第六話:獣牙1
剣術VS拳法――先手を取ったのは西田の方だった。
西田が求めるモノは力と速さの格差を覆す技――武術の理合。
だからこそ力と速さを押し付ける。
跳ね除けられるなら、跳ね除けてみろ、と。
前に踏み出し、剣をただ振り上げ、振り下ろす。
単純な動作――だが西田の膂力で行えば、それは稲妻の如き斬撃と化す。
西田が浮かべる不敵な笑み、そこに宿る無言の要求。
――さあ、凌いでみせてくれ。
対してシズは――臆す事なく、前へと踏み込んできた。
西田の初動を見抜き、斬撃が放たれるよりも更に速く。
左手は手刀を用いて西田の右前腕を強打、斬撃を弾く。
同時に、右手で固めた拳は中段突きとして、鳩尾へ。
「ぐっ……」
強烈な闘気を帯びた一撃は重い衝撃として、西田の内臓を穿つ。
西田の表情が苦悶に歪み、よろめき――だが神気の守りによって踏み留まった。
シズは更に連打を浴びせ――しかし数発打ち込むと、すぐに後方へ飛び退いた。
急所を外しているとは言え、瞬きの間に腹を五発。
それだけ叩いても、西田の体勢はまるでぶれなかった。
軽い一撃の連打では、かえって反撃の機会になるだけと踏んだのだ。
観戦する門下生達は、殆ど何が起きているのか見えていなかった。
ただ気付けば西田が殴られていて、気付けば再び両者の距離が開いている。
斬撃と打撃は、それらが巻き起こす突風によってのみ認識出来た。
「なんだ、ただの闘気馬鹿じゃないですか。」
「……なんだって? 背が小せえから、声が遠くて堪らねえや」
「剣が届かないよりかは、声が届かない方がマシだとは思いませんか?」
「けっ……ほざけ!」
構えを取り直した西田が再び剣を振るう。
今度は上段からの幹竹割り。
初太刀よりもやや遠間から、剣先で斬りつけるように。
あまり深く踏み込めば、また同じ手法で反撃を受けると判断した為だ。
先ほどは意気込むあまり、勇み足になりすぎた。
だが――今度は、刃が届かなかった。
シズはほんの僅かにスウェーバックしただけ。
たったそれだけで斬撃は躱され――必然、西田は差し出す事になる。
自分の顔面に、会心の一撃を叩き込む為の「踏み台」を。
眼前で空を切った模擬剣を踏みつけにして、シズが跳んだ。
全体重を乗せた右の膝蹴りが、西田の顔面へ。
身長に多大な差があるとは言え、その威力は絶大。
神気の守りを帯びてなお、強い目眩を覚えるほどに。
シズはそのまま西田の胸を蹴りつけ、一度距離を取る。
このまま畳み掛ける事も出来たが、タフさに物を言わせたマグレ当たりを警戒しての事だ。
対して西田は踏み留まれず、後方へ大きくよろめいた。
そして――反攻に転じられないまま、シズを見つめる。
二度目の斬撃も初太刀と変わらず、神速の剣閃だった。
それを何故ああも容易に避けられたのか、分かりかねているのだ。
模擬剣を肩に担ぎ、西田はシズを見下ろす。
よくよく観察し、考えて、そして気づいた――遠い、と。
『獣牙』の構えを取るシズは、深く腰を落とし、背中を丸めて前傾姿勢を取っている。
ただでさえ背の低い彼女がそのような姿勢を取ると――距離が生じるのだ。
常人ならば腹か腰があるような高さに、頭がある。
それでいてシズの踏み込みは鋭い。
いつもの感覚で剣を触れば遠く――さりとて踏み込みが過ぎれば、カウンターをもらう。
加えるなら、攻撃を手刀で弾かれる事自体も、好ましくない。
それはつまり防御を意識していない部位を、手刀で攻撃されているのと同義だからだ。
事実、西田の両腕には鈍い痛みが残り続けている。
何度も攻撃を弾かれれば、それだけで剣を振るう力を奪われる事になる。
「どうしました? まさか、もう手も足も出ないのですか?」
「うるせーな……どう手を出したもんか、今考えてんだよ」
冷ややかな挑発と、素直な悪態。
西田の答えを聞いて、しかしシズは先手を取ろうとは動かない。
舐め切っているのだ。好きなだけ悪あがきを考えさせてから、それを叩き潰してやろうと。
――舐めプしてくれんのは、ありがてえな。
西田にもその不遜は感じ取れた。
感じたのは怒りよりも感謝だ。
おかげでじっくりと、作戦を練る事が出来た。
そうして西田が定めた方針は――
――あれこれ策を練れるほど、技がある訳じゃねえんだ。やれる事をやってみて……それでも駄目なら、その時考えりゃいい。
愚直に前進する事だった。
模擬剣を担いだまま、一つ二つと歩を進め――しかし仕掛けない。
既に十二分に剣の間合いであるにもかかわらず。
そして――怪訝そうに眉をひそめるシズに、素早く左手を伸ばす。
剣を用いぬ不意打ちの組討術――だが無意味だ。
『獣牙』の迎撃は、対手の攻撃手段を選ばない。
斬撃でも打撃でも――掴みであろうと、初動の内に弾き、崩す事が術理なのだ。
左手はまたも手刀で払われ――左中段突きが腹部に刺さる。
瞬間、シズの拳に伝わる、大地を殴りつけたかのような硬い手応え。
シズの、西田との身長差と、『獣牙』の術理。
それら二つの要素が組み合わさると、シズが繰り出せる反撃の形には限りがある。
対手の攻め手を弾いた直後に繰り出せるのは必然、中段の、手を用いた打撃のみ。
要するに西田がした事は、決め打ちだ。
腹部への中段突きが来ると踏んで――腹筋を固めていた。
故に打撃をまともに受けても、体勢は微塵も揺るがない。
そして、模擬剣を握る右手を渾身の力で振り下ろした。
打撃が通るほどの近間は、剣の間合いではない。
だが問題はない。刃の距離でないのなら――拳を用いればいい。
剣を握ったままでの鉄槌打ち――誰に習った訳でもない、西田が自力で見出した組討術。
「もらった」
西田の拳が、シズの左肩に、届いた。