レッドサイレンスー⑤
サディーレイは椅子の肘にもたれ、「素直に言うかしらね?」とジュハンセを見る。
「ジャスミンはギルドに来ない、憲兵も被害者がいなければ事件にできないとお手上げだ」
クリスティアルは「いいじゃないか、このまま揉み消しちまおう」と面倒そうに言う。秘書のジュディが「チーフ、この部屋足元が寒くって」と膝をさすれば、サディーレイは反抗期の娘に手を焼く母親のように、棚からブランケットを取り出して掛けてやった。
「局長、うちは『安心、安全、健全』のアンプリファイドですよ。水面下で悪評が広まるよりは、何としても相手を探し出し、賠償なり和解なり落とし前を付けておきたいところです」
「シークは何と言っとる」
「副長はイドラル港運との会合で、今は不在でして」
指で机を叩くジュハンセは、机の中央の猫の置物をじっと見つめた。
『じゃあ、ここもすぐ辞めちゃうの?』
『あまり長くはいないかも』
『ええ~、なんか寂しい』
サディーレイが発動した《精霊の糸》は、この置物と繋がっている。
こんなにはっきりと声が聞こえるとは、とクリスティアルは目を見張る。
『でも、乙級──人が、──に辞めさ──かしら?』
『あれは──良か──』
『──で倒せ──じゃないわ』
感嘆したのもつかの間、声は不意に歪んで途切れがちになった。
「んん……? 少々雑音が多いな、本当に大丈夫か?」
サディーレイは「糸に何かが触れたんでしょう」と落ち着いた調子で応じた。
精霊の糸は目に見えずとも、バイオリンの絃のように、何かが触れれば音は変わる。体や服の一部が糸を横切ったのだろう。ラビアとペイルブルーの二人には、糸の邪魔にならない場所で話を進めるよう指示を出している。
『さ、座って座って。よし、ここに蝋燭を置いて……』
『何をするんだ』
『置くだけよ。この方が秘密の会議っぽいでしょ?』
何事も無かったかのように、糸は再び会話を拾い始めた。
「ああ、戻った戻った」とジュハンセ。
「こんな魔法が使えるなんて、君には今すぐ商会に来てほしいよ」とクリスティアル。
「チーフ、ワインをもう一杯」とジュディ。
猫の置き物は振り子の尻尾を揺らしながら、遠い訓練場の密談を伝え続ける。
アレクシア・サディーレイ。
理屈は分からないが、ここぞというタイミングではなぜか事実を知っており、どんな不測の事態にも動じない。冒険者たちから鉄の女と恐れられる様子は、昔の彼女を知る者からすれば想像もつかない変貌ぶりだ。
下積み時代はうだつの上がらぬ冒険者の一人だった。魔物との戦いはいつも傷だらけ、ギルド会員資格の更新時期が近づくたび、体力テストの突破すら危うい彼女のために、ジュハンセは毎日走り込みに付き合ったものだ。
精霊の糸、その魔法ひとつでアンプリファイドのチーフにまで上り詰めた。この魔法の存在を知るのはギルド内でもごく一部の者に限られ、重要な局面では必ず彼女が頼られた。
だが、サディーレイ自身は”知れば知るほど良いということもない”と、力を振るう場面は慎重に選んでいる。
*
「その……昨日の子はさ。若いのに一人で頑張ってるよな」
ルースターは皿のジャガイモを崩しながら、独り言のように呟いた。
「どこから来たんだろうな。この街が長いながらギルドにも入ってるのかね? いやあ、どんな子だろう」
厨房の女主人は「悪いけどアンタなんか眼中に無いと思うよ」と鼻で笑った。
「ちが、違う違う、俺はそんなんじゃない」
慌てて否定しながらも、とっくに冷めたジャガイモをスプーンでつつき回しながら、食堂の入り口を気にするルースター。マリは濡れた手を拭き、「あの子なら今朝、宿を出て行ったよ。もう戻ってはこないだろうさ」と振り返る。
ルースターはしばし固まった後、「クソッ、兄貴が不細工だったせいだ」と八つ当たり気味に吐き捨てた。
「おはよう、愛しの弟よ。珍しく早起きしたと思えば女のケツを追っかけて」
背後から聞き慣れた声が割り込んだ。
ルースターは肩に乗せられた手を払いのけ、心底うんざりした顔をする。
「さ、気を取り直して仕事だ」
「今日はルージュポートを回るか?」
「港はなぁ……人は多いがヤク中ばかりだ」
「困ってそうな奴に声を掛けるのがいい」
マリは皿を並べながら、「あんたら、憲兵がうちに乗り込むようなことだけはやめとくれよ」と四人組を睨む。
「ただの仕事集めだよ。ニューセイブのレッドサイレンスってギルド、知らないか?」
首を振って肩をすくめるマリに、ルースターは「ここら辺じゃそんなもんか」と返してワインを煽った。




