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兄と妹はエリュシア街道へー①◆


 かつて炭鉱として栄えたその村は見る影もなく、山懐(やまふところ)を縫うように連なる家と朽ちた索道(さくどう)が、二人の旅人を出迎えた。


「私、野宿でも構わないけど?」


 メイザは兄を気遣って言う。


「本当? いや……せめて屋根はあった方が」


 アントニーは自信なさげに辺りを見渡した。

 すれ違った老人に宿屋の場所を尋ねるが、そんなものはこの村には無いと言う。五年前に最後の炭鉱が閉山してから、若い労働者は仕事を求め都会のワイトマリシアへ移り住んだという。今のレガノア村は、国境と王都を結ぶただの通り道でしかなかった。

 アントニーはそれも織り込み済みだったが、休める場所すら無いとは盲点を突かれた。


 トボトボと馬を進める二人は、小さな教会を見つけた。

 腐った柵に馬を繋ぎ、鍵のかかっていない扉をそっと押す。

 想像通り中は荒れ果て、人の気配はみじんも感じられない。屋根があるだけ十分だと、二人は祭壇の床に腰を据えた。尻から伝わる石の床の冷たさに、メイザは「ひぃ……」と身をすくめる。


「神様に怒られるわよ」


 物置をあさる兄に、不安げに声をかける。


「宝探しみたいで楽しいぞ」


 アントニーは一枚の毛布を引きずり出した。

 広げると辺り一面にほこりが舞う。何も無いよりマシだろうと、妹にそれを掛けてやった。


「シルーシェ姉さまは無事かしら……」


 メイザは、毛布から漂うカビの臭いに顔をしかめる。


「あいつはいざとなれば、光の魔法があるから」

「でも国ごとなくなっちゃうんでしょう?」

「切り札があるっていう自信が大事なんだよ」

「使えないんじゃ意味が無いわ」


 蝋燭と燭台を見つけたアントニーは、二人の間にそれを置いて指先で火をつけた。キャンプみたいだね、と言うと、不安げだったメイザにも笑顔が戻った。


 シルーシェとギルバートの王宮脱出を確認した二人は、予定通り郊外で合流し、馬を手に入れ共に北へと逃げた。今いるレガノア村は、王都から馬二日分ほど離れた山間の地。エリュシア街道に繋がる最も安全で一般的な経路である。街道を進めば一週間ほどで、エーデルニアと隣国サンドリオの国境に辿り着く。


 国境ではとっくに検問が敷かれているだろうと、アントニーは予想していた。

 そのためサンドリオには入国せず、国境を避けてエーデルニアを脱出するつもりだった。


 王国脱出後、二つの大きな山脈の間を行けば、メイザの目的地である国『グラン・カリヨン』へと到達する。兄とはそこで別れることになる。メイザの新しい家と仕事が見つかり次第、アントニーは自身の目的地『ジエルベルーテ』を目指して再び北へと向かう──と、メイザは思っている。


 逃亡前の家族会議で、メイザの行き先は常に議論の中心だった。





 それはまだ”事”が起こる前、書斎の家族会議でのことだった。


「やっぱり私、メイザが心配よ。メイザも私と一緒にコンドライトに行きましょう?」


 姉のオペラはたまらずそう言った。

 幼い妹が頑なに「自分は一人でも大丈夫」と言い張るからだ。


「私、グラン・カリヨンに行きたい!」

「一人はだめよ」

「じゃあオペラ姉さまもカリヨンに来る?」

「コンドライトの方が安全じゃない」

「どこにあるのよ……」

「すごく遠い島よ。さすがの王室もそこまで追っては来ないと思うわ」


 父と母が一緒に頷く。そうしろと言わんばかりの視線に、メイザは歯向かうように声を上げた。


「私はカリヨンの『シェンラム図書館』を見てみたいの!」

「島にだって図書館はあるでしょう、ね。きっとあるわよ」


 話が平行線になりかけたところで、シルーシェが「私とビンセント公国はどう?」と横槍を入れれば、「一番危ないからダメ」と姉妹の声が揃う。


「どうしてよ」

「シルーシェ姉さまはすぐ人にちょっかい出すから!」

「そっか……」


 自覚はあるのか、素直に引き下がる。


「俺としても、メイザはオペラについて行ってほしいんだけどな」


 アントニーがなだめるが、なおも「図書館……」と食い下がる末妹に、分かった分かったと観念してこう提案した。


「俺がカリヨンまでついて行くよ」

「え……兄さまはジエルベルーテに行くんじゃないの?」

「ちょうど同じ方向だろ。俺一人じゃ迷いそうだから、途中まで一緒でもいいかな?」


 アントニーは卓上の地図をなぞる。

 メイザが「仕方ないわねぇ」と納得したのでほっと息をつき、隣のオペラに耳打ちした。


「図書館を見れば満足するだろ。何日かカリヨンに滞在して、その後は俺がジエルベルーテまで連れてくよ」


 オペラも胸を撫でおろし、母カミーリアは「決まったようね」と子供たちを見渡した。


「どこへ行こうと、目的を忘れないよう。光の魔法の封印と聞けば、無理なことだと思うかもしれませんが、やるべきことを前に、できるかできないかは忘れなさい」


 幼い頃から口酸っぱく言われてきた最後の言葉に、今日だけは子供たちも静かに聞き入った。

 カミーリアは最後に一言、


「それと、()()だけは忘れないように」


 と、その日一番厳しい口調で付け加えた。


 メイザは隣に座るシルーシェが、手持ち無沙汰に指先に炎をともしているのをぼんやり眺めた。

 昔からの癖だった。何の意味もない小さなエレメントの(かたまり)を、順番もいつも決まって、水、氷、雷、炎、と宙に浮かべて遊ぶのだ。




 暗闇の蝋燭(ろうそく)が、その時の彼女の指先と重なった。

 眠りかけていたメイザは、寒さにはっと瞼を開ける。


「《山麓の薪小屋(カルフィスフィモ)》」


 気づいたアントニーが、身体を温める魔術を唱えた。

 足先からじわじわと、ぬるま湯につかったような感覚が広がる。


「ちょっと、そういうのいいってば。兄さまも休まないとだめよ」


 アントニーは「もう発動しちゃったよ」と笑う。

 魔法と違い、最初に投入した魔力が尽きるまで効果の続く魔術だ。

 メイザは小さく礼を言い、うつむく。


「……光の魔法の封印なんてできるのかしら」

「母さんも言い方が大げさなだけさ。一生光の魔法を使わずに平和に暮らすことだって、封印と言えるだろ」


 屁理屈じゃない、とメイザが言い返す。


「俺たちは逃げ切って、皆が光の魔法のことなんか忘れた頃に、そんなこともあったなって笑いながら再会しよう。メイザもいい機会だと思って、自分のやりたいことや、知りたいことを今のうちに学べばいい」


 アントニーは大げさに両手を上げた。


「俺は仕事から解放されて幸せだ!」

「……兄さまは大人なのに仕事が嫌なの?」

「おう、ずっと遊んでたいよ。光の魔法で葉っぱをお金に変えられればいいのにな~」

「すぐそういうこと言う……」


 メイザは「皆は大丈夫かしら」と、毛布を羽織りなおす。


「そうだなぁ。オペラは今ごろ海の上か。シルーシェもとっくに公国に辿り着いただろうけど、南に逃げた父さんたちはまだエーデルニアを出てないだろうな」

「コーニーリア地方の知り合いを頼るって言ってたわね」

「そうそう。覚えてる? 杖のおじさん」


 メイザは少し考え、首を横に振る。「メイザはまだ小っちゃかったもんな」と、アントニーは床に肘をついた。


「父さんの友達だよ。たまに、うちに遊びに来てた」

「信頼できる人なの?」

「さぁね」

「……何よそれ」


 メイザは呆れて笑った。

 冷えていた指先は魔術が効いてしっとり温まり、暖炉の前でくつろぐ猫のような気分で目を閉じる。

 ボソボソに湿気(しけ)った毛布に顔を埋めると、土っぽい臭いが気になった。まるでイノシシと添い寝しているようだと、メイザは思った。



 *



 やがてメイザは静かに寝息を立て始めた。

 アントニーはしばらくその様子を見守り、音を立てないようそっと杖を拾う。

 教会を出て、馬の横にあぐらをかく。

 しんと静まり返る夜の村を、獣の足音すら聞き逃すまいと注意深く見守る。


 月のない今日は、星に手が届きそうなほど夜空が近く感じた。

 兄の夜は、まだ長い。



=魔法解説=


【カルフィスフィモ】

 その意味は『山麓(さんろく)薪小屋(まきごや)』。

 周囲に空気の層を作り、対象の熱をそっと守る。

 火を使わず、お肌にも環境にも優しいエコな魔術。

 厳しい寒さの旅のお供に。


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