英雄のペンダントー④◆
《返せ、返シテ、オ願イ、皆ヲ返しテよ……!》
エラは、暗闇から無数に伸びる触手のような幻覚を振り払う。
「エラ!!」
はっと声の方を向いたエラは、一緒になってワルキューレに飛び込み、自分を助けようと手を伸ばすフラウの姿を視界に収めた。
「どうしよう、エラ、エラっ……!」
「大丈夫、あなたは絶対に追いかけてくると思った!」
エラがあらかじめ発動していた風の魔法により、フラウの体は押し戻される。
全てが闇に包まれ、氷漬けになったような刺激が二人の全身を蝕んだ。
フラウは目を見開いたまま硬直し、霊器もとっくに砕け散っていた。全身にひび割れのような黒い痣が浮かび上がり、喉を裂くような悲鳴がこぼれる。
──《知恵の界面》!
それは、人間の魔力を吸収する魔法。
なぜ魔物がこの魔法を?
すべて織り込み済みの展開の中で起きた、唯一の誤算。
コンマ数秒を争うフラウの容態に、エラは即座に脳内の計画書を破り捨てる。
後にこの出来事は、人類史に刻まれる特別な一日となった。
人類が初めて光の魔法を使った歴史的な日として、後世まで語り継がれることとなる。
エラは遥か彼方の暗闇を見つめ、ひとつの魔法を発動した。
──《遍く蹂躙する光》。
瞬間、まばゆい光がワルキューレの巣を貫き、轟音と共に大地を揺るがした。
フラウを抱きとめたエラは、自身が知りうる最も強力な防御魔法で爆風から身を守る。光の魔法の最大威力を火山の噴火だとすれば、今のはロウソクを消す吐息ほどの出力に過ぎなかったが、それでも光は、十分すぎる暴力だった。
エラが展開した氷の盾は一枚、二枚と打ち砕かれる。穴は杖を飲み込んだまま急速に閉じ、悪寒は徐々に薄れ、最後に聞こえたのは《許サナイ……》と涙混じりに囁く少女の声だった。
闇は晴れ、霧は放散し、そこには土と岩のクレーターだけが残った。
降り注ぐ雨が、勇敢な二人の侵略者の頬をつたう。フラウを抱いたまま横たわる光の魔導士は、曇天に向かって白い息を吐く。
ここは天国か。
違う、現実だ。
生きている。大陸が吹き飛ぶはずの破壊の魔法は、エラの想定通りの出力で、他のどんな魔法よりも簡単にワルキューレを葬り去った。
──光の魔法を、制御できた。
それは今この瞬間この世界で、エラだけが知る奇跡である。
強すぎるがゆえに使えなかった大魔法を、自分の思い通りの力で操った。自分は本当に光の魔法を手にした。この力をどうしよう。これから何をしよう。何だってできる。様々な感情が混ざり合い、エラは自分でも自覚のない笑みを浮かべた。
真紅のペンダントを握りしめた手は、感動で小刻みに震えている。
*
バルシュ村ではその日の晩、焚火を囲んだ村人たちがワルキューレの討伐に祝杯を上げた。
「いずれ光をまといし天の使いが現れ、この村の闇を払うだろう──そう語り継がれておった」
ドラウトを家に招いたバルシュ村の村長は、三人の活躍に甚く感激し、上等な織物に包んだ金貨を差し出した。ドラウトは「ギルドの規則で、こういった物は受け取れませんので」と、重みのあるそれをやんわり押し返す。
「では、今夜は目一杯飲んでいってくれ」
頷き立ち上がったドラウトを、一人の老婆が引きとめ孫娘との見合いを勧める。
返答を聞いた老婆は、「はは、そりゃそうだ。あんたみたいな男前、誰もほうっておかないだろうねぇ」と笑い、剣士の背中を労うように叩いて送り出した。
「新人は?」
村長の家から戻ったドラウトは、喧騒から少し離れた小高い丘の上、膝を抱えて座るフラウに歩み寄る。彼女の視線の先には、演奏に合わせて村の娘と踊る一人の魔導士がいた。
「元気な子だ」
ドラウトは冷やかすように呟いて、フラウの隣に腰を下ろす。
君も行って楽しんでくればいい、とは言えなかった。フラウは防寒用のコートで全身をおおい、痣を見せまいと小さく丸まっている。痛くも苦しくもないものの、体中に浮かぶ気味の悪い模様は女の心を深く傷つけた。
「知恵の界面……。実在する魔法だったとは」
名前こそ耳にしたことがあれど、ビンセント公国の魔導士にとっては空想の存在でしかなかった。エラでさえ驚いたのは、これを魔物が使ったという事実だ。人間が人間を罰するために生み出した、人間にしか使えないはずの、世界三大魔法の一つに数えられる大魔法であるらしい。
唯一の治療薬は”時間”。魔力が戻るのをただ待つのみ。
エラは、どこの国の魔導士もこれを知っていると思っていたようだ。ドラウトは、世界三大魔法とは君の国が勝手に言っているだけだと、きっぱり修正しておいた。
「ドラウト、今までありがとう」
コートの中から覇気のない声がする。
「魔法が使えなければ、私は何もできない」
「時間がたてば治るんだろ?」
「信じられない」
「まぁ……それは俺も同感だが」
「何にせよ、私はきっと副長のチームを外される……」
ドラウトは村人に貰ったワインを飲み、「悪いが……それは庇いきれん」と呟く。
二人は、眼下で揺れる焚火を眺めた。
「ワルキューレを倒したのは炎の魔法だってな。一体どんな魔法だったのか」
「……分からない。気づいたらワルキューレが消えていた」
「そういやサディーレイが、彼女の得意な元素は炎だと言っていたな。よほど自信があったんだろう」
ドラウトは一人納得し、嶽の森の方角に目をやった。
ワルキューレの脅威がなくなった森で、これから村人たちは上流にダムを作り、森の水を全てバルシュ村に引き込む計画である。村長の家で聞いた話だ。
森にいた集団のことは伝えたのか? フラウの質問に、ドラウトは少し間を置いて「俺たちは何も見ていない」と、ワインの残りを一気に飲み干した。
そろそろ宿に戻るかと、二人は腰を上げる。
灰髪の魔導士は踊りから解放されたかと思いきや、すぐに別の娘が駆け寄って手を取り回り始める。娘と何か言葉を交わした彼女が手を一振りすると、焚火の炎は翼を広げた鳥に変わり夜の闇へと飛び立った。
雨雲が晴れ星の降る夜空に火の粉が散り、手を叩いて喜ぶ娘と村人の歓声が、夜風と共に二人の耳に届いたのだった。
=魔法解説=
【メラノレウカ】
その意味は『遍く蹂躙する光』。
人も魔物も、獣も大地も、触れたものすべてを光で包み、跡形もなく葬り去る。




