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王都脱出ー②


 シルーシェが両親に見せたのは、光の魔法の発動式である。

 論文を読み込んだ父ギルバートは、光の魔法が実現可能であること、しかしそれは言い伝えにあるような"おまじない"ではなく、とにかく絶大な威力を秘めた破壊の魔法であることを理解した。

 シルーシェは静かに語る。


 呪文は《メラノレウカ》。

 意味は『(あまね)蹂躙(じゅうりん)する光』。

 そして、


「理論上、このワイトマリシア地方に穴を開けるほどの爆発を、簡単に引き起こせます」


 と、締めくくる。

 にわかに信じられないという顔で、ギルバートはその紙束を擦り切れるほど読み返した。


「どうやって思いついたの?」


 母のカミーリアが問う。

 シルーシェは「気がついたら……?」と、答えにならない答えを返した。

 カミーリアは、何かの間違いではと声を震わせるが、父は否定しない。


「辻褄は合っている。矛盾が見つからない」


 論文を持つ手は震えている。

 もう少し説明が必要かと思っていたシルーシェは、大魔導士ギルバートが文字だけで光魔法の理屈を理解したことに、少し鳥肌が立った。


「論文を誰かに見せたか」

「一部分だけですが、フレイゾンという騎士に」

「そいつはこれを理解できるような男か?」


 シルーシェは首を横に振る。


「他には?」

「ラプトルという、エアリス殿下の騎士長にも、数枚だけ見せたことがあります」

「あの小僧が騎士長か……昇進したな」


 ギルバートは「ラプトルに知られてはいかん。もちろん他の者にも」と、拳を握った。

 これをどう扱うか、考えねばならない。

 間違いなく歴史が変わる。

 現時点で光の魔法を扱えるのは、シルーシェとギルバート、その二人だけだ。


「お前は、今まで通り研究を進めなさい。もしかしたら間違いがあるかもしれない」


 蝋燭の火は、ギルバートの動揺を映し出すように揺れた。

 カミーリアは「大丈夫。私たち家族なら」と、シルーシェの肩を抱く。

 娘を落ち着かせるように、または自身に言い聞かせるように。


「もしも論文が見つかってしまったら、この事実を知る者を最小限に抑えること。そして、父さんと母さんを信じること」


 シルーシェは頷いた。


 それから両親の言葉通り、理論が本当に正しいのか、魔法式の計算を何度も繰り返した。

 しかし精査を進めれば進めるほど、証明されるのはただ一つ。

 光の魔法は間違いなく実現可能であり、魔法式には一片の狂いもない、という事実だけだった。




 *




 その日、生徒たちは講堂に集まり浮足立っていた。


「静かに、静かに」


 手を叩きながら現れた教師は、まず今回の試験は平均点が悪かった、この科目が、この課題がと一通り述べた後、最後に生徒たちの一番の関心事である、高得点者の表彰を行った。


「それでは、一位」


 広間が静寂に包まれる。


「サイモン・ジャビル」


 予想外の名に、生徒たちはどよめいた。

 三列目の席に座る少年は満足そうに頷き、取り巻きの生徒が興奮気味に肩を抱いた。


「二位、アンナ・オズワート」

「三位、ロイ・シュトレイネン」


 名前が読み上げられるたびにあちこちで湧く歓声の中、シルーシェは、学校の門を馬車が通り過ぎたのを見逃さなかった。

 早足で講堂を後にし、鞄の奥にしまっていた金の腕輪をつけ、手櫛(てぐし)で髪を整える。


「試験お疲れ様」


 今日の迎えはフレイゾンではなく、彼の上司のラプトルだ。

 小柄で線の細い男だが、彼も王女エアリスに仕える立派な騎士である。


 シルーシェは「どうも」とだけ返し、馬車に乗り込む。

 すれ違いざま、ふわりと花の香りがした。


「ひどい雨が降りそうね」


 ラプトルは馬を急かした。

 曇天の空では、エラという名の鳥がギーギーと特徴的な鳴き声を上げる。気圧の変化を感じ取る器官を持ち、エーデルニアではもっぱら天候が崩れる予兆として知られる鳥だ。


「ところで、試験はもちろん一番だったんでしょうね」


 ラプトルが上目遣いに笑う。

 シルーシェの返事を聞くと、「あら珍しい」と驚いた。


「ここのところ、研究室にこもりきりだったものね。勉強どころじゃなかった?」

「いえ、まぁ。今回は私の苦手な問題が多くて」


 シルーシェは肩をすくめる。

 にこやかなラプトルは、ふと遠くで聞こえた雷鳴で表情を元に戻す。絹糸のような雨が、馬車の帆を濡らしはじめた。


 王宮に着いた頃には、すっかり土砂降りとなっていた。

 馬車を降りた二人は全身ずぶ濡れのフレイゾンと鉢合わせた。


「あら、集会は?」

「中止です」


 フレイゾンは雨で張り付いた前髪を、鬱陶しそうにはらいのける。


「それじゃあ、お偉方(えらがた)は今から宴会ね」

「でしょうね」

「あとは私が相手をするから、あなた、彼女の研究に付き合ってあげなさい」

「そうします」


 フレイゾンは短く答え、「着替えてくる」と立ち去った。


 城の者たちは、シルーシェをにこやかに出迎えた。

 王宮を出入りするようになって、もう二年が経とうとしている。

 シルーシェは慣れた手つきで、その部屋の扉を押した。


 研究室という名の書庫には、質素な机と硬い椅子、額縁の朽ちたロウ版、そして棚に収まりきらない魔導書が床にまで散らかっている。

 間もなく、くたびれた顔の男がリネンで髪を拭いながらやってきた。


「最近、よく閉じこもってるな」


 シルーシェは無言で、蝋燭に指先の火を移す。

 しばしの沈黙の後、フレイゾンは「邪魔なら帰るけど」と切り出した。


「ラプトルは俺を休ませるために言っただけだ」

「……いや、ちょっと聞きたいことがある」


 シルーシェは、振り返ることなく引き留める。


「もし私が光の魔法の研究をやめたら、どうなる?」


 唐突な一言に、フレイゾンは「……は?」と呟き、気だるげに木箱に腰かけた。


「シルーシェ・メイホープ・リントブルム。王室にここまでしてもらっといて、もう飽きましたとか言うんじゃないだろうな」

「もしもの話だ」

「……まぁ、誰も責めやしねえだろ。そもそも光の魔法なんて、実在するかも怪しい言い伝えなんだ」

「私は、普通の学生に戻れるだろうか?」

「それはどうだろうな。エアリス殿下はお前を相当気に入ってるから、何か別の理由をつけて、王宮には置いておくだろうさ」


 タオルを肩にかけたまま、フレイゾンは一息つく。


「……俺は、お前はここにいない方がいいと思うけどな」

「うさんくさい光の魔導士、だから?」

「今はそう思ってない」


 その答えに、シルーシェは小さく鼻で笑う。

 劇場の拍手のごとく激しい雨が、閉ざした窓を叩きつけた。


「とにかく、無理なら無理だって早めに言ったほうがいいぞ」


 シルーシェは答えない。

 魔導書を開き、もう話は終わりだと言わんばかりにフレイゾンに背を向けた。


 太陽のように明るい稲妻が、シルーシェの黄金色の髪を美しく照らす。

 やまない雨は窓を流れ落ち、二人してこの部屋ごと、何もかも水に飲み込まれてしまうのではないかと思えるほどだった。




 *




 今日も真っ先に気づいたメイザが来訪者を出迎えたが、そこに姉の姿はない。

 数年に一度という豪雨の中、馬を走らせてきた男の羽織は跳ね返った泥で汚れていた。メイザは思わず身構える。


 だが、「これはこれは、ジャビル殿」と声をかけたのは父のギルバートだ。

 男は「昨年の評会ぶりですな」と、ギルバートの握手に応える。


「シルーシェお嬢様についてだ。この雨であるから、今日は王室で預かることになった」

「貴殿なら私を言いくるめられるという算段か?」

「あはは、勘弁してくれ、ギルバート騎士長」

「どうだ最近は」

「あちこちで魔物が出てかなわんよ。先月は村への輸送ルートが──」


 男は、王室が(つか)わした伝令だった。

 元王室魔導士の父とは顔なじみのようで、世間話が長引きそうな予感がしたメイザは早々にその場を後にする。

 居間で様子を伺っていたオペラが「今日はおやつは無いみたいね」と肩を落とす。


「この前、お父様とお母様とシルーシェ姉さまが、秘密のお話し合いをしていたんだけど」


 メイザはふと思いつめた顔で、オペラに耳打ちした。

 何のことか見当もつかないオペラは、「へえ」と雲をつかむような相槌を打つ。


「何の話?」


 会話に混ざったのは、雨漏りの修繕を終えた兄のアントニー。

 メイザは二人に、シルーシェが悩み事を抱えているのではないかと打ち明ける。

 しかし、誰も何ひとつ思い当たる(ふし)はない。考えあぐねたアントニーが「まさか留年か?」とひらめいた。


「あいつ早退する日が多いから、単位足りないんじゃないの」


 オペラが「それは大変」と驚き、メイザは「シルーシェ姉さまがそんなことで落ち込むかしら」と天井を見上げる。


 姉はある日、学業のかたわら不思議な研究をはじめた。

 それが王女のお眼鏡にかない、学生の身ながら王宮に専用の勉強部屋を与えられた。破天荒な人だが、その特権をひけらかすこともなく、平然と、平凡な学生であるかのように振る舞うその謎めいた雰囲気に、多くの生徒が夢中になる。


 メイザはそんな姉を見ていると、いつも不安になる。

 シルーシェの心の中を本当に理解できる人はいないのではないか、と。

 家族でさえ、彼女が心をさらけ出す様子──泣いて(わめ)いて駄々をこねるとか、自棄(やけ)になってふさぎ込むとか、そういう普通の弱さを見たことが無い。唯一、馬に乗れないことを指摘された時だけはしかめっ面になるが、それ以外は非の打ち所がなかった。


「シルーシェ姉さまが、ダメになったらどうしよう」


 悶々(もんもん)とするメイザがついに泣き出してしまうと、オペラとアントニーは何が何だか分からないながらも、慌てて妹を抱きしめた。




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