奇襲
リーベイ商会からの手紙には通常の1.5倍の値段であれば取引に応じると書かれていた。
(意外…もっと値が釣り合がるかと思ってたのだけど)
「この内容で問題なければ、すぐに注文をかけましょう。3日後には届くはずです」
「はい!もちろん異論ありません。エリザベス様にはなんとお礼を申し上げればよいのやら」
「すべて領主代行の采配ですよ」
エリザベスの言葉に「なんと、若様の…!」と所長は顔を輝かせた。
ウィルが『若様』と呼ばれているのがあまり似合わず、多少面白みを感じたエリザベスだったが、すぐに気を引き締める。
「商会が来た時には立ち会いたいので、しばらくここに滞在します」
「では一番安全な宿を手配いたします」
所長は人のよさそうな笑みを浮かべていそいそと部下に声をかけにいった。
(いい人なんだろうけど、ちょっとほよほよしすぎね…リーベイ商会にぼったくられないように注意しないと)
***
翌日、エリザベスがカーラとともに街を見て歩くことにした。
やはり、食料の値上がりで人々の様子には活気がない。
「待て!ドロボー!」
叫び声が聞こえたかと思うと、路地の間から一人の子供が飛び出してくる。そしてエリザベスにぶつかると尻もちをついて転げてしまった。金髪の7歳くらいの女の子で、エリザベスには幼い頃の妹の姿と重なった。
「大丈夫?」
エリザベスが慌てて少女を助け起こすと、後ろからかなり憤った様子の男が走ってきた。
「お嬢さん、その子供を捕まえておいてくれ!うちのリンゴを盗んだんだ!」
「あら」
少女はエリザベスの手を振り払って走り出そうとしたが、思いのほかエリザベスは少女の手をがっちり掴んで離さない。
「離して!」
「そう言われても…」
エリザベスは少女の手にあるリンゴを見た。ぶつかった時なのか元々なのか分からないが、傷がついていた。
「見たところ貴女は八百屋さんのようですが。このリンゴは売り物だったのですか?」
「あ?そうだよ」
エリザベスは困りましたねと眉を下げる。
「おそらく私とぶつかった拍子に傷がついてしまったようです。ほらここ…前を見ていなかった私にも責任がありますから買い取らせていただきますね」
「え?ああ…まあ、あんたがそれでいいなら」
エリザベスから代金を受け取ると、男は困惑した様子で去って行った。
「さて、お嬢さん。けがはない?」
エリザベスはかがんで少女と向かい合った。もうエリザベスは少女の手を掴んではいないが、少女はおとなしく立っている。
「…平気」
「なぜ盗みなんかしたの?」
「お姉ちゃんが風邪ひいてて、でも食べ物が高くて買えないから…」
「食料の配給は貰わなかったの?」
エリザベスの言葉に少女は「ハイキュウ?」と首を傾げた。
「ご両親は?」
「ひと月前から仕事で北の方に行ってる」
なるほどとエリザベスは頷いた。おそらく両親は雪崩の影響で帰ってくることができず、残された子供たちは初めて見舞われた食糧難にどうしたらよいか分からなかったのだろう。
「そのリンゴはあげるけど、もう盗みをしてはだめよ。困った時はまず役所に相談に行くの」
エリザベスは少女の手を引いて役所に向かい、事情を説明して支援を頼んだ。
少女の名前は『リナ』というそうで、名前まで妹に似ていたのでエリザベスは驚いてしまった。
「エリザベス様は子供の扱いになれてらっしゃいますね」
その晩、カーラが少し意外そうにエリザベスに言った。
「そうかしら。妹の面倒をよくみていたからかも」
「だからシェイラ様もよくなつかれてたんですね」
侯爵令嬢にその表現はいかがなものかと思ったが、モーモント家は使用人との距離が近いことを知っていたので苦笑する。
「あら、噂をすればというか…妹からの手紙がモーモント家に届いていたみたい」
出発前にリーベイ商会に話を通す許可をウィルから貰っていたが、本決まりしたので手紙で報告したのだ。その返信に同封されていたのがモーモント家に届いた妹のリラからの手紙である。
リラの手紙には、王子妃教育が厳しいこと、嫌味な侯爵令嬢がリラのことを目の敵にして馬鹿にしてくるので鼻をあかしてやりたいこと、第二王子は優しい人だけどニンジンが食べれないことなどなど日々の様子がぎっしりと詰め込まれて書かれていた。
(手紙でもおしゃべりなんだから)
微笑みながら手紙を読んでいると、気になる人物の記載があった。それは王弟のバートリー公爵がやたらとリラに話しかけてきて鬱陶しいという愚痴で、バートリー公爵が『今のうちに私と親しくしておいた方がいい。きっと後で感謝することになりますよ』と言ってきたという部分がエリザベスは気になった。なんとも含みを感じる言い方で、そしてこのような発言をする輩は大抵なにか企んでいて、それを人に言いたくて仕方がない人物なのだ。
(カロン伯爵は王弟と懇意で、貴族派だったはず。モーモント家は王権派。これは偶然?)
あくまで思いつきではあったが、可能性はゼロではない。エリザベスはウィルに手紙でこのことを知らせることにした。
***
翌日、ずいぶんと慌てた様子で所長が宿を訪ねてきたので何事かと思ったら、予定より早くリーベイ商会が来たのだ。
「お久しぶりです。ジークさん」
濡羽色の髪をした20代半ばの背の高い男性を見つけて、エリザベスは驚きつつも声をかけた。
「久しぶりじゃねーよ!ベス!急に面倒臭いこと頼みやがって」
ギロリと血のような赤い瞳でジークはエリザベスを睨みつけるが、エリザベスはどこ吹く風で受け流す。
「いつもより高値で捌けるんだから悪くない取引では?」
「わざとボケてるだろ…。まあ、お前の結婚祝いだと思ってわざわざ来てやったんだ。感謝しろよ」
ジークは言葉遣いは粗野だが従業員思いで情に厚いので、昔社会勉強のためにリーベイ商会で下働きをしていたエリザベスの結婚を本当に祝いに来てくれたのだろう。
(結婚…実はしてないんだけど)
そして、父があんな大嘘をついていたのだからこの縁談が纏まるはずもない。
「どこでその話を聞いたんですか?」
「ルギア領主が、自分の息子より先にモーモントの若造が嫁見つけやがったってキレてたんだよ」
「あはは…」
ルギア領とモーモント領は本当に仲が悪いらしい。
「予定より早かったですね。助かります」
「食料がなくて困ってる人たちがいるって話だったからな」
エリザベスはカロンとの取引が急にできなくなったことをジークに話した。商会の代表である彼ならなにか情報を持っているかもしれないと思ったからだ。
「ベスの睨んでる通り、カロン伯爵は間違いなく関わってると思うがそれ以上は分からねえな…。うちはカロン領と特産品が被ってるから取引が少ないし。そういや、カロンの商会は最近国内より他国との商売に力を入れてるって話はきいたな」
「他国というと…」
「ジゼ公国とか帝国とか」
「ジゼ公国と…!」
シェイラが警戒していたジゼ公国の名が出てきたので、エリザベスは表情を曇らせる。
「あの、ルギア伯爵は中立派でしたよね。何か貴族派の動きについて言ってませんでしたか?」
「俺みたいな商売人に政治の話なんかするわけないだろ」
「う、そうですね。すみません」
エリザベスの眉間によった皺を見てジークは苦笑しながらその眉間をぐりぐり指先でほぐす。
「仕方ねえな。機会があったら探りを入れてやる。その代わり、今後ルギアとモーモントが交易をするようになったらリーベイ商会を一番に優遇しろよ」
「お約束はしかねますが、次期領主に話はしておきます」
「お前ホント可愛げねえな!」
ジークは本当にエリザベスに会いにだけ来たらしく、取引は部下に任せてさっさと帰ってしまった。
そして、予定よりも早く街の人々に食べ物を配ることができたおかげで、その日の晩は町中の空気が少しだけ楽し気になった。久々に店を開けた飲食店もあり、テラスで食事や酒を楽しむ人々もちらほらいる。
「エリザベス様のおかげですね」
カーラが真剣な顔でエリザベスに言うので、エリザベスは照れてしまった。
「リーベイ商会のおかげよ。あの距離をあの荷物を持ってたった1日で来れるなんて、やはり神馬の力はすごいわね」
「神馬…ルギア領の幻獣ですね」
この国では土地ごとに幻獣が住んでいる。幻獣の飼育繁殖に成功している領は僅かだが、それでも幻獣は各領地のシンボルになっていて、家紋に幻獣を用いる家も多い。
「そういえば、モーモント家の紋章は幻獣じゃないのね」
「はい。ですがモーモント領にも幻獣はいるんですよ」
「そうなの?」
初めて聞く話にエリザベスは目を丸くする。
「大狼といって、とても美しい白銀の毛並みをした狼です。モーモント領の北部に生息していて、その北山には狼を乗りこなす先住民がいます」
「それも初めて聞く話だわ」
「半分おとぎ話のようなものですから。ただ、私の祖父母が子供の頃はその先住民と交流があったそうなので、全くの作り話でもないんですよ」
「では何故モーモント家は狼を紋章にしないの?」
カーラは胸を張って答えた。
「モーモント家は先住民を敬い、彼らのシンボルである大狼を自分たちのものにしようとは思わなかったからです」
「そう」
それはとてもモーモント家らしい考え方だとエリザベスは思った。
二人で宿へ向かって歩いていると、関所の騎士らしき男が凄まじい速度で馬を走らせて役所の方へ向かうとのすれ違った。エリザベスは役所へ戻ることにした。
「襲撃?!」
所長の悲鳴にエリザベスの心臓の鼓動が早くなる。
「どういうことですか?」
扉を開けて入ってきたエリザベスに関所の騎士は困惑した様子だったが、エリザベスが伴っている騎士がモーモント家の騎士団の紋章を見せたので、大慌てで居住まいを正し、ことの次第を説明した。
「先ほど、カロンとの境にある関所が20騎ほどの軍勢に襲撃を受けました。関所の騎士団で応戦中ですが、かなり手練れな上…」
騎士が言いよどむ。
「続けて」
「その…狼に乗って攻めてきたのです。ほ、本当なのです!」
エリザベスはカーラと顔を見合わせる。
「つまり、関所の騎士では押し負ける可能性があるということですね」
エリザベスの言葉に所長が顔を青くする。
「お、おしまいだ…」
「落ち着いてください。今日確認した通り、北部の関所へ住民を避難させましょう。相手が何者であっても地の利はこちらにあります。そう簡単に騎士団が負けるとは思えません」
エリザベスはリラとジークの話を聞いてカロンからの万が一の襲撃に備えて避難先と避難経路を役所の職員と共に確認しておいたのである。
「は、はい!すぐに避難誘導を開始します」
エリザベスは自分の護衛騎士たちに向き直る。
「それから、ジェイクさんはすぐにウィルに知らせて援軍を呼んでください。レイクさんは私の護衛に残って、残りの4人は住民の避難誘導をお願いします」
騎士たちは強い眼差しで返事をすると、すぐに各自の役割を果たすため動き出した。
「エリザベス様はどうか避難を」
カーラの言葉にエリザベスは頷く。ここでエリザベスが怪我でもしようものならモーモント家の責任問題になるのは重々承知していた。
レイクが馬を用意し、エリザベスはレイクの後ろに、カーラは一人で馬に乗る。この混乱した状態で街中を進むと人々にけがをさせてしまうので、街の外側を迂回して関所に向かうことにした。
突然、エリザベス達が駆ける馬の前に人影が飛び出してきた。
「危ない!」
レイクが慌てて手綱を引いて馬を止める。飛び出してきたのは一人の子供だった。
「あなた…リナ!」
エリザベスは馬から降りて慌ててリナに駆け寄る。
「リンゴのお姉さん!」
エリザベスの顔を見るとリナはほっとした顔をして、だがすぐに瞳を涙でにじませた。
「お姉ちゃんが、動けないの。早く逃げなきゃいけないのに」
助けてとリナはエリザベスにしがみついた。エリザベスはレイクとカーラの方を見る。
「分かりました。その子のお姉さんも馬に乗せましょう」
レイクが了承してくれたのでエリザベスはほっと息をついた。
リナの家は住宅街からは外れたところにあり、近所に住む人もいなかった。
(だから、この子達の面倒を見てくれる人がいなかったのね)
リナの姉は15歳くらいで、もう一人でなんでもできる年ごろであったのもその一因かもしれない。
レイクは手早くリナの姉を馬に乗せる。さすがに大人3人がレイクの馬に乗るのは無理があったので、エリザベスとリナがカーラの馬に乗った。
二頭の馬が街の外れを駆けていくと、カロンとの境の関所の方で大きな爆発音がした。それと共に大群が押し寄せる音。
(敵の援軍…!)
これはまずいとエリザベスはレイクとカーラに馬を早めるように言う。
二人が馬の腹を蹴り、馬の蹄の音が早くなるが、それだけだはなく背後から何かの足音がすることにエリザベスは気づいた。エリザベスは後ろを振り返り、悲鳴を飲み込む。
背後に迫っていたのは、白銀の毛並みをした2頭の狼を駆る、見たこともない仮面をつけた男達だった。