非能者の支配を生き抜いてー②
出発当日。
ニコレットの父はウィンチェスに馬と防寒具、それに食料を持たせて言った。
「礼はいりません。娘を頼みます」
ウィンチェスは、前のニコレットを後ろから抱きかかえるように馬に跨った。見送りの村人たちは、そんな彼女を羨ましげに見上げる。
「あの男、やはり随分とお偉い騎士様だったらしい」
「看病したニコレットを気に入って、お城に連れて帰るんですって」
「親父さんもこれで安泰だな」
耳まで赤くしたニコレットと対照的に、ウィンチェスは最後まで「親父さん、この子は大事な娘さんなんですよね……?」と往生際悪く食い下がる。
父親は誇らしげに頷いた。この村では村の外へ働きに出るのが一種のステータスであり、奉公先が国王の城ともなれば、それは誰の目にも分かる大出世なのだ。
「なんたって、あなたは目が悪いんでしょう? 一人じゃとてもワイトマリシアまで帰れませんよ」
「それはそうですが……」
ウィンチェスの身分を知った途端、腰の低くなった口調もこの際どうでもいい。
「この村の人間はみんな目が良い。はぐれた家畜を探すのは、この子が一番上手だったんですよ」
ニコレットはウィンチェスの胸の中で「道案内は任せてください」と声を弾ませた。
さようなら。お元気で。
姿の見えなくなるまで、村人たちの声は山間をこだました。
ニコレットはずんずんと木立を進み、ウィンチェスたちが迷いに迷った山道をすんなりと下山した。道中、この服の紋章と同じ鞍をつけた馬を見つけたら教えてほしい。そう彼女に伝えていたが、結局そのような馬は一頭も見つからなかった。
ウィンチェスが示す通りの道を、ニコレットが探し出して馬を操る。
もうじき王都というところでウィンチェスは尋ねた。
「お前、魔法を使えるな?」
これまでの雰囲気とは打って変わった彼の様子に、ニコレットは少しの違和感を覚える。
しかしここまで会話と言えば、道を教える事務的なやり取りのみで、彼の身の上話や趣味の話題を振っても一切無視をされていた。想い人から話しかけてもらえた嬉しさに、ニコレットは「はい!」と明るく答える。
「火の魔法で料理をしたり、水の魔法でお皿を洗ったり、あとは──」
「城ではあまり魔法を使うな」
ウィンチェスは抑揚の無い声で、ニコレットの発言を断ち切った。
一体何の話だろうか、ニコレットには彼の言葉の裏を読むことはまだできなかったが、雰囲気に流され頷いた。土と草ばかりの地面から、馬の脚が石レンガを蹴る感触に変わった瞬間、ウィンチェスは彼女から手綱を奪い取った。
ここまで来れば目をつむっていても道は分かる。
そこから王宮まで、ウィンチェスはもう一言も彼女と言葉を交わすことはなかった。
「ウィンチェス様っ!? ウィンチェス様がお戻りになられたぞ!」
門衛は犬に尻を噛まれたかのように飛びあがり、急いで門を上げる。
兵士たちが続々と集まり、馬に乗った騎士と謎の女を取り囲んだ。ウィンチェスはニコレットに馬を降りるよう促し、「働き者の娘を拾った、とりあえずメイド長のところに連れて行け」と兵士に命じる。
「ウィンチェス様、私は……」
「気安く話しかけるでない!」
門衛はニコレットの首根っこを掴み、地面に伏せさせ怒鳴りつける。
騒ぎに気づき駆け付けた兵士長が「ウィンチェス様、め、眼鏡はどうされましたか!?」と、体中の傷より何より重大だと言わんばかりに叫んだ。
「おお、レナード兵長。また失くしてしまったよ」
「ウィンチェス様、それは噴水です」
これは一大事だと、予備の眼鏡を取りに走る使用人たち。
視界の端ではニコレットが、「わ、私めはこのお方を看病し、ここまで道を案内して差し上げたのです! 魔物に襲われて傷だらけだったウィンチェス様を!」と訴えるが誰も耳を貸さない。
眼鏡をかけたウィンチェスは、鮮明な青空と白い雲を見上げ「ああ、生き返った」と安堵した。
「まぁ、これから死ぬんだけど……」
兵士は膝をつき、「リーダス王子殿下は中庭で射撃を楽しんでおられます」と告げる。
その後ろではまだ何かわめいている一人の女を、門衛が引きずり歩いて行った。
*
王子リーダスは愛用のマスケットを構え、氷の的に狙いを定める。
騎士のエンフィールが召喚したのは、魔物の形を模した氷の塊。まるで生きているかのようにそれを動かし、リーダスが狙える絶妙な速さで右へ左へ、見事命中すれば側近たちが静かに拍手を送った。当たりすぎれば「手を抜くな」と叱責され、当たらなすぎれば「つまらない」とへそを曲げる。五発中四発は当てられるであろう、ちょうど良い難易度を見極めるのが重要だ。
一人の兵士が駆け寄り、エンフィールに耳打ちする。
驚いた彼が思わず氷の的を壊してしまうと、王子はラムロッドでエンフィールの腕を引っぱたいた。「おい、何のつもりだ?」と、氷よりも冷たい目で睨みつける。
「いえ、殿下。ウィンチェスが──」
知らせを聞いた王子は使用人を中庭から追い払い、バレルに弾と憎しみを込めながらその男を出迎えた。
「──なるほど。兵と馬を失い、敵には情けをかけられ、挙句の果てに愛人を連れてノコノコ帰って来たんだな」
ベゴニアの花の香りが、暖かな風に乗って三人を包み込む。
魔法の膜で覆われた王族の居住区は暑くも寒くもなく、美しい花たちが一年中咲き誇っている。王子はじっと微笑んだまま、手持ち無沙汰に花を踏み潰した。
「今から父親に会わせてやるから、あの世で恥という言葉を教えてもらえ」
王子はためらいなく、ウィンチェスの頭に照準を合わせる。
背後のエンフィールは、空中に魔力で『土下座!』と文字を浮かべる。
ウィンチェスはおずおずと体を伏せた。
「殿下、何卒ご容赦を。いかなる処罰も甘んじて受ける覚悟でございます」
生傷をたずさえたまま淡々と語る部下を、エンフィールは静かに見守る。リントブルム家の長男とどんな戦いをしたかは分からないが、傷を塞ぐ魔力すら残っていないのは明白だった。今の彼が銃弾を受ければ、非能者と同じように命を落とす。
骨と肉と皮でできた器に、心臓が一つ。
全身を巡る血は赤い。非能者だろうと魔導士だろうと、そこには何の違いもない。
「殿下……動かぬ的を狙ってもつまらんでしょう。彼がいつも通りやかましく動き回るようになってから、続きといきませんか」
リーダスは「それもそうだな」と呟き、的の肩を狙って引き金を引いた。
火花と共に白煙が上がる。
ベゴニアは風にあおられ、鮮やかな花びらを優雅に揺らした。
「いってぇ……っ!」
ウィンチェスは跪いたまま肩を押さえ、荒い息を上げる。
やりやがった。
エンフィールは、もうどうにでもなれと半ばやけくそ気味に「殿下! 戻りますよ」と、王子を連れて中庭を去った。銃声とうめき声を聞いた誰かが助けに来るだろう。いま彼のためにしてやれるのは、この暴君を一刻も早くこの場から消すことだ。
数分後。
中庭に取り残されたウィンチェスに、静かに歩み寄る魔導士がいた。
「生きてたんだ」
声の主、第一王子ライナスの騎士セーライズは、銃創に手をかざし治癒魔法を唱える。裂けた肉は元の形を思い出すように戻り、無数の血管を繋いで皮膚を蘇らせた。
「リーダス殿下は相変わらずだねぇ。あ、眼鏡変えた?」
「……変えましたが」
「やっぱり? 何か雰囲気違うと思った」
セーライズは手首を軽くさする。肉体はほぼ元通りで痛みも消え去ったが、傷跡は変色し痣のようになった。「うーん、ラプトルみたいに上手くはいかないや」と、その出来栄えには少々不満気だ。
「お手を煩わせて申し訳ありません」
「いーよ、気晴らしになった」
伸びをしながら、花の香りに目を細める。
「エアリス殿下を魔法で目覚めさせろって、国王陛下からご指名を受けてしまって。ほんと無茶言うよね」
「殿下はまだ眠っておられるのですか」
「うん。もうすぐ一ヶ月が経つのにねぇ」
セーライズは「じゃ、僕はこれで」と風のように去っていった。




