第5話 「交渉のテーブル―百年の壁を超えて」
本日投稿分より毎週月曜日10時から更新予定です。
会談室の空気は、まるで凍りついたかのように重かった。
悠斗は、テーブルの中央に座りながら、両側の代表団を見渡した。
左側には、エルディア王国の国王とレイナルド宰相、そしてグレゴリー軍務大臣。彼らの表情は硬く、緊張に満ちていた。
右側には、ノルディア帝国の代表団。中央に座る老人――帝国皇帝アレクサンデル三世は、威厳に満ちた表情で前を見据えている。その隣には、第一皇女イザベラ。彼女は冷徹な瞳で、エルディア側を観察していた。
そして、イザベラの隣には、エリシアが座っていた。
エリシアは、昨日までの控えめな少女とは違う表情をしていた。背筋を伸ばし、皇族としての威厳を保っている。しかし、時折、悠斗とルーナに視線を送り、小
さく微笑んでいた。
「それでは、会談を始めます」
司会役の中立会館の代表が宣言した。
「本日の議題は、エルディア王国とノルディア帝国の緊張緩和、および協力関係の構築についてです」
エルディア国王が口を開いた。
「まず、帝国が我が国への侵攻を計画していると聞いている。これは事実か」
帝国皇帝は、静かに答えた。
「事実だ。我が国は、食料不足に直面している。このままでは、国民が飢える」
「だからといって、侵略が許されるのか」
グレゴリー軍務大臣が厳しい口調で言った。
「我々も、同じように苦しんでいる。資源は限られているのだ」
「それは理解している」
イザベラが冷静に答えた。
「しかし、我が国の人口は、貴国の二倍だ。必要な食料も二倍。このままでは、帝国は崩壊する」
「それでも、戦争は避けるべきだ」
レイナルドが言った。
「戦争は、双方に多大な犠牲をもたらす。話し合いで解決できるはずだ」
「話し合い……」
皇帝は冷笑した。
「百年間、我々は話し合いを試みてきた。しかし、何も解決しなかった」
「それは……」
「月の女神が姿を消してから、この世界は混乱し続けている。誰も信頼できない。誰もが、自分の国だけを守ろうとする」
皇帝の言葉は重かった。
「我々は、もう話し合いに期待していない」
室内の空気が、さらに重くなった。
悠斗は、拳を握りしめた。
このままでは、会談は決裂する。
「待ってください」
悠斗は立ち上がった。
全員の視線が、悠斗に集まった。
「俺は、神崎悠斗。この世界に来て、まだ数日しか経っていない。だから、百年の歴史も、複雑な事情も、よくわからない」
悠斗は、皇帝を見た。
「でも、一つだけわかることがある」
「何だ」
「戦争をしても、誰も幸せにならない」
悠斗の言葉は、シンプルだった。
「俺は、村で人々が魔物に襲われるのを見た。町で、魔物の群れと戦った。その度に、人々が怯え、傷つき、苦しんでいるのを見た」
悠斗は、テーブルを見回した。
「戦争になれば、もっと多くの人が苦しむ。エルディアの人も、帝国の人も。みんな、同じように苦しむんだ」
「それはわかっている」
皇帝が言った。
「しかし、我々には選択肢がない。国民を飢えさせるわけにはいかない」
「だったら、協力すればいい」
悠斗は言った。
「エルディアには農地がある。帝国には軍事力がある。お互いに協力すれば、両方が助かるんじゃないか」
「協力……」
グレゴリーが眉をひそめた。
「帝国を信用しろと?」
「信用は、作るものだ」
悠斗は力強く言った。
「最初から信用できなくても、一緒に何かをすることで、信用が生まれる」
「それは理想論だ」
イザベラが冷たく言った。
「現実は、そう甘くない」
「甘くなくても、やるしかない」
悠斗は、イザベラを真っ直ぐ見つめた。
「俺は、この世界を救うためにここに来た。だから、戦争なんかさせない」
イザベラは、少し驚いた表情をした。
そして、小さく笑った。
「面白い。異世界から来た戦士は、理想主義者だったのか」
「理想主義で結構」
悠斗は言い返した。
「理想がなければ、何も変わらない」
室内に、沈黙が流れた。
そのとき――
「私も、悠斗の意見に賛成します」
エリシアが立ち上がった。
「エリシア……」
イザベラが驚いた表情で妹を見た。
エリシアは、深呼吸してから話し始めた。
「私は、この数日間、民間人として旅をしてきました。様々な人々と出会い、彼らの生活を見ました」
エリシアの声は、静かだが力強かった。
「そこで気づいたのです。エルディアの人々も、帝国の人々も、みんな同じように苦しんでいる。食料が足りない。魔物が怖い。戦争が不安だ」
エリシアは、皇帝を見た。
「父上。私たちは、エルディアと戦うべきではありません。協力すべきです」
「エリシア、お前は何を言っている」
皇帝が厳しい声で言った。
「お前は帝国の皇女だ。帝国の利益を第一に考えるべきだ」
「帝国の利益を考えているからこそ、こう言うのです」
エリシアは、怯まなかった。
「戦争をすれば、帝国の兵士が死にます。資源が消費されます。たとえエルディアに勝ったとしても、その代償は大きすぎます」
「では、どうしろと」
「交易です」
エリシアは、明確に答えた。
「エルディアから食料を買い、帝国は軍事技術や鉱物資源を売る。お互いに利益がある取引をするのです」
「交易……」
皇帝は考え込んだ。
「しかし、エルディアが応じるとは思えん」
「応じます」
エルディア国王が言った。
全員が驚いて国王を見た。
「我が国も、帝国の鉱物資源や技術を必要としている。交易が成立すれば、双方に利益がある」
国王は、皇帝を見た。
「ただし、条件がある」
「条件……?」
「黒月教への共同対処だ」
国王は厳しい表情で言った。
「黒月教は、エルディアだけでなく、帝国にとっても脅威のはずだ。彼らは、すべての国を破壊しようとしている」
「……確かに」
皇帝は頷いた。
「黒月教は、我が国でもテロを起こしている」
「ならば、共通の敵に対して、共同で戦うべきだ」
国王の提案に、室内がざわめいた。
「共同戦線……か」
イザベラが呟いた。
「悪くない提案だ」
「イザベラ、お前も賛成するのか」
皇帝が驚いて娘を見た。
「はい」
イザベラは頷いた。
「黒月教は、帝国軍でも対処に苦労しています。エルディアと協力すれば、より効率的に対処できるでしょう」
皇帝は、しばらく考え込んでいた。
そして――
「わかった」
皇帝は立ち上がった。
「エルディア王国との交易、および黒月教への共同対処。この二つを条件に、侵攻計画を中止する」
「本当ですか!」
レイナルドが喜んだ。
「ただし」
皇帝は厳しい表情で続けた。
「もし、エルディアがこの約束を破れば、即座に侵攻を再開する」
「我々も同じだ」
国王が答えた。
「もし、帝国が約束を破れば、全力で抵抗する」
二人の君主は、互いを見つめ合った。
そして――
皇帝が手を差し出した。
「では、握手をしよう」
国王も手を差し出した。
二人の手が、がっちりと握り合わされた。
「これで、百年ぶりの和平が成立した」
司会役が宣言した。
室内に、拍手が響いた。
悠斗は、ほっとして椅子に座り込んだ。
「やった……」
ルーナが悠斗の手を握った。
「あなたのおかげよ」
「いや、エリシアのおかげだ」
悠斗は、エリシアを見た。
エリシアは、嬉しそうに微笑んでいた。
しかし、その隣でイザベラは複雑な表情をしていた。
「エリシア……お前、いつの間にそんなに成長したのだ……」
イザベラは小さく呟いた。
会談が終わった後、悠斗とルーナは廊下を歩いていた。
「ふう……疲れたな……」
悠斗は大きく伸びをした。
「でも、うまくいってよかったわ」
ルーナが微笑んだ。
「ええ。これで、戦争は避けられた」
「ああ。でも、これからが大変だな」
「どうして?」
「だって、黒月教との戦いが待ってるんだろ?」
悠斗は窓の外を見た。
空には、二つの月が浮かんでいる。
白い月と、黒い月。
黒い月は、さらに大きくなっているように見えた。
「時間がないな……」
「ええ。でも、今日は休みましょう」
ルーナが悠斗の腕に抱きついた。
「え……」
「だって、あなた疲れてるでしょ?」
「まあ……そうだけど……」
悠斗は顔を赤らめた。
ルーナの柔らかい感触が、腕から伝わってくる。
「ル、ルーナ……人が見てるかもしれないぞ……」
「いいのよ。私たち、恋人同士なんだから」
ルーナは嬉しそうに微笑んだ。
「それに、今日はあなたが頑張ったんだもの。ご褒美よ」
「ご褒美って……」
その時――
「あら、お二人とも仲がよろしいのね」
声がした。
悠斗とルーナは振り向いた。
エリシアが立っていた。彼女は微笑んでいたが、その目は少し寂しそうだった。
「エリシア!」
「お疲れ様でした、悠斗さん、ルーナさん」
エリシアが丁寧にお辞儀した。
「いや、お前こそすごかったよ」
悠斗は言った。
「あんな堂々と意見を言うなんて。昨日までとは別人みたいだった」
「ありがとうございます」
エリシアは少し照れたように微笑んだ。
「でも、あれは……あなた方のおかげです」
「俺たちの?」
「ええ。あなた方が、困っている人を助けるために全力で戦う姿を見て、私も勇気をもらったんです」
エリシアは真剣な表情で続けた。
「私も、人々のために何かをしたい。皇女として、ただ守られているだけじゃなくて、自分から行動したい」
「エリシア……」
ルーナが優しく微笑んだ。
「あなたは、立派な皇女になれるわ」
「本当ですか?」
「ええ。今日のあなたは、本当に素敵だったわ」
エリシアは嬉しそうに微笑んだ。
そのとき――
「エリシア」
冷たい声が響いた。
三人は振り向いた。
イザベラが立っていた。
「姉様……」
「少し、話がある。ついてきなさい」
イザベラは冷たい表情で言った。
「は、はい……」
エリシアは不安そうに悠斗とルーナを見た。
「大丈夫。行っておいで」
悠斗が励ました。
「はい……」
エリシアは、イザベラについて行った。
イザベラとエリシアは、中立会館の庭園に来ていた。
美しく整備された庭園。噴水の水音が、静かに響いている。
「姉様、どうしたんですか」
エリシアが尋ねた。
イザベラは、しばらく黙っていた。
そして――
「エリシア、お前……いつの間にそんなに強くなったのだ」
「え……」
「会談での発言。あれは、私も驚いた」
イザベラは妹を見た。
「お前は、いつも控えめで、自分の意見を言わなかった。それが……」
「姉様、私……」
エリシアは言葉を探した。
「私、変わりたかったんです」
「変わりたかった……?」
「ええ。ずっと、姉様の影に隠れて生きてきました。姉様は優秀で、美しくて、強い。私は、いつも姉様と比べられて……」
エリシアは俯いた。
「でも、悠斗さんとルーナさんに出会って、わかったんです。私も、何かができる。人のために、役に立てるって」
「エリシア……」
イザベラの表情が、少しだけ柔らかくなった。
「お前は……私が思っていたよりも、ずっと強いのだな」
「姉様……」
「これからは、もっと自信を持ちなさい」
イザベラはエリシアの頭に手を置いた。
「お前は、立派な皇女だ」
「姉様……!」
エリシアの目に、涙が浮かんだ。
「ありがとうございます……」
イザベラは、珍しく微笑んだ。
「さあ、戻るぞ。父上がお前を探している」
「はい!」
二人は、並んで歩き出した。
姉と妹。
長い間、距離があった二人が、ようやく心を通わせた瞬間だった。
その夜。
悠斗とルーナは、月光亭に戻っていた。
部屋に入ると、悠斗はベッドに倒れ込んだ。
「疲れた……」
「お疲れ様」
ルーナが微笑んで、悠斗の隣に座った。
「でも、よく頑張ったわね」
「まあな。でも、本当にうまくいってよかった」
「ええ」
ルーナは窓の外を見た。
二つの月が、空に浮かんでいる。
「これで、戦争は避けられた。でも……」
「黒月教との戦いが待ってるんだよな」
「ええ」
ルーナは少し不安そうな表情をした。
「黒月教は、私を『偽神』と呼んでいる。私の存在そのものを否定している」
「大丈夫だ」
悠斗は起き上がり、ルーナの肩を抱いた。
「俺が、お前を守る。絶対に」
「悠斗……」
ルーナは悠斗の胸に顔を埋めた。
「ありがとう……あなたがいてくれて、本当によかった……」
二人は、しばらくそのままでいた。
温かい温もり。甘い香り。
悠斗の心臓が、激しく鼓動していた。
「なあ、ルーナ」
「何?」
「お前、力が戻ってきてるんだよな」
「ええ。少しずつだけど」
ルーナは顔を上げた。
「あなたと一緒にいることで、私の力が戻ってきてる」
「愛が、お前の力を取り戻させてるんだったな」
「ええ」
ルーナは微笑んだ。
「だから、もっと私を愛して」
「え……」
悠斗の顔が一気に赤くなった。
「な、何言ってるんだ……」
「だって、本当のことよ」
ルーナは悠斗に顔を近づけた。
二人の顔が、数センチの距離まで近づく。
「悠斗……」
「ル、ルーナ……」
その瞬間――
コンコン。
扉がノックされた。
「うわっ!」
悠斗は慌ててルーナから離れた。
「だ、誰だ!」
「私です、エリシアです」
扉の向こうから、エリシアの声が聞こえた。
「ちょっと、お話ししたいことがあって……」
「あ、ああ! 今開ける!」
悠斗は慌てて扉を開けた。
エリシアが立っていた。彼女は、先ほどまでの皇女の衣装ではなく、普通の服を着ていた。
「すみません、夜遅くに」
「いや、大丈夫。どうした?」
「その……お礼を言いたくて」
エリシアは恥ずかしそうに言った。
「今日、会談で発言する勇気をくれて、ありがとうございました」
「いや、俺は何もしてないぞ」
「そんなことありません」
エリシアは首を振った。
「あなた方が、私に勇気をくれたんです」
「エリシア……」
ルーナが優しく微笑んだ。
「入って。一緒にお茶でもどう?」
「いいんですか?」
「もちろん」
エリシアは部屋に入った。
三人は、テーブルを囲んで座った。
ルーナが紅茶を入れてくれた。
「それで、姉様と話したんですか?」
ルーナが尋ねた。
「はい」
エリシアは嬉しそうに微笑んだ。
「姉様が、私を認めてくれました」
「よかったわね」
「ええ。本当に、嬉しかったです」
エリシアは紅茶を一口飲んだ。
「姉様は、いつも厳しくて、怖かったんです。でも、今日は優しかった」
「姉妹だもんな。本当は、お互いを大切に思ってるんだよ」
悠斗が言った。
「そうですね」
エリシアは微笑んだ。
しばらく、三人は他愛のない話をした。
旅の話、町の話、食べ物の話。
笑いが絶えない、楽しい時間だった。
しかし――
グゥゥゥ……
悠斗の腹が、盛大な音を立てた。
「あ……」
悠斗は顔を赤らめた。
「ご、ごめん……」
「また、お腹空いたの?」
ルーナが苦笑した。
「だって、会談で緊張してたから、あんまり食べてなくて……」
「仕方ないわね」
ルーナは立ち上がった。
「下に行って、何か食べ物をもらってくるわ」
「すまん……」
ルーナは部屋を出て行った。
悠斗とエリシアだけが、部屋に残された。
「悠斗さんって、本当によく食べるんですね」
エリシアが笑った。
「ああ……この体だと、エネルギー消費が激しいんだ」
「この体……?」
「ああ、その……」
悠斗は、自分の体の特殊性について、簡単に説明した。
1/10のサイズになったこと。相対的な力が10倍になったこと。代謝が速くなって、食欲が増したこと。
「なるほど……それで、あんなに強いんですね」
エリシアは納得した表情をした。
「でも、大変そうですね。常に食べていないといけないなんて」
「まあな。でも、慣れてきた」
悠斗は笑った。
「それに、この力のおかげで、人を助けられるから」
「悠斗さんは、本当に優しいんですね」
エリシアは、悠斗を見つめた。
その瞳には、尊敬と、そして――少しだけ、別の感情が混じっていた。
「そんなことないよ。俺は、ただ……」
悠斗は言葉を探した。
「ただ、目の前で困ってる人を助けたいだけだ」
「それが、優しさですよ」
エリシアは微笑んだ。
そして――
「悠斗さん、一つ聞いてもいいですか」
「何?」
「悠斗さんは……ルーナさんのこと、本当に愛しているんですか」
エリシアの質問に、悠斗は少し驚いた。
「ああ、もちろんだ」
悠斗は即答した。
「ルーナは、俺にとって特別な存在だ。ずっと前から、ずっと……」
悠斗の顔が赤くなった。
「ずっと、好きだった」
「そうですか……」
エリシアは少し寂しそうに微笑んだ。
「羨ましいです」
「羨ましい……?」
「ええ。私には、そういう人がいないので」
エリシアは窓の外を見た。
「私は、皇女だから。政略結婚が決められるかもしれない。自分で好きな人を選べないかもしれない」
「それは……」
悠斗は言葉を失った。
「でも、いいんです」
エリシアは振り向いて、微笑んだ。
「私には、あなた方という友達がいますから」
「エリシア……」
「だから、これからも、友達でいてくださいね」
「ああ、もちろんだ」
悠斗は力強く頷いた。
「俺たち、ずっと友達だ」
エリシアは嬉しそうに微笑んだ。
そのとき、ルーナが戻ってきた。
「ただいま。食べ物、もらってきたわよ」
ルーナは、パンとチーズ、そして果物が入った籠を持っていた。
「おお! ありがとう!」
悠斗は飛びついて、パンを貪り始めた。
「相変わらず、すごい食欲ね」
ルーナが苦笑した。
三人は、深夜まで話し続けた。
笑いが絶えない、楽しい時間。
こんな平和な時間が、ずっと続けばいいのに――
悠斗は、そう思った。
翌朝。
悠斗は、ノックの音で目を覚ました。
「ん……」
悠斗は目を開けた。
隣のベッドを見ると、ルーナがまだ眠っていた。
穏やかな寝顔。銀色の髪が枕に広がって、美しい。
「ルーナ……」
悠斗は、そっとルーナの頬に触れようとした。
その瞬間――
ルーナの目が開いた。
「おはよう、悠斗」
「うわっ!」
悠斗は慌てて手を引っ込めた。
「お、起きてたのか!」
「ええ。あなたが私の顔を見つめてるの、感じてたわ」
ルーナはニヤニヤしている。
「な、何見つめてないぞ!」
「嘘。絶対見てた」
「見てない!」
「見てたでしょ」
二人は、子供のように言い争った。
コンコンコン。
再び、扉がノックされた。
「悠斗様、ルーナ様。朝食の準備ができました」
使用人の声。
「あ、はい! 今行きます!」
悠斗は慌てて返事をした。
二人は身支度を整えて、食堂へと向かった。
食堂では、レイナルドが待っていた。
「おはようございます、お二人とも」
「おはようございます」
「昨夜はよく眠れましたか?」
「はい」
悠斗は席に着いた。
朝食が運ばれてきた。パン、卵料理、ベーコン、サラダ。
悠斗は、またしても大量に食べた。
五皿、六皿、七皿。
「悠斗様は、本当によく食べますね」
使用人が感心したように言った。
「すみません……」
朝食を終えた後、レイナルドが悠斗とルーナに告げた。
「本日、エルディア王国と帝国の間で、正式な条約が締結されます」
「条約……」
「はい。交易協定と、黒月教への共同対処に関する軍事同盟です」
「それは……すごいことですね」
ルーナが言った。
「ええ。百年ぶりの和平です」
レイナルドは満足そうに微笑んだ。
「これも、あなた方のおかげです」
「いえ、俺たちは何も……」
「そんなことはありません」
レイナルドは首を振った。
「あなた方がいなければ、会談は成立しませんでした」
「それで、条約の締結式はいつですか?」
「今日の午後です。中立会館で行われます」
「わかりました」
悠斗は頷いた。
午後。
中立会館の大ホールには、多くの人々が集まっていた。
エルディア王国の代表団、帝国の代表団、そして各国の使節たち。
ホールの中央には、大きなテーブルが設置されており、そこに条約書が置かれていた。
エルディア国王と帝国皇帝が、テーブルの前に立った。
「本日、エルディア王国とノルディア帝国の間で、友好条約が締結されます」
司会役が宣言した。
「これにより、百年に及ぶ緊張状態が終結し、新たな協力関係が始まります」
国王と皇帝は、それぞれ条約書にサインをした。
そして、二人は握手を交わした。
「これで、正式に和平が成立しました」
拍手が響いた。
悠斗とルーナも、拍手をした。
「よかった……」
ルーナが微笑んだ。
「ええ。これで、この世界は少しだけ平和に近づいた」
「でも、まだ黒月教が残ってる」
「ああ」
悠斗は拳を握りしめた。
「次は、あいつらとの戦いだ」
式典が終わった後、悠斗とルーナは庭園で休んでいた。
噴水のそばのベンチに座り、二人は並んでいた。
「ねえ、悠斗」
「ん?」
「これから、どうする?」
「どうするって……黒月教と戦うんだろ?」
「ええ。でも、その前に……」
ルーナは悠斗の手を握った。
「私の記憶を取り戻さないと」
「記憶……」
「ええ。百年前に何が起きたのか。なぜ私は力を失ったのか」
ルーナは真剣な表情で言った。
「それを思い出せば、黒月を止める方法がわかるかもしれない」
「どこに行けば、記憶が戻るんだ?」
「わからない。でも……」
ルーナは空を見上げた。
「北の方に、古い神殿があるって聞いたことがある。そこに、月の女神の記録が残っているかもしれない」
「北……」
悠斗も空を見上げた。
「よし、じゃあ行こう」
「でも、危険かもしれないわ」
「大丈夫」
悠斗はルーナの肩を抱いた。
「俺が、お前を守る」
「悠斗……」
ルーナは悠斗の胸に顔を埋めた。
「ありがとう……」
二人は、しばらくそのままでいた。
そのとき――
「お二人とも、仲がよろしいですわね」
声がした。
悠斗とルーナは振り向いた。
イザベラが立っていた。彼女は、皮肉っぽい笑みを浮かべている。
「イザベラ殿……」
「失礼。邪魔をするつもりはありませんでした」
イザベラは優雅にお辞儀をした。
「ただ、少しお話ししたくて」
「話……ですか?」
「ええ」
イザベラは、ベンチの近くに立った。
「あなた方は、これから北へ向かうのでしょう?」
「え……なんで……」
「盗み聞きしたわけではありませんよ」
イザベラは微笑んだ。
「ただ、予想しただけです。月の女神が記憶を取り戻すなら、北の神殿が最も有力でしょうから」
「そうですか……」
「一つ、忠告があります」
イザベラは真剣な表情になった。
「北は、危険です。黒月教の勢力が強い地域ですから」
「黒月教……」
「ええ。彼らは、月の女神を憎んでいます。もし、あなた方が北に向かえば、彼らは必ず襲ってくるでしょう」
イザベラは悠斗を見た。
「あなたは強い。しかし、黒月教の幹部はさらに強い。油断しないように」
「わかりました。ありがとうございます」
悠斗は頭を下げた。
「それと……」
イザベラは、少し照れたように視線を逸らした。
「エリシアのこと、ありがとうございました」
「え?」
「あの子は、あなた方に出会って変わりました。もっと強く、もっと自信を持つようになった」
イザベラは微笑んだ。
「姉として、感謝しています」
「いえ、俺たちは何も……」
「いいえ。あなた方は、エリシアに勇気を与えてくれた」
イザベラは悠斗とルーナを見た。
「だから、お願いします。これからも、エリシアの友達でいてください」
「もちろんです」
ルーナが微笑んだ。
「エリシアは、私たちの大切な友達ですから」
「ありがとうございます」
イザベラは深々とお辞儀をした。
そして、去っていった。
悠斗とルーナは、その背中を見送った。
「イザベラ殿も、エリシアのことを大切に思ってるんだな」
「ええ。姉妹の絆ね」
ルーナは微笑んだ。
「素敵だわ」
その夜。
悠斗とルーナは、月光亭の部屋にいた。
明日、北へ向けて出発する予定だ。
「荷物の準備は終わった?」
ルーナが尋ねた。
「ああ、大丈夫」
悠斗は荷物を確認した。
食料、水、地図、そして村長からもらった銀貨。
「それにしても、北か……」
悠斗は窓の外を見た。
夜空には、二つの月が浮かんでいる。
黒い月は、さらに大きくなっているように見えた。
「ルーナ、お前の記憶……本当に取り戻せるのか?」
「わからない。でも、試してみる価値はあるわ」
ルーナは悠斗の隣に座った。
「もし、記憶が戻れば、私の力も完全に戻るかもしれない」
「そうなったら、黒月を止められるのか?」
「おそらく。でも……」
ルーナは不安そうな表情をした。
「黒月は、私の影。私の一部なの」
「影……?」
「ええ。月には、光と影がある。白い月は光、黒い月は影」
ルーナは空を見上げた。
「本来、光と影はバランスを保っている。でも、今は影が強くなりすぎている」
「それを、元に戻すのがお前の役目なのか」
「ええ」
ルーナは頷いた。
「でも、どうやって戻すのか……それがわからない」
「記憶を取り戻せば、わかるかもしれないな」
「そうね」
ルーナは悠斗の手を握った。
「あなたと一緒なら、きっとできるわ」
「ああ」
悠斗は握り返した。
二人は、しばらく黙って月を見つめていた。
そして――
ルーナが、悠斗の肩に頭を預けた。
「悠斗……」
「ん?」
「私ね、あなたと出会えて本当によかった」
「俺もだ」
「あなたがいなければ、私はずっとゲームの世界に閉じ込められていた」
ルーナは目を閉じた。
「あなたが、私を救ってくれた」
「いや、俺は何も……」
「ううん。あなたは、私を大切にしてくれた。ずっと前から」
ルーナは顔を上げた。
その瞳は、涙で潤んでいた。
「だから、私……あなたのことが、本当に好き」
「ルーナ……」
悠斗は、ルーナを抱きしめた。
「俺も、お前のことが好きだ。ずっと前から、ずっと……」
二人の顔が、近づいていく。
唇が、触れ合いそうになった瞬間――
コンコンコン!
扉が激しくノックされた。
「うわっ!」
悠斗とルーナは慌てて離れた。
「だ、誰だ!」
「私です! エリシアです! 大変なんです!」
エリシアの切迫した声。
悠斗は慌てて扉を開けた。
エリシアが息を切らして立っていた。
「エリシア、どうした!」
「町が……町が襲われています!」
「何!?」
悠斗とルーナは窓の外を見た。
町の中心部から、黒煙が上がっていた。
「黒月教……!」
「はい! 彼らが、条約締結の祝賀会を襲撃したんです!」
「くそ……!」
悠斗は武器を掴んだ。
いや、武器はない。素手で戦うしかない。
「行くぞ、ルーナ!」
「ええ!」
三人は、部屋を飛び出した。
廊下を走り、宿の外に出た。
町の中心部――中立会館の方向から、爆発音が聞こえる。
「急ごう!」
悠斗は走り出した。
ルーナとエリシアも後を追った。
中立会館に到着すると、惨状が目に入った。
建物の一部が崩壊し、炎が燃え上がっている。
そして――
黒い服を着た集団が、人々を襲っていた。
「黒月教……!」
悠斗は拳を握りしめた。
黒月教の信者たちは、約二十人。彼らは、無差別に人々を攻撃していた。
「許さない……!」
悠斗は走り出した。
最初の信者に接近し、拳を叩き込んだ。
ドガッ!
信者が吹き飛ぶ。
二人目、三人目と次々に倒していく。
「悠斗、後ろ!」
ルーナが叫んだ。
悠斗は振り向いた。
信者が、黒い炎を放ってきた。
「くっ!」
悠斗は横に跳んで避けた。
炎が地面を焼き尽くす。
「危ない……」
悠斗は冷や汗をかいた。
この体は、熱に弱い。あの炎に包まれたら、致命傷だ。
「ルーナ!」
「わかってるわ!」
ルーナは両手を広げ、月の力を解放した。
光の矢が、次々と黒月教の信者たちに降り注ぐ。
パァン! パァン! パァン!
信者たちが、光の矢に撃ち抜かれていく。
「すごい……」
エリシアが感嘆の声を上げた。
「ルーナさん、強い……」
しかし――
「ハハハハ! 偽りの女神よ、お前の力はその程度か!」
一人の男が現れた。
黒いローブを纏い、顔には仮面をつけている。
「黒月教の幹部……!」
ルーナが警戒した。
「そうだ。我が名は『影の司祭』。黒月教の十二使徒の一人」
影の司祭は、ゆっくりと歩いてきた。
「月の女神よ、お前は偽りの神だ。この世界に、お前の居場所はない」
「私は偽りではない!」
ルーナが叫んだ。
「私は、この世界を守るために存在している!」
「守る……? 笑わせるな」
影の司祭は嘲笑した。
「お前は百年前、この世界を見捨てた。逃げ出した」
「それは……」
ルーナは言葉を詰まらせた。
「お前は、臆病者だ。弱虫だ。そして――無能だ」
「黙れ!」
悠斗が叫んだ。
「ルーナは、この世界を救おうとしてる! お前たちみたいに、破壊しようとしてるわけじゃない!」
「ほう……異世界の戦士か」
影の司祭は悠斗を見た。
「お前も、月の女神の味方をするのか」
「当然だ」
悠斗は拳を構えた。
「ルーナは、俺の大切な人だ。お前たちには、絶対に渡さない」
「大切な人……か」
影の司祭は笑った。
「では、試してみるがいい。お前の力で、私を倒せるか」
影の司祭は両手を広げた。
その周囲に、黒い霧が立ち上った。
「来い、異世界の戦士よ」
悠斗は地面を蹴った。
7メートルの跳躍で、影の司祭に接近する。
そして、全力の拳を振るった。
しかし――
ドガァン!
衝撃で地面がえぐれる。
悠斗の拳が、黒い壁に阻まれた。
「何!?」
「無駄だ」
影の司祭は冷静に言った。
「私の周囲には、黒月の結界がある。物理攻撃は通用しない」
「くそ……!」
悠斗は何度も拳を叩き込んだが、すべて黒い壁に阻まれた。
「ルーナ、何か方法はないのか!」
「待って……今、考えてる……」
ルーナは必死に考えていた。
黒月の結界。物理攻撃が通用しない。
ならば――
「悠斗、下がって!」
「わかった!」
悠斗は後退した。
ルーナは両手を天に掲げた。
「月よ、力を貸して!」
その瞬間――
空から、巨大な光の柱が降り注いだ。
光の柱は、影の司祭を直撃した。
「ぐあああああ!」
影の司祭が悲鳴を上げた。
黒い壁が、光に侵食されていく。
「今よ、悠斗!」
「了解!」
悠斗は再び地面を蹴った。
そして、影の司祭に全力の拳を叩き込んだ。
ドゴォォン!!
今度は、拳が命中した。
影の司祭が吹き飛び、壁に激突した。
「やった……!」
しかし――
「ハハハ……やるな……」
影の司祭は立ち上がった。
仮面が割れ、その下の顔が見えた。
老人の顔。しかし、その目は狂気に満ちていた。
「だが、まだだ……まだ終わらない……」
影の司祭は再び両手を広げた。
その周囲に、さらに強い黒い霧が立ち上った。
「この世界を、黒月の力で満たす……そして、すべてを破壊する……」
「させない!」
ルーナが再び光の柱を放った。
しかし、今度は黒い霧が光を吸収してしまった。
「無駄だ……我が力は、黒月そのもの……お前の光など、届かない……」
「くそ……!」
悠斗は焦った。
このままでは、勝てない。
どうする……
その時――
「待ちなさい」
冷たい声が響いた。
全員が振り向いた。
イザベラが立っていた。彼女の背後には、帝国軍の兵士たちが整列している。
「イザベラ殿……!」
「影の司祭。貴様の好きにはさせない」
イザベラは剣を抜いた。
「帝国軍、総員、攻撃準備!」
「はっ!」
兵士たちが一斉に武器を構えた。
「撃て!」
イザベラの号令と共に、無数の矢が影の司祭に向かって放たれた。
「ぐあっ!」
影の司祭は矢を避けようとしたが、数が多すぎた。
何本かの矢が、影の司祭の体に刺さった。
「くそ……帝国軍め……」
影の司祭は苦しそうに呻いた。
「退却だ……今日のところは……」
影の司祭は黒い霧に包まれ、消えた。
残っていた黒月教の信者たちも、慌てて逃げ出した。
静寂。
悠斗は荒い息をついた。
「終わった……のか?」
「ええ。とりあえずは」
イザベラが答えた。
「でも、彼らはまた来るでしょう」
「そうだな……」
悠斗は拳を握りしめた。
「次は、絶対に倒す」
イザベラは悠斗を見た。
「あなた、強いですね。あの影の司祭に、ダメージを与えるとは」
「いや、ルーナの力がなければ無理でした」
「そうですか」
イザベラは微笑んだ。
「お二人の連携、見事でした」
「ありがとうございます」
悠斗は頭を下げた。
その時、エリシアが駆け寄ってきた。
「姉様!」
「エリシア、無事か」
「はい! 悠斗さんとルーナさんが守ってくれました」
「そうか」
イザベラはエリシアの頭を撫でた。
「よかった」
姉妹は抱き合った。
悠斗とルーナは、その光景を優しく見守った。
「平和って、いいな……」
悠斗は呟いた。
「ええ。でも、まだ黒月教がいる」
ルーナは真剣な表情で言った。
「彼らを止めないと、平和は続かない」
「ああ」
悠斗は頷いた。
「だから、俺たち、北に行こう。お前の記憶を取り戻して、黒月を止める方法を見つけるんだ」
「ええ」
ルーナは微笑んだ。
「一緒に、頑張りましょう」
二人は手を取り合った。
月の光が、二人を優しく照らしていた。
これから、さらに困難な旅が待っている。
しかし、二人なら乗り越えられる。
悠斗は、そう信じていた――
皆さま、こんにちは。ルーナです。
第5話、いかがでしたか?
今回は、悠斗の頑張りで戦争が回避できました。本当に、彼は素晴らしい人です。ただ武力だけでなく、
言葉の力で人々の心を動かせる。私が彼を愛した理由が、少しでも伝わったでしょうか。
エリシアとの出会いも、私たちにとって大切なものになりました。彼女の成長を見ていると、百年前に私が守ろうとした人々のことを思い出します。きっと、あの頃の人々も、こうやって必死に生きていたのでしょう。
それから……悠斗との距離が、また少し縮まりました。何度も邪魔が入りましたけど(苦笑)。でも、それもまた楽しい思い出です。
次回は、いよいよ北へ向かいます。私の記憶を取り戻す旅。少し怖いですが、悠斗が一緒なら大丈夫。
そして、黒月教の影の司祭……彼の言葉は、確かに私の心に刺さりました。私は本当に、この世界を見捨てたのか。その答えを、私自身が見つけなければなりません。
では、また次回お会いしましょう。
月の光が、皆さまを照らしますように――
ルーナ




