5. マーガレッタ、覚悟を決める
病院に運び込まれたマーガレッタは、次々と検査を受けていた。
白づくめの衣装の人物が医師や看護師という事は分かった。
確かに体のあちこちが痛い。捻挫した右足には湿布が当てられ、つんとしたにおいを放っている。
白い天井、白い壁、白いシーツ。マーガレッタは、慎重にあたりを伺っていた。
堂々とふるまってはいたものの、実は、マーガレッタは状況を何一つ把握できてはいなかった。
まず、この体だ。
病室の鏡に映った自分の姿を見た瞬間、マーガレッタは目を疑った。
漆黒の髪、漆黒の瞳。マーガレッタとは似ても似つかない、見知らぬ、異国の少女がそこに映っていたからだ。
マーガレッタは一瞬それが自分の姿とは思わず、妖術か魔法の類の窓が目の前にあるのかと思ってしまった。けれども、鏡の中の少女は、マーガレッタが手を上げれば同じように手を上げる。頬に触れれば、同じように頬に手を当てる。どこからどう見ても鏡だ。
さらにマーガレッタを困惑させたのは、言語だった。
この世界の人間達の言葉は、マーガレッタの知るどの国の言葉とも違った。それなのに、どういうわけか、言葉の意味は分かった。
(まるで異世界にでも迷い込んでしまったようだ)
嵐の海で異世界に迷い込んでしまった船の物語や、霧の深い山奥で奇妙な世界に入り込んでしまった物語を、マーガレッタは読んだことがあった。
あれは絵空事の話、と思うものの、それ以外に思い当たるものがなかった。
状況が読めない時、敵の中に取り残された時、まずは冷静さを保ち、決して取り乱さず、情報収拾すること。マーガレッタはそう教育されていた。
病院に駆けつけた母親と名乗る女性もまた、漆黒の髪と黒い瞳の異国の民の風貌をしていた。
マーガレッタは注意深く、彼女を観察した。彼女の心配そうな表情に、現時点では敵ではないと判断した。
マーガレッタは、一時的な記憶喪失かもしれない、という医師の言葉に乗じて、曖昧な態度を心がけた。この世界の事が何も分からないうちは、記憶を失ったと周囲に思わせておいた方が都合がいい。
私は、死んだはずだ――。
無惨に処刑された父と母の姿がまざまざと胸に蘇る。
死の瞬間に望んだ通り、悪魔の魔力でこんな世界に飛ばされたのかもしれない。
それならば、それを利用してやるまでのこと。
思いがけずに拾ったこの命。
必ず、父と母の、そして私の無念を晴らすのだ。
そのために、何としても私は生き抜かなくてはならない。
たとえここが異世界だとしても――。
マーガレッタはきつく目を閉じると、そう覚悟を決めたのだった。