
徒歩二分。
信号のある交差点。
「……近いな」
佐伯が言う。
「だいたい近所だ」
女子高生が続ける。
「事故ってそんなもん」
俺は少し嫌な気分になった。
死ぬ人間を、事前に知る。
それも仕事。
それがこの世界らしい。
「どうやるんだ」
俺が聞くと、佐伯はあっさり言った。
「簡単だ」
「ちょっとだけ運命を押す」
俺は意味が分からない。
「押す?」
女子高生が説明する。
「幽霊ってさ」
「ちょっとだけ物を動かせるでしょ」
俺は頷く。
カップ麺も動いた。
お菓子も浮いた。
「つまり」
彼女は言う。
「事故も作れる」
俺は一瞬、言葉を失う。
「……それ」
佐伯が言う。
「もう決まってる事故だ」
「俺たちは流れを整えるだけ」
店の外で車が走る音がする。
遠くで信号が変わる。
夜の街は、普通に動いている。
でも。
そのどこかで。
人が死ぬ。
しかも。
予定通りに。
俺はスマホを見る。
対象者。
写真が表示された。
男。
三十代くらい。
スーツ姿。
会社員っぽい。
名前。
田中健一
現在位置。
コンビニに接近中。
「……来るのか」
佐伯が頷く。
「来る」
「ここでビール買う」
「帰り道で死ぬ」
女子高生が言う。
「だいたいそんな感じ」
俺は思わず言った。
「止められないのか」
二人は同時に笑った。
「無理」
佐伯が言う。
「システムだから」
その言葉が、妙に機械的だった。
その時。
自動ドアが開いた。
客。
スーツの男。
スマホを見ながら入ってくる。
画面と顔を見比べる。
同じ。
田中健一
本人だ。
男は冷蔵庫へ行く。
ビールを取る。
そして棚の前で止まる。
ポテトチップスを取ろうとして
落とす。
床に転がる。
「……あー」
男は面倒そうに見る。
でも拾わない。
そのままレジへ。
女子高生が俺を見る。
「新人」
「やる?」
俺は黙る。
床のポテトチップスを見る。
手をかざす。
浮く。
棚に戻る。
佐伯が笑う。
「いい感じ」
男は会計を終える。
ビール袋を持つ。
店を出る。
佐伯が言う。
「行くぞ」
俺たちは店を出る。
壁を抜けて。
夜の空気。
交差点は静かだった。
信号。
赤。
男は歩道で待つ。
スマホを見ている。
遠くから車が来る。
女子高生が小さく言う。
「今からちょっと押す」
俺は聞く。
「何を?」
彼女は指差す。
歩道の端。
空き缶。
転がっている。
誰かが捨てたやつ。
「あれ」
佐伯が言う。
「あれをちょっと」
彼は手をかざす。
空き缶が
コロッ
と転がる。
男の足元へ。
男は気づかない。
信号が青になる。
男は歩き出す。
空き缶を踏む。
「うわ」
バランスを崩す。
一歩、前に出る。
その瞬間。
車のライト。
クラクション。
ドン。
世界が止まる。
男の体が空中に浮く。
道路に落ちる。
静かになる。
女子高生が言う。
「終わり」
俺は動けない。
さっきまで生きていた男が
道路に横たわっている。
車の運転手が降りてくる。
「大丈夫ですか!」
叫ぶ。
でも。
もう遅い。
その時。
男の体から
白い影が出てきた。
もう一人の男。
半透明。
幽霊。
田中健一が
自分の死体を見ている。
「……え?」
男は混乱している。
俺は見ていられない。
女子高生が近づく。
「こんばんは」
男は驚く。
「誰?」
佐伯が言う。
「おめでとう」
「幽霊アルバイトへようこそ」
男は固まる。
「……は?」
スマホが震える。
俺のスマホ。
メール。
幽霊アルバイト運営局。
誘導業務完了
評価:優秀
俺は画面を見つめる。
メールは続く。
次の勤務から
あなたは
誘導担当
に昇格しました。
俺は思わず笑った。
「……昇格」
女子高生が肩をすくめる。
「この会社」
「人手不足だから」
佐伯が言う。
「いや」
「幽霊不足か」
遠くで救急車の音が聞こえる。
遅い。
全部終わってから来る。
俺は空を見上げる。
星は見えない。
街の光が強すぎる。
スマホがもう一度震える。
新着メール。
明日の死亡予定者
リストを送信します。
画面を開く。
名前が並ぶ。
十人。
二十人。
三十人。
その一番下。
見覚えのある名前。
俺は目を疑う。
そこに書いてあった。
海狼 ゆうき
死亡予定時刻
明日 21:14
俺はしばらく
画面を見ていた。
佐伯が後ろから覗く。
「どうした」
俺は言う。
「……次の客」
佐伯が聞く。
「誰だ」
俺は答える。
「俺」
沈黙。
女子高生が笑う。
「あるある」
佐伯も笑う。
「幽霊バイトの」
「定番オチだな」
俺は言う。
「止められる?」
佐伯は肩をすくめた。
「システムだから」
女子高生が続ける。
「でも」
「一つだけ方法あるよ」
俺は聞く。
「何」
彼女は言った。
「バイト休む」
俺は笑った。
「それ」
「可能なのか?」
二人は同時に言った。
「無理」
スマホがもう一度震える。
明日も出勤をお願いします。
俺はため息をつく。
夜の街は、静かだった。
でも。
その静けさの裏で。
明日もきっと。
誰かが死ぬ。
そして。
誰かが働く。
幽霊として。
俺みたいに。




