一階ごとに記憶が消える塔ー③
この塔から帰ってきた冒険者は言った。
道中の魔物さえ倒してしまえば、あとは簡単だ。
ハーピーツインは塔の一階にいた。
連れて帰りたい可愛さだったが、起こすのが忍びないほどスヤスヤと眠っていた。
レビンは膝を抱えて座る。
たった今塔に入ったばかりなのに、ひどく疲れ切っていた。
「よし」
エラは立ち上がり、広間の中央に氷の塊を造る。自分の術だと分かるよう、この前道具屋で一目惚れして買った鳥の置物とそっくりの形にしてみた。
同じ階を繰り返して訪れたとしても、これを見ればすぐに気づくだろう。
「下りてみない? 一階に戻れば出口があるでしょう」
レビンが言うが、エラは否定した。
万が一、ここが地下の階だったら──。
エラは、この塔から生還した者がどう動いたかを想像する。
おそらく記憶を失った事実にも気づかないまま、無意識に上り続けただろう。
何もない一階を見たあと、大半の人間は「上」を選ぶはずだ。
「上るしかないな」
エラは、コートに『上へ』と記す。
階を移動した後、「下りる判断」だけは絶対にしてはいけない。
片方が残り、先に行った方に「コートに書いてある通りにしろ」と伝えてから上る。そうして、必ず階段を上る選択をし続けなければならない。
二人は話し合い、エラが先に行き、レビンが下から指示を出すことになった。
もしエラが信用しなければ”あの合言葉”を使う。
「私が先に行った方が……」
「上に何があるか分からない。もし魔物がいたら、ね」
魔物と聞いて、レビンはたじろぐ。
確かに自分は魔法が使えない。この暗い塔で明かりさえ灯せない。
弱気になった瞬間、レビンは涙を溢れさせた。
「……ごめんなさい、そうね、エラが先に行った方がいい」
エラは、彼女の心が限界に近いことを悟る。
「全て説明しなくていい。”コートの文字は正しい”と言って」
「分かった」
「私が疑えば」
「”あなたは光の魔導士”」
「そう。きっと上手くいくよ」
そう励まして、エラは階段を上がった。
一回目。
「エラ、こっち! 階段の下!」
「レビン?」
「コートの文字! その通りにして!」
エラはコートの焦げ跡に眉をひそめ、記憶がどうとかという文章に首を傾げる。
「なんだこれ」
「信じて! あなたは光の魔導士!」
エラの表情が変わり、文字を読み終えると穏やかに微笑んだ。
「そっち行くわよ、いい!?」
「うん。おいで」
二回目。
エラはレビンに状況を説明し、合言葉を伝えて上へ行く。
コートを見て不思議そうにするが、レビンが叫ぶ。
「あなたは光の魔導士!」
三回目。
四回目。
五回目。
レビンに異変が起きる。
「──というわけで、私たちの記憶は消えているみたいだ」
今回も同様の説明をするエラに、レビンは突然悲鳴を上げて掴みかかった。
「なんで入り口がないの。ここから来たじゃない、今」
「レビン」
「壁を壊して外に出ましょうよ。あなた魔導士だから、できるでしょ」
「多分、それが駄目だったから今こうして──」
肩に手を置くが振り払われる。
たった今、塔に入ったばかりで何故こんな状況に。
その感情はエラも同じだが、壊れたのはレビンだった。
「あなた一人で行けばいい」
レビンは怯えながら後ずさる。完全に疑う目をしていた。
「いいの?」
「私、疲れたから帰るわ」
エラは唇に手をあて、「後悔は……しないか。全部忘れるみたいだしな」と小さく言う。
落ち着いたレビンが力なく笑った。
「ごめんなさい、取り乱して。さっきはアンデッドから守ってくれてありがとう。素材は全部あなたに譲るわ」
エラは素直に頷いた。
それにしても、不思議な塔だ。
素材を探す前に魔法式を解析してみたいが、塔に入った瞬間お腹が鳴って喉も乾いた。
次は水と食糧を持って来よう。いや、それすらも忘れるのか。
エラはそんなことを思いながら、階段を下りるレビンを見送った。
「エラ? エラ、どこ~? 真っ暗ね」
かすかに聞こえる声を置いたまま、コートを抱えて朽ちた階段を上る。
*
一通り話を聞いたイニェンは、目の前で鶏肉を頬張る後輩に聞き返した。
「で、一階でハーピーツインを見つけて塔を出たら、夜になってたってわけ?」
「そう」
「よく分かんないけど……遅いから心配したわよ」
エラは「塔の周りにいたアンデッドのほうが大変だった」とぼやく。
広間の中央で、ハーピーツインは満足そうに眠っていた。
まるでミルクをたっぷり飲んだ後の子猫のように。
起こさないようそっと近づき、羽根をむしって塔を出た。
「この羽根、ストラップとしてよく売られてるのよ。ハーピーツインは仲良しの象徴だから、友達同士お揃いで持つのが流行ったわ~」
イニェンは羽根をつまんで懐かしむ。
「ま、そこらへんの店にあるのは全部偽物だけどね」
「そうなんだ」
「占いとか信じる人は、本物を欲しがるみたいだけど」
イニェンは「私はそういうの信じないけどね」と強がり、エラが「イニェンらしいね」と静かに笑った。
ひとつ、気がかりなことがある。
一緒に塔に入った冒険者が突然いなくなったのだ。
素材は分け合う約束だったので、エラはしばらく塔の周りを探した。
それで余計に、帰りが遅くなってしまった。
「結局見つかったの?」
「ううん」
「心配ね。羽根を横取りされたって、後から文句言ってこないといいけど」
食事を終えた二人は立ち上がり、また明日と手を振り合う。
エラは今日もマリの宿屋に帰り、部屋でコートを脱げばようやくその焦げ跡に気づいた。
布地を焦がして書いた文章には、記憶がどうのこうのとある。
塔を出た時はすぐにコートを羽織り、帰りも夜道で気づかなかった。
「なるほど」
点と点が線で繋がったエラは、宿を出てコートを燃やす。
妙な気だるさや身に覚えのない魔力の消耗にもようやく合点がいった。
どうにか思い出せないものか、しばらく頭をひねったものの、思い浮かぶのはハーピーツインの愛らしい寝顔だけだった。
『一階ごとに記憶が消える塔』 fin




