8. 殺される覚悟
「柊、何してるの」
瑠璃花の鋭い声に、尻もちをついていた柊が勢いよく立ち上がった。
スカートがひるがえったが、下に履いていたジャージが、柊の足が露わになるのを防いでいた。
柊は重心を低くすると、緩く開いた両手をオド子に向け、柔術の構えをとった。
柊の構えを見ても、オド子は顔色ひとつ変えずに、デッキブラシの先端を柊に静かに向けた。
一瞬柊の体が沈んだかと思うと、次の瞬間、オド子に向かって飛びかかった。
デッキブラシが鋭く空を切る音が響いた。
柊の腕が防御の型をとったが、オド子は躊躇なく柊の眉間を打ち据えた。
柊の瞳が驚きに見開かれた。
誠も、立ちすくんだ。
そこには、紛れもなく殺気があったからだ。
格闘技をスポーツとして鍛錬している誠や柊は、当然のことながら殺気など発することはない。第一、急所狙いなど最大のルール違反だ。
スポーツのルールが体にしみついている誠と柊は、オド子の攻撃に衝撃を受けていた。
オド子の次の動きが、更に柊と誠を驚かせた。
体勢を崩した柊の喉元を、デッキブラシの柄で突いたのだ。
たまらず喉を押さえて、柊はしゃがみ込んだ。
「急所を攻撃するなんてありえない」
咳き込みながら抗議する柊に、オド子はデッキブラシを突きつけたまま、静かに歩み寄った。
「あなたから仕掛けてきたことでしょう。殺そうとした者は殺される覚悟があるはずです」
オド子の言葉に、その場にいた全員がぎょっとした。
「殺そうとなんてしてない」
柊の声がかすれ、震えている。
「それなら、何のための闘いなのですか?」
問い詰めかけたオド子は、柊が完全に戦意喪失していることに気づくと、今度は瑠璃花に目を向けた。
「臣下は降伏したようですよ。さあ、どうしますか。あなたが闘いますか?」
デッキブラシの先端が真っ直ぐ瑠璃花に向けられた。
氷のような殺気が、瑠璃花を貫く。
「な、なによ、なに言ってるのかわからない。おかしいんじゃないの」
喚いている瑠璃花に、オド子は間合いを詰めていく。
オド子がフェンシングのような構えをとると、とうとう瑠璃花は泣き出した。
「ちょっといじめただけじゃないの。それなのに、殺すとか殺さないとか、わけがわからない」
瑠璃花が泣くと、くるみもわっと泣き出した。
そんな様子に、オド子はため息をひとつつくと、首を小さく横に振った。
「大した理由もなく闘いを仕掛けたというのか。わけがわからないのは私のほうだ」
泣きじゃくる瑠璃花とくるみ、打ちひしがれた柊の様子に、オド子は困惑した表情を浮かべ、もの言いたげに、誠を見た。
この場の空気に飲まれていた誠は、やっと我に返った。
「全員、降参したようですよ」
オド子にそう言いながら、自分もまた、臣下のような物言いをしているな、とちらりと誠は思った。
「少女が泣くのは苦手だ……」
本気で困っているような表情で、オド子は肩をすくめた。
オド子はしゃがみ込んでいた柊の額にそっと触れると、「主の命に従っただけのお前に、すまなかったな」と声をかけた。その声は、いたわりに満ちていた。
それが伝わったのか、柊が、感じ入ったように、オド子をじっと見つめ返した。
次にオド子は瑠璃花に近づくと、ハンカチで瑠璃花の涙を拭った。
「一体、どんないきさつがあったのか、聞かせてもらおうか」
瑠璃花は一瞬息を飲むと、やがて、ゆっくりと頷いた。