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大陸の市場『ビンセント公国』ー④


 貝殻を売りに行ったイニェンを待つ間、エラは適当に入ったカフェで住人の会話に聞き耳を立てた。港町らしく話題はもっぱら、今朝揚がったサーモンの味、貿易船が持ってきた珍しいワイン、近海をうろつく海賊船の心配などだ。

 エラが気にする『光の魔導士』の噂は、これっぽちも上がらない。

 おとぎ話の妄想よりも、目の前の仕事で精一杯の人々がほとんどだ。


「きゃっ──」


 目の前で女が転び、コーヒーカップが宙を舞う。エラはとっさに浮遊の魔法をかけ、女の身体を抱き寄せた。

 片方の手でトレイを掴み、一滴もこぼさずカップを着地させると拍手と口笛が鳴る。


「あ、ありがとう……?」


 女は呆気にとられた顔で、エラからトレイを受け取った。背後では「マリアー?」と女を探す男の声がし、エラに気づくと「おい、お前」と声を荒げてこちらに歩み寄った。

 一部始終を知らぬ男は、女からエラを引き離し「何してやがる」とすごむ。


「綺麗な女性(ひと)だったから、つい」

「何だテメェ……女みてえな声しやがって」

「男がいるとは思わなかった」

「表出ろ」

「はは。それじゃあ」


 エラは軽く手を振り、そそくさとカフェを去る。背後から「ルドルフ! あの人は助けてくれたの!」と男を叱る女の声が聞こえてきたので、追ってくることはないだろうと、フードを深く被り直して息を吐いた。

 たまには人をからかって遊ばないと、逃亡生活は息が詰まるばかりだった。



 *



 貝殻の売り上げを握りしめ店を出たイニェンは、外で待たせていたエラに「おまたせ」と手を振った。次はロブから預かった素材を納品しに、道具屋『ウィンプル・ウィザリー』へと向かう。

 イニェンはエラがいたカフェを尻目に、「誰かと喋ってなかった?」と尋ねた。


「いや」

「ちょっと、喧嘩じゃないでしょうね」

「人によってはそう見えたかも」


 曖昧な答えが返ってくる。

 出会ってまだ三日目ではあるものの、彼女の人間性が少しずつ分かってきたイニェンは、これ以上の追及は無駄だという結論に至り、「あっそ」と軽く流して地図を開いた。


「ウィンプル・ウィザリーは南西通りね。とりあえず交差点まで行くわよ」


 街を駆け抜ける冷たい風に、イニェンは首のバンダナを巻き直す。

 二人は通りに連なる果物や家具を眺めながら、並んで歩いた。


「イニェン。またハイドレンジアみたいな大物を狩りに行かない?」

「あんた……普通のクエストの報酬がしょぼいから、面倒になったんでしょ」

「よく分かったね」

「私はもうあんなのこりごりよ」

「だから、一緒に行こう」

「しつこいわね。そんなに言うなら一人で行っ──うわっ」


 前から視線をそらしたイニェンは、すれ違う荷車に気づけなかった。

 ぶつかる寸前でエラに肩を抱かれる。


「ありがと……とにかく。ハイドレンジアのことは思い出したくない」

「そんなに怖かった?」

「違う……いや、怖かったのは事実だけどさ」


 イニェンは立ち止まり、そばの露店をじっと見つめた。

 吸い寄せられるように歩み寄り、無造作に並べられたアクセサリーを手にしながら、ぽつり、ぽつりと語り出した。


「あの日、ニューセイブに着いてすぐ……エンハルトの装備が壊れたの」


 青い石のネックレスを手に取り、見つめる。


「ハイドレンジアのバリアを破るにはエンハルトの力が必要だったから、リーダーのアルゴンはすぐに撤退を決めたわ。私だけが反対したせいで、結局どうするか決められないまま宿に泊まって。起きたら三人ともいなくなってた、ってワケ」


 ネックレスを置いて、次は木のブレスレットを拾い上げる。


「たまにはパーティを組んでみろって、チーフが言ったから断れなかったけど……私、やっぱそういうの向いてないのよ。一人じゃ大したことはできないけど、誰かといたらもっと何もできない」


 最後にレモン色のピアスをつまみ上げたイニェンは、「これね」と呟き、店員に10ギルムを差し出した。ラズリウムの石でできた、雫型の耳飾りだ。

 そのまま、「ハイドレンジアのお礼」と、エラに差し出した。

 エラは、ピアスをつまんで不思議そうな顔をした。


「えと……こんな物で? って思うかもしれないけど? 綺麗だし最近流行ってるし、あんたって何か黄色っぽい色も似合うかなと思って──」


 しどろもどろのイニェンは、エラが「私、ピアス開けてないんだ」と答えたのにぴたりと固まる。


「え!? ほんとだ、ごめん! 全然見てなかった!」

「嬉しいよ、ありがとう」


 エラは、手のひらのそれを愛おしそうに握る。


「ピアス開けてみようかな」

「ちょっと、気遣わなくていいから」

「はい、開けた」

「早っ! ほんと人の話聞かないわね!」


 両手の指を顔の周りに持ってきたエラが、魔力を込めた氷の針で耳たぶを貫いたのは一瞬の出来事だった。素早くピアスを通す彼女を、イニェンは「平気?」と心配そうに覗き込むが、”痛みを取り除く魔術”を使ったから大丈夫だと、エラは言う。


「なにその魔術、すごく便利じゃない! ギルドの皆に教えてあげれば喜ぶわよ」

「危ないからだめだよ」


 子どもに言って聞かせるような口調も、今は悪い気はしない。

 振り返った彼女の耳で揺れる雫は、イニェンの想像通りよく似合っていた。


 二人は再び歩き出し、目的の交差点で地図を広げ直した。ところどころ書き込まれたロブのメモを、イニェンは読み上げる。


「オークス・スクエアを右に曲がって、花屋の横の階段を上って」

「こっちだ」


 彼女の指示を聞いたエラが指さすのは、赤と白のストライプが印象的な花屋。スドナの花の甘い香りが二人を包んだ。


「布屋の青い看板、って見える?」

「あれかな?」


 階段を上った先、青い看板のすぐそばから、子どもと犬が元気に飛び出してきたのでエラは慌てて避ける。


「その看板の手前の路地に入って、左手にある建物の一階」

「あった」


 ウィンプル・ウィザリーの旗を見つけた二人は、『水曜と木曜は定休日! 何があっても!』と書いてある扉をそっと押す。


「アンプリファイドの者ですが」


 イニェンの声に反応した店主の男が、両手を広げて出迎えた。


 エラが商品を眺めている間、イニェンは手短にやり取りを済ませた。「はい、ここにサインを──はい」と慣れた手つきで、店主から完了証明書を受け取った。


「他に足りない物とかあります?」

「あー、スピットフライ系の素材が残り少ないな」

「ここで収集依頼を受けますよ!」

「本当? お願いしようかな」


 イニェンは待ってましたとばかりに一枚の紙を取り出し、店主はペンを走らせる。希望する冒険者の欄に自分の名前を書かせ、(よっしゃ、次の仕事ゲット!)と心の中で呟いた。


「エラ、帰るわよ」

「……うん」

「何か気になる物でもあった?」


 他の客と一緒になって店内を練り歩く彼女は、棚の上に無造作に転がる鳥の置物を指さした。

 イニェンは「ふむ」とうなって、カウンターに向かって手を上げる。


「これ、売り物ですか?」

「ただの飾りだよ」

「この子が気に入ったみたいで」


 この子? と聞き返す店主に、イニェンは「彼女はこう見えて十七です」ともう何度目かも分からないやり取りをする。


「そうかいそうかい。それは100ギルムで買ったんだけどねぇ、95ギルムで売ってあげるよ」

「きゅ、95?」

「珍しい物なんだよ~。でも可愛い子にお願いされちゃしょうがない!」

「95だってよエラ、95って」


 自身の一日の稼ぎに匹敵する金額にたじろぐイニェンは、「いただけますか」と即答したエラを「ちょっと待て」と制止するも、財布を取り出す彼女を止められない。

 毎度あり! と威勢の良い声を背に道具屋を出ると、イニェンは正面から彼女の両腕に指を食いこませ声を荒げた。


「そうやってすぐ散財するからお金ないんでしょ!?」

「直感に逆らえないんだ」

「もー……」


 置物の良さが分からないイニェンは頭を抱えた。よく見るとそれは鳥ではなく、頭も胴体もない、ただ翼だけをかたどった模型である。それに鳥というよりコウモリに近く、金属製の色味も相まって気味が悪い。


「鳥になれる魔法があればって、いつも考えるんだ。私は馬に乗れないから、空を飛べないかと思って」


 エラは目を輝かせる。

 何を言っているのやらとイニェンは呆れたが、彼女が聞いてもいない自分の感情を語るのは珍しいと思い、口をつぐんだ。ピアスよりも断然喜んでいる様子に若干凹みながらも、「うん、鳥っていいよね……」と返してあげたのはイニェンの最大級の優しさである。


 その日、エラの奢りで夕食を済ませた後、宿屋まで付き添ったイニェンが「マリちゃん、今日からこいつの宿泊代値引きしなくていいから」と言い放ったのは、当然のことだった。







大陸の市場『ビンセント公国』 fin

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