第1話 シリウス
星暦1500年。フュトス。
ドルク国の南東に位置するこの村はヴァレイモの一大産地であり、交通の便が悪い地形ながらも比較的暮らし向きの良い土地だった。レグルス王が即位するまでは。
レグルス王の政策はあまりに酷いものであった。ドルク国の食品流通機関(DFDO)を国有化。フュトスは交通の便が悪く、輸送には多大なコストがかかるという理由でヴァレイモの仕入先を隣国ポルツァンドに変えたのだ。
実際、仕入先をポルツァンドに変えたことでヴァレイモ1個あたりの価格は8割程に抑えられ、残りの2割を国の歳入に出来た。しかし、DFDOに頼りきっていたフュトスの農業は崩壊。大量の失業者を出した。小作人として出稼ぎに行く者。娼婦に身を転じる者。最悪なパターンとしては奴隷に成り下がる者もいた。
フュトスの人口は最盛期の3割ほどになり、個々人で卸先を見つけられた者のみが農業を続けている。一体今までヴァレイモ作りしかして来なかった人々から農業を取り上げたら何が残るというのだろうか。無論何も残らない。フュトスの村には今日も今日とて暗雲がたちこめていた。
「もっと体全身を使え!全身を!てめぇの代わりなんぞ何人でもいるんだぞ!」
「へい、男爵!すいやせんでした!」
こんなはずではなかった。俺の人生は。
親はフュトスの農団のうち1つの代表だった。“プルート農団”はフュトスの地で磐石な地位を築いていたはずだった。
しかし、今はどうだろう。小太りで汚らしい脂ぎったおっさんに顎で使われる始末だ。
これも全て“あのレグルス王の暴策”のせいだ。ヴァレイモ生産に特化していたプルート農団はあっという間に潰れた。親父は責任を取って自殺、母親も気がついたら残った僅かな金とともにこの村を後にしていた。俺1人を残して。
それからはこの汚いおっさん、レーゲル男爵の元に転がり込んで今まで必死に暮らしてきた。
「おい!シロン・プルート!さっきから手が止まってるぞ!頭なんか動かさなくていい!手だけ動かせ!わかったか!」
「へ、へい!すいやせん男爵!」
「いいか?てめぇはあのプルート家の息子だから引き取ってやったんだ!ダンナには恩があったからな。でもなぁ、てめぇ自身にゃなんの価値もねぇんだよ。てめぇより効率のいい小作人なんぞいくらでもいんだ。せいぜいこの男爵様に不愉快な思いをさせるんじゃないよ!」
(いつか、いつか絶対コイツよりも偉くなってギャフンと言わせてやる…!)
ちなみにフュトスをここまでの村にした要素はあの暴策だけではなかった。いや、全ての原因があの暴策である事は間違いないが。
DFDOに切り捨てられたフュトスでは農民の大半は没落した。そう“農民”は。貴族は農民を小作人、奴隷として他国へ送る仲介で何とかその地位を守っていたのだ。しかし、より強大な権力を持ちたいと思うのは人の常。貴族の連中は領地の税率を上げることで地位の向上を狙った。税が払えなければ奴隷になるだけ。どの道貴族の懐が暖かくなるだけだ。
それでフュトスで名乗りを上げたのがあのレーゲル男爵。運良く手に入れた領地を使って、レグルス王に大量の金を献上したことで爵位を貰ったのだ。男爵はレグルス王の死後も出世を続け、今ではフュトス随一の貴族だ。
(俺にも1発どデカいチャンスがあったらこんな生活とおさらば出来るのに…神ってのは俺から奪うだけで何にも与えてくれないのな…)
ペラペラでカビ臭さい布団の上でそんなことを考える。気づけばもう30歳。俺の人生はこのまま終わってしまうのか。その時だった。
ワウワウワウ!ワオーン!
小作人寮の番犬のピッケが激しく鳴いた。無駄に鳴くような犬ではない。何かあったのだと思い、すぐに外に出て確認する。
すると、そこには1人の少年がうつ伏せになって倒れていた。月明かりに照らされてその白い肌から流れる血がキラめく。
「おい!君大丈夫か!?」
「…」
「おい!しっかりしろって!」
肩を激しく揺さぶり反応を求めると、「んんっ…」という声が漏れた。
「君大丈夫か!?何があったんだ…!」
「んん…痛い…。僕は一体……そうだ、僕は落ちたんだ、空から!」
「何を言っているんだ!?君、名前は?」
「僕かい?僕の名前は…」
「シリウスだよ」