はじめまして
炎天下の日差しの中、車道横のコンクリートの道。そこにザ・一般大学生とシャツとスカート姿にツノと尻尾を生やした少女が並んで歩いている。
「で?アンタ結局誰?」
「あぁ悪い、俺は高見成明。さっきはその、悪かった」
鬱陶しそうに睨んだ目で見上げる少女に成明は気恥ずかしく謝った。
「まぁいいわよ、アタシも少しカッとなっちゃったのは確かだし。よろしく成明」
凛とした雰囲気の少女は後ろめたい声で答える。
「あぁ、よろしく。お前は?」
容姿から漂う曲者の匂いは成明が最も得意としないタイプの匂いであった。しかし自然な流れで聞けたことを喜ぶ自分もいる。
真っ赤に染まった長い髪の毛が揺れる姿を見る成明は返ってきた答えに耳を腐らせることになった。
「アタシはティル・ビスペリアス・グレーゼ。ドラゴンで、魔女で、薬剤師よ!」
表情を変えずまるで当たり前かのようにグレーゼが語った言葉に成明は思わず額に手を当てる。
「はぁ、そうか。じゃあなんでドラゴンのコスプレしてんだ?」
「いや別にコスプレじゃないし。アタシは人の姿してるけどドラゴンだし」
「なるほど、そりゃツノといい尻尾といい合点がいくわ......ってなんねーよ!」
成明は声を荒げるが隣で歩くグレーゼはなぜか誇らしげである。
「じゃあー、竜でもいいわよ!」
「ドラゴンと竜の言葉違いで納得いくと何故思った!どう考えても無理だろ!」
「じゃあなんだったら納得いくのよ!」
言葉と同時にグレーゼが足を地面に踏みつける。
するとバコンッ!と足元は大きくへこみ、車道のアスファルトにまで無数のヒビ割れが走る。
そんなことはつゆ知らず、グレーゼは腕を組み口を尖らせてそっぽ向いた。斜め上にプンスカという擬音さえ現れている気がする。
「それはだな......」
目の当たりにした現象は納得に十分である。
頭を悩ませる成明を見て、理由はわからずとも勝利を確信したことだけはわかったグレーゼが口角を上げた。
「それより暑いんですけど?こんな炎天下の中行くあてもなくか弱い女の子を歩かせるの?人間ならそれぐらい気を使えないの?アタシ竜なんですけど?魔女なんですけど?薬剤師なんですけど?」
頭の悪い説明がかえって成明を落ち着かせた。
「お、おう……。そこの喫茶店でいいか?」
先に見える喫茶店を指さす。
「いやよ!ファミレスに決まってんでしょファミレスに!喫茶店にお肉ないでしょ!」
「お前俺にグリルプレート払わせる気か!ひと皿で一人暮らし学生の何食分のお金になるかわかってんのか!」
「アンタの事情なんて知る訳ないでしょ?」
「じゃあ今伝えたから事情知ったってことで有効だ!」
成明は財布との睨めっこにおいては強い男である。
「別に10皿位しか食べるつもり無かったけどまぁいいわ。目の前にある涼しそうな喫茶店に感謝することね!」
「10皿食べるつもりだったのかよ......」
震える成明を他所に早足で喫茶店へ向かうグレーゼ。モダンレトロな喫茶店に二礼二拍手一礼をしてから成明はグレーゼの背中を追った。
▷▶︎▷
カランカランとドアの鈴が鳴る。店内の静かな空間に鳴り響くその音は涼しさを感じさせると同時に店内の振り子時計や木で出来たカウンター席からは空間の温かみが伝わってくる。
「いらっしゃいませ、お好きな席にどうぞ」
若いマスターに従って奥にあるテーブル席へと向かっていく。幸いにも他の客はおらずツノと尻尾に大きく反応する人は誰もいなかった。
2人とも椅子に腰掛けて一息つくとマスターがおしぼりとお冷をそれぞれの前に置いてくれた。こちらも軽く会釈する。
「ご注文がお決まりでしたらお呼びください」
そう告げるとマスターは来た道を戻っていった。
「さてと!何にしよっかなー!」
マスターが離れるなりすぐさま立てかけてあるメニューを取り出して楽しそうに眺める。
「何個もポンポン頼むなよ」
「わかってるわよ!それじゃあアタシはアイスティーと何と何と何にしよっかなー」
「話聞いてたかおい!」
「聞いてたわよ!何個もポンポン頼むな、でしょ?何回かに分けて注文するから安心して」
「……」
成明は何度も財布の札入れを確認したあと無表情で固まった。
「……わかったわよ頼まないわよ。それとアタシはもう頼むもの決めたから」
苦い表情のままグレーゼは成明の方を見て、目で早くしろと訴える。
「俺アイスコーヒー」
「じゃあ決まりね。すみませーん!」
少々お待ち下さい、という声から数秒後にマスターが再びやってくる。
「アイスティーとアイスコーヒーで」
「かしこまりました」
そう言ってマスターは持ち場へ戻る。
「そんなこと言いつつもサンドイッチ1つぐらい強制的に頼まれると覚悟してたから真面目で助かったぜ」
「いや、サンドイッチは選択肢としてないでしょ」
グレーゼはバッサリと切り捨てる。
「なんでだよ、サンドイッチ製造者に怒られるぞ」
「サンドイッチとか野菜入ってて食物繊維多そうじゃない?だからお通じ良くなりそう」
「お通じ良くなるのいいじゃねえか」
「いやなんか、気持ち的に胃腸スッカラカンになりそう」
グレーゼは人差し指でティーカップの縁をぐるりとなぞっている。
「え?なにそのジョーク」
「いや、ジョークと言うかドラゴンだし」
グレーゼはなんの躊躇いもなくサラッと言ってのける。
成明がチラリとグレーゼの顔を見ると、純粋で透き通った緑色の目がこともなげにある。
その横にはソファ席を埋める大きなしっぽが上下にパタパタと動いている。
そして言葉は知らず知らずのうちに漏れ出ていた。
「お前……やっぱほんとにドラゴンなのか……?」
「お前じゃなくてグレーゼ。それと、ドラゴンで魔女で薬剤師だから」
しっぽの先端が成明をビシッと指す。
「じゃあグレーゼ、なんか……他に証拠みたいなのないか?」
目の前に証拠がありありと存在するにも関わらずその存在を無視し、成明は雲を掴む思いで問いかけた。
「歯とか見る?」
グレーゼは「にぃー」と互い違いに交差する鋭く尖った歯を成明に向ける。
「これも......作りものとかじゃないんだよな?」
それは誰の目を通して見ても、明らかに人間の歯とは異なる、ゲームやアニメの世界で見るものよりも遥かに危険で、醜悪で、凶暴さを孕んでいる。
「そうよ。触れてみる?」
「じゃあちょっとだけ……」
成明はおそるおそる指の腹でそっと歯を撫でる。
ザラザラとしていて芯まで硬い感触。
指を這うように吐息が囲み、目の前の少女の異質な存在感に吸い込まれそうな感覚が襲う。
「お待たせしました、こちらアイスティーになります」
「うおっ!!」
マスターの言葉に成明は慌てて指を離す。
「はーい!アイスティー!」
グレーゼはそんな状況を全く気にせず手を高く挙げ、オーバーなこっちですよアピールをした。
「アイスコーヒーになります」
「……う、うす」
成明はニコリと優しく微笑むマスターと目を合わせずに小さく会釈した。
「ごゆっくりどうぞ」
マスターが離れていくのを見つつ、成明はアイスコーヒーに刺さったストローをひとすすりする。
「顔赤いわよ」
「う、うるせぇ!それで、さっきの話の続きだ」
成明は改まってグレーゼを見る。
「マジでマジなマジもんのドラゴンなんだな……?」
「さっきから何回も言ってるし見てわかるでしょこのうんこ野郎」
「汚ねぇから便に関することばっか言うな!」
成明は頭を抱えて大きなため息をつく。
「はぁーっ、ここにはドラゴン住んでないし本物なんて見たことないから信じられねぇんだよ」
「そうなの?」
「そうそう、そーなんだよ。でもまぁこんだけ証拠見せられて、それでもドラゴンじゃないだろって突っぱねるのも違うしなぁって」
にわかには信じがたいが、正真正銘ホンモノのドラゴンなのかもしれない。
ほんの少しの好奇心と、それよりも遥かに恐怖を感じる。
「それが分かったのなら慣習に従って人間はアタシを崇めるべきよね!早速ファミレス行くわよ!」
「崇めねぇしファミレスにも行かねぇよ!」
ふんぞり返って食い気味にくるグレーゼに成明も即座の対応を行う。
「やっぱりそうよねー、崇めないわよねー」
グレーゼは諦め早く天井を見上げる。
「突然気持ち悪いぐらいに素直だな」
「だって、この世界に来てからほとんど誰もアタシに喋りかけてこないし近寄ってくることもないし。やっぱりドラゴンでも魔女だと崇めてくれない嫌がられるのはどこの世界でも同じなのね、って」
ほんの一瞬の沈黙。そこには声音も表情も同じだが明らかに何かが異なる空気が流れた。
「まぁ崇められないこととか嫌がられるのは慣れっこだからどーでもいいけどっ」
グレーゼはその空気を払うようにティーカップを指で弾いた。
「なんだか面倒くさそうな世界で生きてんな……っておい!違う世界って言ったか!?」
「そうだけど?わかりながら喋ってたんじゃないの?」
成明の激しい反応に対してグレーゼは静かに問いかけた。
「そんなもんわかるわけねぇだろ!そもそも違う世界からやってきましたー、って言われてなるほどなー、ってなってるほうがおかしいだろ!!」
「けどここにはアナタ曰くドラゴンいないんでしょ?」
「まぁそうだけどよぉ……。おん、そうだな……」
グレーゼの純粋な疑問に成明は言葉を濁す。
「まぁいいわ。アタシが喋りかけられなかったのはドラゴンが身近じゃなかったことが理由だってわかったし」
「いやまぁ、それもあるだろうけど」
「あるだろうけど何よ?」
グレーゼは挑発的に突っかかる。
「どっちかっーと、単にグレーゼがツノと尻尾生やした奇抜な格好でヨダレ垂らしてフィギュアすりすりしてるようなやつだからじゃねえか?」
「......」
グレーゼは少し顔を赤らめて黙る。
その姿を見ていると、なんとなくいたたまれない。
「……そ、そうだ、今話してて思い出した。なんでヨダレ垂らしてフィギュアすりすりしてたんだ?美味しそうだからじゃないんだろ?」
成明の質問にグレーゼの頬が一気に紅潮した。
「べ!別にいいじゃないなんでも!ドラゴンにも魔女にも薬剤師にも隠したいことの一つや二つあるのよ!!」
「でもお前、ある意味俺のおかげで日本でお前が喋れない理由がわかったんだろ?それぐらい言ってもらわないとハンバーグプレートのライス付き10皿奢ってもらうからな?」
「くっ......」
グレーゼは苦虫を噛み潰したような表情で成明を睨みつける。
「ほらほらー、どうするんですかグレーゼさん?グレーゼさんー?」
成明はゲス顔で愉快にグレーゼを問い詰める。
「......よかったのよ」
「なんて?」
「だから……っ!!」
グレーゼは真っ赤な顔を勢いよく突き出す。
「あのドラゴンの完成された肉体美がよかったって言ってるのよぉ!!!!!」
「......は?」
「まだわかんない!?筋肉と鱗と翼とお腹に色気を感じたの!エッチだったの!!興奮したの!!!」
グレーゼの顔は煮え滾るほどに真っ赤っかで、かつ半泣き状態である。
それを見て成明の頭の中で古本屋で声をかけた時のグレーゼの表情が鮮烈に思い出される。
「まだ聞き足りないんの!?もうこの際だか」
「お、おう……。すまんかった......もう......口を閉じてくれ......」
気づけば成明は目を右手で伏せ、左手をグレーゼの前に出してストップを要求する。
聞いていて心苦しくなった成明は謎の親近感と、先程までのどんな証拠よりもグレーゼがドラゴンなのだろうという確証を何故か強く感じてしまう。
「……」
「……」
先程までは気にならなかった食器の重なる音がやけに響く。
グレーゼは自分の赤い髪の毛を人差し指でクルクル回しながらほんの少し顔を赤らめて窓の外を眺めている。
「......話戻すか」
「......そうして」
謎の悲しさが溢れる異質な空間を2人で取っ払うことにした。
「......そうだ、結局のところグレーゼはどこからやってきたんだ?そこはどんな世界なんだ?」
「そうね......」
グレーゼは顎に指を当てて少し悩み込んだあとすぐさま口を開いた。
「とりあえず、アタシがもといた世界はラスカネピアって言って、日本みたいに森や川、山や海や草原など豊富な自然が形成された世界よ。中には沢山の魔物が生息していて危険な場所もあるけどね」
「俺ら人間みたいなやつもいるのか?」
アイスコーヒーのグラスに成明の顔が映る。
「いるわ。ラスカネピアには村や街があってそこに人間も住んでる。日本ほどの高い技術力は全くと言っていいほどないけどね」
「技術力ってのは村や街の建物が木とかレンガとかで出来てるってことか?」
「その通りよ。機械とかコンクリートなんてないしね。アンタが想像するファンタジーな世界が広がってると考えていいわ」
グレーゼはティーカップを持ち上げてアイスティーをすする。
「あと、ラスカネピアには大きく分けて3つの勢力があるわ。1つ目は人間、2つ目はドラゴンで3つ目が魔女よ」
「じゃあグレーゼは人の見た目にもなれるし最強じゃねえか」
「確かにアタシは最強だけど面倒なところもあるわ」
「なんだそりゃ」
グレーゼは小さく足を組み直す。
「大昔、人間と魔女は一緒に暮らしていたんだけど、魔女は魔女だけの世界を創ろうとして大災厄をもたらしたの。その時沢山のドラゴンが現れて魔女をやっつけたことで大災厄は止まった、そして魔女の多くは滅ぼされたわ。その後、滅ぼされずに生き残った魔女はひっそりと暮らすようになって、ドラゴンは大災厄を止めたあと山の頂上とか洞窟とか色んなとこでひっそりと暮らすようになったの」
「それで人間は?」
成明は頬杖をつく。
「人間は大災厄で被害を受けた街や村を復興させつつ発展していき、町には多くの人で賑わうようになったわ。それに発展の過程でドラゴンを英雄として奉るようになって、ドラゴンを母体とする宗教が出来上がったの」
グレーゼは真剣な面持ちを崩してからアイスティーをすすった。
「というのが、歴史書に書かれた大まかな説明......というか丸パクリよ」
「なるほどな。それでドラゴンだ崇めろだの魔女だ嫌われてるだの、矛盾したこと言ってたわけか」
「実際は魔女でドラゴンだから余計に貶されたり攻撃されたり散々だったけどね」
「じゃあもう貶されたり攻撃されたりすることねぇな。良かったじゃねえか」
「ま、まぁ?そうね」
グレーゼは成明から顔を逸らして頬を赤らめながらティーカップ半分も残っていたアイスティーを一気に飲み干した。
「もう1杯飲むか?」
「じゃあ遠慮なくいただくわ!ついでにサンドイッチ5人前頼んでもいい?いいわよね?すみませーん!」
「ダメに決まってんだろ!それに食物繊維の話どこいった!」
グレーゼがけらけら笑うのを見て成明も怒り冗談半分の後につられて笑う。
「アイスティー1つ!それとサンドイッチ5人前!」
「お兄さんは?」
「俺は結構です。それとサンドイッチ5人前は無しで」
「かしこまりました。少々お待ち下さい」
ふふっと笑ったマスターは踵を返し、元の定位置へ帰っていく。成明は帰っていったのを見計らって口を開く。
「さっきの話とは関係ねぇけどよ、グレーゼなんかめちゃくちゃ日本に慣れてるよな。注文のやり方とか知ってるし」
「日本に来てからそれなりに時間経ってるしね。あとなんか文字も時計も最初からわかってたのよ!多分アタシ天才なんだわ!」
グレーゼは謎の自信を高らかに叫んだ。
「なんか謎いなそれ。まぁいいや、今でどれくらい日本にいることになるんだ?」
「だいたい60日ぐらいかな」
「結構長いこと経ってんだな。これまで食料とか衣服とか寝床はどうしてたんだ?」
「食料と衣服は稼いだお金で買ってるわ。それと、寝床も見つけてるし」
成明はその言葉に反応した。
「お金稼いでる、ってオッサンに声かけてか?」
「いや普通に薬売ってお金稼いでるわよ?オッサンに声かけるって……なんで?」
グレーゼがアイスティーを飲むのに合わせて成明も氷しか残っていないアイスコーヒーを啜る。
「いや別に。じゃあ寝床は雑居ビルがほとんどで誰かと寝ながら転々としてるとか?」
「雑居ビルで寝たことないし住んでるお家に1人で寝てるわよ。それがこっちのスタイルでしょ?」
「そういうスタイルだな。まぁ気にすんな」
グレーゼは単純に不思議そうな顔で成明を見つめる。成明は大学生になって脳ミソが腐ってたことをグレーゼから隠した。
「いや!それよりもだ!薬ってなんだ!?どんな薬売ってんだ!?それに家持ってるって......」
成明は自分の脳みそから邪念を消してグレーゼの言葉を拾う。
その言葉通りだとグレーゼは日本で生活出来るほどしっかりと稼いでいることになる。
「そうねー、それじゃあ特別に見せてあげるから着いて来なさい!実際に見たほうが早いわ!」
グレーゼは頼んだばかりのアイスティーをグビリと飲み干す。
「それにアタシがドラゴンで魔女で薬剤師ってこともわかってて、この世界でまともに話せる人もアンタしかいないしね!」
そう言って立ち上がり、グレーゼは成明へ笑みを浮かべた。
「お会計2000円になります」
「ごちそうさま!また来るわ!」
「ごちそうさまでした......」
しかし、レジ前での成明の表情とお財布事情は笑みから程遠かった。
誤字、脱字等ございましたら、ご指摘のほどよろしくお願い致します。