自転車と歩き
成明とグレーゼはレトロモダンな喫茶店から出て、日が傾き始めた道路を歩いていく。
まだ真夏の暑さは残っているものの強い日差しはなく先程よりは過ごしやすく、時おり涼しい風も2人を吹き抜けていた。
「そーいえば成明のことはあんまり聞いてなかったわね、なんかないの?」
駐輪場から自転車を押してきた成明にグレーゼは目を輝かせる。
「別にいいけどグレーゼほど個性強くねぇぞ?まぁ総理大臣って肩書きがあっても個性負けるだろうけど」
「いいのよいいのよ。どうせつまんないんだろうなってわかってるからそんな期待してないし」
「おい、それはそれでどうなんだ」
並んで歩くグレーゼを横目に訴える。チラリと見えた表情からは笑みが零れている。
「ったく、まぁいい。俺は県内の大学に通ってて、この辺りで下宿してるただの大学2回生。一応アルバイトで塾講師をやってるよ」
「なに?下宿って?」
「実家が他県にあって、学校の場所の都合上一人暮らししてるってこと」
「ふーん、じゃあ家に成明しか住んでないのね?」
「おう」
先程と変わらない口調ではありながらキラキラと目を輝かせるグレーゼに少し嫌な予感を感じたが、成明はあまり気には止めなかった。
そしてすぐに気に止めなかったことを後悔した。
「なるほどー!それじゃあ都合がいいので今日からアタシも成明の家で暮らしますね!」
グレーゼの全く躊躇いのない表情に成明の足が止まる。
「......は?」
「なんですか?止まっちゃって」
グレーゼはぽけーっとしたまま成明を覗き見る。
「いや、今俺ん家で暮らすって......」
「......?そう言いましたけど?」
成明は無言で自転車のペダルに足をかけ、爽やかな表情でグレーゼを見る。
「そうか、達者でな」
「え?」
グレーゼが驚いたのも束の間、成明は立ち漕ぎ全速力でペダルを回す。
後ろを見ると、ポカンとして突っ立っているグレーゼの姿がある。
「ふー」
自転車の初速は遅いがグレーゼ驚き時間分の猶予はとても大きく、グレーゼが走って追いかけてくるまでに最大速度に達して30メートル突き放す。
「やっぱ危険だわアイツ」
ひとりごちりながらもペダルを踏む力は緩めず、全力でグレーゼから逃げる。というよりもモラルのない少女による、我が人生の損失の可能性から逃げる。
成明は立ち漕ぎをやめ、サドルへとお尻をくっつけた。
「成明待ちなさいよ!」
「は?」
グレーゼの声が遠くから聞こえたすぐあと、ペダルは突然回らず、自転車が前へ動かずビクともしなくなった。
背後から感じる強烈な圧力、成明はえもいえぬ恐怖を抱えて、恐る恐る後ろを振り返る。
「ちょっと!」
そこには自転車の荷台を両手で掴む、グレーゼが立っていた。ほんの少しだけ髪の毛も乱れている。
「お前どうやって......」
「走って掴んで止めたに決まってるでしょ!」
成明の錯乱に対し、単純に物理的でわかりやすい理由をグレーゼは答える。そして怒りという形容詞に相応しい、はち切れるような表情だ。
「アタシになにか言うことは」
成明は自転車からそそくさと降り、地面に膝を折りたたむ。そしてグレーゼが自転車から手を離し、自転車はその場で倒れて歩道の半分を塞き止めた。
「すみませんでした」
そこにはコスプレ少女が腕を組み、成人男性が土下座するという、近年類まれなる情景が映し出されていた。
そして、その横を通るものは誰一人としていない。
「なんで逃げたのよ」
「......」
「聞いてる?なんで逃げたの?」
「......家に暮らされるのが嫌だったので」
成明は渋々口を開く。
「じゃあ何故嫌だったんですか」
「......」
「ラスカネピアでも人間同士は同じ屋根の下で共に暮らしているわ。それにさっき聞いてきたわよね?アタシに誰かと寝てたか、って」
「......はい」
静かに怒るグレーゼに成明はただただ問い詰められる。
「それはこの世界でもそれが当たり前なんでしょ?」
「......間違っては無いです」
訂正したい箇所はあるが、ここで異を発しては火に油を注ぐだけである。それに脳が腐っていたのは成明のほうだ。
「なら、何か問題はある?」
「私の家で暮らすとなると......同居するということで合ってますでしょうか......」
「その通りよ」
グレーゼは即座に答える。
「となると、お互いに行動しにくくなると思うんですが......特に着替えやお風呂など......」
「その時はアンタを殺すから大丈夫。アタシはドラゴンで魔女で薬剤師なのよ?」
「ですが、リオ〇ウスの件については......」
「別にアンタの肉体に全く興味ないわ。なんなら食用として食べたくもない」
成明は追求したいところはあるものの、グレーゼの静かなる憤怒に押し黙ることしか出来ない。
「それでは、家賃や食費、光熱費や電気代などは賄っていただけるのでしょうか......」
「もちろん1割ぐらいは負担してあげるけど何か?」
「......半額ずつとはなりませんでしょうか?」
突然グレーゼは横に立っている電柱を荒々しくグーで殴る。
バキッという音ととてつもない風圧が成明を通り過ぎていった後、電柱にはくっきりと4本の指の後が生々しく残っていた。
「どうぞ!私の家をご自由にお使いください!」
「わかればいいのよー!成明は理解するのが遅いから困っちゃう!」
ハハハハと高らかに笑うグレーゼ。成明も土下座をやめて立ち上がり高らかに笑う。2人はオレンジがかった空に向かって笑う。1人はとてもご機嫌で、もう1人は涙目であった。
「ま、そんなことより成明は塾講師やってるのね」
「そんなことってお前......まぁ、こう見えても勉強はそれなりに出来るんだぞ?」
成明は自転車を起こして再び歩き出したグレーゼを追いかける。
「顔的に考えて生徒に好かれるかと言ったらグレーゾーンですけどね!」
「グレーゾーンとかリアルな評価やめろ!」
グレーゼはケラケラお腹を抱えて笑う。
「けどな、そんなグレーゾーンな俺でもそれなりに生徒には慕われてるんだぜ?」
「へぇー、生徒さんは男の子しかいないからよね?」
「ちゃんと女の子もいるわ!高校生も中学生も!」
「ちゃんと塾で真面目にお金稼いでるのね」
「いや、塾バイトに裏稼ぎとかないだろ......」
ニコニコしたグレーゼと頭を抱える成明は変わらず横に並んで住宅街を歩いていく。
「じゃあ逆に聞くけどグレーゼは裏稼ぎしてるのか?魔女ならイメージもあるしよ」
「さっき言った通りちゃんと薬売ってお金稼いでるわよ」
「じゃあラスカネピアではどうだったんだよ?」
「ラスカネピアだとアタシがそもそも薬を売ったりしてなかったわ、自分のためだけの薬だったから。ただ、欲しい材料があったら誰かの家に訪ねて胸ぐらを掴みながらお願い♡って頼むのがメインだったわ。次に狩猟や採集、もしくは物どうしの交換で必要なものを揃えてた」
「力による搾取がメインじゃねえか!ある意味裏稼ぎだろ!」
成明の脳内には先程の電柱が鮮烈に思い出される。
「今はちゃんと薬売って稼いでるんですからいいじゃない!」
グレーゼは八つ当たりするような転がっている小石を蹴り飛ばす。
「はいはいお姉さん、そのお薬を見てから判断しますので待ってててくださいねー」
「ふん!まぁいいわ!丁度着いたし見せてあげる!」
グレーゼは住宅街の一角にこじんまりと佇む木造住宅の前で足を止めた。
「おおーっ……」
木造住宅はいくつも剥がれた瓦屋根にヒビの入った土の壁、ボロボロの格子状の木の柵に割れた雨樋と色がほとんど剥がれて重厚さに大きく欠ける横スライド式でプラスチックの玄関扉。
「おぉ??」
成明は腑抜けた声を漏らす。
いかにも使い古されたと言わんばかりの木造の家であるが、玄関扉の横にはケバケバしく目立つ木の板と油性ペンで書かれた「薬屋竜娘」の文字がそこにはあった。
「アタシの商品の素晴らしさを!」
誤字、脱字等ございましたら、ご指摘のほどよろしくお願い致します。