レッドサイレンスー⑬◆
「おばあちゃん。この小銭で買える分のリンゴをください」
「はいよ」
すたすたと店に入っていくエラに、「なんであんたは気にしないの!?」とイニェンは詰め寄った。
エラは「仕事中で……」と釈明する。
二階の窓が勢いよく閉まり、バタバタと階段の板を踏み鳴らしながら、ルースターが雪崩れるように飛び出してきた。
「おい、ねーちゃん、俺を覚えてるか?」
「覚えてるけど?」
「おう……そうか」
エラは「いま仕事中なんだ」とやや面倒そうに返す。
「あの時は悪かった。その……また会えて嬉しいよ」
「ええ。それじゃあ」
苦笑いするイニェンが「ちょっと待て」とエラの腕を掴む。
ルースターの脳内では、線と線が繋がり一枚の絵が完成した。
「ねーちゃん、アンプリファイドだったのか!」
「もう、レッドサイレンスは黙ってて! 関係ないでしょ!」
「関係大アリだ! 俺だって『マリの宿』に泊まった時──」
「あんたマリちゃんの宿に泊まってたの!?」
噛み合うようで噛み合わない会話が、路地の空気を混沌に染める。
そこへ、ピッチがメガホンを構えた。
「よく分からんが、我々は失礼するよ! ジャスミンを捜索中なんだ!」
勢い勇むピッチの隣で、エラは店員からリンゴの袋を受け取る。
「アンプリファイドだってね。いつもありがとうね、おまけしといたよ」
そう老婆が笑った通り、紙袋は想像よりもずっしりと重い。
ロブが「ジャスミンちゃんを捜索?」と不安げに尋ねた。ラビアが手短に状況を説明すると、イニェンたち三人は顔を見合わせ頷いた。
「私たちも手伝います」
「本当? 助かるよ!」
ピッチは頷き、向き直る。
「エラ。悪いがついて来てもらうよ。君への疑いはまだ晴れていない」
用は済んだとばかりに立ち去ろうとした彼女を、背後から捕らえるような声だった。
旅人は無言で振り返る。
さすがに仕事中だと無下にできる相手でもなく、返事の代わりにそっと息をついた。
「エラへの疑いって何よ」
いぶかしむイニェンに、ラビアはこそりと耳打ちする。
「はぁ!? エラがジャスミンを脅すなんて、あり得ないでしょう!」
「言い切れないから困ってんのよ」
「何のメリットがあるの!」
「私だって知らないわよ」
路地はふたたび騒々しさに包まれる。
品物を背に、リンゴの袋を左腕に抱えた旅人は、集団の視線を一身に浴びた。
──自分がジャスミンを脅し追い詰めたという疑念。
──この状況が収まらなければ、おつかいひとつもままならないのか。
エラの中で、何かが切れた。
探偵ごっこはおしまいだ。
「貸してみろ」
柔和な笑みで、ペイルブルーから髪飾りを取り上げる。
「《執着の指標》!」
まばゆい光が辺りを包み、灰緑色の髪がふわりと宙に浮いた。
髪飾りは羽根のように軽やかに舞い、次の瞬間、一直線に路地の向こうへ飛んでゆく。
エラは外套をひるがえし、その光を追って駆け出した。
ぽかんと口を開けたピッチは、すぐに我に返る。
「皆、エラに続け!」
響いた号令と共に、集団は石畳を蹴って走り出した。
髪飾りは路地を抜け、港町の通りへと躍り出る。
光の羽根は迷いなく海の方へ向かった。
エラの背負った品物たちはガチャガチャと音を立て、リンゴの紙袋は甘い香りを漂わせた。
傷がつかないだろうか──そんなことを考えながら走っていたエラは、ふと、後ろに誰もついてきていないことに気づく。
「速いわよ馬鹿ーーーッ!」
遠くでイニェンの声がする。
エラは苦笑し、その場にリンゴほどの大きさの火球を召喚した。
ところどころ目印を残しておけば、彼らが自分を見失うことはないだろう。
髪飾りの光は徐々に強くなった。
港の外れに近づくにつれ、潮に濡れた木材と錆びた鉄の臭いが混ざり合う。
そこは難破船の解体場。
役目を終えた巨体は静かに横たわり、吹きすさぶ風にさらされ朽ちている。
髪飾りは資材置き場を旋回し、ある人影の頭上でぴたりと止まった。
駆け寄ったエラは、血まみれで横たわるジャスミンにまだ息があるのを確かめた。治癒の魔法をかけようとした瞬間、宙に浮いた髪飾りからふっと光が失せ、板の上に音を立てて転がった。
執着の指標は対象が生きていなければ効果を発揮しない。つまり、彼女はたった今死んでしまったということだ。
エラの視界の端で動く影があった。
振り向けば武器を手にした三人組が、こちらを見ているのに気づく。
君たちがやったのか? そう尋ねれば、三人は口々に「その少女は知らない」「俺たちも今ここに来たばかりだ」と言う。
顔は初めて見たが、その声に聞き覚えがあった。背丈もほぼ同じだ。
「あんた洞窟の……?」
向こうも気が付いたのか、女が盛大に舌打ちする。そして、「ジャスミンの奴、助けを呼んでたのね。最初から私たちを騙す気だったんじゃない!」と答え合わせをしてくれた。
足元の物言わぬ証人は、虚ろな目で港の青空を見つめ続ける。
「エラ!」
遅れて足音が追いついた。
遺体に真っ先に気づいたピッチは、悲鳴にも近い声で彼女の名を呼び駆け寄る。
「誰か蘇生を……!」
次の瞬間、魔法の発動音が港の凍てつく空気を切り裂いた。
エルバとロブの防御魔法は順番に砕かれ、一番内側、エラの防御盾にぶつかり轟音を上げる。
「きゃあっ──」
よろめいたピッチをラビアがささえ、ペイルブルーが剣を抜いて前に出た。攻撃は周囲の廃材に跳ね返り、古びた船板や鉄骨がバラバラと崩れ落ちる。
三人組の姿を捉えたイニェンは、感情で喉を震わせた。
「アルゴン、マリアーナ、エンハルト……!」
マリアーナは腰に手をあて、「勢ぞろいじゃない、ほんと最悪」と吐き捨てた。
ペイルブルーは、「どういうことだ」と顔を歪める。
執着の指標と同様、慈愛の指標も対象の生存が条件だ。捜索時には確実にジャスミンは生きていたはずだ。しかしそこには無残な亡骸と、傍に立つ怪しい旅人、目の前には乙級クエストで失踪したはずの冒険者が。
「あれが洞窟にいた三人かも」
エラの一言に、周囲の空気が固まった。
イニェンは「……そういうことね」と小さく呟き剣を抜く。ロブは魔力で重厚な斧を召喚し、エルバは銃のグリップを握ったまま、深呼吸する。
マリアーナたちの攻撃が再開し、ペイルブルーは自身とピッチを守るように防御の膜を作った。
攻撃の合間を縫い、エルバが駆け出した。ロブとイニェンが囮となって気を引く間、ラビアの”気配を隠す魔法”の援護を受けながら三人の真横に回り込む。
「《落ちる凍星》」
エルバが構えたマスケットの銃口に、蒼白の魔法陣が浮かび上がる。
「待てっ……!」
ピッチは防御膜の中で叫んだ。
あの三人を殺してはいけない。
ジャスミン亡き今、事件の真相を知るのはエラとあの三人だけだ。ペイルブルーもそれに気づいて制止の声を上げるが、激しい衝撃音にかき消され、復讐に燃える冒険者たちの耳には届かない。
同時に、ざわざわと騒々しい集団が近づく気配がした。
こちらに駆けるたくましい馬の上では、これまた大柄な男が手綱を握っている。
トリガーにかけたエルバの指が、すんでのところで止まった。
ピッチが「副長!?」と叫んだのと、その男が呪文を唱えたのはほぼ同じタイミングだった。
アンプリファイドのサブマスター、シークは片手をゆっくりと掲げた。
「《偶像破壊》」
直後、空間がうねり、光も音もない衝撃波が船の墓場を覆い尽くす。
周囲の一切の魔法・魔術を封じるその術で、ロブの召喚した斧、エルバの魔道弾は同時に消滅し、マリアーナたち三人の手からも魔力が消え失せた。
馬と人の集団が、満ちる潮のようにマリアーナたちを取り囲む。
先頭の男が「中央憲兵隊だ!」と声を張った。
「貴様らを、クエスト横領および虚偽申告の容疑で拘束する!」
憲兵の靴が解体場の板を踏み、三人を大勢で囲い込む。
三人は必死に魔力を込めるが、両手は虚しく空を切るだけだ。
ジャスミンのそばに立つ、エラの灰緑色の髪が潮風になびいた。
カモメの群れの下で目を細め、騒動の終わりを感じ取る。
=魔法解説=
【アディクティム】
その意味は『執着の指標』。
物が持ち主の居場所まで飛んでいく。
発動条件は【ヴィンクルム】と同じだが、こちらは持ち主にも魔力がないと発動しない。
エラはこの魔法による追跡を恐れ、故郷の私物は旅立ち前にすべて処分した。
【グラシア】
その意味は『落ちる凍星』。
銃を触媒に発動する、氷系統の攻撃魔法の一種。
エルバがこの魔法を好む理由は「かっこいいから」。
同じ銃使いである輸送部のヴォルクに頼み込んで教えてもらった。
【アイコンクラズム】
その意味は『偶像破壊』。
自分と同等か、それ以下の魔力を持つ者の魔法を封じる。
もちろん自分も封じられる。
これを発動後、相手に魔法を使われた時の屈辱は計り知れない。魔導士としてのプライドをかけ、使用は勝利を確信した瞬間にのみとどめよう。




