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王都脱出ー⑤


 王都は光の魔法の話題で持ち切りだった。


 城下へ買い出しに出かけた王宮の使用人が、肉屋の主人にうっかり口を滑らせたが最後──噂は木枯らしに吹かれた落ち葉のように、瞬く間に街中を飛び回った。

 光の魔導士がワイトマリシア魔法学校の生徒であること、国王の元騎士長ギルバート・リントブルムの娘であること、王女エアリスと親密な仲であることなど、一瞬のうちに知れ渡る。


「光の魔法とはどんなものだろう?」

「息子の病気が治るかもしれないわ!」

「光の魔導士は鉄くずを金に変えて、我々に配ると言っているらしい」


 噂は立派な尾ひれをまとい、広大な城下町を席巻する。


 先日、帰宅したシルーシェは「論文が王女に見つかりました」と顔を青くした。


「何があった」


 シルーシェは、父ギルバートに事の顛末(てんまつ)を語る。

 研究室に置いていた論文を盗み見た王女エアリスが、光の魔法の完成を知りその威力を理解した。たまたま王宮を訪れていた第三王女ローゼスに、光の魔法を披露すると見栄を切ってしまった。国王が魔術評会の挙行を決め、シルーシェが指名された。


「これが破壊の魔法であることは、評会までは誰にも言わないよう、王女にはきつく口止めしましたが……」

「どのように? その約束は守られるか?」

「ええ。守らねば、私は騎士にはならないと言っておきました」

「女のお前は、騎士にはなれんだろう……?」

「王女の中ではなれるみたいです」


 シルーシェはさらりと言い、脱いだコートをソファに投げる。

 そのまま深く腰を下ろし、両手で頭を抱えた。


「ごめんなさい……迂闊(うかつ)でした」

「謝るな。それで、論文は」

「燃やしました。明日また研究室に行って、残りの資料も燃やします。もう手遅れだけど……」


 シルーシェは奥歯を噛みしめ、うつむいた。

 自身の二年間を灰にした瞬間、胸が締め付けられた。それでも悠長なことは言っていられない。


 シルーシェと両親が『逃亡』という結論に至ったのは、評会を三日後に控えた夜だった。

 国王が命じる魔術評会。

 その意味を、一番よく分かっていたのはギルバートだ。

 王命に応えられず期待を裏切った者を、王は容赦なく切り捨てる。

 過去に王室へ大きく貢献した大魔導士の娘であろうと、情状酌量の余地は無い。


 兄弟姉妹は書斎に集められ、父とシルーシェの口から真実が告げられる。


「破壊の魔法だ。魔物を消すなどという話ではない。人も獣も草木も大地も、すべて崩壊し海に沈む」


 ギルバートは家族の顔を見渡し、言葉を続ける。


「もしこの魔法が確立されれば、世界三大魔法の《幻影(エヌマ)》《額縁を抱え(シー・カルト・)た女神(ルーソリア)》《知恵の(フリーゲン・サ)界面(ジェッツァ)》と並び、世界()()魔法と呼び名を変えるだろう」


 カミーリアが、ぐっと唾を飲む。


「だが……これまでも、そうやって新しい魔法や魔術は生まれてきた。今では魔法陣の基礎とも言える《炎の災厄(フランフィリオ)》や《氷の災厄(グラスフィリオ)》でさえ、発明当時は一国を滅ぼしかねない凶悪な魔法だと恐れられたのだ。魔法が研究され尽くした現代でなお、新たな魔法を生み出したシルーシェを、我々魔導士は誇りに思わねばならない。それだけはお前たちにも分かってほしい」


 そこまで言うと、ギルバートは後をシルーシェに譲った。


「お父様の言った通り……もっと研究を進めれば、ワイトマリシアどころかエーデルニア王国までも、まだ見ぬ大陸さえも破壊できるかもしれない。正直、今すぐにでも試してみたい」


 アントニーが目を細めると、シルーシェは「冗談だよ」と静かに付け加える。


 この魔法を理解してしまった父と自分は、真実を墓場まで持って行かなければならない。

 評会の日、自分は大罪人になる。

 王女エアリスと王国を裏切り、光魔法の研究成果を独り占めして逃げた魔導士だ。


「逃げるって、どこへ。いつまで」


 オペラは黙っていられず声を上げる。


「そうだ、コーニーリアにいるおじさんのところでしょう。ほら、いつも杖をついてるおじさんがいたじゃない。小さい頃に遊んでもらったの覚えてる? それがいいわよ、ねぇ、どうして……」


 すがるような、祈るようなその言葉は、最後は深海の泡沫(ほうまつ)のように弱々しく揺らいで消えた。

 シルーシェは、気丈に前を向く。


「私のことは心配しないで。そして、この話は聞かなかったことにして。それなら皆は被害者で、嘘つきの家族と後ろ指をさされることもない」


 空気がぴんと張りつめる。

 アントニーは「俺は嘘つきの家族でいい」と、シルーシェの肩に手をやった。


 その結論に至るまで、悩みを背負わせたことへの負い目。

 そして、シルーシェが自責の念にかられているのではないかという焦りで、その手に力をこめた。

 メイザはぽろぽろと涙をこぼし、「私もシルーシェ姉さまと一緒に逃げる」と声を震わす。

 オペラも「シルーシェを一人になんてできない」と涙を滲ませた。


「……だそうだ、カミーリア」


 ギルバートにそう促されたリントブルム家の母、カミーリアは眉根を上げる。

 兄妹たちは身構えた。

 これは母のきつい説教がはじまる合図だ。

 しかし、この状況で何を怒られるのかまるで見当がつかない。


「あなたたちは本当に、情けない」


 まさかの一言に、オペラとメイザはぴたりと涙を止めた。

 アントニーも口を半開きにする。


「シルーシェと一緒に行く? これ以上、シルーシェに何を背負わせるの」


 カミーリアはなおも続けた。

 運命はそんなに生易(なまやさ)しいものではない。

 あなたたち兄弟姉妹は今から、シルーシェと共に逃げるよりもはるかに過酷な試練に挑まねばならない、と。





 *




 ついにその日は訪れた。


「ふふ、どうかしら」


 正装に身を包んだエアリスが、その場でくるりと回る。


「お似合いです、殿下」


 ラプトルが答えると、王女は晴れやかな笑みで一歩を踏み出した。

 浮かない顔のフレイゾンが、後に続く。

 朝からずっとこの調子の男を、ラプトルは「集中なさい」と小声で(いさ)めた。


「だって、あいつ……あれ以降、王宮に来てもエアリス殿下の部屋にこもって、俺たちとは話しもしないんですよ」

「……考えても仕方がないでしょう」


 ラプトルは豪華絢爛な中庭を見つめて言った。


「もう、この日が来てしまったんだから」


 王宮の庭は机と椅子が用意され、要人たちは酒と食事を楽しみながら主役の登場を待っていた。

 使用人が、空いたグラスと汚れた皿をせわしなく集めて回る。

 この日のために各地から取り寄せられた花々が、競うように香りを放つ。

 混ざり合った匂いは独特で、息苦しさを感じた。


「一介の女学生が光の魔法を発見など……眉唾(まゆつば)ものだがな」

「いや、ギルバート・リントブルムの娘だそうだ」

「なるほど。王室が女の魔導士など囲った理由も、それなら納得だ」


 貴族たちは、ひそひそと言葉を交わす。


「エアリス殿下は、ビンセント公との婚約を決心なさったそうだ」

「えらく反対されたと聞いていたが」

「もう、よいお歳であられるしな」

「王も一安心でしょう」


 あちこちで飛び交う閑談(かんだん)は、この素晴らしい日を盛り上げるべく奏でられるチェロの音色に乗り、王宮の庭をただよった。

 その時、王室の紋章を掲げた馬車が通り過ぎた。


「……シルーシェ!」


 フレイゾンは一歩踏み出すが、馬車はあっという間に人の波にのまれて見えなくなった。

 国王までも彼女を出迎えるために現れたため、馬車は拍手と歓声に包まれる。


「騎士殿、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」


 フレイゾンは、その声に振り向いた。

 馬車から下りた御者が、大きな荷物を抱えている。


「リントブルム様から、これを研究室まで運ぶよう(つかまつ)りました。研究室とはどちらでしょう?」


 フレイゾンは近くの兵士に目配せした。


「持って行け」

「はっ」


 兵士が荷物を受け取る。

 古ぼけた革のトランクは、持ち手の金具が錆びていた。

 あの領主の家の出であるカミーリア・メイホープが、娘にこのような物を持たせるのか。

 小さな違和感が、フレイゾンの胸に引っかかる。


 開演の時が近づく。


 祝宴に花を添えるカルテットが、フレイゾンの心情とは正反対の陽気なメロディを(つむ)いだ。

 主役は今頃、エーデルニア王国の伝統衣装である紺のローブを装って、どこかで出番を待っているはず。


「──ね、フレイゾン」


 気もそぞろなフレイゾンは、その声にまばたきを繰り返した。

 目の前には、先日の魔導士集会で相まみえたジエルベルーテ軍の幹部がいる。


「集会で君の戦いを見られなかったのが残念だ。フレイゾン君」

「三年前の()がしたくて、腕の立つ者を連れて来たんだが」


 恰幅(かっぷく)の良い軍人たちが胸をそらして笑えば、軍服のボタンは今にも弾け飛びそうである。

 エアリスが「フレイゾンには勝てませんわよ、大佐」と愉快そうに返した。


「ところで殿下……国王は、バレイへの侵攻をお考えですかな?」


 一人が、探るような目でエアリスに尋ねる。

 エアリスは「そういったお話はまた後で」と、温かくも冷たくもない声色で答えた。


「今日は私が懇意(こんい)にしている魔導士の晴れ舞台ですのよ。彼女はまだ学生ですけれど、卒業したら私の騎士にさせますの」

「それはそれは。女を騎士に?」

「私は気にしませんわ」

「さすがエアリス殿下、革新的なお方だ」


 軍人は、白い髭をひと撫でする。

 ずっしりと威圧的な笑い声と共に、ジエルベルーテ軍の一団は遠ざかっていった。


「私たちも行きましょう」


 エアリスが空を見上げる。

 評会の始まりは、『白い太陽が一番高く昇った時』とされた。

 光の魔法の力は太陽から得られる。

 と、光の魔導士が言ったわけではないが、国王はそう信じていた。


「お待たせ、シルーシェ!」


 人目に隠れた中庭のすみ。

 使用人が彼女を囲み、衣装と髪を整えている。

 フレイゾンは、どんな顔をすればいいか分からなかった。


「あなたは本当に美しい人ね」


 エアリスが、シルーシェの手を取る。

 光の魔導士は長い髪をひとまとめにし、いつもは前髪で隠している秀美(しゅうび)な眉をあらわにしていた。


「では、参りましょう」


 隣に仕えていた祭司が、石造りの祭壇を指さす。

 シルーシェはフレイゾンに背を向け、祭司とエアリスの後に続く。


 フレイゾンは、突然吹いた風に目を細める。

 かすむ視界の中、彼女の背に羽根が生えたように見えた。

 錆色(さびいろ)で骨ばった巨大な翼が、確かにある。

 疲れているのかと目をこすれば当然それは幻覚で、ローブに刻まれたエーデルニア王国の紋章が、太陽の下で輝いていた。




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