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姉はイルトヴァへ◆


 片耳にレースをあしらった女は、エーデルニア東部の港町セント・リリアに辿り着いた。

 潮風にあおられた髪が、羽織りからこぼれ落ちる。そのブロンドに気づいた男たちが女を取り囲んだ。


「ようこそセント・リリアへ」

「お嬢さん、旅人かい?」

「一人で来たのかい?」


 馬を下りた女が「いいえ。()()が一緒よ」と答える。

 男たちは笑みを消し、「そうかい、良い一日を」と煙を吐いて立ち去った。


 女は髪をフードに収め直し、馬の手綱を引いて歩き出す。




 追っ手の心配よりも、道中は魔物との戦いに苦労した。ここへ来るまで、王都近辺には生息しないはずの強力な魔物と何度も遭遇した。

 港に着くと、女は乗ってきた馬を二束三文で売り、人混みをかき分けて船着場へ急ぐ。

 案内人にコンドライト行きの船を尋ねると、予期せぬ答えが返ってきた。


「コンドライトへの直行便てのは、ここには無いな」

「東の港に来ると聞いたけれど?」


 近くで聞いていた船員が、口を挟む。


「そりゃビンセント公国のことじゃないか。公国の東にニューセントラルって港町があって、この時期になるとコンドライトの連絡船が来る」

「そうなの……」


 港に近づく船が大きなラッパを鳴らした。

 案内人は声を張り上げる。


「明後日、ここからニューセントラル行きの船が出る。行ってみるといい」


 船員たちは木箱を次々と船から下ろす。一人が姿勢を崩して倒れかかったので、浮遊の魔法で支えてやれば「サンキュー、姉ちゃん」と威勢の良い声が返ってきた。

 女は船員に手を振り、靄のかかった海を見つめる。


「明後日? もっと早い便はないの?」

「それがなぁ、出航に時間がかかるんだ」


 案内人は煙草に火をつける。


「殺人鬼がこの辺りをうろついてるって噂でさ。王都で何があったか知らんが、昨日から王国軍が警戒してるんだ」


 彼の視線の先に、数人の王国軍兵士の姿があった。

 女はとっさにフードに手を添え、「分かったわ。それじゃあ」と(きびす)を返した。



 どうしたものかと、早朝のセント・リリアを早足で進む。

 ふと目についた飲み屋のドアを押した。女は店員に「ワインを頂戴。あの人たちにも」と言い、朝っぱらから出来上がっている男たちを指さした。


 店員がトレイいっぱいのグラスを持ってくると、「一緒にいいかしら」と集団の輪に入った。

 中心の男が「女神に乾杯!」と大声を上げ、女を歓迎する。店員は床に落ちたジョッキを面倒そうに拾い、厨房に戻った。


 女はさっそく、ここ最近のセント・リリアについて尋ねた。

 波止場の案内人から聞いた通り、王国軍が乗客の検査という名目で港をうろついているのは事実だった。すっかり酒の回った髭面の男が、「あいつら、しれっと積み荷の肉を盗んでくんだ」とテーブルにグラスを叩きつける。


「皆は船乗り?」

「おう。ビンセント公国から来たんだ」


 髭面の男が窓から指さしたのは、隅に停泊する小さな帆船。


「ビンセント公国に、コンドライトの連絡船が来るんですって?」

「ああ、ニューセントラルにね」

「その連絡船に乗って、コンドライトに行くことってできるかしら?」

「まぁ、いくらか払えば」


 タコのように顔を赤くした男が、「姉ちゃんコンドライトに行きたいのか?」とグラスを煽る。


「ええ」

「それなら一旦ミュンバルに行った方がいい。ミュンバルって知ってるか?」


 故郷で外国語の教師をしていた女は、「もちろん」と頷く。王国とコンドライトのちょうど中間に位置する、鉄鋼業の盛んな国だ。


「いや、サザナタを経由した方が安いんじゃないか?」

「いや、シャンミーを経由する手もある」

「いや、一緒に公国に帰って船を探してあげようぜ」


 あれこれと飛び交う提案の中、女が「今すぐ出発したいの」と言えば、片目の潰れた男が「それならミュンバルに行くんだ」と指を立てた。


「今日の正午、セドソン造船の船がミュンバルの『イルトヴァ』という港に行く。イルトヴァならコンドライトへの船が出てるはずだ」

「そうなのね」

「もう少し寒くなると港も閉まるだろうから、最悪数ヶ月の足止めは覚悟しておけ」


 髭の男が「エーデルニア語は通じねえぞ?」と心配する。

 女は微笑み、「親切にどうも」と席を立った。


「気をつけろよ、旅人の姉ちゃん」

「またどっかでなぁ」

「公国に来ることがあったら、ニューセントラルのイドラル港運に寄りな」


 女は賑やかな船乗りたちに別れを告げ、飲み屋を出ると道を注意深く見渡す。

 正午というなら時間がない。

 ──イルトヴァ行きの、セドソン造船の船。

 小声で何度も繰り返しながら、また案内人のところに戻ろうかと考えたところで、人混みに王国軍の集団を見つけ慌てて路地へと逃げ込んだ。


 (ひづめ)の音が近づく。放置された荷馬車の影でやり過ごそうと息を潜めると、今度は路地の奥から聞き覚えのある声がした。


「ようこそセント・リリアへ」

「お嬢さん、旅人かい?」

「一人で来たのかい?」


 先ほど埠頭(ふとう)の市場ですれ違った男たち。

 彼らが一人の少女を取り囲み、ボトルを押し付け何かを飲ませようとしている。

 少女は怯えながら、異国の言葉でまくしたてる。


「言葉が分からないみたいだ」

「どこの子だ? まぁ、どうでもいいか」


 まんまとボトルの中身を飲んだ少女は、激しくむせてよろめいた。


「仲間がいたら面倒だ、とっととやっちまおう」


 少女は叫びながら、激しく抵抗する。


「このガキが……骨を折ろうか?」

「これ以上傷つけるな」

「そういうのが好きな野郎もいるさ」


 男が少女の背中をこん棒ではたけば、苦しみながらもその腕に噛みつき、今度は汚い言葉と共に腹を蹴られるが、少女は呻きながらしぶとく(あらが)った。


 女は荷馬車を飛び出した。

 うずくまって血を流す少女の前に立ち、「お前、さっきの──」と驚く男たちに向かって”騒がしい者の口を塞ぐ魔法”を唱えた。


「《平和的解決(イシューパニッシュ)》」


 唇が、縫い合わせたように固く閉ざされる。

 男たちは突然の出来事に、武器を落として取り乱した。


 騒ぎを聞きつけた王国軍が「悲鳴がしたぞ」「そこで何をしている!」とこちらに向かってくる。

 女は少女の傷を治癒し、「行きましょう」その手を掴んで路地を走り抜けた。


「ぐぐ──ムグっ!」

「うぐぐぐっ!」

「なんだこいつらは……薬でもやっているのか」

「面倒だ、放っておけ」


 駆け付けた兵士たちは、口を押さえて暴れる奇怪な男たちを軽蔑の目で見下ろした。






 防波堤の潮騒に耳を傾けながら、女は少女が落ち着くのを待つ。

 正義の味方になりたかったわけではない。この少女がミュンバルの言葉を話していたのが、助けた最大の理由だった。


「お嬢さんは、一人で旅行かしら?」


 少女ははっと顔を上げる。


「言葉が分かるの? お姉さんはミュンバルの人?」


 小さな体を乗り出す仕草が、妹の面影と重なった。

 女は質問には答えず、立て続けに問う。


「ミュンバルにイルトヴァという港があるか知ってる? そこからコンドライトに行けるって本当?」

「え、ええ……その通りだけど」


 答えに満足した女は、「では私はこれで」とベンチから腰を上げた。

 少女は慌てて、海風になびく外套を掴む。


「助けて……どうしたらいいか分からない」


 少しの間の後、「ミュンバルに帰りたい」と蚊の鳴くような声で言う。瞳からこぼれた雫が、乾いた地面に丸い跡を作った。


「私は村一番の魔導士でした。勘違いして、偉大な魔導士になると言って、パパとママと喧嘩して家を飛び出して……でも、さっきは怖くて何もできなかった……」

「帰るのが恥ずかしい?」

「今すぐ帰りたい……」

「では、一緒に行きましょう。勇気のあるお嬢さん」


 少女は、女が差し出したハンカチで涙を拭う。

 名をマディスタといった。


「マディスタ。船代は出せる?」

「全然……」

「ではあなたの分も出してあげる。その代わり、一芝居打ってほしいの」


 マディスタには断る理由もないが、一体どんなことかと首を傾げる。

 頭上では積み荷の魚を狙う海鳥が、壊れたオーボエのような鳴き声を響かせた。





 船体に大きく『セドソン造船』の文字が刻まれた船の前で、タラップの周りは大変に混みあっていた。


「王女を襲った魔導士とその家族を探している! 顔を見せろ!」


 甲板から身を乗り出した船乗りが、「兵隊さん、さっさとしてくれ!」と叫ぶ。


「最後、そこの二人」


 ついに順番が回ってきた時、女に言われた通り言葉の分からない素振りを見せるマディスタ。

 兵士は、マディスタの背後にいる女を睨む。


「乗客名簿に記載が無いが?」


 地上の船員が、マディスタのミュンバル語を通訳して兵士に伝えた。


「ここで雇った荷物持ちだ、と言っている」

「こんな子どもが使用人を買うのか?」

「あらかた、ミュンバルの武器商の子だろう。金持ちの考えることは分からん」


 続けて、船員はマディスタから耳打ちされた言葉を訳す。


「”騎士の皆さま”によろしく伝えておいて、だそうだ」


 騎士と聞いた兵士はたじろぎ、「も……もうよい、行け」と二人を追いやった。


 船尾の男が出航のラッパを奏でた。

 係船ロープがいっせいに外れ、船は巨大な帆を広げる。


「騎士って何? どうして詳しいの?」


 マディスタは、風に吹かれて舞い上がる髪を押さえながら問う。女は輝く海面を見つめたまま、唇にそっと人差し指をあてた。

 (もや)が晴れ、すっかり視界の良くなった港を見下ろす女は、飲み屋で出会った船乗りたちが地上から手を振っているのに気づき、大きく手を振り返したのだった。




 白い帆はセント・リリアの秋風を掴み、その巨体を群青の大海原に向かってゆっくりと押し出した。

 女はフードを脱ぎ、陽光のような金の髪をなびかせ(はかな)げに微笑んだ。


「私はオペラ、探し物をしている魔導士よ。イルトヴァまでよろしくね、マディスタ」


 船は防波堤を抜け、陸地の人々は水面の泡粒ほど小さくなった。

 セント・リリア港の喧騒(けんそう)は、船体にぶつかる波と風できしむマストの音にかき消され、やがて聞こえなくなった。




=魔法解説=


【イシューパニッシュ】

 その意味は『平和的解決(へいわてきかいけつ)』。

 騒がしい者の口を塞ぐ。

 この魔法の発動条件は、声の大きさではなく、発動者が煩わしいと思うかどうかである。


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