魔物に滅ぼされた村、リベリアー①
庭を片づけていたアリンタは、その旅人を見て驚いた。
服はボロボロ、顔は傷だらけ。
美しいブロンドは、納屋に積まれた牧草のように絡まっている。
「あなたも魔物に襲われたのね!?」
アリンタは駆け寄って、女の身体を支えた。
旅人は「休める場所、ない……?」とかすれた声で言う。
「あ、あるわよ。宿屋だから、お金は頂きたいんだけど……」
「もちろん」
そう答えた直後、旅人の身体が崩れ落ちた。
「ええっ!? だ、誰か運ぶの手伝って!」
アリンタの声に、村人がぽつぽつと集まってくる。
今はそれどころじゃないが、アリンタが言うなら仕方ない、といった顔で。
そうして、旅人は宿へと運ばれた。
そこは王都の外れにある、野花の美しい小さな村。
古ぼけた宿屋の一室で、旅人はすぐに目を覚ました。
「あ、起きた!」
気づいたアリンタは、畳んだ服を置いて立ち上がる。
「ここがどこだか分かる?」
「……村に着いたところまでは覚えてる」
「もう、びっくりしたんだから」
アリンタはベッドに近づき、杖を手に取る。
旅人はとっさに「治癒魔法はかけないで」と言った。
「そう? 私、結構得意だけど」
アリンタは、渋々杖を置く。
旅人は自分の服装を見て眉をひそめた。
気を失っている間、アリンタが着替えさせたのだ。服があまりにも汚れていたので、そのまま寝かせるわけにはいかなかった。
初めは、とても女性的な顔立ちの男だと思った。
上を脱がせばすぐに予想が裏切られた。胸にきつく巻かれた布は、まるで自分の性別を隠しているようだった。
濡らした布で、旅人の身体を拭く。
こびりついた血が溶け、布はすぐに茶色く染まった。
「アリンター! 鍋はどれを持ってくんだー?」
階下から呼ぶ声がした。
アリンタは「あとで私が選ぶから、置いといて!」と叫び返す。
ほどなく、ドカドカと階段を上がる足音と共に、青年が扉を開けた。
「ディル……女の子の部屋に勝手に入らないで」
「うわ、ごめん。てかお客さん?」
「この人も魔物の被害者よ」
「それは災難だったな」
ディルはドア枠にもたれ、「旅人さんも運がないね」と苦笑する。
「俺たちはもうすぐ、この村を捨てるんだ」
アリンタが「ちょっと……」と苦い顔をするが、ディルは構わず続ける。
「魔物がすぐそこまで迫ってるんだ」
「マルシュおじさんたちが討伐してくれるわ!」
「無理だって」
アリンタは、言い返すのも無駄だと悟って背を向けた。
黙々と、旅人に包帯を巻く。
「だから宿泊代は一泊分でいいよ、旅人さん」
そう言い残し、ディルは去った。
部屋には、シャキ、シャキと包帯を切る音だけが残る。
治療を終えたアリンタは、憂鬱な息を吐いた。
「まだ……何とかなるはずだわ」
「大変そうだね」
「ごめんなさいね。この宿も片づけてる最中で、食事も果物くらいしか出せないわ」
鍛えられた腹筋が、ぐぅ、と鳴った。
旅人はそれを咳払いで誤魔化す。
「力になりたいけど、私はずっとここにはいられない。心苦しいよ」
アリンタはくすりと笑い、肩をすくめる。
「こんなにボロボロの人に、魔物と戦えなんて言わないわ」
そして「マルシュおじさんなら大丈夫」と、自分に言い聞かせるように呟いた。
翌朝。
荷車に縄をかけていた村人が、「マルシュたちが戻ったぞ!」と叫んだ。
人々は仕事を放り出し、続々と広場に集まる。
「おじさんっ!」
「アリンタ……村は大丈夫だったか」
「おじさんこそ、その傷……!」
マルシュは支えられながら戻ってきた。
仲間の一人が「マルシュはやられちまったが、魔物の群れを川まで押し返したぞ!」と拳を握る。
「本当か!」
「それなら、王都からの援軍が間に合うかも……!」
沈んでいた村人の顔に、わずかな希望が戻る。
ディルは腕を組み、宿屋の庭で腕立てする旅人を見つめていた。
こいつが宿の金を盗まないよう見張っておく、というのは建前で、本音は広場の集団に顔を見せたくないだけだ。
「……行かなくていいのか」
何も言わず立っているディルがさすがに不気味だったのか、旅人が声をかける。
「あいつら諦めが悪いんだよ。俺はさっさと安全な王都に逃げたいんだ」
「一人で逃げるって手もある」
「はんっ。ずっと一人の旅人は、簡単に言うな」
旅人は「そうかもね」と一言、次は逆立ちを始める。
「……じっとしてたほうがいいんじゃないか?」
「日課なんだ」
「……お前、凄いな」
旅人は足を地に戻すと、おもむろに逆立ちのコツを語り出した。
ディルは、「いや、そうじゃなくてさ……」と言葉を濁す。
慌ただしい足音が近づいてきた。
切羽詰まった様子のアリンタが、「旅人さんっ! 治癒魔法使える!?」と声を張る。
頷いた旅人を、半ば引きずるように広場まで連れて行った。
中央では、先ほどまで歩いていたマルシュが横たわり、仲間が必死に名前を呼んでいる。
「傷が深すぎて、私の魔力じゃ……」
旅人は「これは大変だ」と膝をつき、淡い光で傷を包む。マルシュの顔からみるみる苦痛が消え、彼は自分に何が起きたのかをすぐに理解したようだった。
「……ありがとう」
「おじさん! よかった……っ」
「見ない顔だな」
「彼女は宿屋のお客さんよ」
「はは、こんな村にも、まだ……」
そして、緊張の糸が途切れたように目を閉じた。
その晩、村人たちは村長の家に集まった。
ついに村を離れるか。
それとも、王都からの援軍を信じて待つか。
何度も繰り返されてきた議論は、前日まで白熱し対立していた。
旅人は宿を抜け出し、村を見下ろす丘に座る。
闇夜の今日は、星がよく見える。
夜も火が灯る王都と違い、星空はやけに近く感じられる。
今にも振ってきそうだ。髪をなびかせながら、そんなことを思う。
「旅人さん、今日はありがとう」
梨を持ったアリンタが、その背中に声をかけた。
ひとつ差し出し、自分も隣に腰を下ろす。
「何を見てるの?」
「魔物はどの辺にいるのかと思って」
「まさか……私たちを助けてくれるの?」
旅人は梨をかじり、遠くを見たまま微笑んだ。
「この村を出た後のことを考えてた。魔物がいるなら迂回しないと」
アリンタははっとして、顔を赤くする。
「そっか、そうよね……ごめんなさい。勝手に期待しちゃった」
「いや。期待させる言い方だった」
アリンタは梨を手に、ぽつりぽつりと村の話を始めた。
リベリア村はかねてより、魔物の脅威に晒されてきた。
それでも昔は、良質な素材が獲れる狩り場として冒険者たちで賑わっていた。宿屋を営むアリンタの両親は、毎日毎日、それはもう忙しかったとあの頃を懐かしむ。
価値のある魔物が狩り尽くされて残ったのは、素材にもならない害獣か、冒険者ですら手を出せなかった凶悪な魔物だけ。
冒険者に頼ることに慣れ、剣を振ることを忘れた村人たちには、もはや手の打ちようがなくなった。
村唯一の剣士であるマルシュも歳には勝てず、後継ぎもいない。
村人たちは数ヶ月前に、村の放棄を決断した。
王国軍にも助けを求めたが、返事はない。
今回も魔物を食い止めはしたが、ほんの時間稼ぎにしかならないだろう。
「私、治癒魔法しか使えないの。炎とか雷とか、強い魔法が使えればよかったのに……」
アリンタは膝を抱える。
「それに治癒だって……今日は、何もできなかった」
「あの傷はしょうがない」
「……旅人さんって、いくつなの?」
旅人は少し考え、「十七だよ」と素直に答える。
アリンタは仰天し、梨が喉に詰まりかけて咳き込んだ。
「大丈夫?」
「お、同い年……!?」
「そうなんだ」
「全然、見えないんだけど……」
「よく言われる」
旅人は笑い、星降る夜空に梨の芯を放り投げた。
その頃ディルは、眠る父の傍らで静かにうなだれていた。
英雄の息子と囃し立てられたのは、幼い頃の遠い記憶だ。マルシュの妹の娘──ディルの従妹にあたるアリンタが魔法の才能を開花させると、村人たちは、ディルもいつかはと期待を寄せた。
だが、その願いが現実になることはなかった。
その日のリベリア村には、夜更けまで絶え間なく荷造りの音が響いていた。




