兄と妹はエリュシア街道へー③
リントブルム家の長男アントニーと三女のメイザが、ワイトマリシアから北西にあるレガノア村で発見された。
偵察兵のその一報が、まずは良い知らせだった。そして悪い知らせは、帰還できたのがその偵察兵たった一人だったこと。
兵士の証言により、リントブルム一家はそれぞれ別行動を取っている可能性が浮上した。評会後すぐ、王国軍は一家がワイトマリシアのどこかで合流すると予測し、王都のあらゆる場所を警戒していたが、散り散りになって逃げたとなれば捜索は困難を極めた。
とにもかくにも、見つかった兄と妹だけでも追わねば意味がない。
第二王子リーダスは、村の先にあるエリュシア街道での待ち伏せを提案した。王子の命で、騎士を含む十数名の王国軍部隊が出撃の準備を進める。
「じゃ、行ってきまーす……」
出発直前、騎士のウィンチェスは心底面倒そうに言った。
エンフィールが「ちゃんとやれよ」と声を掛けるが、「とっくに逃げてるでしょ、追っても見つかりませんって」と小言を漏らしながら馬に乗る。
相手はあの火焔のリントブルムの息子だ。
心してかかるように、とエンフィールは釘を刺す。
「知ってますよ……」
ウィンチェスは、そう言い残して駆け出した。
兄と妹を確保次第、処刑が速やかに執行されるよう、王子リーダスは先立って書類の用意に取り掛かる。
「殿下のご英断を妨げるつもりはありませんが……」
騎士長のエンフィールは、殺す必要はないだろうと異を唱えた。
魔力さえ抜いてしまえばただの人である。光の魔法について聞き出したり、光の魔導士を誘い出す材料にもなる。言い過ぎると自身も魔力を抜かれかねないので、あくまで回りくどく言葉を選んだ。
「殺すのがそんなに難しいか」
「そういうわけでは……」
「得意だろ、お前ら魔法使いは」
「それはもちろん、殿下を護るためでしたら」
机上の蝋燭が、エンフィールの心のように揺れる。
「腕を切り落としたって元に戻る魔導士に、拷問は意味が無いだろう」
「さすがにそこまでいくと回復にも限度が……」
王子は「そうなのか」と眉を上げて椅子にもたれた。機嫌が良くなった時の仕草である。
「では兄と妹を拷問し、光の魔導士の居場所を吐かせてから処刑する。世界中の記者に号外を作らせるんだ。兄は女のように命乞いし、妹は最後まで家族に助けを求めたと書かせよう。光の魔導士は、死体をついばむ禿鷹のように現れるだろう」
王子はキセルの煙を吐き、この日初めての笑顔を見せた。
*
走らせ続けた馬を止め、メイザは焦燥混じりの息を上げる。
風見鶏のように右を、左を見渡しても、代わり映えのしない雑木林は何の手がかりも与えてくれない。時おり頬を切りつけるような冷たい風が吹き、シラカバの枝が擦れ合う寂しい音だけが響いた。
荷馬車のわだちはとうに消えていたが、こちらの方向で間違いはないはずだと信じ、メイザは先を急ぐ。
背後から近づく蹄の音に気づいたのは、沈みかけた陽を正面に臨む夕暮れ時だった。
「こ、こんにちは」
その声に馬を止めて振り返る。
次の瞬間、メイザの放った炎の玉は少年の頭上をかすめ、背後の幹に黒い焦げ跡を作った。
「待って待って、ほんとに何もしないから!」
少年は両手を上げる。
メイザは一瞬鋭い目をしたあと、「兄が近くにいます! すっごく怖い兄が!」と叫ぶ。
少年はどうしたものかと迷うが、考える時間は無駄かと顔を上げた。
「僕はローゼス殿下の騎士だ。君がメイザって子で、アントニーってお兄さんと一緒にいたけど、今は一人だってことは知ってる」
「騎士……!?」
状況を飲み込めず固まるメイザを前に、少年は続ける。
「行こう、街道はこっちだ。君はずっと間違った方に進んでるよ」
このままでは西の海に出てしまう、と少年は言う。
陽の落ちる方角から、メイザ自身もうすうす誤った道を進んでいることに気づいてはいたが、緊張と疲労で引き返す判断力を失っていた。
少年は馬の通れそうな道を探り、時おり振り向いては後ろの少女を気遣いながら、枝葉をかき分け進んでいく。
第三王女ローゼスの騎士リヒトは、評会後すぐ彼女の命で、ワイトマリシア魔法学校へ馬を走らせた。
理由を詳しく聞く暇はなかったが、とにかく『家族を助けろ』という指示である。
群青の空に星が浮かび始めた頃、今日はここらで休もうかとリヒトは馬を降りた。周囲の小枝をかき集め、指先の火を移して焚火を起こした。
「わぁああん……! お兄さまお姉さまごめんなさい! 私はもう駄目よ~っ……!」
馬を降りたメイザが、突然わっと泣き出した。
「違う、僕は助けに来たんだって!」
リヒトが訴えると一瞬泣き止み、「意味分かんない~……」と顔をしわくちゃにする。
「僕の名前はリヒト。先月十五歳になったんだ」
「……同い年?」
「そうなんだ! いやぁ、お互い大変な目に遭ってるよな」
メイザは杖を一度強く握り、この不可解な少年を見る。
『騎士』と聞いて想像したのは、立派な髭を蓄えた熟年の男だった。目の前にいるのは、まるでクラスメイトのような少年である。
「どうして助けるの……?」
馬を繋いだメイザが問いかけるが、火加減を見るのに必死なリヒトは答えない。
やがて仕上がった焚火に満足したリヒトが、「これ、よかったら」とクッキー入りの麻袋を差し出した。
紐を解いた瞬間、漂うナツメグの香りにメイザの腹が鳴る。
甘いものに逆らえない手が、素直に一枚目をつまみ上げた。
「……いいの?」
「もちろん。僕は苦手だから全部食べてよ」
初めて笑顔を見せた少女に、リヒトも安心して座り込む。
「で、君はどうしてお兄さんと分かれちゃったの?」
「次の追っ手が来るから、一人で逃げろって……」
リヒトは「やっぱりあの時助けに入ればよかった」と頭をかく。
「あの時って……レガノア村から? ずっと私のことつけてたの!?」
「ちが……くはないけど、しょうがないだろ! 助けろって命令されたんだから」
「何で怒ってるのよ!」
「怒るだろ、君のお姉さんがエアリス殿下に何したか知らないのか!?」
メイザは困惑し、「お母様は遠くへ逃げろとだけ……」と声を震わせる。
「何があったの? シルーシェ姉さまは何をしたの? 教えて!」
「……言わないよ」
「なんで!」
「また泣いちゃいそうだし」
リヒトはのらりくらりと追及をかわす。
「君が知らないってことは、知らなくていいと思われたんだ。わざわざ僕が話すことじゃない」
少し、落ち着いた調子で答えた。
「ところで、よかったら君のご家族が、それぞれどこへ向かったか教えてもらえると助かるのですが……」
「嫌よ、絶対言わない」
「助けるためでも?」
「……言わない」
クッキーをかじりながら答える少女に、リヒトは「ま……そりゃそうか」と小さく呟いた。
「あなたの目的はよく分からないけど、同い年なのにしっかりしてるのね。私はいっつも心配して、悩んで、弱いくせに強がって、迷ってばかり……」
メイザの声は、だんだん小さくなる。
リヒトは褒められた嬉しさ半分、また泣かれては困ると焦り半分にまごつきながら、気まずそうに焚火の向こうの少女を見た。
「き、君だって凄いよ! さっき仕掛けてた魔法陣、上手にカモフラージュしてると思う」
驚いたメイザは、クッキーを喉に詰まらせ咳き込んだ。
「大丈夫!?」
少女が落ち着くのを待って、リヒトは「僕でも一瞬気づけなかったし、結構いい線いってるよ!」とフォローするが、余計にプライドを傷つけていることには気づかない。
「オービタルスの定理を使った《炎の災厄》で合ってる?」
「ええ……」
「よし、”相手に気づかれない魔法陣”を教えてあげる!」
メイザは涙をぬぐい、口の中のクッキーを飲み込んだ。先ほど焚火を待つかたわらで、彼の言う通りの魔法陣をその通りの発動式で仕込んだのは事実だった。
「ストラビック公式は?」
「読んだことしかない」
「ストラビックは……ソラニの連鎖式は知ってる? じゃあそっちで説明しよう」
リヒトは懐から地図を取り出し、「この裏でいっか」と目の前に広げる。紙に炎の魔法をかけ、焦げ跡で文字を書き始める。
メイザは薄暗がりの森の中、薪のはぜる音と、フクロウの鳴き声にしばし耳を傾ける。
「よし、できた!」
紙を持ってメイザの隣に移動したリヒトは、夢中で説明を始めた。
一通り式をなぞった後、メイザは「すごい……!」と感嘆した。
リヒトは満足げに胸を張る。いつも面倒がって相手にしてくれない大人たちと違い、砂に撒いた水のように自分の言葉を吸収する少女相手に、かなりの時間喋り込んだ。
消えかかった焚火に気づいた二人は、慌てて燃料を探して回る。
「誰の理論?」
「僕の理論。話したのは君が初めて」
リヒトは、足元の枯れ葉をかき集めて火にくべた。
メイザは、「試してみてもいい?」と身を乗り出す。リヒトが「僕が考えたんだから、僕は気づくよ」と笑えば、それはそうだと顔を赤くした。
「もし何か間違ってたら、また会ったときに教えてよ」
「また、会う?」
メイザは恐る恐る聞き返した。
リヒトは誤解をとこうと「いや、君をずっと付け回すってワケじゃなくて、単純にまた会えたらいいなと思っただけで」と付け加えるが、さらにまずい事を口走ったことに気づいて、誤魔化すように咳払いした。
リヒトは、もう行かなければと馬に跨る。
「君はもう迷わないで、気をしっかり持って。ローゼス殿下から頂いた御恩を無駄にしないように」
ローゼス殿下、と呟いて少年を見上げたメイザは、短く息を呑んで固まった。
もうそこには、先ほどまで隣で笑い合っていたあどけない少年の顔はない。胸元の懐中時計の鎖が、炎を反射し鈍く輝いている。
「今後何があっても、ローゼス殿下にだけは手を出すな」
メイザが言い返す間もなく、そもそもこの状況で言い返すような度胸は無かったが、一人と一頭はまるで幻影だったかと思えるほどにあっさりと、夜の帳に姿を消したのだった。




