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レッドサイレンスー⑧


 今日のイニェンは、近場のクエストをたった一件こなしただけで仕事を切り上げ、夕食代にもならない稼ぎのままロビーを去ろうとした。ロブは、いかにも怪しい様子の彼女の前に立ちはだかった。


「まさか昨日の奴に会いに行くんじゃないだろうな」


 イニェンはロブの腕を掴み、「分かってよロブ……黙ってられないでしょ」と引きつった笑みを浮かべる。指はメキメキと二の腕にめり込み、顔をしかめたロブは年下の先輩を落ち着かせるように言った。


「止めやしねえよ。俺もついて行く」

「本当?」

「そりゃ、俺がお前だったら同じようにする」


 近くでやり取りを聞くエルバが、「止めても黙って行くだろうしな」と静かに言う。


 今のアンプリファイドは、エラとジャスミンの騒動の渦中にある。さらに別のギルドと揉め事が起きたらと考えれば、ロブもエルバも本音では止めたい。だが、イニェンが受けた仕打ちと彼女の性格を思えばそれは無理な話だ。一人で突っ走られるよりは、保護者として付き添う方が現実的だった。


「あの三人、絶対許さないわよ……」


 今でも鮮明に思い出せる光景が、吹き荒れる海風のようにイニェンの脳裏を駆け抜ける。

 静かな目覚め。

 『お連れ様は夜更けに出て行かれましたが』という受付の言葉。

 机に放置されたクエスト依頼表。

 ちゃっかり持ち出された回復薬。

 弱音を吐く暇も相手もなく、見知らぬ街を一人孤独に走り回ったあの日を思い出すと、何か自分を好戦的にさせる脳内物質が溢れ出る。


 イニェンは低い声で「エルバってさ……モール商会の秘書と仲良いわよね?」と切り出した。

 ロブは「ジュディさんと!?」と目を丸くし、エルバは「良いってほどでも」と宙を見る。


「今度、飲みに行く約束はあるけど」

「めちゃくちゃ仲良いじゃん!」

「や、全然、毎月恒例の集まりって感じで」

「毎月!? お前いつの間に!?」


 イニェンは口角を上げたまま「今日、私が何やらかしても大丈夫ってことでいい?」とエルバを覗き込んだ。無理に作ったような笑みと、額には汗も浮かんでいるが、どんな鎖も剣で断ち切って進んでやるような意思が瞳にはあった。

 こうなった彼女はもう止められない。エルバは「腹(くく)れ」とロブの背を叩き、自分の顔が何とかできる範囲で収まりますようにと願いながら、立てかけた銃を手に取り立ち上がった。





 *




 一方のエラは、今日の宿はどうしようかとぼんやり考えながら、鉄の(すね)当てを磨いていた。

 クエストの出撃制限がかかっているとは言え、ギルドの仕事はクエストだけではない。

 エラを不憫に思ったロッテンは、彼女に装備課の雑務を融通した。書類整理に武器の整備、クエストの報酬には及ばないが、少しでも稼げるならとエラも進んで手伝った。


「いやぁ、助かるよ」


 防具を磨き終えたエラは「こちらこそ」と立ち上がり、裾に付いた埃をはらう。「次はこれをお願いできるかい」とロッテンに手渡されたのは、支給品の買い出しリストだ。


「ウィンプル・ウィザリーという道具屋に行ってほしいんだけど、知ってるかな?」


 店の名を聞いてエラは頷き、代金の入った小銭入れを受け取る。


「ちょっと多めに入れてるよ。お釣りでお茶でも飲んできなさい」

「主任……ありがとうございます」


 ロッテンは丸椅子にどっかりと腰を下ろす。


「炎のオズワートさんに、こんな雑用を頼んで申し訳ないね」


 エラは一瞬、その言葉の裏を考えた。

 彼の表情から嫉妬や羨望は感じられない。純粋な気遣いだと結論づけ、困ったように微笑むと、昨夜泊まった宿屋での出来事を語り始めた


 自分は旅人で、ニューセントラルには家がない。二週間ほど世話になった宿屋を離れ、最近は海沿いの安宿を転々としている。そして今朝、とある宿屋で換気のためにほんの五分窓を開けていただけで、海風がドアの蝶番に当たって錆びてしまうからと高額な清掃料を請求された。もちろん事前の説明は一切なかった。


「ははは、嫌な店を引いたなぁ」


 ロッテンが肩を揺らして笑うと、彼の体重を支える椅子の肢が、ギィと音を立てて軋む。

 炎のオズワートでも錆はどうにもできない。

 エラは冗談めかして笑い、小銭入れを握り直して装備課の詰所を後にした。


「あ。あの子、杖も持たずに行っちゃったな」


 ロッテンは、閉まったドアを見つめてぽつりと呟いた。。

 杖は証拠品として回収したきり、代わりの杖も渡していない。

 ──すぐ戻るだろうし大丈夫か。

 ロッテンは口笛を吹きながら、鎧の整備を再開した。



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