レッドサイレンスー⑩
最初はクエストの横流しから始まった。
生真面目で純粋なジャスミンは、いつもマリアーナの言いなりだった。マリアーナと仲が良ければ冒険者たちから羨ましがられ、それだけがジャスミンの唯一のステータスだった。
ある日、中古の装備屋で杖を買ったジャスミンにマリアーナは言った。
「私、ダサい子苦手なの。もうちょっと見た目に気を遣ってくれる?」
上級冒険者のマリアーナはいつもブランド物の服を身にまとい、周囲の羨望の的だった。
私も、ああなりたい。
仲間外れにはなりたくない。
ジャスミンは身の丈に合わない高価な装備を買い漁り、やがて闇商人の店を出入りし借金を繰り返すようになっていた。
マリアーナが失踪したと聞いた時、心底ほっとした。
けれど、借りた金は返さねばならない。
そして残念なことに、ジャスミンの金銭感覚はとっくに狂っていた。もうそうする必要はないはずなのに、新作が出れば欲しくて欲しくて居ても立ってもいられない。手持ちのブランド品を売ることもできず、急に羽振りの良くなった娘を怪しむ両親をごまかしながら、返済に追われる日々が続く。失踪したはずの彼女と再会したのは、金貸しの店を出た一番最悪のタイミングであった。
「マ、マリアーナ!?」
「久しぶり。あんた、まだそんなことやってたのね」
彼女はとっくに気づいていたらしい。
冴えない冒険者のジャスミンが、ギルドの稼ぎだけでエリザベータ・ミューの靴など買えるはずがないということに。
「レッドサイレンスって知ってる? 私今そこにいるの」
「そ、そうなんだ」
「すっごく稼げるのよ。変な中抜きも無いし、元アンプリファイドってだけで待遇も良いの」
やはりマリアーナのような実力者は、どこで何をしても成功するのだ。少し、羨ましいと思った。
そんなジャスミンの胸中を見透かしたかのように、マリアーナは取引を持ちかけた。
「それって良くないんじゃ……」
話を聞き終えたジャスミンはうろたえる。
内容はこうだ。アンプリファイドでクエストを受注した後、代理でマリアーナたちが討伐し報酬を分け合う。依頼主への納品の場では、レッドサイレンスの宣伝をしてとにかく名前を売ってほしい。
「あんたいつも私にくっついてたから、今はどうせ一人なんでしょ? しょうもないクエストばっかじゃいつまでたっても借金地獄よ」
図星を指され、ジャスミンは返答に詰まる。
マリアーナはさらに提案した。もし言うことを聞いて上手く立ち回れたなら、ジャスミンを自分の友人としてレッドサイレンスに紹介してやってもいい。自分がマスターに掛け合い、借金返済の手助けもしてやろう、と。
ジャスミンの心が揺れる。
アンプリファイドよりも稼げるギルドで、またマリアーナの仲間になれる。借用書と小銭袋を握りしめる手が、じっとりと汗ばんだ。
翌日。果物屋の二階の一室にジャスミンは足を踏み入れる。
アルゴン、エンハルトもそこにいた。二人とも少々やつれているように見えたが、身なりは以前より上等だ。
「マリアーナから聞いた。まぁ、俺らにも色々あったんだよ。でも今が一番稼げてるし、やっぱアンプリファイドのやり方は古かったんだなって」
尊敬していた上級冒険者がそう言うのだから、これはきっと正しいことだ。ジャスミンは自分に言い聞かせ、再びマリアーナの手となり足となる日々が訪れた。
始めは上手くいっていた。
運よく魔物が弱っていた。偶然、素材が落ちていた。様々な言い訳を用意し、次々と高レベルのクエストを受けてはマリアーナたちに手渡していく。「ジャスミン、最近頑張っているわね」と上司に褒められた時は胸が痛んだが、繰り返すごとに罪悪感は薄れていった。
要求は次第にエスカレートする。
「依頼書ごとちょうだいよ。直接納品しに行けば、マージンも私たちのものよ」
「そんな、ギルドには何て言えば……」
「依頼書は失くしたことにしなさい。依頼主は素材さえ手に入ればいいんだし、低級クエストなんか消えても誰も気にしないわ」
──それは本当に犯罪だ。
さすがのジャスミンも渋ったが、これまでの悪行をギルドにばらすと脅されれば従うしかなかった。
収入はさらに増えた。
しかし、破綻は時間の問題だった。
「どうしようマリアーナ、依頼書を失くしすぎだって注意を受けちゃって……。しばらくは誰かとパーティを組まないと出撃できなくなっちゃった……」
「はぁ!?」
ある日、仮拠点を訪れたジャスミンは目に大粒の涙を浮かべた。
エンハルトは瞬時に考えを巡らせる。
「誰かと組まないとしょうがないな。できれば新人か非正規メンバーか、とにかく俺たちの顔を知らない人間がいい」
「なるほど。できる? ジャスミン」
新人。マリアーナたちの失踪後に加入したメンバーが、いるにはいる。
だが連れて行って大丈夫なのか。
「やるしかないわね」
「やる……って?」
「討伐事故に見せかけて始末しましょう。ちょうどいいから、あんたは責任取るフリしてアンプリファイドを辞めなさい。あんたのおかげで依頼者も増えてきたし、ここらが潮時ね」
ジャスミンは「始末……?」と呟き凍り付く。
あっさりと言うマリアーナに、それがいいなと頷く仲間たち。
その新人が魔導士だと聞けば好都合だと盛り上がった。杖から魔力を抜いて魔法を封じれば、マリアーナのような『魔法も使える武闘家』と違い、魔法が主体の魔導士なら接近戦には手も足も出まい。
話はジャスミンを置いて淡々と進む。
選択権は、もう無かった。
「アンプリファイドを辞めた後は、レッドサイレンスで良いポジションを用意してあげるから。そんで借金もチャラ。また一緒に頑張りましょ」
今のジャスミンには、マリアーナのその言葉だけが救いだった。
──それらが、ジャスミンがエラを貶めるに至ったあらましだった。
ただ一つの誤算があった。
一人の女魔導士に、三人がかりで挑んで返り討ちにあったことだ。
ジャスミンは言われた通り、杖を見せてほしいと適当な理由をつけてエラから杖を受け取り、中に埋め込まれた魔石にヒビを入れた。年季の入った安物の杖は、ジャスミンの魔力でも簡単に壊すことができた。さすがにばれるかと肝を冷やしたが、「見終わったら引っかけといて」と、エラはどうでもよさそうに背中のホルスターを指さした。
襲撃からあとは一瞬の出来事だった。
岩陰に息をひそめていた三人の、最初の一撃。マリアーナの魔法攻撃をかわしたエラは、自身の杖を躊躇なく投げつけアルゴンの目を潰した。そのまま彼の体を盾にエンハルトに詰め寄ると、剣をかわし顔面に拳を食らわせた。そして、ついでのようにアルゴンの腹にも膝を入れた。
男二人が気絶した光景を前に、マリアーナが「逃げなければ」と判断した頃には、脳味噌がひっくり返るような重い衝撃が頭に走っていた。
記憶はそこで途切れている。
「あんた、連れてくるのは魔導士だって言ってたじゃない!」
「違う、彼女は本当に……!」
「魔導士が杖をあんなに雑に扱うわけないでしょ」
三人の体にはまだ、あの魔導士に負わされた傷や打撃の痛みが残る。
「もういいや……それで、話っていうのはね。私たちレッドサイレンスをやめる事にしたから」
マリアーナはあっさりと言う。
解体場の真上では、朽ちたマストに群がるカモメが耳障りな声で鳴き続ける。
「やめるって、私をレッドサイレンスのメンバーにしてくれる約束は!?」
「そんなこと言ったって、こっちだって余裕ないのよ」
マリアーナは舌打ちし、魔導士に蹴られた顔をさする。
ジャスミンを利用し仕事は上手くいっていた。
だが――あの魔導士がこの街にいる限り、復讐に怯えながら暮らすことになる。そこまでしてレッドサイレンスにしがみつく理由もない。
自分たちの力を欲しがるギルドなど、他にいくらでもあるのだから。
「色々悪かったわね」
不穏な一言のあと、マリアーナは右手に魔力を込めた。次に起こることが予測できたジャスミンは防御の魔法を発動するが、炎の刃はあっさりと結界を突き破り、彼女の胸、腹をかすめて火の粉を散らした。
ごめんなさい、パパ、ママ。
アンプリファイドの皆。
そして、エラ。
遅すぎた謝罪の言葉が、声になることはない。




