第三十一話
手傷を受けたのは、シズの方だった。腹と、頬と、右腕に、刃傷が走る。
シズは、何が起きたのか理解出来ていないようだった。
刃物が折れる音に反応して振り返った、西田もそうだった。シズが不覚を取るなど――可能性があるとは分かっていても、実際にそれが起こるとは思っていなかった。
だが、ここで惑えば、それこそ状況は致命的になる。
咄嗟に、本体であろう絶影を斬り付けて、牽制した。
互いに距離が開き、絶影が再び姿を消して、仕切り直し。
そうして、やっと――先ほど、西田の腕から散った血液が、地面に落ちた。
「……え、援護すべきか?いや……援護、出来るか?」
魔術師の一人が呟いた。自信なさげな声だった。
「……やめとこう。自分の身を守る事に専念すべきだ。足を引っ張る訳には、いかないぞ」
猟兵の男が、小さく首を横に振った。
要注意対象の呼称は、その危険性を簡潔に伝達する為に定められる。絶影という呼び名は文字通り、影をも置き去りにするかのような身のこなしが由来である。一方で――西田は、飛び散った血液が地面に落ちるまでに、剣を六度振った。最後の一振りは身を翻した後で、絶影へと踏み込みながらだ。
一連の攻防を、完全に目で追えた者は――この場に殆ど、いなかった。
「――シズ、やれるか?」
「当然です。こんなの、浅手もいいとこですよ」
強がりではない――シズが、手傷を受けた己の脇腹に触れた。
反射的に腹筋を固めた事で、傷は内臓にまでは届いていない。
頬と右腕の手傷も浅手だ。
「ですが、これは……」
次に、思い出す――手傷を受けた瞬間、刃物の異物感は感じなかった。
「……気刃です、ニシダ。奴は、分身に被せるように、気刃を放ったんです。いえ……あらかじめ放って、分身に重ねて操作していた……?」
シズの声には、隠し切れない驚愕の色が滲んでいた。闘気の振る舞いは、操る者の気の持ちようとは言え――気刃の軌道を操作するなど、尋常の業ではない。
だが、ただ分身に被せるだけでは、シズの動作に対応出来ない――絶影は、信じられない事をやってのけた。ただ、そう理解するしかなかった。
シズが構えを取り直し、周囲を警戒しつつも、思索を巡らせる。
――奴の気刃は、致命傷にはならない。私なら、そしてニシダも、受けた瞬間に闘気を高めて浅手に留められる。ですが……急所を狙われたら、話は違ってくる。
首や、目や耳をやられれば……その後の攻防に支障が出る。なら、分身を全て叩き潰せば? 私なら出来る……隙を見せて、奴を釣り出す事にも繋げられるかも……。
一方で――絶影も、姿を隠したまま呼吸を整え、額の汗を拭い、考える。
――今まで速さで遅れを取った事など、なかったのですがね。どうも……彼らはものが違う。剣士も、拳法家の方も、私より明らかに素早い。安直な不意打ちでは、返り討ちに遭う。
それに……あの気刃、確かに命中したのに、既に血が止まっている? 気刃が内臓に届くよりも早く、闘気を高めて押し返した? どれほどの鍛錬を積めば、そんな芸当が可能になるというのです。
……消耗戦を仕掛けつつ、不意を突く機会を待つしか、ありませんか。
シズも、絶影も、対手の戦力を分析し、自身が取り得る戦術を模索していた。
だが――西田は、そうではなかった。
――分身。あれも気の持ちようで再現可能なスキルなのか? ……いや、駄目だ。再現出来るイメージが湧かねえ。ここにいる猟兵の連中に聞きゃ、コツくらいは聞き出せるか?
それと……後は気刃か。気刃のコントロールは……まだまだ無理だろうな。だけど……大事なのは、戦術だ。戦術なら、真似する事は出来るはずだ。
西田だけが、この場で、今よりも強くなる事を考えていた。




