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兄と妹はエリュシア街道へー②◆


「起きろ、メイザ、メイザ!」


 翌朝、肩を揺さぶられた瞬間、メイザは毛布を跳ねのけ反射的に杖を構えた。


「逃げろ! 一人で街道へ行け!」


 切羽詰まったアントニーに急かされるまま、何が起きたのか聞くまでもなく、追っ手が来たのだと悟る。

 メイザは教会を出て馬の背に飛び乗った。


 薄明(はくめい)の中に確かに見えた集団に、少女の心臓が強く跳ねた。


「いたぞ!」

「兄の方だ!」


 十数人の騎兵が、叫び声を上げながら迫ってくる。


「すぐに俺も……いや、約束はできないがとにかく行くんだ」

「約束できないなら嫌!」


 メイザは手綱を強く引いて方向を変え、騎兵を迎え撃つアントニーの隣に並ぶ。


「行けって、絶対追いつくから!」

「嫌だ!」

「お兄ちゃんはそんなに信用ならんか?」

「違うっ!」


 押し問答は、「一人になりたくないの……!」というメイザの一言で終わった。


 エーデルニア王国軍の魔道兵が振りかぶった杖に、仰々(ぎょうぎょう)しい光が宿る。焚火の音を何倍も大きくしたような破裂音とともに、白い(いかずち)が二人を襲った。

 その攻撃は、アントニーが召喚した氷の盾に黒い跡を残して消滅する。


「それなら、ここから動くな。離れるなよ」


 兄の言葉に小さく頷き、朝日の上る方角を見つめた。


「兄だけか!?」

「火焔のリントブルムに気をつけろ! どこかに潜んでいるかもしれん!」

「女の子? 妹だ! 妹もいる!」


 兵士たちの声がはっきりと聞こえるまで、距離は詰まった。

 二人は背中合わせになり、興奮し鼻息を荒くする馬をなだめながら、杖を持つ手に力をこめる。


 次の瞬間、渡り鳥の大群のごとき稲妻が飛来した。

 二人は半円状の防御膜を展開する。メイザの瞳孔はせわしなく動いた。前へ、後ろへ、右へ左へ、追いついているようで追いついていない、視線だけが空回りしている妹に向かって、アントニーは叫ぶ。


「落ち着いて、全部見切ろうとしなくていい」


 アントニーはまつ毛一本動かさず、どこにも焦点を当てていない。


「兄さま、だめかもしれない、馬に乗ったままでは!」


 メイザは荒ぶる馬の上で、姿勢を整え集中を保つ。少しでも体勢を崩そうものなら、展開した防御の網がドミノ倒しのように崩れ落ちてしまいそうだった。


 最初に構築した魔法式はもはや維持できず、メイザの防御膜は徐々に薄く狭く、簡易な呪文で壊れそうな部分を修復するのに精一杯となった。

 六対四で分担していた防御は、やがて九対一の割合で、メイザ側からの攻撃すらアントニーが肩代わりする状況になる。


「馬を下りないともたない!」


 必死の訴えにアントニーは、もう少しだと背中越しに励ました。

 そして小さく、「この中に騎士はいないみたいだな」と呟く。


「三秒だ。馬を下りた後三秒だけ、俺を守ってほしい」

「分かった……合図して……」


 メイザは大きく深呼吸する。


「他にはいないのか!」

「兄と妹だけのようだ!」

「押し込め、絶対に逃がすな!」


 防御膜が攻撃をはじく轟音の中、魔道兵士の怒号に揺さぶられた心臓が、全身に血液を送り込む。汗が吹き出て止まらない。


「妹は後回しだ! 兄を狙え!」

「動けなくすればいい、殺すな!」


 いけない、聞いてはいけない。


 メイザの防御魔法はとっくに崩壊し、すべてをアントニーが受け持っていた。


「いくぞメイザ」


 そう言った兄の声はまるで、家族で市場に出かける朝、毎回準備の遅い自分を呼ぶ時と同じ穏やかな調子だった。

 今聞くべきは、その声だけだ。

 袖で汗をぬぐい、メイザは心を落ち着かせた。


「三、二、一、──よし!」


 鞍を蹴って転がり降りたメイザは、杖を地面に刺さんとする勢いで垂直に立て、大地の熱をかき集め叫ぶ。


「《増殖し蝕む丙(メメント・モエニア)》!」


 二人の足元が赤く光り、炎の壁が噴水のように吹き出した。

 壁は魔道兵士の電撃を吸収し、守りはさらに強固なものとなる。


 アントニーはわずかに笑顔を見せ、反撃の魔法を高らかに放った。


「《青藍の崩壊(アンチリック)》」


 メイザとは対照的に杖を真横に構え、冷気の力を全身に集めて解放した。


 氷の攻撃魔法により、メイザの炎の盾は役目を終え、森羅万象へと還元され消える。既に二人が身を護る必要はなかった。

 降り注ぐ数多の氷の塊は、魔道兵士たちに逃亡の余地さえ与えない。重厚な氷が防御盾を貫き、一人、また一人と氷の中に封じていく。

 アントニーはその光景を、注意深く見据え続けた。


 戦いの終結した場に、鳥の鳴き声が響く。

 見たくないものから目を背けるという、生理的な反応さえ忘れるほどの緊張だった。

 メイザにとっては刺激の強い光景を前に、こんなものを見せて申し訳ないとアントニーは言うが、メイザは何よりも自分の命が助かった安心が、不快感を上回った。

 アントニーは馬を降り、「大丈夫か」と妹の肩に手を置く。


「汗がすごいな」


 水をかぶったような状態の妹を見て、それにしても汗をかきすぎじゃないかと呟く。

 メイザが「体が全部熱い……」と答えれば、その原因を思い出した。


「ごめん! 山麓の薪小屋(カルフィスフィモ)が効いたままだろ」

「寒いのにあつい……」

「目覚めるまでと思ってかけたから、もう少し続くぞ……」


 山脈から朝日が顔を出し、汗の粒を宝石のように輝かせる。

 アントニーは神妙な顔で、大事な話だからよく聞いて、とメイザと視線を合わせた。


「あれだけ言っておいて申し訳ないが、やっぱりメイザは一人で逃げるんだ。次の追っ手が必ず来る。俺はここに残って足止めをする」


 居場所が知られた以上、次は必ず『騎士』が来る。

 騎士を相手に、メイザを守りながら戦うことはできない。

 アントニーは素直に言った。


 兄の真剣な眼差しに、メイザはもう反論しなかった。私も残って一緒に戦う、と、喉まで出かけた言葉を唾と一緒に飲み込んだ。


 アントニーは、馬の脚にまとわりついた氷の魔法を解除する。メイザが馬を下りた後、逃げてしまわないようひそかに細工したものだ。


「国境で、待っていた方がいい?」


 メイザのか細い声に、アントニーは少し考えて首を振る。

 不確実な約束は互いの首を絞めてしまう。

 これからは、自分の身は自分で守り、自分の意思で道を決めなければならない。


「本当に危なくなったら、母さんの言った()()を使うんだ」

「……わかった」


 返事とともに朝日を背負い、一心不乱にメイザは駆ける。

 振り返れば、止まってしまいそうだった。けれども再会の日は必ず来ると信じて、その時この身体に魂が宿っていなければきっと家族は悲しむだろうと、今度は本当の覚悟を決めて、小さな肩で風を切った。



 *



 その一部始終を、木陰から見守る人影があった。


 助太刀に入るタイミングを完全に見失ったその人物は、あの二人に助けは不要だと判断し、来た道を戻ろうとする。

 しかし少女が兄と別れて馬を出したので、思わず「ええっ……!?」と声を漏らした。


「嘘だろ、一人で行っちゃうのかよ」


 人影は慌てて手綱を引き、密かに少女の後を追う。

 家族全員を助けろという指示だったが、兄の方はなんとかなるだろうと判断した。魔法のセンスはあるがどこか危なっかしい少女の背中を見失わぬよう、目をこらす。



=魔法解説=


【メメント・モエニア】

 その意味は『増殖(ぞうしょく)(むしば)(ひのえ)』。

 自然界の熱エネルギーを吸収し、筒状の炎の壁を形成する防御魔法。

 外部からの魔法干渉によって炎は増幅し、強度を高めていく。



【アンチリック】

 その意味は『青藍(せいらん)崩壊(ほうかい)』。

 広範囲に、崩れ落ちる氷河のような氷の塊を生成する。

 周囲に炎系統の魔法が発動していれば、材料となる冷気が存分に得られる可能性がある。

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