黎明っ!我ら無名組!
かつて、巨大な魔獣に挑んだ一人の少女がいた。
燃え盛る火炎の街、赤黒い霧に扮して逃げ惑う人々。
地を壊すようにして攻めてきたそれは、破壊級魔獣と呼ばれる超大型の魔獣だった。
国家が頭を抱えるほどの大物。当時はこんなバケモノを倒すなんて、討伐隊は誰も視野に入れていなかった。
それでも、皆が背を向けて逃げる中、白く輝く刀を手に持ったその少女は前を向いた。
泣き崩れながら裾を引っ張る相棒に、少女は振り返りもせずにこう答える。
──私達で、倒そう。
その言葉は、その時の相棒には伝わらなかった。
でも、いつか伝わると信じて少女は刀を抜いた。
まだアイゼンドラッヘ社に入って2年目の新人。何かを為せる力もなく、何かを起こせる立場もない。
自分がここで逃げれば、多くの人達を犠牲に助かるかもしれない。
だけど、自分がここで立ち向かえば、たったひとつの命で多くの人達を救える。
少女の考えは揺るがなかった。
私の足は逃げるために鍛えたんじゃない。私の武器は誰かを身代わりにするために用意されたんじゃない。
立ち向かう権利が与えられなかった、そんな人たちの代わりに戦うために私はここにいるんだと。
そう言って、少女は巨大な魔獣へと一人で向かって行った。
◇◇◇
ビルの魔獣を一掃し、一仕事を終えたナツキ率いる『無名組』。
少しだけいざこざがあったけど、ナツキはいつも通り笑顔を振りまいてその場から撤退しようと準備する。
その時だった──。
「なに、地震っ!?」
ゴオォオオオンッ!! という爆音と共にビル全体が揺れ始める。
いや、ものの数秒で地面が崩れ、ビル全体が倒壊していった。
「きゃあぁあああっ!!」
「つかまって!」
足を取られ真っ逆さまに落ちていくモモの手を掴み、ナツキとナキは急いでその場を離脱する。
割れた窓から勢いよく飛び出し何とか地面に着地した三人は、街の前方に見える巨大な"何か"を目撃する。
「おい、あれを見ろ……!」
「……ッ!」
その存在を目に入れたナツキは、あれほど笑顔だった表情を一瞬にして険しいものへと変えた。
モモも震えるような声色で呟く。
「あ、あれは……っ」
崩れ落ちる夜の街並みから顔をだすそれは、魔獣なんて呼称していいのかすら分からない存在。
周りを取り囲むように浮遊する巨大な玉、その中心で蠢く巨大な瞳。
背には巨大な歯車の残骸があり、それ以外の部分は獣の皮のようなもので構成されている。
そして頭上に浮かぶ光輪は、まるで自分達との次元の差を示しているかのような畏怖を抱かせる。
バケモノたる存在の象徴──破壊級魔獣。
「……こうして相まみえるのは2回目だね」
三人が目撃したその怪物は、今回の調査対象としてあげられていた魔獣だった。
ナツキは鞘に収まった刀の柄に手をかける。
同時にナキの持つ無線機から聞こえた声は、その行為を肯定するものだった。
『奴がセイバー社の追っていた標的、破壊級魔獣で間違いない。これを個体名《A-001》と暫定。『無名組』は《A-001》を速やかに撃破せよ』
その声を聞き届けると、ナツキは静かに目を瞑った。
「冗談ではない、これは調査だったはずだろう? あんなバケモノ相手にたった三人で勝てるわけが……」
「──了解」
「おいナツキっ!」
ナキの制止の声を無視し、ナツキはゆっくりと刀を抜く。
月明かりに照らされた白銀の刃は、暗闇の中でも輝きを放っていた。
そして、ナツキは一歩前に出る。
「ナキさんとモモは援護をお願い」
「ふざけるな、お前一人で勝てる相手じゃない!」
「私は独りじゃない、ミナミが一緒だもん」
「ナツキ……っ!」
「ナツキ先輩……」
ナツキは振り向きざまにナキ達に微笑みかける。
それはいつも通りの明るい笑顔ではなく、覚悟を決めた者の顔だった。
そんなナツキの顔を見た二人は何も言えなくなってしまう。
──私も、今のナツキにかける言葉は何もなかった。
「一人でも多く生存させる。一人でも多く明日を迎えさせる。全員、みんな、この場にいる全てに……夜明けを見せてやる」
そう呟くと、ナツキは撃破対象である《A-001》へ向けて一気に駆け出した。
「まっ──」
ナキの制止が一歩遅れる。
飛翔するように駆け出したナツキは、目の前に立ち塞がる瓦礫を飛び越えて《A-001》の側面まで移動する。
そして見晴らしの良いマンションの屋上に足をつけたナツキは、《A-001》へ突貫するように居合斬りを放った。
「さぁ、今度は逃げないよ。──どーーん!!」
斬撃と共にナツキは声を上げる。
刀からは衝撃波が発生し、一直線上に放たれたそれは《A-001》へと直撃した。
衝撃音と共に砂煙が巻き起こり、周囲の建物が吹き飛んでいく。
すると、砂煙の中からギギギギギ……と機械が軋むような音が響き渡った。
「まずい、ナツキッ!」
「はぁああああっ!!」
嫌な予感を感じ取った二人はすぐに武器を構えて《A-001》へと向かう。
モモはミニガンを構え、ナキは刀を滑らせるように抜刀していくつもの斬撃を飛ばした。
しかし、軋むような音は大きくなるばかりで、それはやがて耳を塞ぐほどのピークに達するとピタッと止まった。
「──ッ!?」
中から見えた巨大な瞳がグルリとこちらを向き、目の前にいたナツキを一瞬にして捉えた。
次の瞬間、赤い光を灯した《A-001》の瞳から直線状にレーザーが発射される。
「まずっ!?」
咄嵯の判断で回避行動をとったナツキだったが、後方にあった建物がレーザーに貫通されて大爆発。
《A-001》の攻撃はそれだけに留まらず、周囲に浮遊していた玉から次々とレーザーを全体に放射し始めた。
ナツキ達がいた場所は一瞬にして炎に包まれ、辺り一面は火の海へと変貌していく。
最後に《A-001》は目を塞ぐほどの閃光を放ち、一帯全てを爆炎の世界へと書き換えた。
その光景を目の当たりにしたモモとナキは、絶望的な表情を浮かべながらその場に立ち尽くしてしまう。
「うそ、ですよね……?」
「なんだこれは。こんなの、私達がまともに戦える相手じゃないぞ……」
燃え盛る街を眺めることしかできない二人。
既に大多数の市民が逃げた後とはいえ、これほどまでに驚異的な魔獣を見たのは初めてだった。
同時に上空から吹き飛ばされるようにして地面を転がるナツキ。
彼女は既に満身創痍の状態だった。
「ぐっ、うぅ……っ!」
「おいやめろナツキ! もう無理だ、これは私達に対処できる範疇を超えている! それは正当な理由で上の命令を無視できるほどにだ!」
ナキの意見は最もだった。
いかに上の命令と言えど限度がある。
そして恐らく、アイゼンドラッヘ社は本気で今の『無名組』に《A-001》を倒させようとしている。
これまで数年間誰にも倒されなかった怪物。世界を脅かす脅威のひとつ。
《A-001》は、その巨体ながら一瞬にして姿を消すことができる。
つまり、簡単に逃げられるのだ。
そして一定の知能もあるようで、大人数の討伐隊が向かうとすぐに逃げてしまうとの報告が上がっている。
奴を倒すには少人数で、それも長期戦にならないよう短期決戦で倒さなければならない。
ヒットアンドアウェイを敵の方から仕掛けてくる。これがどれだけ厄介か、様々な企業にとっての天敵とも言える魔獣だろう。
だが今のナツキは、こんな絶望的な状況を前にしても決して逃げる素振りを見せなかった。
「だい、じょうぶ……私とミナミで倒せるから、必ず倒してみせるから!」
「ナツキッ!!」
フラつきながらも立ち上がろうとするナツキの肩を引っ張って、ナキは怒号を飛ばした。
「ミナミはもういない、いないんだよ! アイツは3年前にあのバケモノにやられて死んだ。お前が手に持っているその刀を残して、たった一人で立ち向かって死んだんだ。それはお前が一番よく分かっているはずだろう……?」
ナツキの手にある白銀の刃が、燃え盛る街の光に照らされ妖しく輝いている。
きっとこれも、私が残してしまった汚点なのだろう。
君がそんな風に死んだような目になってしまったのも、全部私が──。
「……ちがうよ」
「いいやナツキ、間違っているのはお前だ」
「そうじゃない。ナキさん、そういうことじゃないんだ」
そう言うとナツキは立ち上がり、再び《A-001》を視界に入れる。
「初めてミナミとバディを組んだとき、片時も離れない一心同体の相棒として生きて行こうって二人で誓ったんです。……でも、アイツが現れたときに、私怖くて逃げちゃった。必死にミナミを止めようと泣き崩れて、それでも折れないミナミに怒って、どうなっても知らないって置いて逃げちゃったんです」
ナツキは刀を握る力を強めた。
「唯一の後悔でした。ミナミが死んだことがじゃありません、ミナミとの約束を守れなかったことがです」
「……だから、お前は戦うのか?」
ナツキは首を左右に振る。
「ある日突然、なぜかミナミの声が聞こえるようになりました。ほんの微かですが、いつものテンションで語りかけてくれてるような声がするんです。朝起きたとき、おはようって。戦ってるとき、危ないよって。そう聞こえるんです。……ずっとずっと、一緒にいるような気がするんです」
ナツキの言葉を聞いて、ナキは思わず耳を疑ってしまう。
それをナツキも分かっているようだった。
「妄想かもしれません、幻聴かもしれません。もしかしたら私はもう壊れてしまったのかもしれない。……でも、それでも確かに感じるんです。いつもミナミが傍にいて声をかけてくれてるって、そう思ってしまうんです」
ナツキは続ける。
死んだようなその目に、刀から反射する光を宿して。
「今の私は後悔なんてこれっぽっちもしていません。あんな奴に復讐したって奪われた時間は返ってこない。ミナミのことを思い続けたって世界は何も変えられない。死人の幻影なんて追っている暇はないんですよ」
「ナツキ……」
それは幾多もの自問自答を繰り返した末に導き出された答えだと、ナキは悟る。
そう、たとえその精神が病んでしまったとしても、ナツキはその全てを受け止める覚悟を決めた。
私の刀を手に取ったのも、決して遺品だったからじゃない。あの魔獣を相手に戦って、ただの一度もその刃に傷が付いていないのを知っていたから。
どれだけ強靭なものであっても最後には斬れる、そう思ったからナツキは私の刀を手に取ったんだ。
「私は、今この心の中にいるミナミと喋ってる。あの子が死んだことも、もう会えないこともちゃんと分かってる。でも、私に語り掛けてくれるミナミがいるのも確かなんです。その二つは決して矛盾しない。私は──ミナミが死んで、そして今も生きてると思ってる!」
叫びにも似た想いをナキに伝えると、ナツキは再び《A-001》を見つめた。
前方では、全てを察したモモが先回りして《A-001》との交戦を繰り広げている。
「……そうだったのか。どうやら間違っていたのは私の方だったようだ。ナツキ、今までの非礼を詫びる。すまなかった。お前がそれほど真剣に自分と向き合っていたとは知らなかった」
「ううん、いいんです」
そういっていつも通りの微笑みを浮かべるナツキに、ナキは初めて安心感を覚えた。
その笑顔の本当の意味を、たった今知ったからだ。
「そうだな、こんな世界だ。死人が化けて出てきてもおかしくはない。そう考えるのなら、彼女が生きていると思ってもいいだろう。……いいや、私もミナミが生きていることを望もうじゃないか」
ナキが笑いかけると、ナツキも呼応されるように笑顔を浮かべた。
そして二人は同時に《A-001》へ戦意を向ける。
前方で戦っていたモモは既にボロボロの状態だったが、それでも彼女の口元は笑っていた。
「ナツキ、任せたぞ」
「はいっ!」
そう言ってナキはモモの支援へと向かって行く。
今にも頬を焼いてしまいそうなほどの業火の中、初めて全員が笑顔を浮かべていた。
──さぁナツキ、準備はいい?
「うん、できてる」
胸に手をあて、静かにそう呟くナツキ。
私の声は、きっとナツキには聞こえていない。ナツキ自身が聞こえていると勘違いしているだけ。
でも声なんて関係ない。私達は"心"で繋がっているのだから。
──そうだよね、ナツキ。
「多分こんな時、ミナミは心で繋がってるって言うと思う。だから……うん、そうだね。私もそう思う!」
少しだけ自信のない声で、でもそれを吹っ切るほどの気合に満ちた声でナツキは呟く。
「私は、魔獣が蔓延るこの世界で、みんなが怯えるこの世界で、一日でも多く幸せに生きて欲しい。一人でも多く笑顔になって欲しい」
──どうして?
「だって……みんなが笑ってくれなきゃ、私が笑えないから」
──怖い?
「うん、怖い。一度は逃げた相手だもん、凄く怖いよ。……でも、今度は逃げない」
刀を鞘に納刀し、低い姿勢で構えを取るナツキ。
そして居合抜きをするときの体勢で、大きく息を吸った。
「──約束、果たすね」
確固たる決意を持って震脚を入れるナツキ。
それによって浮かび上がった小さな瓦礫は、彼女の持つ力の全てを象徴していた。
うん、一緒に約束を果たそう。
これまでだって、二人で勝てなかった相手はいないんだから。
──さぁ、見せてよナツキ。
鞘から剣を抜いた時の君の、世界で一番カッコいいところを。
相は愛よりつよいんだってところを!
「遅くなってごめんね、ミナミ。もう一度、一緒に倒そう。一緒に倒して、一緒に世界を救って、そして一緒に笑おう! いまさら嫌だとは言わせないよ、だって私達はいつも──」
ああ、そうだね。私達はずっと──
「「二人で、ひとりだったもんねっ!!」」
暁に包まれた黄金色の剣筋は、光り輝き熱を放つ。
「今だッ!!」
「先輩ッ!!」
白夜はそれでも輝き続け、曇ることのない世界を映し出す。
太陽は顔を出し、《A-001》の背後から眩い朝の光が差し込んできた。
さぁ、夜明けの時間だ。
「光り輝け、白夜の一刀。『黎明』──ッッ!!」
瞬間、ナツキの抜刀と同時に光の如き一閃が放たれる。
それは全ての障壁を突き抜け、直線状にいた《A-001》の瞳を一瞬にして両断。
同時に《A-001》の劈くような叫びが轟き、浮遊していた玉が中心へと吸い込まれると明滅を解き放って巨大な大爆発を引き起こした。
「こちら『無名組』、《A-001》撃破完了」
轟音と地震のような揺れの中、燃え盛る業火を背に『無名組』は破壊級魔獣への完全勝利を宣言したのだった。