魔物に滅ぼされた村、リベリアー②◆
翌朝。
王国軍の紋章を携えた騎兵に、村人たちは歓声を上げた。
しかし、すぐにおかしいと気づく。
騎兵はその一人だけで、援軍と呼ぶには心もとない。
いぶかしむ村人たちに、伝令の兵は事務的に告げた。
「王都で事件があり、兵を寄こすことができなくなった。悪いが既に決まったことだ」
唖然とする村人たちを置いて、騎兵はさっさと帰ってしまった。
旅人は洗い終えた服に袖を通し、出発の支度を整えた。
今朝も庭に出ていたが、騎兵を見た瞬間ぴたりと鍛錬をやめ、それから口数も減った。
いや、元々少ないので、ほぼ喋らなくなったと言える。
「……魔物には気をつけろよ」
ディルが声をかけると、フードを被って静かに頷いた。
村人たちは今日、リベリア村を発つ。
移住に反対していた者たちも、援軍が来ないと分かれば黙るしかなかった。誰もが黙々と荷をまとめ、家具や家畜を荷馬車に積み込んでいく。
「旅人さん。本当にありがとう」
肩を支えられながら、マルシュが見送りに現れた。
「君がアリンタと同い年だと聞いて驚いた。時間が許せば、君の旅の話を聞いてみたかったが……残念だ」
マルシュは、かつて息子が駆け回っていた広場を見渡し、目を細める。
王都は広くて綺麗で、魔物もいない。住めば都だろう。
英雄は諦め混じりに言う。
その後ろに、アリンタの姿もあった。
「ごめんなさい……お礼が何もなくって。魔除けのスカーフを用意したんだけど、ママが旅の邪魔になるからやめなさいって……」
「いいね、そのスカーフ」
予想外の返答に、アリンタは口をぽかんと開ける。
「くれないの?」
旅人がそう続けると、手にした贈り物を勢いよく差し出した。
「も、もちろん! もっといる!?」
焦る様子に、マルシュが「一枚で十分だろう」と苦笑する。
「……本当に行くの? 一人で?」
「ついて来てくれるの?」
「い、いえ、そうじゃなくて……」
旅人は「残念」と笑い、スカーフを手首に巻いた。
そして、アリンタの背よりも高い杖を握り直す。
深色の木に精密な彫刻が施され、持ち主と同じ静かな威厳を湛えていた。
アリンタは、一緒に王都に行きましょう、と言いかけて口をつぐむ。
──その時、空気を裂くような金切り声が村に響いた。
誰かの悲鳴と同時に、旅人の防御魔法が発動する。
鳥型の魔物が結界にぶつかり、雄叫びを上げた。
「魔物だ!!」
誰かが叫んだ瞬間、村に破壊と恐怖が広がった。
透明な膜に次々と。
おびただしい数の魔物が張り付き、結界を壊そうと体当たりを繰り返す。
「子供が先だ!」
「馬に乗れ! 早く積み込め!」
悲鳴と怒号が重なり、どれが誰の声かも分からない。
阿鼻叫喚の村人が、広場に入り乱れた。
「マルシュはどこだ!?」
「誰か! 誰か荷車を押してくれ!」
子供が母を求めて泣く。
逃げ惑う人々が転倒し、体が地面に叩きつけられる。
「嘘、やだ……」
アリンタはその場にへたり込む。
駆け付けたディルに腕を引かれるが、腰が抜けて立ち上がれず、ディルはその体を抱えて馬車に押し込んだ。
気づけば旅人の姿はない。
マルシュは彼女が、いつの間にか民家の屋根に立ち、魔物と対峙している様子を視界に収めた。
魔物が羊小屋を引き裂き、家畜の血と毛が宙を舞う。
気づいた旅人が杖を向けると、魔物は雷に撃たれ息絶えた。
──早く行け。
旅人の口が、そう動いた。
「そんな、君は……!」
「あなた方が逃げ切ったのを確認したら、私はそのまま行く!」
旅人は声を張り、杖で屋根を一度突いた。
「《太陽の二輪車》」
赤い光が、辺り一帯を包み込む。
直後、魔物たちの体から一斉に血が噴き出した。
断末魔の大合唱が耳をつんざく。
獣の血の臭いが立ち込め、嘔吐しながらも必死に足を動かす村人がいる。
「俺は……女の、それも子供を犠牲に、逃げおおせた男になる日が来たか」
マルシュは首を振り、なかなか一歩を踏み出せない。
一人の村人が背を叩き、「とにかく行くぞ、お前まで死んじゃあ俺たちは……!」と涙ながらに言う。
ディルも駆け寄り、父に肩を貸した。
馬車の中は子供のすすり泣きと、神に祈る大人の声が入り混じる。
アリンタが最後に見たのは──魔物の吹く火で家が燃え、煤と火の粉と血がしぶき、至るところで爆ぜる閃光の中、孤独に立つ旅人の背中だった。
*
村人たちの列が、丘の向こうに消える。
旅人は干し草の屋根を滑り、魔物の屍の上に降り立った。
家も宿屋も教会も畑も、見るも無残に荒れ果てた。
強烈な死臭に咳き込みながら、滅びた村を後にする。
旅人は手首のスカーフをほどき、魔法で火をつけ手を離す。
燃え上がる布を見つめる眼差しは、穏やかで慈愛に満ちていた。
*
アリンタは泣き続けた。
隣を歩くディルは慰めの言葉を探すが、結局ひとつも口にできなかった。
荷車を引く村人たちの足取りは重い。
あれだけの魔物を相手に、無事でいられるはずがない。
生き延びた安心感は、罪悪感で塗り潰された。
いつもなら村人たちを励ますマルシュが黙っているので、それはなおさらだった。
やがて先頭の村人が、向かってくる数頭の馬に気づいた。
騎兵は集団の前で止まると、「リベリア村がどこか分かるか?」と周囲を見回す。
「支援の知らせを受けたのだ。道を案内してくれ」
アリンタは兵を見上げ、声を震わせた。
「もう遅いわよ! もう、リベリア村は……!」
彼女の剣幕に、兵士は剣の柄を握る。
そっと、マルシュが割り込んだ。
「申し訳ありません、兵士どの。この子も動揺しておりまして」
騎兵は、憔悴しきった村人たちと、連なる荷馬車を見て理解した。
彼らがリベリア村の住人なのだ。
「なんだ、無事だったか」
あっさりと言い、もう一人の騎兵からは「まったく。我々も忙しいというのに……」という小言が聞こえる。
「避難民の滞在は三日まで、延長は申請制だ。配給は中央第二商会の倉庫で受け取るように」
マルシュは「避難民?」と聞き返す。
リベリア村として、正式な移住申請はすでに出しているはずだ。
そう伝えると、兵士は面倒くさそうに頭をかいた。
「私は、この件は管轄外で分からんのだ」
騎兵は去り、残ったのは、村人たちの落胆のため息だった。
「本当に大丈夫かな……」
誰かが小さく呟いた。
アリンタはまだ、肩を震わせる。
ディルは気がついた。村人たちが案じているのは、これからの暮らしではなく、置き去りにした旅人の無事なのだ。
もし、自分が父のような剣士になっていたとして。
あの魔物共を食い止めることはできなかっただろう。
だが、父のような剣士になろうと精一杯の努力をしていれば。
これほどの後悔と罪悪感に、押し潰されることもなかったのだろう。
リベリア村の住人たちは、王都で新しい生活を始めた。
ディルは農作業の傍ら、父に剣を学び。
アリンタは魔法学校へ通う金を貯めるため、街の宿屋に住み込みで働いた。
王都は決して理想郷ではなく、魔物より厄介だと思える人間もたくさんいた。
彼らが辛い時に思い出すのは、あの旅人の背中である。
移り住んで間もなく、『王都の噂』は村人たちの耳にも入った。
もしかして、と誰もが思った。
しかし確証はない。
突然現れた名もなき旅人が、村人の命を救った。
背が高く、大きな杖を持った、陽の光のように美しい金髪の女魔導士だった。
光の魔導士の情報には多額の報奨金が懸けられていたが、リベリア村の元住人は誰一人として、あの旅人について語ろうとはしなかった。
『魔物に滅ぼされた村、リベリア』 fin
=魔法解説=
【ロストルシュテイマ】
その意味は『太陽の二輪車』。
太陽光があたる部分に、無数の傷を与えて切り刻む。
発動条件は単純で、対象が太陽光に晒されているだけでよい。
防ぐのもまた単純で、太陽光を遮ればよいが、知能のない魔物には有効である。




