一階ごとに記憶が消える塔ー②
素材屋ギルド『アンプリファイド』で、イニェンは仕事終わりのコーヒーを片手に一息ついた。
通りすがりのロブが、「エラと一緒じゃねえのか」と声をかける。
「私はソロ派なの」
「最初のうちくらい一緒に行ってやりゃいいのに」
「あいつは一人でも大丈夫よ」
イニェンはぐっと伸びをし、今朝出発した後輩の姿を思い出した。
「今日はハーピーツインの羽根を取りに行く、って言ってたわ」
「また丙級クエストか。凄いなぁ」
ハーピーツインといえば、大人しく力も弱い魔物だ。
美しい羽根はストラップやアクセサリーになる。
生息地の周辺は足場の悪い渓谷で、アンデッドも出現することから、あまり人気のないクエストだ。
「もう戻ってきてもよさそうだが」
「あいつ馬乗れないから、歩いて行ってるのよ」
「マジかよ?」
「最悪、現地の宿屋で一泊するつもりかも」
それだとハーピーツインの報酬を考えたら、赤字になってしまう。
二人は笑い、雑談は最近ギルドの近くにできた海鮮料理屋の話題に移った。
*
エラはまた、壁に長い穴を開けた。
結果は変わらず、次は上を開けようと天井に炎を放つ。
最後は床を撃つ。
階段が下に続いているのだから、床を貫いて下の階が見えるはずが──まるでこの階だけ地の底に埋まっているかのように、石の塊が現れただけだった。
レビンは防御膜の中で、「壊れるからもうやめてー!?」と叫ぶ。
「下の階がどうなってるか見てきてくれる?」
涙目のレビンが「うう……」と立ち上がり、階段を下る。
エラは彼女の帰りを待った。やけに遅いので、「レビン?」と階段の下を覗く。
「う、すごい臭い……」
「下はどう?」
「エラ? いつの間に上に行ったの?」
階段を挟んで、二人は目を合わせた。
「下は何も起きてない?」
「暗くて見えないわ」
炎の魔法で、と言いかけてやめた。彼女は魔法を使えなそうだ。
エラは自分で見に行こうとして、ふと立ち止まる。
レビンが、「ハーピーはどこかしら。”一階”にいるらしいけど」と言ったからだ。
「レビン、入り口ある?」
「入り口……あれ、無い? どういうこと!?」
エラは察した。
もしかして、記憶が。
すぐに上の階に来るよう声をかける。
言う通り戻ったレビンの記憶は、また巻き戻った。
「すごく荒れてるわね。誰か来たあとなのかしら」
エラが脱出のため至る所に開けた穴を見て、レビンは驚く。
「一階にハーピーはいないみたいね。二階に上がってみましょう」
エラは黙って見送った。
上階に移動した彼女は同じことを繰り返した。「あれ? エラ? エラ~?」と呼ぶレビンに、こっちだよ、と階段の下から答えた。
「うわ。あなたいつの間に下りたの」
決まりだ。エラは胸の内で呟く。
この塔は階を跨ぐと、記憶が”塔に入る直前”まで巻き戻されるらしい。
すると、ハーピーツインが一階にいるという情報も納得がいく。
実際に見つけた冒険者は、皆そこが一階だと思い込むのだ。
だが、レビンが演技をしている可能性もある。状況があまりにも不可解すぎるし、エラは彼女のことをまだ一ミリたりとも信用していない。
エラは最後の確認をすることにした。
自分が身をもって試すのだ。
このまま上に行けば、塔のからくりに気づいた記憶を失ってしまう。上階のレビンに説明してから階段を上がり、自分に説明し直してもらおう。
未来の自分が、レビンの言うことを信じるかどうか。
やってみるか。
エラは「レビン、聞いて」と切り出す。
「そこは一階じゃないし、階を移ると記憶が元に戻るみたいだ」
「ん……?」
「今からそっちに行く。私は今話したことを忘れるだろうから、同じことを説明し直してほしい」
「ええっ……?」
「それと、この”合言葉”も私に伝えて」
エラが口にした合言葉に、レビンは眉をひそめながらも「分かったわ」と頷いた。
塔に足を踏み入れたエラは、「面倒だ」と呟き火の玉を広げる。散らばる火が、内部の広大な床を照らす。
隣のレビンが「覚えてる……?」と顔を覗き込んだ。
何の話か、エラは少々考え口を開く。
「ああ。手に入れた羽根は平等に分け合おう」
レビンが突然険しい表情に変わり、「聞いて! お願い!」とまくし立てた。
「あなた今、下の階から来た! ここは一階じゃない! この塔は階を移動すると記憶が無くなるの! あなたが私にそう説明した! でもあなた、覚えてない!」
エラは、「……?」と訝しげな顔をする。
「なにその顔!?」
「……あまりにも急で」
「あなたに言われた通りにしてるのよ?」
「急にどうした」
苦笑するエラに、レビンはたたみかける。
「合言葉があるんだけどね?」
「うん」
「”あなたは光の魔導士よ”」
瞬間、エラの瞳孔がキッと縮まる。
微笑みはそのままだが、笑っているのは口だけだ。レビンはあまりの殺気に全身の鳥肌が立った。
「そっか。本当なんだ」
打って変わってすんなり飲み込んだエラに、「何なのよ、もう……」とレビンはぼやいた。
エラは脱いだコートを床に広げる。
炎の魔法で生地を焦がし、ひとまずレビンから聞いた通りの状況を記す。
「さて、どうするか」
エラは顎に手を当てる。
過去の自分に何が起きたか知らないが、その名を明かすとは──事態は深刻だ。
壁の破壊を思いついたがやめておいた。過去の自分ならとっくに試しているだろうし、それで解決しなかったからこうなっているのだろう。そう考えた。
「戻るのは記憶だけかな。魔力の消耗が合わない」
「確かに……今入ってきたばかりなのに、すごく喉が渇いてるのよね」
レビンはどれだけの時間、自分たちが塔を彷徨っているのか不安になった。
”本物の一階”に行けば出口があるのだろうが、ここが何階なのか、過去の自分たちが何回上って何回下ったのかはもはや分からない。進めばまた記憶は失われる。
「……動くの、怖いわね」
小さな呟きがエラの耳に入った。
「いざとなれば塔ごと壊して脱出しよう」
「じゃあ今やってよ……」
「ハーピーが死んでしまう。最終手段だ」
「できないんでしょう……」
「大丈夫」
「……」
レビンの身体は少しずつ蝕まれていた。
空腹や、喉の渇きが巻き戻ることはない。
記憶以外はすべて持ち越される。
これまで感じた驚き、不安──精神的疲労は残り続ける。
「レビン?」
「ごめんなさい、急に力が抜けちゃって。塔の周りの魔物で疲れたのかしら」
ひび割れた石の床に、レビンがしゃがみ込む。
息は浅く声にも力がない。
エラは杖を置き、冷たい石壁にもたれた。




