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生物実験室は探偵事務所

掲載日:2022/02/04

 体育館に、校長の声が響き渡る。

「表彰状、三年A組、古川陽菜フルカワヒナ殿。あなたは国際生物学オリンピックにおきまして、銅メダルを獲得し、本校の生徒達に大きな勇気を与えました。よってここに表彰します」

 俺は体育館の床に体育座りしながら、壇上で陽菜先輩が表彰状を受け取る姿を二度見した。成績優秀だとは分かっていたが、オリンピックに出る程だとは思っていなかった。研究者になるために毎日持ち歩いている、電子生物学辞典が役に立ったに違いない。

 陽菜先輩は受け取ると、三百人いる生徒の列へ振り返る。そして表彰状を頭上に大きく掲げ、笑顔で、

「見たか! 獲ったぞー!」

 と叫んだ。生徒達から拍手が起こる。赤チェックのミニスカートが、ふわり、と華開いた。

 陽菜先輩は我が校、県立南高校で生徒会長、成績優秀という事に加え、美人としても有名だ。子犬のような大きな瞳は愛くるしさがあり、小柄で幼く見える。ツインテールに結んだ腰までの美しい髪は、彼女のトレードマークだ。それでも、彼女が男子からモテないのには理由があった。

「おい、康太! 写真撮れ!」

 俺は陽菜先輩にスマホを渡されると、カメラを起動し撮影の準備をする。彼女は表彰状を広げスマホに向けると、満面の笑みでピースした。俺はシャッターを切る。

「上手く撮れたか?」

「撮れました!」

 写真を見せる。

「良いじゃないか。ありがとな!」

 そう言って、スマホを奪い、体育館の外に出る。

 彼女は男っぽい。人望はあるのに、男子達としたら恋愛対象にはならない。女子からは物凄くモテるみたいで、よく告白されてるらしいけど、女性には興味が無いらしい。俺は今学期から生徒会副会長という事で、子分のように可愛がられていた。副会長になれば指定校推薦に有利になると聞いたから立候補したのだが、あっという間に陽菜先輩の雑用係になってしまった。

 俺も体育館を出て、教室へと繋がる廊下を歩きながら、愛猫を想っていた。一体どこに行ったんだ。母から連絡がないかスマホをチェックするが、無かった。


「陽菜先輩、ちょっといいですか?」

 俺は、陽菜先輩の好物のイチゴ牛乳を手土産にして、生物実験室を訪れる。オオカナダモを観察している彼女に、声をかけた。

「なんだ? ちょっと今、忙しいんだ。撮影中だからな。それより、プレパラートを持ってきてくれないか?」

 イチゴ牛乳をひったくるとすぐに観察に戻る。飲みながら顕微鏡を操り、オオカナダモの動きを撮影しているようだ。俺は、隣の準備室からプレパラートを持ってきて、渡した。

「よーし。これで大丈夫だ。ありがとな」

「あのー、陽菜先輩に相談があって来たんですけど」

 彼女はほとんどまばたきせず、観察に熱中していて、俺の話は聞いていないようだ。慎重に会話を進める。

「お願いを聞いてくれたら、多田野を先輩とくっつけるの手伝おうかな、と思ってるんですけど」

「なんだ! なんの話だ?」

 彼女は突然、勢いよく振り向き、俺の方に顔を突き出した。

「私と多田野君をくっつけてくれるって?」

 多田野は先輩の意中の人で、俺のクラスメイトだ。俺とは同じバスケ部ということで親しい。先輩は以前から彼に好意を寄せていたが、恋に対しては臆病で、話しかけることもできないでいた。おかしな話だが、多田野の前では一人の恋する乙女になる。そこで、恋のキュービッドになってくれ、と言われていたが、何か頼む時の切り札として取っておこうと、まだ紹介しないでおいた。そして、それを使う時が今来た。

「頼みたいことがあるので、それをしてくれたら、多田野との事段取りします」

「いいぞ。なんでもやってやる!」

 俺はそれを聞くと、一枚の写真を差し出した。

「これは俺が飼ってる三毛猫です。額に花火のような模様があるから、花火と名づけました。この子が一昨日の夕方、どこかに消えました」

「消えた? どういうことだ?」

「密室なのに、突然家からいなくなったんです」

 俺は、別角度から撮った花火の写真を差し出す。

「最後に花火を見たのは、三日前の夕方です。花火は家猫なので、脱走しないように気を付けていました。二重扉にしているし。だけど、いなくなっていた」

「今まで脱走したことはあったのか?」

「一度も無いです。そもそも、風通しをするために俺や家族が窓を開けることがあっても、花火はなんの関心も持ちませんでした。だから脱走はしていないはずです」

 先輩は眉をひそめて、じっと写真を見つめた。どうやら興味を持って貰えたようだ。

「子猫の時から十年一緒に暮らしてきた猫なんで、どうにか見つけたいんですよ。陽菜先輩は生き物に詳しいから、お願いしたいなあと思って。探してくれたら、多田野を紹介しますから」

「よーし、わかった! 私が手伝ってやろう! 絶対に紹介するんだぞ?」

 陽菜先輩は両手をバン! と机につくと、プレパラートにひびが入る音がした。振動で割れたらしい。でもそんな事は気にしていない様だった。

「早速調査するぞ! お前の家まで案内するんだ!」

「ありがとうございます!」

 彼女は俺の手をひき、昇降口へ駆け出す。

「授業なんかサボっちまえ!」

 俺は探すのを手伝ってくれるのが嬉しい半面、授業をサボってばかりいるのに成績上位を保っている事に軽く嫉妬した。


 俺の家は学校から徒歩十五分。小さな公園があるような住宅街に建つ、二階建ての一軒家だ。俺と彼女は家をながめる。

「綺麗な家だな。新築か?」

「はい。去年建てたばかりなんです」

俺は鍵を開け、彼女を中へと案内した。

「玄関は勿論、鍵がかかっていれば出られるはずもないよな。という事は二重扉か。そこから出てしまった可能性は、本当に無いのか? 閉め忘れたなんて事は」

「例え閉め忘れても、センサーが感知して教えてくれる仕組みになっているんです。あの日、警告音は鳴りませんでした」

 彼女は一階リビングの窓を少しだけ開ける。一分ほど経つと、室内のスピーカーから大きな音で、ピーピーと音が鳴った。

「確かにこれなら、絶対に気付くはずだな」

「そうなんです」

 俺は窓を閉め、浴室やトイレ、二階の寝室や俺の部屋、両親の部屋にも案内した。しかしどこの窓も同じ仕組みになっており、出られるはずがない。彼女も同意見だった。

「電気をつけ忘れて出掛けても、暗がりも怖がらないし、工事や雷なんかの大きな音にも強いんです。だから、何かを怖がってどこかに隠れている、って言う事も考えられないと思います。健康診断でも悪い所は無かったので、どこかで死んでいるって言う事も無いと思いますし」

「だとすると益々分からないな。正直全く見当がつかない」

 俺は落胆して、その場に座り込んだ。

「そうですか。実は警察にも相談したんですが、そのうち帰って来るでしょう、なんて言われてしまいました。探偵に相談しても、お手上げだと言われましたし。先輩が駄目なら、もう諦めるしかないですね」

 俺の予想に反して、陽菜先輩は言った。

「いいや、諦めないぞ。最後に見かけた時、誰か家にいたか?」

「バスケ部の山下と花山、多田野が遊びに来てました」

「なるほど」

 先輩は深く考え始めた。

 暗くなるまで捜査を続けたが、有力な手掛かりは得られなかった。


 翌日俺はバスケ部の朝練の為に早く登校し、昇降口で靴箱から上履きを取り出そうと手を伸ばす。しかし、上履きが見当たらない。靴箱の中を覗いてみるが、何も入っていない。おかしい。

 そこに山下と多田野が通りがかった。

「康太、おっす。どうしたんだ? 覗いたりなんかして」

 山下が不思議そうに尋ねる。

「ああ、上履きが無いんだ」

「無い? 部室に忘れたんじゃないのか?」

 多田野がにこやかに言った。

「ああ、そうかもしれないな」

 靴下のまま、三人で部室に向かう。着くと、個人ロッカーを調べた。

「おかしいなあ、ここにも無い」

 山下と多田野も探してくれる。しかし、彼らのロッカーにも無かった。

 後から花山も入ってきて、一緒に探してくれた。しかし、見つからなかった。

「うーん、先輩が間違えて履いて帰ったのかもな」

 俺達はバッシュを履き、体育館に向かった。

 体育館に入った途端、多田野がくしゃみをした。

「どうしたんだ? 風邪か?」

 山下が聞く。

「ああ、昨日の夜ランニングしたら風邪ひいたんだ。急に冷え込んだだろ」

「夜も走るなんて、お前は努力家だな。さすが、キャプテン候補だ」

 俺は多田野の背中を叩き、はやし立てた。

 それを見た山下と花山が睨んだ気がした。


 練習が終わると部室で俺は、多田野と山下、花山に声をかける。

「なあ、今日、陽菜先輩も一緒に昼飯食ってもいいか?」

「陽菜先輩って、生徒会長の? 康太、もしかして付き合ってるのか? 一緒に食べるだなんて」

 花山が目を見開いて言う。

「やめろよ、そんなんじゃないって! ただ、なんて言うか……、先輩が俺達と食べたいって言うんだ」

 すると山下が満面の笑みで言った。

「それ、絶対康太の事好きだよ。だって俺ら三人、陽菜先輩と喋った事ないじゃん。有名人過ぎて」

 肝心の多田野は口を開いた。

「俺は反対だ。バスケ部員で仲良く喋りたいのに、いきなり部外者が入ってきてどうする」

 まずい、と思い、俺はフォローする。

「でも、新しい交流ができるかもしれないだろ? 例えば、陽菜先輩と付き合えるとかさ」

 すると花山が食いついて来た。

「陽菜先輩には興味無いけど、他の女子を紹介してもらえる事はあるかもな。例えば、美沙先輩とかさ!」

「それはお前が紹介して欲しいだけだろ」

 多田野は花山を小突いた。

「俺も賛成だぞ。女子を紹介して貰えるなら」

 山下は目を輝かせてうったえる。

 俺は三人の気が変わらないうちに、

「じゃあ決定な! 陽菜先輩に言っとくから!」

 と、決めてしまい、部室を一目散に出た。


 昼になり俺は、先ほどのバスケ部三人と学食にやって来た。

「あ、陽菜先輩! こっちこっち!」

 入口に陽菜先輩がいた。でも、髪型がいつもと違う。いつものツインテールがみつあみになっている。

 陽菜先輩はこちらに駆けてくると、

「ごきげんよう、皆さん。今日は仲間に入れてくださって、ありがとうございます」

 なんて丁寧に挨拶している。出た、乙女陽菜先輩。気持ち悪い。

 いつもは遠目からだが、普段の陽菜先輩の荒っぽさを知っている三人は、あっけに取られていた。

「こ、こんにちは、陽菜先輩」

 山下はひきつった挨拶をする。それに続いて他の二人も同じような挨拶をする。

 俺達は注文の列に並び、ぎこちない会話を続ける。

「皆さんは、何をお頼みになるのかしら」

「俺達は豚丼を頼みます。水曜日だけ大盛無料なんで」

 なあ、うん、とバスケ部員達は顔を見合わせる。

「私はサラダパスタ小盛を頼みますわ。ヘルシーですから」

 放課後お腹が空いて、家に帰るまで待ちきれなくて唐揚げ弁当大盛を食べる人間が、ヘルシーだなんて笑ってしまう。

 多田野がまたくしゃみをした。涙目になっている。

「またくしゃみか。風邪うつすなよ」

 山下が笑う。

「うん、気を付けるよ」

 鼻水をかみ、多田野は答えた。

 順番がやって来て、口頭で注文し、受け渡し口の前で少々待って料理を受け取る。

 大テーブルの席に着くと、いただきます、と言って男子四人は豚丼を勢いよくかっこむ。

「ちょっと生焼けだけど、うまいな」

 多田野が呟いた。

 陽菜先輩はフォークでくるくると巻いて、ゆっくり食べ、小食を演じている。

「うまかったー!」

 一番に食べ終えたのは山下だった。

「俺も食い終わった!」

 豚丼勢が全員食べ終わったというのに、陽菜先輩はまだ半分しか食べ終わっていない。

 花山が質問する。

「なあ、そういえば、康太の猫、まだ見つかってないのか?」

「そうなんだよ。寂しいよ。長年一緒に暮らしてきた子だから」

 俺は、水をすすると言った。

「それは残念だな。俺も歩いてるとき、違わないか気を付けて見てみるよ。額に花火の模様な」

 花山が言ってくれたので嬉しくなった。

「俺も猫飼ってるから、気持ちわかるんだ。確か山下も飼ってたんじゃなかったっけか?」

 山下は気伸びをしながら答える。

「うちはアメリカンショートヘアーだ。多田野の家は金魚だったっけ?」

「うちはグッピーだよ。猫は昔飼ってたけど、三年前に亡くなったんだ。だから今はグッピーだけ」

 話している間に、やっと陽菜先輩が食べ終わった。ナプキンで口を拭いている。そんな姿は初めて見た。

 俺は、多田野と陽菜先輩をくっつけなくちゃ、と彼女にも話を振る。

「陽菜先輩の家はフェレットを飼ってるんですよね!」

 陽菜先輩は語り出す。

「ええ、マーシャルフェレットのスターリングバターミットの小雪という名前でして毛並みが愛おしくて毎晩一時間一緒にボール遊びをしてましてご飯はマーシャルプレミアムフェレットフードを与えてましてでも最近下痢したので病院に連れて行ったら」

「先輩もう大丈夫です! 伝わりました!」

 俺は必死に止めに入った。初めて話すというのに一方的に語るのは良くないし、下痢の話はもっとまずい。

 多田野の方を見ると、顔色が悪かった。陽菜先輩の異様さにひいているのかと思ったが、よく見ると顔に蕁麻疹が出ていた。

「多田野、大丈夫か?」

「なんか、凄く痒い……」

 それを見た陽菜先輩は近くの手洗い場に行き、ハンカチを濡らして戻ってきた。

「どうしたんだろ、突然蕁麻疹が出るなんて」

 多田野はハンカチで顔を冷やしながら呟く。

「何かのアレルギーかな? でも、いつも食べてるよな」

「そうだよな。毎週水曜日は豚丼だもんな」

 十分後、陽菜先輩が何度もハンカチを濡らしに行ったおかげで、多田野の蕁麻疹はほとんど消えた。

「良かったな」

「陽菜先輩、ありがとうございました」

 多田野がお礼を言う。すると陽菜先輩は、

「大丈夫ですことよ」

 と、また変な喋り方で笑った。こういった困難から、二人が仲良くなればいいな、と俺は思った。


「怪しいな」

 陽菜先輩はイチゴ牛乳啜ると、呟く。この日の放課後は生徒会会議の為、俺と陽菜先輩は生物実験室にいた。バスケ部の練習は今日は休もうと思っていた。会議と言っても、書記は立候補者がいなかったので不在で、生徒会は陽菜先輩と二人きりなのだ。つまり、会議と言う名のお喋り会と化す。生徒会室でなく生物実験室を使う理由は、陽菜先輩いわく、居心地が良いからだそうだ。

「何が怪しいんですか?」

「まあ、理由は真実が分かってから言う。とにかく多田野君のセーターを、このコロコロで掃除してみるんだ」

 先輩は粘着カーペットクリーナーを俺に手渡した。

「これでセーターから猫の毛が取れれば、私の推理にも確信が持てる」

「ちょっと待ってください! 多田野が花火を連れ去ったって言いたいんですか?」

「そうだ」

 俺はショックだった。

「そんな訳ないじゃないですか!」

「とにかく行って来い! それから、康太、いつもと違う靴を履いてるが、上履きが無くなったんじゃないのか?」

 彼女は俺の靴を指さした。

「はい、そうですけど」

「多田野君の持ち物をよく探すんだ。もしかしたら、靴が見つかるかもしれんぞ」

 その後も俺は先輩に言い返したが、先輩は怪しいと譲らなかった。どこが怪しいのかも教えてくれないから、

「じゃあ、多田野が無実だと証明してみせますよ!」

 と言って、部室へ向かった。


 他の部員は体育館で練習をしているので、部室には誰もいなかった。そうっと多田野のロッカーを開け、多田野のセーターを取り出す。コロコロ、と粘着カーペットクリーナーを転がすと、小さなごみや毛玉が取れた。付着物を観察するが、目を凝らしてもよく見えない。

 本当に花火の毛なんて付着しているんだろうか、なんて思いながら、次の行程に移る。多田野のエナメルバッグをロッカーから取り出し、ジッパーを開ける。すると信じられないものが出てきた。

「俺の上履きだ……」

 俺の名が書かれた上履きが、透明なビニール袋に収納されていた。

 俺は上履きを見なかったことにして、エナメルバッグに戻し、生物実験室に戻った。


「その顔は、あったんだな、上履き」

 俺は小さく頷いた。

「そのコロコロも貸してみろ。見てやる」

 彼女は粘着カーペットクリーナーを一枚分剥がし、汚れた部分を顕微鏡で観察した。

「ああ、これは猫の毛だな。特徴が出てる。三角のような形になってるからな」

「じゃあ、やっぱり、花火を連れ去ったのは多田野なのか。でも、一体どうして」

 陽菜先輩は腕を組み考えると、

「今日、多田野君を尾行してみよう。何かわかるかもしれない」

 俺は大きく頷いた。


 練習を終えた多田野が学校を出ると、俺と陽菜先輩は後を追った。制服から私服に着替え、変装した。私服は生徒会室に予備で置いてあったものだ。

 京名線のホームに着くまで、気付かれる事は無かった。

「あ、電車に乗る!」

「こういう時は、隣の車両に乗るんだ!」

 すぐにやって来た各駅停車橋本行きに飛び乗る。

多田野は車両の端のドアから乗り込んだので、隣の車両でも姿が見えた。気づかれないようにそっぽを向きながら、陽菜先輩と会話する。

「で、どうして陽菜先輩は多田野が犯人だと疑ったんですか? 当初は上履きも猫の毛も見つかってなかったのに」

「最初に怪しいと思ったのは、彼がくしゃみをしていたからだ」

 俺は窓の外を見ながら話すので、向き合っていない俺らは周りから変に思われているだろうな、と思いながら話す。

「くしゃみがどうして怪しいんですか?」

「彼はくしゃみをし、涙も出ていた。風邪と言っていたが、あんなに涙が出るなんてよっぽどの風邪なのに、立って喋っていたんだ。それは不自然なんじゃないかと思った。恐らく、アレルギーなのではないかと疑った」

「でも、何のアレルギーですか?」

 陽菜先輩はつり革を握りしめながら、小声でささやく。

「くしゃみの段階では何か分からなかった。でも豚丼を食べた時、蕁麻疹が出ただろ? あれで気づいたんだ。猫アレルギーだ、って」

 陽菜先輩はつり革を強く握る。

「どうして豚丼を食べたのに、猫アレルギーだと分かったんですか?」

「それは猫と豚の血清アルブミンの交差反応によってアレルギーを起こしたんじゃないかと思ったからだ」

「血清?」

 俺は首をかしげる。

「つまり、豚肉猫症候群と言って、猫アレルギーの人が豚肉を食べるとアレルギーを起こす可能性が高い、という事だ。あの豚肉は少し加熱が足りなかった様だから、起こしやすかったんだろう」

 陽菜先輩はいつも持ち歩いている、「電子生物学辞典」に何やら入力し、俺に見せた。陽菜先輩の話で、猫アレルギーの人が豚肉を食べるとアレルギーを起こしやすい、という事は分かったが、辞典を読んでもさっぱりわからなかった。

「つまり、花火を触って猫アレルギーになっていると」

「そうだ。多田野君は今、猫を飼っていないようだからな。子どもの頃飼ってたとはいえ、体が成長して猫アレルギーになるパターンもあるんだ」

 車内アナウンスが流れる。

『次は、終点、終点』

 ドアが開いて、多田野が降りるのを確認し、俺達も後を追う。

 ホームを抜け、改札を出て、十分ほど歩いた所で、多田野は一軒家に入っていく。

 すると、庭から花火が出てきた。

「花火!」

 俺は叫ぶと、花火はこちらに寄って来る。間違いない。額に花火のマーク。この子はうちの猫だ。

 花火はしゃがんだ俺の胸に飛び込んだ。

「多田野、どういうことなんだ!」

 多田野は驚いた様子で何も言わない。視線は彷徨っている。

「全部知ってるんだぞ! 上履きの件も!」

 沈黙が生まると、仲裁するように花火が、にゃあー、と鳴いた。

「俺は、康太が陽菜先輩と仲良くしてるのが嫌で、それで、気をひかせたいと思って、つい」

 しどろもどろな彼の頬は、火照る。

「どういうことだ?」

 彼は下を向いた。そして、呟く。

「康太が好きなんだ。恋愛対象として」

 俺は予想外の言葉に、驚いた。彼は続ける。

「こんなことしていて言える立場じゃないってのはもちろんわかってるけど、俺はお前と付き合いたいと思ってるんだ」

 俺の手は震える。驚き過ぎて、どうしたら良いかわからない。

「交際について、本気で考えて欲しい」

「でも俺は……そんな風に考えた事無いって言うか、知らなかったし」

 そう言うと、俺はうつむいた。くしゃみをする。

「そうだよな。わかってるよ」

 俺は、大きく深呼吸して、冷静になろうとする。

「でも、ちょっと考えてみる。もしかしたら好きになるかもしれないだろ」

 彼は目をまんまるにして、驚いている。

「本当か?」

「うん。だから答えを出すまで待ってくれ。花火の件はショックだったけど、健康そうだし。俺は、多田野が大切なんだ。これで疎遠になるなんて嫌だ。でも真剣に考えるから、好きじゃないのに付き合うなんてことはしないからな」

 多田野は俺を強く抱きしめた。


 二週間後、俺はまだ多田野に答えずにいた。だけど、多田野が俺の中で、恋愛対象として大きな存在になってきているのは確かだ。

 生物実験室に陽菜先輩と二人で入る。今日は会議と言う名のお喋り会の日だ。

 彼女は入るや否や俺に抱きつき、わんわん泣き出した。

「康太は多田野君と付き合うんだろ? わかってんだよー! 私の多田野君を盗りやがって!」

「じゃあなんで俺の胸で泣いてんですか。恋敵でしょ?」

「お前と離れるのも寂しいの! 子分がいなくなるなんて」

 俺は、イチゴ牛乳を差し出し、

「これからも先輩の子分として一緒にいますよ」

 と、微笑むと、彼女は目を輝かせて、イチゴ牛乳をひったくった。


(了)

 







 













 













 

 


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