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王都脱出ー③


 フレイゾンの去った研究室で、シルーシェは静かに魔導書をめくる。

 成り立ってはいけない魔法式が、成り立っている。

 どこかに綻びがあるはずだ。何か間違っているはずだ。

 この二年間の自分を否定する作業は、想像以上に骨が折れた。ふと考えが煮詰まった時、過去の自分がそっと囁くのだ。

 ──この私に、間違いなんてあるはずがない。


 静かな研究室にノック音が響いた。

 ドアを開けたシルーシェに向かって、使用人が「リントブルム様、お食事の用意が整っております」と告げる。


「食事?」

「本日は王宮でお休みになるとうかがいました。ご自宅には伝令を向かわせましたので、ご安心ください」


 窓の外では、滝のような雨が降り続いている。

 シルーシェはそれを一瞥(いちべつ)し、「ありがとう」と小さく呟いた。


 夕食後、王女エアリスに呼ばれ彼女の私室を訪れる。

 部屋の主は「まあ、その腕輪をつけてくれているのね!」と声をはずませ、側近を扉の外に追いやった。テーブルにはシルーシェの好きな、ダークチェリーのパイが用意された。


「たくさんお話をしましょう。今夜はあなたを独り占めできるんだもの」


 上機嫌のエアリスは、降り注ぐ雨に感謝するように窓の外を眺めた。


「──それでね、明日は妹のローゼスが来るの。シルーシェを自慢しなくちゃ」

「部外者の私が恐れ多い」

「どうして? 卒業したら私の騎士になるのに。学校にもそう伝えてあるわ」


 何もかも初耳のシルーシェは、笑みを浮かべたまま固まる。


「騎士とは、男にしかなれないものでは?」

「私がいいと言えばいいの」

「馬にも乗れませんし」

「なら、一緒に歩きましょう」

「しかし自分のような未熟者では、王室の騎士の格が──」


 言葉を濁すシルーシェに、エアリスはむっと頬を膨らませる。


「その話し方、いつになったらやめてくれるの? 学校のお友達と同じように話してって言ってるでしょう」

「そういうわけには」

「騎士になれば、私の命令は絶対よ?」

「それは……心しておきます」


 エアリスは手で口元を隠し、いたずらっ子のように笑った。


「シルーシェは、私のための特別な騎士になるの。その頃には光の魔法も……」


 ふと、言葉を切ったエアリスから笑顔が消え、青色の瞳が細かく震えた。

 降りしきる雨粒とは対照的な、一筋の涙が頬を伝う。

 突然の出来事に驚いたシルーシェが側近を呼ぼうと立ち上がるが、それを制して「私、わたし」と声を絞り出す。


「どこか痛みますか」

「違うの、私……」


 王女は、「私、婚約が決まったの」と声を震わせる。


「なんと。お相手は確か、ビンセント公国の」


 エアリスはゆっくり頷く。


「でも、嫌なの。嫌だって言っても、もう誰も聞いてくれないの……」

「そんな」

「お願い、私の騎士になって。そうすれば……ビンセント公に嫁いでも、あなたと一緒にいられるでしょう」


 それからしばらく、シルーシェは胸の中でほろほろと泣くエアリスを抱きしめた。

 目を腫らした王女は、今日はもう休むと言い残し寝床へ横になった。シルーシェは迷いながらも、扉の外の側近に「殿下はお休みです」とだけ告げて部屋を出た。


 使用人に案内され、用意された湯を浴び、綿の寝間着を身にまとう。

 蝋燭を消してベッドに腰を下ろしたところで、世話をしてくれた使用人が「あの……」と言いかけたので振り返る。


「わたくし、グリムと申します。叶うことなら、私にも光の魔法のお話をしてくださいませんか」


 シルーシェはそれを断り、柔らかな毛布に潜り込んで目を閉じた。

 今は、お喋りをする気分になれない。

 暗闇の中、彼女が扉を閉めて遠ざかる足音が残った。

 立ち込めた雷雲はようやく遠のいて、外はせせらぐような優しい小雨へと変わっていた。




 *



 沛然(はいぜん)たる大雨から一夜が明け、その日の教室には空席が目立った。

 通学路が泥にふさがれ街を出られない者、家畜小屋や堤防の修理の手伝いで休む者があり、シルーシェも家の様子が気がかりだった。朝、噴水の中庭ですれ違った妹のメイザから状況を聞くに、今日は兄のアントニーが仕事を休み、周辺のがれき撤去に繰り出すとのことだった。


「──このことから、ビンセント公国には船やドラゴン便によって日々多くの貨物が運び込まれます。これを流通ギルドの視点から何と称されますか。では、シュトレイネン」

「大陸の市場、です」

「よろしい」


 教師の声と、教科書をめくる音が交互に繰り返す。

 昨夜の嵐が嘘のように、突き抜ける青空がワイトマリシアの地を包み込んでいた。


 午後は浮遊魔法の練習と称して、学校の裏山から流れ出た土砂を片づけさせられた。「なぜこの私が傭人(ようにん)のようなことを……」とぼやく生徒たちは、この退屈な作業を少しでも楽しくしようと、自然とシルーシェの周りに集まる。


「お迎えがなければ、今日は私と図書館に行かない?」


 キャスリンという女子生徒が、シルーシェの手を取った。

 そこに「キャスリン、僕も図書館に用事があるんだ」と割り込んできたのはバロンだ。彼がキャスリンに気を寄せているのは一目瞭然だが、当の本人は「私はシルーシェとお勉強したいの」と見向きもしない。


「……リントブルム、こっちへ来い。どっちがこの土と木を早く片付けられるか勝負しよう」


 周りの生徒は、これは自分たちが働かずに済むぞ、と騒ぎ立てた。


 キャスリンが天に向かって一筋の炎を撃ったのが、開始の合図だった。

 大木を持ち上げたシルーシェの向かい側で、土砂を布団でもたたむように丸め込むバロン。口笛と手拍子に煽られる中、バロンは「何でもアリだ」と笑い、シルーシェに炎の波動を放った。


「ずるいぞ、バロン!」


 シルーシェは面白そうに言い返し、ガラスのような膜を召喚してそれを防ぐ。

 そのまま仕返しに、バロンの足元に突風を起こした。


「シルーシェ、頑張って~!」

「バロン負けるな!」


 ぬかるみに足を突っ込んだシルーシェを、バロンが泥ごと氷魔法で凍らせる。

 突拍子もない作戦に身動きの取れなくなったシルーシェは、「待て、これはないだろう!」と笑い出した。瓦礫の押し付け合いでは、体の大きなシルーシェの方が魔力も強く、優勢だ。

 最後は見物の生徒まで加勢する、てんやわんやの騒ぎとなった。


 生徒たちが疲れ果てて座り込んだところで、教師がふらりと様子を見に来る。


「まあ素晴らしい。綺麗に片づけられましたね」


 制服を泥だらけにした教え子たちを見て、にこやかに手を叩いた。


 勝負はバロンの勝利で決着がついた。


「バロン君、お上手ね!」

「よければ教えるけど」


 良い雰囲気の二人を見て、シルーシェも悪い気はしない。

 これがクラスメイトとの最後の思い出になろうとは、今は夢にも思わなかった。


 キャスリンとバロンと三人で図書館へ行くことにしたシルーシェだったが、門をくぐる三頭の騎兵を目ざとく見つけ、「ごめん、また今度」と言い慣れた言葉を口にする。

 先頭を走るフレイゾンはシルーシェを見つけ、遠くから「来い」と手招きした。珍しく、焦りが感じられる。


「ここを掴んでいろ」

「こう?」


 フレイゾンは、馬にまたがったシルーシェを後ろから抱きかかえるように座り、手綱を握った。

 走り出した馬上で、土砂の散乱する道では馬車を出せなかったと語る。

 郊外はひどい有様だが、水路の整備された王都は影響はいくぶんマシだった。瓦礫もすっかり片付いて、人々は店を開いたり道端で立ち話をしたり、いつも通りの日常がそこにある。


「ああ怖かった」

「こっちのセリフだ。三回は振り落としかけたぞ」


 今日は王宮の正面ではなく、兵士が寝泊まりする兵舎のかたわらで下ろされた。

 出迎えたラプトルが「こっちよ」とシルーシェの手を引く。王宮に入ってからも、人目につかないよう気をつけている様子だった。

 通されたのは、暗く湿った武器庫だ。

 フレイゾンが「まずいことになった」と切り出す。


 大魔導士たちの集う『魔術評会(まじゅつひょうかい)』で、シルーシェの光の魔法を披露することが決まった。


 二人の口から語られた事実に、当の本人は驚きを隠せない。

 魔術評会といえば、王の前で新たな魔法や魔術を発表する、エーデルニア王国でもっとも権威のある集会だ。それに学生のシルーシェが参加するなど、考えられもしないことだ。


 発端は、第二王女エアリスの妹、第三王女ローゼスの来訪だった。

 姉妹水入らずの時間を過ごしたのも束の間、ささいなきっかけから二人は口論をはじめ、エアリスはつい言ってしまった。

 光の魔法は完成している。

 光の魔法は決して無駄な学問ではなく、疑うなら今すぐにでも皆さんに見せて差し上げましょう、と。


 その宣言に狂喜した王宮で、国王が魔術評会の挙行(きょこう)を命じるのは時間の問題だった。


「待て、エアリス殿下はなぜ完成していることを知って──」


 そこまで言うと、シルーシェははっと口をつぐむ。

 フレイゾンが身を乗り出した。


「完成してるのか!?」


 観念したシルーシェは、渋々頷いた。


「でも……これが光の魔法だと、()()()ことはまだできない」

「完成してるんだよな?」

「ああ、してるよ」

「じゃあ、やるしかねえだろ」

「だから今ここでは」

「屁理屈ばっかの小娘が。いいか、大人の世界ってのはこういう理不尽な──」


 武器庫に近づく軍靴の音に、三人はハッと顔を上げる。


「ラプトル騎士長、そこにおられますか。エアリス殿下がお呼びです。王宮に入る姿を見ておられたようですよ」


 兵士の言葉に、ラプトルは苦い顔をする。

 とにかく行かねばとシルーシェを連れ出した。


 一人残されたフレイゾンは、研究室で机に向かう彼女の姿を思い出す。


 研究中の彼女は、目の前の紙とペンに人生を賭けるような目をしていた。

 無駄な努力だと、後ろ指をさす臣下も当然いた。元騎士長、ギルバート・リントブルムの娘でなければ、光の魔法などという寝言に国費を使うこなど許されなかっただろう。王国は確かに光の魔法を求めていたが、皆心のどこかでは、夢物語だと諦めていたのだ。しかし、彼女だけは違った。


 一ヶ月かかった計算が間違いだと気づいた時。

 半年かかった魔法式の矛盾を見つけた時。

 水も食事も取らず抜け殻になった彼女を引きずり出すのは特に大変だったが、今となっては良い思い出だ。

 共に悩み、共に歩んだ二年の道のりが、脳内を駆け巡る。


 ついにやった。

 お前はすごい。


 そう言って喜びたいのに、胸の奥はなぜかざわついたままだ。

 埃まじりの空気にのって、革装備のカビた臭いがフレイゾンの肺に満ちてゆく。



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