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癒しの手は再び?◆


 魔術評会の事件から二週間。

 光の魔導士は既に国外へ脱出しただろうと見られ、王都内の捜索は打ち切られた。


 シルーシェの研究室も捜査が進んだが、光の魔法に関する資料は見つからず。

 騎士のラプトルとフレイゾンも、学校まで迎えに行ったり雑談相手になったり、彼女とはそこそこ親しい間柄だったが、研究に関する深い話をしたことはないと言う。王室はワイトマリシア魔法学校から、彼女の過去のレポートや試験の答案用紙まで取り寄せた。魔法式の癖や、彼女が好む魔法論理を徹底的に分析したが、『優秀な学生』ということが分かっただけだった。


 襲撃を受けた王女エアリスは一命を取り留めるも、まだ長い夢の中にいる。

 王女の騎士ラプトルには、処刑が言い渡されたが──。


「手短に申し上げます」


 ラプトルは、宮廷魔導軍総監エンデの言葉に静かに耳を傾ける。


「国王陛下は、これまでの処罰をもって償いは十分と判断され……貴殿の処刑は撤回されました」

「そう。よかったわ」


 淡々と答えてベッドを下り、使用人が用意したボウルの湯で顔を洗う。


 処刑の撤回には驚かない。仲間の騎士たちが手を回すだろうと、ラプトルは成り行きに任せていた。

 王女エアリスも、この自分が蘇生したのだから助からないわけがない。いつか必ず目を覚ますと信じる騎士の心には、一片の疑念も後悔もない。


 エアリスの騎士、ラプトルとフレイゾンの二人の身柄は、妹の王女ローゼスに引き取られた。

 ローゼスの騎士ライブリーが手続きを済ませ、二人の”王女エアリスの騎士”としての務めは今日で終わりを迎えた。


「ライブリー殿は本日アングレアへお戻りになります」

「分かったわ」

「……貴殿の騎士としての在り方は、最後まで見事でありました。どうかローゼス殿下の元でも、変わらぬ忠誠を」


 ラプトルは一笑し、使用人に「荷造りをお願い」と告げた。

 顔を拭いてキセルを咥え、椅子に座るともう一人の使用人が彼の髪を()かし始める。今日がいつも通りの一日であるかのように、朝のルーティンをこなす。


「アングレアはよく雨が降りますので、着替えを余分に」

「ええ」

「ラプトル様の御髪(おぐし)の整え方を書いておきますから、向こうの使用人にお見せくださいますよう」

「ありがとう」

「まぁ! 失くしたと仰っていた冷幻石(れいげんせき)のブローチが見つかりましたわ」

「それはあなたにあげる」


 手際よく支度を進める使用人に短く答えながら、ラプトルは鏡に映る顔に向かって憂鬱な息を吐く。

 処刑台からの逃走や錯乱を防ぐため、事前に魔力を枯渇させておく"魔力抜き"が敢行(かんこう)されたのが一週間前のこと。


 人間の魔力を吸収する大魔法、《知恵の界面フリーゲン・サジェッツァ》。


 半日に渡りのべ三十名あまりの執行官が、代わる代わる呪文を唱え魔力の吸収を成功させた。もっとも、ラプトルが無用な抵抗をしなければもっと早くに終わっていただろうが、日々鍛錬を重ねる宮廷執行官の実力を、国王に証明する絶好の機会ともなったのは皮肉な話だった。


 ラプトルはキセルを置いて立ち上がり、私服に着替えようと綿の寝間着を脱ぐ。網目状に重なる黒い筋が、ラプトルの肌という肌を、鼻先からかかとの裏までびっしりと埋め尽くしている。

 魔力を抜かれた者の証だ。

 魔導士たちはその模様を"千蛇(せんじゃ)の巣穴"と呼び畏怖した。魔力を抜いたところで目が見えぬわけでも、口がきけなくなるわけでもないが、魔導士にとって魔力を抜くとは、体の半分を失うに等しかった。




 *




 使用人に旅立ちの準備を託し、ラプトルとエンデは王宮の霊苑に立ち寄った。

 土を積まれて作られた丘に、あの日、光の魔導士を逃がすまいと勇敢に立ち向かった一人の使用人が眠る。


 ”グリム・オズワート 名誉武官”

 ”魂はエデルの神託(しんたく)(たま)う永き旅路へ”


「彼女の両親が、王宮での埋葬を望んだそうです」


 ラプトルは、生前の彼女には分不相応な豪華な墓標の前に膝をつき、胸の内で形式的な礼拝の句を述べた。

 この丘に眠る名立たる軍師、英雄に負けずとも劣らず立派で手の込んだ墓標は、雨風にさらされ草根の絡んだ他のそれらとは違い、美術館の彫刻作品のように美しく堂々と(たたず)んでいる。


「オズワートは息絶えるまで、裏切り者を行かせまいとその足を掴み続けていたそうです。国王は彼女の行いを王国軍の規範とすべく、逝去したオズワートに名誉武官の称号を授けられました」


 ラプトルは立ち上がり、膝についた土をはらう。

 顔を上げると強い風が吹き、紫がかった黒髪が舞い上がった。


 まっすぐに伸びる赤い道を、二人は無言で進む。

 すれ違う使用人の姿が途絶え、絨毯を踏むかすかな足音だけが響く。

 目的の部屋の前で、「では、私はここで」とエンデが足を止めた。


 ラプトルは手短に、彼への感謝と別れの言葉を告げた。

 錆色のドアノブに手をかけ、深呼吸をして重い扉を押す。

 よく温まった部屋の空気が隙間から流れ出て、ラプトルの冷えた体を包み込んだ。


「騎士長!」


 右目を革の眼帯で覆った部下が、いつもの仏頂面を珍しく崩して立ち上がる。


「お身体の具合は……」


 顔の痣を見て胸を痛める彼とは対照的に、ラプトルは「心配かけたわね」といたって冷静に返した。

 サッシに座るライブリーは、旧友の変わり果てた姿に特に動じることもなくワインを煽る。


「で、アングレアに来るのか? 嫌ならここに残っても構わないと、ローゼス殿下は仰っている」


 質問と同時に扉の向こうから「ラプトル様」と呼ぶ声がし、使用人はまとめ終わった荷物を置いて去っていった。

 ライブリーは「話が早くて助かる」と、大量のトランクを見つめる。何をそんなに持って行く物があるのか疑問だが、わざわざ口にすることはない。


 まだ心配そうな表情のフレイゾンが「騎士長」と呼びかけると、ラプトルは「もう騎士長じゃない」とライブリーを横目見て言った。「お前がこだわるなら譲ってやってもいいが?」という軽口に、今は言い返す気力もなく重たいため息をつく。


「……私は、殿下に合わせる顔がない」


 出会って二十年、初めて彼が口にした弱音らしい弱音にさすがのライブリーも口をつぐんだ。

 フレイゾンも同じく、最年長のライブリーと並んで騎士たちの精神的支柱でもあった男の弱々しい姿に、動揺を隠せない。


「騎士長……。たとえ魔力を抜かれても、騎士長のこれまでの働きを軽んじる者はいません」


 職務を共にした部下の激励にもラプトルは眉一つ動かさず、「……もう騎士長じゃない」と冷めきった目で遠くを見た。部下の温かい言葉は胸に響いただろうが、その表情は虚無である。

 これから起こる事が予想できたライブリーは、気まずそうに腕を組んで目をそらした。




「この、間抜けが」


 その言葉とともに、ラプトルの蹴りがフレイゾンのみぞおちに食い込んだ。

 予想外の一撃に何の構えもなかった体は盛大によろめいて、背後の食器棚に叩きつけられる。


「う゛っ──!?」

「己の愚行を理解する頭もないか。フレイゾン」


 陶器の皿は棚の中で混ぜこぜになり、真下の男に降り注ぐ。

 首をすくめたライブリーは小さく口笛を吹き、床に散らばる皿の破片とラプトルを交互に見ながら、別にこの状況は面白くも何ともないが、もう笑うしかなかった。


「死して王女の盾になると、エデルの銀杯(ぎんはい)に誓った言葉は偽りだったか?」


 フレイゾンは「申し訳ありません──っ」と息も絶え絶えに、喉をせり上がってきた酸味のある液体を胃に押し返す。光の魔導士との戦いで負った傷と、エンフィールに受けた拷問の傷が同時に開き、全身のいたる部分に赤い液体が滲んだ。

 そろそろフレイゾンが可哀想になってきたライブリーは、「そこまでだ」と小さな猛犬の牙を収めさせた。


 ラプトルは床に転がったままの部下を靴の先で小突き、「立て。荷物を馬に乗せろ」と命じて部屋から追い出した。


「はぁ……」


 ライブリーはため息をつき、棚の中で無事だったグラスを手に取る。


「気持ちは分かるが……まずは、お前たちを助けた俺への礼だろうが。大変だったんだぞ。特に女王のお怒りは相当だった」


 注いだワインを、ラプトルは当然のように奪って口をつけた。


「非能者が。王族の血を引いているというだけで偉そうに」

「おい、口を慎め」

「術無しの非能者。差別ではなく事実よ」

「言ってはならんことがある」

「知ってる? グラン・カリヨンという国では、魔力の無い者を非学者と呼ぶらしいの。学ばぬ者。学の無い者──」


 旧友との会話が次第に面倒になったライブリーは、「平和的解決(イシューパニッシュ)」と唱えて片づけを続ける。それは言葉を奪う術。ラプトルは歯を噛みしめ唇の端を引きつらせた。無理やり言葉を押し出そうとするが、生まれるのは沈黙だけだ。


「積もる話はアングレアに戻ってからだ」

「……」

「お前は自分の魔力の回復に集中しろ」


 間もなく「運び終わりました」と戻ったフレイゾンは、ソファの上で口を閉じふてくされる元騎士長をいぶかしげに見る。新騎士長は彼が残したワインを飲み干し、「さ、行こうか諸君」と手を叩いた。


 旅立ち前の城は、いつもより静かだった。

 とても祝福される門出ではない。餞別(せんべつ)の言葉を手向ける者はなく、触らぬ神に祟りなしと、臣下たちは彼らを遠巻きに見ていた。


 三人は赤い絨毯の廊下を、兵舎の棟に向け歩く。


 壁には歴代の軍師の肖像画が並び、冷たい視線が三人を見下ろしている。均等に掛けられた額縁は、とある一箇所がぽっかりと不自然に空いていた。国王ヨハネスが第三王子ヨハネスであった頃、彼の騎士長を務めた一人の魔導士がいた。火焔のリントブルムことギルバート・リントブルム、王国が誇る天性の炎使いの肖像画はもうそこにはない。


 内廷(ないてい)の見える回廊に差し掛かった時、ライブリーは二人が、王女エアリスの眠る一室に視線を向けたのに気が付いた。護衛失態に激怒した国王の接触禁止令により、エアリスへの面会は今は叶わぬ夢だった。


 ラプトルは術を解いてやったにも関わらず、唇を真横に結んだまま。

 フレイゾンは言葉を探しているようだったが、結局一言も発さない。


 少しは思い出なり語り合えばいいものを、白けた奴らだとライブリーは思った。




=魔法解説=


【フリーゲン・サジェッツァ】

 その意味は『知恵(ちえ)界面(かいめん)』。

 対象の魔力を吸いつくす。魔導士の処罰を目的として発明された、世界三大魔法の一つ。

 魔力は時間の経過で回復するため、これ単体では大した処罰になりえない。

 処刑・鞭打ち・拘束などの刑罰を確実に執行するための「事前準備」である。


 魔力の強弱に関わらず、これに抗える者は存在しないと考えられる。


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