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王子の憂さ晴らし


 リントブルム家の兄妹を追うウィンチェスが戻らない。


 あのふざけた男のことだ、見つからなければそそくさと帰ってくるに違いないのに、何を手間取っているのか分からない。

 第二王子リーダスは盛大なため息をつき、指先に力を込めて羽根ペンを折った。

 側近は慣れた手つきで回収し、新たなペンとすり替える。


 王女エアリスもいまだに目覚めない。

 魔術評会で起きた出来事は、すでに噂となって周辺諸国へ漏れ始めている。

 エアリスとの婚姻を心待ちにしているビンセント公には、一刻も早い説明が必要だ。ビンセント公国は領土こそ小さいが、エーデルニアの海上貿易を事実上支配している。エアリスを利用した婚姻政策で、友好関係を築くのが王国の目的だった。今回の事態は、外交問題そのものだ。


「ああ……本当に嫌になる」


 王子は新品のペンまでへし折り、騎士のエンフィールを呼ぶ。


「ラプトルの魔力抜きはいつだ」

「先週終わりました」

「ではさっさと首を刎ねよう。国王は何を躊躇(ためら)っているのか」

「ライブリーが説得しているようです」

「あのジジイが……あいつも一緒に処刑してやろうか」


 上手くいかないことばかりだ。

 王子は舌打ちする。


「そういや、エアリスの騎士は死に損なったみたいだな」

「フレイゾンですか」

「名前は知らん。起きたのなら、尋問しよう」


 エンフィールは、「……本気ですか」と聞き返す。


「エアリスの殺害を吹き込んだのもあいつかもしれんぞ? 光の魔導士と駆け落ちでもするつもりだったんだろう」

「彼はローゼス殿下の騎士になりましたが……」

「お前が心配することじゃない」

「しかし、ライブリーが何と言うか──」


 リーダスは、子供のわがままを諭すような口調で「エンフィール」と呼ぶ。


「何度も聞き返すな。人の話は一度で聞け。親はお前に、魔法以外何も教えてこなかったのだな」


 王子は善は急げとばかりに立ち上がった。




 *




 光の魔導士に襲われ、昏睡状態に陥った王女エアリス。

 妹の王女ローゼスは、エアリスの騎士であるラプトルとフレイゾンの身柄を引き取った。彼らを処罰したければ、今はローゼスの承認が必要である。無論、国王の命令が第一ではあるが、所有者として抗議する権利も認められる。すべては二人の騎士を守るためだ。


 その日の午後、騎士フレイゾンへの尋問は王女ローゼスの許可なく実行された。

 国王の勅許(ちょっきょ)もない。すべて王子リーダスの独断である。




 『司法処理室』へと連行されるフレイゾンを、ライブリーは「やはりか……」と眉を寄せて見下ろした。

 フレイゾンは言いつけ通り大人しくしていただろうが、魔導士嫌いの王子リーダスに目を付けられるのは、時間の問題だとは思っていた。


 この国での、王族と騎士の関係は(いびつ)である。

 騎士の損失は王国にとってメリットが無いように見えるが、騎士への処罰を止める者はいない。騎士も、甘んじてそれを受け入れる。

 騎士を守ろうとするローゼスは特異な存在だ。

 王子リーダスの反応が、この王宮内では正常なのである。


 数時間後、重い腰を上げ司法処理室──つまりは拷問部屋に向かったライブリーが見たのは、牛でも(さば)いたのかというほどおびただしい血で覆われた床だった。


「やってくれたな、エンフィール」


 飛び散る鮮血と同じ色の髪をした男に、声をかける。


「従わなければ俺の魔力が抜かれた。分かってくれライブリー」


 エンフィールは、体のそこかしこに受けた傷を塞ぎながら答えた。

 今は死体のように床に転がってはいるが、フレイゾンも病み上がりながらそれなりに抵抗したのだろう。魔力抜きもせずに事に及べば、生理的に反撃するのは魔導士としての本能だ。


「……で、何か分かったのか?」

「ああ。光の魔導士の研究室に、何か手がかりがあるかもしれないと」

「目ん玉くり抜いてその程度か」


 ライブリーは血まみれの顔面を一瞥(いちべつ)し、呆れる。

 少し興味はあった。

 もしかするとフレイゾンが黒幕ではないかという疑念が、ライブリーにも無いわけではなかったが──この男にそこまでの筋書きを考える頭などない事が、改めて分かっただけだ。


「他には?」

「光の魔導士は馬に乗れない」

「他は」

「こいつは光の魔導士との喧嘩で右腕をやられ、左利きに矯正し直したらしい」

「……他」

「もういいだろう、あとは直接聞いてくれ」


 ライブリーは「こりゃ戻らんぞ」と、フレイゾンの右目に開いた黒い穴を覗き込んだ。

 骨が見えるほどの傷でも、当人は安らかな表情で眠っている。


「殿下が退出なさってすぐ、痛みを取り除く魔術をかけた。あとは治癒魔法でどうにか」

「目までは、さすがに戻らんだろう」


 ライブリーは石の床に膝をつき、治癒の呪文を唱えてみる。まだ乾ききっていない血が、膝やコートの裾から染み込み白い布地を赤く染めた。

 一通り試しても、(まぶた)がわずかに戻った程度だ。

 ラプトルのようにはいかんな、と諦めて立ち上がる。


「ところでリーダス殿下は」

「こいつの目玉を持ってラプトルに会いに行かれた」

「……つくづく、人の心を思いやるのが上手なお方だな」

「これでラプトルが処刑されれば、殿下の怒りも一旦は収まるだろう」


 エンフィールは、返り血で汚れたコートを脱いで兵士に投げ渡す。一仕事終えた騎士長の横で、兵士たちは床や壁に飛び散った血を黙々と拭う。


「あなたはいつまで王宮にいるんだ」

「もう帰るさ。あと少しで国王陛下も説得できそうだ」

「は……上手くいくといいな」


 ライブリーはフレイゾンの出血が止まったのを確認し、「寝かせておけ」と兵士たちに告げた。生きて出ることを想定されていないこの部屋に担架など無く、兵士らは数人がかりで体を引きずり奥へと消える。


 部屋を出た二人は、周囲を確認し声を潜めた。


「リーダス殿下は怪しんでいる」


 手短に、的確な言葉でエンフィールは本題に入る。


 あの日、魔術評会の場には王子王女とその騎士、ライブリーやエンフィールは当然のこと、すべての王室魔導士が一堂に会していた。常人離れした反射力を誇る彼ら前で、王族に学生魔導士の刃が届くなど、意図的に見逃されなければあり得ないことだと。

 光の魔導士を追わなかったのも、その父ギルバートに傷一つ与えられなかったのも、すべては騎士らが光の魔導士と裏で通じていたからに違いないと。


「少し、妄想が過ぎやしないか」

「そういうお方だ」


 エンフィールは「俺が王子たちに殺される前にどうにかしてくれ」と言い残し、時間を気にするように立ち去った。





 一人残されたライブリーは、ゆっくりと柱廊(ちゅうろう)を歩む。

 脳内ではあの日の光景が繰り返される。


 ギルバートは、王女エアリス、ラプトル、フレイゾンを執拗に狙っていた。

 いずれも光の魔導士と関わりのあった者たちだ。

 フレイゾンだけでは歯が立たず、ローゼス騎士隊のゴルーサ、リーダス騎士隊のウィンチェスも加勢に入り状況は混乱を極めた。


 騎士長らはすぐに、ギルバートの目的が娘を無事に逃がすことだと察し、娘さえ追わなければ、危害は及ばないと判断した。リーダスの指摘はやや間違いで、ギルバートの力を知る騎士ほど、彼に立ち向かう選択肢の排除が早かっただけだ。


 それでもフレイゾンだけが、主を捨て光の魔導士を追った。

 ギルバートは、フレイゾンごときに娘の意思は阻めないとでも言いたげに、その背を悠然と見送ったのだった。


 ──彼の中で、何かが変わってしまった。


 自殺願望でもない限り、あの場で王族を手にかける事がいかに無謀で浅はかか、エーデルニアの魔導士が理解していないはずもない。自身も娘を持つライブリーにはなおさら、どんな事情があろうと、娘をあのような危険な目に遭わせるなど考えられもしないことだ。


 王女の謀殺(ぼうさつ)だけが目的であれば、あの光の魔導士にはいくらでも機会があった。女、学生、名のある大魔導士の血縁者とくれば、王女の心を開き周囲を油断させるのに必要な材料は揃っていた。それでも評会という場を選び、見せしめのように王女エアリスを手にかけた。


 外庭から、冷たい空気が流れ込む。

 ライブリーはコートの襟を詰めなおす。


 二十年前と変わらない。

 初めて尋問の任をうけ司法処理室へ向かった日も、庭木は色()せ、石床に枯れ葉が散らかっていた。

 目の前を歩くかつての恩師の幻に、ライブリーは馬鹿げた事だと思いながらも声をかける。


「何を考えておられるのですか。ギルバート騎士長」


 ある日の新人騎士は視線を伏せ、短く息を吐く。

 再び顔を上げたとき、幻はわずかに揺らぎ石柱の影と重なって消えた。




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