非能者の支配を生き抜いてー⑦
王女の身の回りの世話にも、分かるはずのない勉強にも、少しは慣れてきた。
もとい麻痺してきた。
できないことばかりのニコレットに、先輩メイドたちは苛立つことも叱ることもない。
手の焼ける妹ができたかのように、皆ニコレットをいたく可愛がる。
「どうだニコレット。美味いだろう」
「は……はい、リーダス殿下」
そんな彼女は今日も謁見用の衣装に身を包み、王子リーダスの傍らに座らされていた。
隅のソファでは騎士のエンフィールとウィンチェスが、王都の外れの村が魔物に襲われた話で盛り上がっている。肩の傷がどうのこうの言っていたのは、結局大丈夫だったのだろうのか。ニコレットはひそかに心配するが、二人は彼女の存在などまるで気にとめない。
「勝ち目がないと分かった途端これか」
王子は、ウィンチェスの無関心ぶりが面白くない。
彼の愛人であるはずのニコレットをはべらせ、優越感を得るはずだった。そうでなければこんな田舎娘と関わったところで、王子には何の面白みも無い。
「にしても貧相な名前だ。愛しの妹の召使には相応しくない」
リーダスは顎に手をあて、装飾品を選ぶような目をする。
そしてこの王宮内では”かりそめの名”を名乗れと命じた。
「セラフィーヌ、などはいかがでしょう?」
側近がすぐに提案する。
「いいな、だいぶマシになった」
「ではすぐに手続きを」
ニコレットの胸は高鳴った。
理由が何であれ、王族から名を与えられるとはなんと気高きことだろう。
「身に余る光栄にございます……!」
目を輝かせる彼女の顔は、洗礼を受けたばかりの子供のように晴れやかだった。
急に呼び出され、今度はどんな嫌な目に遭うのかと怯えていたが。王子の底知れぬ悪意にさえ目をつぶれば、美味しい菓子も口にできるし、想い人に会える唯一の手段であることに変わりない。
と安心したのも束の間。
「それで、セラフィーヌ。今日も面白いものを見せてやる」
王子の一言に騎士たちは会話をやめ、部屋には不穏な空気が漂う。
「お前たち。やれ」
王子は淡々と言った。
エンフィールは冷や汗を浮かべ、静かに言う。
「……おやめになられては。あまり、面白くないかと」
「お前たちが苦しめば何でも面白い」
「ですが」
「できるかできないかではないだろう。やれ」
一体、何が始まるというのか。
命令には絶対であるはず騎士たちも、どうもすぐには動けないらしい。
ニコレットは許しを請うように割って入った
「殿下、恐縮ではございますが……私、血を見るとひどい眩暈がしまして、その日一日は身動きが取れなくなるほどでして……」
病院もない山奥で、怪我人など何度も見てきた彼女にはあえりえない言い訳だが、また彼らが血を流して痛めつけられる光景だけは見たくない。
リーダスは「安心しろ」と口元を歪める。
エンフィールはなおも、反発するような目で固まっている。
ウィンチェスは宙を見て、はぁと重いため息をついた。
まるでギロチンの下で刃が落ちてくるのを待つ囚人のようだ。
往生際の悪い二人の騎士を、リーダスが睨みつけた。
三度目の「やれ」で、命令は忠実に実行された。
*
温かな中庭で小鳥がさえずる。
先輩メイドたちは、戻ってきたニコレットを出迎えた。
「今日はどんなお話しだったの?」
「美味しいお菓子はいただけた?」
虚ろな表情のニコレットは、抑揚のない声で何事かを答える。
「──まぁ、素敵なお名前をいただけたのね!」
「実は私たちも本名ではないのよ」
「改めてよろしくね、セラフィーヌ」
ニコレットは、膝から崩れ落ち涙を流した。
「どうして、どうしてあんな目に……!」
アナスタシアは慌てて彼女の肩を抱き、他のメイドたちも心配そうに寄り添う。
「何があったの?」
「言えませんっ……口にするのもおぞましいっ……」
激しく咳き込み、嗚咽する。
王族を守り、王国に尽くす騎士にあのような仕打ちを。
なぜ、騎士たちは抵抗しない。
なぜ、非能者の言いなりになっている。
溢れる涙には悲しみ、困惑、嫌悪──この世の様々な負の感情が交じり合う。
メイドたちは顔を見合わせ、互いにそっと目を閉じた。
「セラフィーヌ、よく頑張ったわ」
「あなたなら大丈夫」
「さぁ、少し休みましょう」
姉たちの温かな声が、かき乱された心をそっと撫でる。
自分はニコレット? セラフィーヌ?
私は──セラフィーヌ。山奥の純粋な少女には耐えられないような事も、王宮のセラフィーヌなら大丈夫。
そう思った瞬間、少女の泣き顔の上に真鍮の美しい仮面がすっと下りた。胸につかえた黒い靄が晴れ、呼吸もいくぶん楽になる。
「今日は素晴らしい一日よ。ビンセント公から、エアリス殿下への贈り物が届いたの」
落ち着いたセラフィーヌを、アナスタシアは連れ出した。
王女の寝室は今日も完璧に整えられ、活けたばかりの庭の花が甘い香りを漂わせる。
雪のように白いカーテンをめくれば、王女は昨日と変わらぬ姿でそこにいる。
胸元では真紅のペンダントが艶やかに光っていた。
「なんて素敵なペンダント……」
「ええ、とてもお似合いでいらっしゃるわ。殿下が一日でも早くお目覚めになりますよう、私たちも祈りましょう」
アナスタシアは身をかがめ、両手を胸に当て長いまつげをそっと伏せた。
宝石は窓辺の光を受け、王女の胸元に赤い光を反射する。その光景がまるで舞い散る鮮血のように見えたセラフィーヌは、不気味な美しさに息を呑む。
ペンダントを身に着けた王女の寝顔は、心なしかいつもより穏やかだった。
『非能者の支配を生き抜いて』 fin
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