傷心の贄姫と侮るなかれ
ある王女殿下が輿入れする二十二年前のこと、力の拮抗した強国の同士の戦争が、小国リヴィエールによって終結した。調停したように見えるが、実際は弱ったところに付け込み、全ての利益を分取った漁夫の利……まさに悪魔の所業であった。
さて、そんなリヴィエールには戦争に巻き込まれ滅びた国の姫君までもが献上された。エキゾチックな褐色にシルクのような白髪。ルビーのような瞳がとても美しいリーン姫。少数民族国家の生き残りである彼女は非常に価値が高かった。
『はじめまして、リーン姫』
『……』
初めて顔を合わせた場で、姫君は一言も喋らなかった。無理もなかった。
国は滅び、同胞を殺され、家族すらもうこの世にはいない。しまいにはまるで賞杯かのように、見ず知らずの男に嫁ぐことになったのだ。つまり、誰も味方はおらず、復讐も叶わない。
ラファエル王子もまた何も言わずに、使用人によく面倒を見るよう言いつけた。しかし、同情からではない。
『……彼女は使い物にならなそうだな』
金髪が揺れ、紫色の瞳は真っ直ぐに書面を見る。王子は深夜に一人、部屋でそう呟いた。
継承権第一位のラファエル王子。彼は名前とは真逆の血も涙もない利益主義者であった。小国でありながらも貿易の要所であるリヴィエール王家の英才教育によるものか、それとも生来の性格か。戦の才はなかったが、金の匂いに敏感であり、人の弱みに漬け込むのがうまい。また継承権争いの結果、世の中で金しか信じていない。最悪である。
『やはり伯爵を黙らせるためにも侯爵の娘にすべきか。いや、南の男爵家の新しく始めた海洋産業には目を見張るものがあるな』
王子は姫君の利用価値のなさを確信し、見切りをつけていた。優しい王子の体で彼女を離宮へ移し、自分の利益になるような側妃を数人娶ろうと考えていた。
……彼に恋や愛、ましてや誠実さなど期待してはいけない。愛するのは自分と国であり、またそのために必要な金である。
しかしその目論見は、予想外の形で破れることとなった。
『贄姫様は素敵な方だわ』
『ああ、本当ね。こんな数回お会いしただけの使用人まで気遣ってくださるなんて』
『ねぇ聞いた? 贄姫様のお付きのメイドったらおやつを分けていただいたんですって』
一週間後、使用人たちの間での話題はもっぱら哀れで心優しい姫君のこととなっていた。
『リーン姫様の言うとおりにしたら妻の機嫌が直ったんだ』
『俺も仕事で悩んでたんだけど、通りがかりの姫様がアドバイスを下さって……』
『君もなのか!? 実は私も』
一か月後には王宮の至る所で姫君の話題が飛び交っていた。そのどれもこれもが姫君の人格や有能さを称えるものであり、一部心酔しているものまで現れたほどだった。
『いやぁ、リーン次期王妃殿下は素晴らしい』
『我が家の財政は次期王妃殿下に助けられたようなものです』
『きっと良い国母になられることでしょう』
数ヶ月後には、貴族の中で姫君の派閥ができかけていた。弱みを握られていたり、助けてもらっていたり、はたまた信奉者になっていたり。煩かった伯爵でさえ黙り込んでいた。
王子はこのままでは不味いことを悟る。その日の晩、王子は初めて姫君の部屋を訪れた。ドアを開け部屋に入ったはいいものの、メイドの一人もおらず密かに動揺していたところに、後ろから手を引かれる。そこには姫君が足音もなく立っていた。
『やっと私の目をご覧になりましたね』
リーン姫はその赤い目で動揺を隠せなくなったラファエル王子をまっすぐに見つめた。人柄の良い優しい姫君ではなく、圧倒的支配者の眼差しであった。
『……き、君、初めて会った日と全然違うじゃないか』
『ここへ来た初日はまだ言葉を知りませんでしたから』
リーン姫の母国は文字を持たなかった。全ては口伝であり、並外れた記憶力によって成り立った文化だった。そんな少数民族国家において、まず王族の気をつけることは人の統率である。故に彼女はたった数日にして言葉を覚え、その上で人心の掌握まで始めたのだ。
……障害になりうる自分には何も告げずに。
そのことに気づいたとき、ラファエル王子は身震いをした。今までの常識は覆され、自分がちっぽけな存在であることを思い知る。
『さあ、私を、追い出しますか? 旦那様?』
滅びた母国の力によって、姫君は高みに立っていた。彼女はすべてをわかっていた。王子が自分を侮っていたこと、見誤り焦っていること、そして今自分を手放せば彼の評判は落ちることを。
しかし、一つだけわかっていないことがあった。
『……今すぐ結婚しよう。そして私の全てになってほしい』
『は?』
姫君の地を這うような声が響いた。
狂っているのから狂人なのだ。今までお金以外信じたことのない、自分が世界一有能であると信じていた王子が自分よりも格上な相手を知り、認め、惚れたらどうなるか。そのありえない執着がすべて自分に集中するのである。
『リーン愛しているよ』
『……はぁ』
『そのため息は僕のために? 嬉しいよリーン』
『早く戴冠式用の服に着替えてくださいませんか?』
王子はリーンと結婚するためだけに父を失脚させ、予定よりも早く戴冠式を挙げて国王となった。それが実の親にする仕打ちかと言いたくなるほどゲスだった。
そしてそのまま正式な婚姻の儀も済ませ、リーンを王妃とした。あまりにも態度が気持ち悪かっため、初夜は廊下にしめ出された。それすらも喜んでドアの前で一晩中座っていた。側近は主君がついに狂ったことを周りに知られぬよう必死だった。
『ラファエル様、子を設けましょう』
数か月後、臣下から泣きつかれ、また自分の立場を確立する上でさっさと後継ぎを作ってしまうことは有効だと考えたリーン王妃殿下がそう告げたとき、ラファエル国王は嬉しさで三日寝込み、ただただ平伏した。
結果として父王譲りの金髪紫眼、何も文句のつけようのないフラン第一王子殿下が誕生した。もう抑えきれず、王の溺愛ぶりも世に知られることとなった。
『あなたに似てよかったです』
『えっ……!』
『異国の血が混じった王などふさわしくないと言われる可能性がある以上、この国の特徴を持つ子供ができるまで産み続けなければなりませんでしたから』
『っさすがリーンだね』
どこまでもズレた夫婦だった。息子である王太子はスクスクと成長し、見た目と同様に父王に似ていくのをリーン王妃殿下と臣下たちは恐ろしく感じていた。
月日の流れたある日、寝室にてラファエル国王は尋ねる。
『君は、復讐はいいのかい?』
『……憎き相手と同じことをするのが弔いになるでしょうか。あなたが利益を奪った結果、彼らは借金に塗れている。これ以上搾ってもろくなものが出てきませんよ』
王は何も言えなかった。自分でも利益になるものは全て奪った自覚があったので。
『対して私はその搾り取った国の王妃として、国民から愛され良い暮らしをし続ける。亡き同胞たちはあの世で笑っているのでしょうね』
人を超越した精神具合である。
王はときめき、王妃を抱きしめようとして交わされ、キスをしようとして枕に顔を埋める羽目になった。王妃は枕に顔を埋めたまま喜んでいる王の姿を見て辟易とした。
『ああ、そうだ。あなた、側妃を娶ってください』
『断固拒否だが?』
食い気味に言う王に王妃はため息を吐く。
『全ての貴族の野心を抑えることなど不可能です』
『君との時間が減るじゃないか』
『私としてはその方がいいのですが』
『絶対に嫌だ』
結果として、しょうがなく二人目も産んでその地位を確かとすることになった。ご懐妊がわかるまで王妃様は毎日嫌そーな顔をしていたそうな。
こうして生まれたのが、母譲りの白髪、父譲りの白い肌と紫の目を持った美しき姫君、ルイーズ王女殿下であった。
『……美しすぎる。この世の生き物じゃない』
『あなたの娘なので人間ですよ』
妻を愛する国王と、元よりその父に似た王太子は妹を溺愛した。王女殿下は赤ん坊の頃から二人を鬱陶しがり、常に母の側にいた。
しかし、おめでたいニュースとは裏腹に、不穏な空気もあった。各国で凶作が起こり不景気な世の中。栄えすぎてしまったリヴィエールは格好の餌食となってしまっていた。小国ゆえの兵力のなさにつけ込まれ、それをなまじある財力や交渉力などで蹴散らす。貿易の要を完全に潰そうとするものは流石にいなかったため、大抵の国はそれで事なきを得た。
だが、大陸で三本の指に数えられる大国、クレスト王国を前に、リヴィエールは苦戦を強いられることとなった。他国はクレストに刃向かうこともできず助けにならない。負ける寸前だった。
『何も、同盟でなくても良いのです。この国を抑えれば鉄の供給が止まります。秘密裏に兵を送ってください』
恐ろしきかなDNA。血も涙もない戦略、人を動かす力。お育ちになったルイーズ王女殿下によって善戦することができていた。表向きは王子の発案として、裏ではルイーズ王女殿下が暗躍し、あと一歩で停戦ができそうだった。
ところが、突如現れたクレスト新国王により戦場は火の海となった。荒れる内部の隙を、新国王であるカルヴィン陛下は当然見逃さない。リーン王妃殿下による強力な人員統制は脆くなり、入り込んだ刺客によってラファエル国王は死ぬはずだった。
……王妃殿下の人心掌握は恐ろしいほどの記憶力によって支えられている。見覚えのない顔に気づき、間一髪でナイフから王を庇った。致命傷だった。
『……そんな、なぜ君が。リーン、しっかりしてくれ、リーンっ……!?』
王妃殿下は、煩い夫を口で封じて黙らせた。
『しっかり、なさって、くだ、さい。……子供たちに何かあろうものなら、死後であろうと会いませんから』
そう言い残し、絶命。どこまでも強く恐ろしく、また愛情深い王妃殿下であった。刺客は捕えられ、戦争は終わった。
王妃の言葉通り、王は敗戦処理に尽力した。一日三度は妻の墓に参らないと死んでしまう病を除けば。
唯一頭を悩ませていたのは、同盟の証として王女殿下を嫁がせるべきという話だった。
無論、国王は愛娘を狂血王の元になぞ嫁がせるつもりはなかった。どうにか別の方法を取る予定だったのだ。
『お父様、その提案を飲んでくださいまし』
だが、王女殿下は血も涙もない王と恐ろしい王妃様の血を引いていた。
『狂血王を籠絡し、いっそ一つの国にしてしまおうではありませんか』
父が娘に勝てるはずもなく、彼女は嫁ぐこととなった。シスコン王太子は最後まで渋っていたが、兄もまた妹に勝てるはずがなかった。
クレスト王国から連絡は来ない。出国する前、母国とのやり取りがあったと知れれば計画が脆くなると話していた。つまり、連絡が来ないとはそういうことである。王女殿下は王女殿下であった。
『でね、フランはもうずっとルイーズのことばかり心配していてね、浮いた話の一つもないんだ。さっさと王位を継いでほしいのに』
そうしたらここにいられる時間がもっと増えると墓前に向かって続ける国王陛下。壊れているのだか、真っ当なのだか側近にはもうわからなかった。
*
そんな一方、娘であるルイーズ王妃殿下は今日も元気にやっていた。
「今晩は良い夜ですね、侯爵」
「ッ!? そ、そうですね、ルイーズ王妃殿下」
クレスト王国のソードマスターであり、国王陛下の次に恐れられている侯爵の驚愕した顔など、誰が見たことがあるだろうか。
いや、強いからこそ、侯爵は恐れていた。
「おかしい……これだけ細く弱そうなのに、立ち姿に一切の隙がない」
それもそのはずである。確かに身体的には弱い王妃殿下ではあるが、戦火の中に生まれ、ずっと危機の中にいたのだから。なんなら侯爵が考えていることさえ分かっている。王妃殿下は振り返ってニコリと笑った。牽制の笑顔だと理解した侯爵の背筋が凍る。とてつもなく可哀想であった。
さてその侯爵より強いカルヴィン陛下はどうしているかというと、寝室という閉鎖空間の中で恐ろしき王妃殿下にベッタリと張り付きながら睦言を吐いていた。
「愛している」
「……それでこの政策についてなのですが」
「お前になら殺されてもいい」
「ここの部分を変えた方が良いと、侯爵に伝えていただけませんか」
「俺の膝の上に足を乗せてくれないか」
表情も変えずに書類を見たまま、ルイーズ王妃殿下はクッションの上に足を置いた。その対応に口元を押さえて喜んでいる陛下は無視である。
「ああ、それと。新しく付けてくださったメイドは有能なのですが、他のメイドによると私の下着を洗う前に何故か匂いを嗅いでいるようなのです。彼女は部屋の開閉の方に異動させますから、新しいランドリーメイドを付けてください」
狂っているのは旦那様だけではない。リーン王妃も通った道であった。
「一応申し上げておきますが、異動させるだけです。めんどくさいので殺さないでくださいね」
カルヴィン陛下は露骨に拗ねた。この分では予定よりも早く併合しそうだ。
────風変わりな復讐と変な者に好かれる性質は今日も受け継がれている。
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シリーズの方に元となったお話があります。
本当に生贄になってしまった悪役令嬢の話を連載をしています。下にスクロールするとリンクに飛べます。